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亜生は人間の持つ醜さを知っている。説明の付かないものや、飛び抜けた才能。周囲から秀で過ぎた者を人々は嫌う。同じ囲いの中に置くことを、強く拒む。
――どんなに救い、人々のための扶翼となっても。
――どんなに相手の事を考えて、行動しようとも。
都合が悪くなれば、助けを求め縋っていたはずの人間でさえも、平然と手のひらを返す。
『はなから助けなぞ必要なかった』と、地面にある石を掴み、投げつける。
無意識に上げた指先が、右のこめかみを押さえた。
「世の中、誰も彼もが平和を望んでいるわけではない。平和を作りあげようとしている一方で、その行為が気に入らないと思う人もいる。そして平和にさせようとする力を利用して、自らの私腹を肥やそうとする人間もいるのです」
柄にもなく。説明っぽくなっている。
きっとコレも……夜闇が仕掛けた、言い知れぬ力の一つだろう。
表情が見えづらくなっているから、心の内を語ってしまう。
「出来れば、私も固有刻印というものを授かってみたかった」
その言葉に二人はなんとも言えない、不思議な表情を作った。
「……まあ、固有刻印を持たされて、なんの選択肢も与えられないまま、サイファーになる訓練を受けさせられている君たちからすれば、不愉快な発言と聞こえるでしょうね」
二人を見ることなく、亜生は正面を向いたまま、感情が込められていない声を出す。
「私はね……他の人たちよりも、少しばかり正義感が強くてねぇ。……悪しきものを正そうとする心は、人一倍ある訳なんです。もし私がサイファーの権利を与えられていたのなら、きっと望んで異界に行っていたでしょう」
「亜生さんは『異形の者たち』が怖くないんですか?」
東堂宗二郎は、ごく普通の質問として、投げかけてくる。
「恐怖を感じることは、人間であれば当たり前の反応です。誰しも自らの身に、危険を及ぼすであろう存在が、怖くないはずはない……でもそれらに打ち勝たねば。自分すら律することができなければ、誰も救うことはできませんよね」
……少し饒舌になりすぎた。
気がついた亜生は、歩く速度を遅くすることによって。少し考える余裕を自らに与えた。
「…………………………なんであれ、私の現実は異界に行けないということ。ならば異界に行ける人間に任せるしかない。私は私に出来ることをやり遂げ――世界にいま一度、平穏を取り戻すことを目標として、行動をし続けるしかない」
話に一区切り付けられたところで、ちょうど忍川留歌子の自宅に到着した。
次いで、少し離れた場所にある、東堂宗二郎の家に彼を送り届けた。
「あの……すいませんでした」
「いえ。これも仕事ですから」
正直なところ、余計な時間を使わせられた。
普段、語りもしない事を話してしまった。
どうせ、もう二度と会うこともないだろう。
彼ら訓練生とこちらの立場は全く違う所にある。
「オレも、亜生さんみたいに、人を救えるような――そんなサイファー目指して頑張ります」
その瞳に。名状しがたい嫌悪が、胸の中を通り過ぎたのを感じた。
何も答えない亜生に、東堂宗二郎は「じゃあこれで」と軽い会釈をして背を向けたところで、何故か亜生は呼び止めた。
振り返った顔は、不思議そうな表情。
――なぜ、引き留めたのか。
亜生には少年に対してのむかつきと並行して〝第六感〟が働いていた。
特にかける言葉など用意していない。仕方なく亜生は自分の内ポケットから、一枚の名刺を取り出す。普段の職務では、まず使用する事がないものだった。
「さっき話した犯人の件は、くれぐれも他言無用でお願いします。もし……磯良修を見かけたら、ココに連絡を。私の携帯端末の番号です」
落ちこぼれな生徒に渡したところで、ゴミにされるのが関の山。
気に入らないと思いながらも、引き留めた手前、なんでもないと言うのは、亜生のプライドが許さなかった。
東堂宗二郎は名刺を見ながら目を細め「わかりました」と口を細めて言う。
今度こそ、彼がアパートの階段を登り始めるのを見送ることなく、亜生はその場を離れた。
……煩わしい面倒ごとを解決した亜生は、一人でいたときよりも数倍疲れた疲労感に、目頭を押さえた。
その時、ポケットの中で、携帯端末の通話着信を知らせる音が鳴った。
端末を取り出して画面を確認しようと視線を画面に向けるや否や。
亜生の視界の斜め上で、闇夜の空を駆ける何かを見た気がした。
すぐさま端末から影が見えた方向を見遣るが、静寂の中に動作するものは何もない。
確かに見た気がした。黒ずくめの服装をしていて。建物と建物の間を飛び越えたような。
――――人間? いや、そんなまさか。
あまりにも一瞬だったので、亜生は確信できず。
きっとこれも夜闇が作りあげた、幻想の一つだと割り切って。
執拗に鳴り続ける携帯端末の、通話ボタンを押した。




