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二人の学生と一人の男。街は静まりかえっている。
夜道を並んで歩いている姿は少しばかり、奇妙な組み合わせであった。
普段であれば見えないものが、闇に覆われると見えなくなる。視覚を奪われる感覚は――人の心に不安を生ませる。
亜生譲からしたら、闇は神聖なものを感じている。人の心を確実に動かす暗闇の力というものは、心に大きな影響を与える。一日の内に必ず訪れ、必ずくり返されている物であるというのに、決して心は順応しない。決して安心できるものではない所に、亜生は〝闇〟というものが持つ、不変の力を感じずにはいられなかった。
昼間とは違って、己の感覚が研ぎ澄まされる。隣で歩いている彼らは、この闇をどう感じているのだろうか。
「――ところで。どうして、こんな時間に河川敷なんかにいたのですか?」
彼らがしていた事に興味がない。街で何が起こっているかなど、知りもしないで、平和に夜歩きしている姿に、失笑すら起こらない。
――規則を無視してまで、価値あることをしていたわけでは無いだろう。二人とも頭の悪そうな顔をしている。どうせ違反に対して、さほどの重要性も感じてないのだろう。
「ちょっと、いろいろ……俺の進路的なものの相談に乗って貰っていて」
「ほう。進路ですか」
かつての『東京』のような、掃いて捨てるほどの学校を選ぶ選択は、彼らにないはずだ。
固有刻印を授かっていない一部の子供が通う学校は、この内界にも存在している。
――戦力外通告でもされたのか?
亜生の目から見たら、少年が行く末を選択できるだけの優秀な人間には見えない。だとしたら固有刻印や魔力が満足に使用できず、戦力外とされる落ちこぼれ。
ますます二人に興味をなくした亜生は、話の途中であるのに、思わず溜息を漏らしてしまった。
聞こえたのか聞こえていないのか、少年は会話を続ける。
「彼女にも、どうしたら良いかどうか相談に乗って貰ってたんですよ」
「…………か、彼女!? かのじょだなななん、て、そんなぁ」
「え、なに? 彼女じゃないの?」
「……いいの? アタシでも良いの?」
「――――は?」
「――――へ?」
「……だって、彼じゃないでしょ?」
表情をコロコロ変えていた少女は、やがて話の食い違いに気がついたらしく、耳たぶまで赤くしながら、少年の肩を音がするくらい殴りつけていた。少年からは猿のような悲鳴が上がった。
亜生は二度目の溜息を吐き出した。
――二人合わせても、一人分の知能指数に足るかどうか、というところですか。
痴話喧嘩じみた馬鹿話が、本格的に盛り上がり始めた所で、亜生は電信柱に備え付けてある街灯の下で立ち止まり、ポケットの中から一枚の写真を取り出して見せた。
「……君たち、この人間を知りませんか?」
聞くに堪えない話を止めさせるとした目的。『知らない』で終わる流れを作った。
暗がりということもあって少年は首を出して写真を覗き込んだ。
「んー。見たことないですね」
亜生が見せていたのは……殺人鬼『磯良修』の古い身分証明書だ。
眉は細めで黒髪。精悍な顔つきの青年を切り取った正面写真。
「じゃあ、こちらは?」
もう一枚の写真を並べてみせる。
少し距離のある、斜め上から撮った映像を引き延ばしたもの。
頭の半分だけ白髪になっている、奇抜なカラーリングの男。
少年は周囲に映っている場所も注視する。
暗い場所だったから解らなかったが、少年の顔面には、古い傷痕があった。
目の下、顔の至る所にそれらしき物が見て取れた。
「………………これって、関原の――施設?」
「ええ。よく――解りましたね」
亜生も場所を言い当てられるとは思っていなかったのか、妙な取っかかりを感じた。
「先日の事件に居合わせたのが、この写真の男です」
少年は写真から目を逸らして、隣に居た少女を盗み見た。
亜生は少女が、どこか複雑な表情をしているのを見逃さなかった。
「……ルカ、子?」
「――――ぇ?」
お互いの目には、不安である自らの心情が、そのまま相手の表情となって映っていた。
「なにか、しってるのか?」
少年が投げかけた言葉に、初めて亜生の目がギラついた。
学生に対しての虚飾の皮を取り払った、一人の追窮者の瞳であった。
「アタシ達、学生だから、サイファーの事は全然詳しくないですよ」
「…………………………君、名前は?」
初めて、亜生には二人の学生に僅かばかりの『興味』が湧いた。
単なる馬鹿な学生であったから、収穫などに期待はしていなかった。
「忍川――留歌子、です」
「忍川さん。君はこの写真を見て、どうして彼がサイファーだと知っているんですか?」
「………………だって、アタシも会場に、観戦者として行きました。魔導科の試合に、サイファーの人も来るって。……だから養成所の職員じゃなかったら、サイファーしかいないと、思ったのですが――ちがうんですか?」
理屈は確かに通っている。訓練ためサイファーが三人派遣されたことになっていたのは、学生でも知っている情報だ。
真っ直ぐに見つめてくる丸い瞳。実直さと芯の強さが垣間見える。
亜生は気のせいか、と鼻鳴らした。
「………………彼の名前は、磯良。内界で大勢の人間を殺している、連続殺人鬼ですよ」
元サイファーであることはあえて言わなかった。そんな情報を与えたら、どこで良からぬ噂が出てくるかわからないからだ。
「そんなのが、養成所の施設にいたんですか」
「君の名前は?」
「東堂宗二郎です」
「――東堂君。忍川さん。この話はココだけにして貰いたい。現在ブラックボックスは、彼を捕らえるために全力を尽くしています。非常に危険な人物だ。事件後に消息を絶ちましたが、犯人はまだこの十八区に潜伏している可能性がある。だから君たちが夜歩きしているのは、非常に危険。……わかりますね?」
二人は頷き、歩き出した亜生に続く。
「私の仕事は、この内界を揺さぶる悪事から、人々を守る役割を与えられています。もちろん学生である君たちの安全を守ることも、我々の役目だと思っています」
街灯を通り過ぎるたびに、影は後ろから追い越し、自分の正面に伸びてくる。
その動きが、まるで自分の語る言葉とは、真逆の感情を表しているかのようだった。
「中枢機関の仕事は、異界に行って異形を倒すだけではない。この内界の平和維持にも……力を注いでいるのです」
「ナントカ機動隊っていうのも、内界を守る役割を持ってるんですか?
「詳しいですね」
「せ、先生に教わったんです」
なぜ動揺するのかは知らないが、教師が『執行機動隊』について知っていても、なにもおかしくはない。彼らは秘密の部隊でも、なんでもないのだから。
歩く先に広がる暗闇を瞳に映しながら、亜生は目映い物でも見るかのように、瞼を細めた。
「我々はサイファーではない。固有刻印を持っていないし……だれも魔術の使えない、普通の人間です」
普通ではない。固有刻印を持っている人間は――普通の人間ではない。
彼らがどういう感覚で、固有刻印と向き合っているのかは知らないが、大勢の一般人から見れば、魔術を使える者は、人間離れした怪物に同じだ。
もしも――旧首都を封鎖している壁がなかったとしたら、彼らは間違いなく迫害を受ける。
たとえ、人類を救う鍵となる力を持つ、唯一無二の存在であったとしても。
この土地が――再び『東京』と呼べる日が来れば。人々は彼らを裏切る事だろう。




