第5話 アウルム帝国バルト地方
【前回のあらすじ】
アストを一撃で殴り倒したララはギルドの注目を集めてしまう。危惧したレナは彼女を連れてその場から逃走。一方、オルガノは検挙率主義がチラ見えする王都の刑事局について愚痴を溢していた……。
「ん~、着いた着いた~!!やっぱりうちは地面の中より、青空の見える所が好きだ~!!」
パールが思いっきり伸びをする。健康的な手足が小麦色に輝き、太陽の光をきらきらと纏っていた。
「やっぱり気持ちいいね~、お空って。意外に海の中を泳ぐのと似ているかも。りゅーちゃんありがとー!!」
アオイは遥か南東の空、既に小さくなった影に向かって大きく手を振っている。鱗の光るふくらはぎが草の間から覗く。この辺りはよく草が育つ。
私たちはメラン王国のキラーザを出て、アウルム帝国に入っていた。ここはバルト地方の端っこ。農業の盛んな地域に差し掛かろうかという小高い丘の上である。
「いや~、やっぱりこの辺りは空気がうまいな。出来ればこのまま平和な景色が続けば良いんだけど」
アキもパールのように伸びをしながら広大な畑地帯を見渡す。小麦の畑の中に真っ赤な影がいくつか動いている。収穫用の魔導機械だろう。
アオイがすぐさま彼の横に駆け寄り、上から降りてきた彼の腕にしがみつく。
私もいつもならすぐにアキの横に駆けていって、彼女ほど思いきって甘えることは出来ないものの、彼の息遣いが聞こえるほど近くに寄り添いたかった。
だが、今はちょっとその余裕はない。何故なら……。
「お、おえぇぇ。き、気持ち悪いぃ…………」
私はここまでの移動で酷く酔っていた。
「おいおい、シェリルったら大丈夫か?相変わらずこういうの苦手だな」
私はすぐに乗り物に酔う。車も船も気球も、景色の揺れるものは何もかも苦手なのだ。
「す、すみません。み、皆さんにご迷惑は、か、掛けませんから……」
私はまだふらふらとする視界を整えようと地面に座り込む。
「あーあ、シェリルったらだらしないなあ」
アオイがこっちを見てけたけたと笑っている。平然としている皆が羨ましい。うっ……。
「あ、吐いちゃった……。まあ、りゅーちゃんの上で吐かなかっただけましだね。よく我慢した!えらいぞー!!」
げほっ。いつか彼女の苦手なものも見つけてやるんだから。
「国境を越えるにはこれが一番早いからな。こんなことならシェリルだけ帝国にいてもらえば良かったかもな……」
そ、それだけは……。一人ぼっちで知らない国に置いていかれることを想像し、ぞっとする。
「はは、冗談だよ。シェリル、今凄い顔してるぞ?まあ、とにかく彼女が落ち着くまで待って、それから行動開始だな」
「うう……。ご迷惑お掛けします」
私はがっくりと項垂れながら、草の上に溜まった不快感を送り出していく。
「さて、これからだが、さっきバルトの領主から連絡があった。既に領民の避難はあらかた終わり、安全な場所でしばらく生活できるように準備しているらしい」
「あらかたって……まだ働いてる人がいるじゃねえか。あっちの家もまだ人が生活してるみたいだぞ?」
踞りながらも顔を上げると、畑の中に所々煙を吐き出している家屋が見える。農村の日常は今も変わらず続いているようだ。
「あー、あれは奴隷だろう。この辺りじゃまだまだ古い慣習を続けているからな。領民といったら普通ヒューマンだけなんだろう」
「何だよそれ。気に入らねえなあ」
「まあこの地方で暮らしている人にはそれが当たり前だから、あんまり変な顔すると怒られちまうかもな。そういうことは思うだけにしとけよ?」
「はあ。うちがそういうの苦手なの知ってるだろ?フォローが必要になる前提でよろしく。例えば……今重い生理の真っ只中で機嫌悪いとか」
「そんなの自分で言えよ。まあ問題起こさなければ良いから。で、その領主から是非うちに来て皆を安心させて欲しいって頼まれたから、ひとまずはそこに向かうぞ」
「ふーん。いいよ、アキと一緒ならどこへでも。あ、ちょうちょ!!」
アオイは大して気にすることなく黄色い蝶を追いかけ始めた。
奴隷……パールが嫌な顔をするのも無理はない。帝国は近年ようやく奴隷の待遇改善に動き出したが、未だに問題は絶えない。何しろ奴隷制度がなくては成立し得ないほど、それを前提として社会が出来上がってしまっているのだから。
そして帝国で最も農作物の生産量が多いバルト地方では、奴隷の労働力は必須だった。
「はあ、はあ……。ご、ごめんなさい。もう歩けると思いますから」
私はふらふらと立ち上がる。遠くまで続く小麦畑が黄金色に輝いている。それはすべて、奴隷として働く彼らの努力の結晶だった。
「領主は向こうの集落にいるらしい。まずはこの景色を楽しんでこうぜ!!」
「あ!!第一村人発見です、早速お話を伺っていきましょう!!」
テンション高く畑の中に突っ込んでいくのはアオイだ。この辺りの小麦は背が高い。彼女の肩から下はもう見えなかった。
さらさらさら。風が吹いて穂が揺れる。のどかな音楽に包まれながら歩く土の道は、何だかとても優しかった。
「こんにちは。今何をされてるんですか?」
「あ?……ああ」
彼女に声をかけられた男はとても大柄で、先の尖った大きな耳が顔の横についている。あれはオプリアン特有の耳。彼はきっとミノタウロスだろう。
「ああ、って何よ?」
「小麦の収穫中だ。見て分からねえのか?邪魔だからどいてろ」
アオイはまったく相手にされていなかった。
「何よ~。ノリ悪いよおじさん」
小麦の絨毯から顔だけを出して口を尖らせる。その彼女にくるりと背を向け、男は赤い魔導機械を押していく。彼の通った後はきれいに小麦が刈り取られている。収穫した物は収納魔法で圧縮しているのだろうか。
「ねえってば!!」
「うるせえぞ、あっち行ってろ!!」
遂に怒鳴られてしまった。尚もしつこく話しかけようとする彼女をパールと私で連れ戻す。
「ほらアオイ、おじさんの邪魔しない。何だってそんなにしつこく絡むんだよ」
「え~、だって……」
彼女は少しもじもじしてから、にこっと笑って。
「あのおじさん、ちょっと好みなんだもん」
そんな理由であんな絡みを……。寧ろ嫌われてしまうのではないかと思うが、彼女に反省の色は一切見られない。
「あ、そうなんだ。うちはてっきりあんたもライバルだと……」
「ライバル?……あ、アキのこと?もちろんアキも狙ってるよ」
「は?あのおじさんと全然違うタイプじゃねえか」
「それはそれ、これはこれなの~」
アオイはあっけらかんとしている。二人ともよくそんなに堂々とライバルだとか言えるものだ。私だってあんな度胸があればもっと……。
「悪いな、おっさん。あんたらは避難しなくて良いのか?」
当の本人、アキはこっちの話など気にすることなく、男に話しかけていた。
「避難?何のことだ?」
あれ?もしかしてヒューマンが避難していることすら知らないのか?
「……ああ、いや、ちょっとした勘違いだ。忘れてくれ。邪魔だろうし俺たちはこれで失礼するよ」
アキは愛想笑いを浮かべながら男に手を振る。
「(ちょっとアキ、彼らに戦争のこと知らせなくて良いんですか?あの様子だときっと領主から知らされてもいませんよ?)」
「(だからだろ。領主が知らせないと判断したのなら、俺たちが勝手に伝えるわけにはいかない。幸いまだ時間はあるんだ。アクションを起こすにもまずは領主に会ってからだ)」
むぐ。アキのいうことも尤もだ。
「そうか。……刈り終わった畑で俺の子供たちが遊んでいる。良ければ相手してやってくれ」
彼はそう言って再び収穫作業に戻る。
「……いい人だな」
アキがぼそっと溢す。このまま戦争が始まれば、何も知らされていない彼らは確実に巻き込まれてしまうだろう。やはりそんなのは許せない。何とか出来ないものだろうか。
「きゃーっ!!ミノタンよ!!可愛い~!!」
突然アオイの叫び声が響く。見れば彼女は男の指差した先、子供たちを見てはしゃいでいる。
ミノタウロスの子供と言えば天使の代名詞とも呼ばれ、その可愛さからミノタンという愛称までつけられている。くりっとした大きな目、細長い手足、丸っこい顔と胴体。
大人になったときの大柄で筋肉質な身体とのギャップも相まって、一層可愛がられているのだ。
「「きゃははははっ!!逃げろーっ!!」」
アオイは早速彼らの中に混じり追いかけっこを始めている。
「お姉ちゃん、足遅いね!!」
「うるさい、あたしは陸は苦手なのー!!水の中ならものすごく速いんだよ?あっ!!」
彼女が何か思い付いたときは、大抵悪いことが起こる。案の定、彼女はどぼんと用水路の中に飛び込み、遊泳フォームになる。
「わあっ!変身した!!何その脚、繋がってるー!!」
「ふふふ。この脚になるとめちゃめちゃ早く動けるようになるんだぞ!見ててねー、えい!!」
「わっ!!はやっ!!」
「へへーん!どうだ、見直したか……」
どんっ!!
「いったーい!!」
彼女は一瞬でトップスピードになり、用水路を泳ぎ抜けて真っ直ぐ曲がり角の壁に突撃していた。
「「あははははっ!!」」
ミノタンたちには大受けである。
「おっ、村が見えるな。アオイ、そのまま近くまで泳いで行って良いぞ」
アキが彼女に手を振る。私たちは土の道をそのまま進んで、畑の中に集まる家屋の群れ、もとい小さな村へと向かう。
村の周りは杭とロープだけの簡易的な柵で囲まれ、柱を両脇に立てただけの門からここまで道がまっすぐに伸びている。
「皆様がアキレス様ご一行ですね。お待ちしておりました」
恰幅の良い男性が出迎えてくれる。
「私がここの領主です。こんな田舎までよくお越しくださいました」
この人がこの農村を束ねているのか。ミノタンよりも丸いお腹がぽよんと弾む。彼自身は農作業はしないのだろう。
「こんにちは、アキレスです。アキとお呼びください。ところで皆さんはどちらに避難を?」
「他の地域の人たちには珍しいかもしれませんね。今からご案内します」
そう言うと領主は門へ入り、すぐ右手の小屋へと入っていく。付いていくと、中には地下へ向かう小さな階段があった。
「どうぞ。こちらが我々の避難先、地下シェルターです」
テオンたちの話はまた少しおやすみして、暫くはシェリルやアキたちのお話です。アウルム帝国、当たり前のように奴隷のいる国……。ですがその実態はただの労働者。近年はその地位向上のための活動も盛んで、いわゆる市民階級のひとつに過ぎません。
そんな帝国の中でも、バルト地方は革命がそれほど進んでおらず、従来の奴隷に対する価値観が色濃く残っている地域。ここからどんな物語が動き出すのか、どうぞ期待して待っていてください。
次回更新は6/22です!