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怪物の名前であろうか。『ネブリビア』と呼ばれた半透明の異型は呼ばれることによって、強い反応を示した。
少年に重なっていた腕から始まり、肩……頭へと。
現れた姿は正に『異形』のそれであった。
不可視であった体は、だんだんと色を持ち始め、
光沢のあるざらついた甲殻、おぞましく不気味な一つ目。
半身まで現れた異形は少年よりも大きく。ぴったり背中に寄り添い、彼の指示を待っているように見える。
フードに覆われた少年の片目から淡く光る。冷気に似た蒼色が、頬を伝って流れ続ける。
……異形を携える少年。特段珍しいケースではないが。
眼球にある固有刻印が、相手の放つ魔力の影響を受け、強い痺れを感じさせた。
それでも多くの敵と出会ってきた檜山は臆さず。前方へと突進した。
「コールッ!」
手のひらに忍ばせていた術式から、檜山は光を帯びたソフトボール大の光弾を作り出し、走りながら撃ち放つ。弾の速度は鈍速で、剣を構える彼と共に併走する。
「魔術は効かねえって、いってんだろ!」
少年もまたポールを構え、檜山の突撃に合わせて、前へと進み出た。
先に弾丸を砕こうとする『ネブリビア』の腕を、檜山は剣をもって受け止めた。
「ぐッ、っく!」
自身に循環させている魔力で、身体強化を図っているのにもかかわらず、実体化した異形の腕は重く。下半身の関節が悲鳴を上げて崩れ落ちそうになる。
弾丸は檜山を、少年を通過し、誰にも当たらなかった。
少年は過ぎ去って行く弾丸を無視し、両腕を持ち上げ、がら空きとなった檜山の胴体目掛けて、ポールを使い、渾身の一撃を叩き込んだ。
右脇腹にめり込み、呼吸が止まる。一瞬だけ掠れた視界。それでも少年よりも、異形の方が脅威と見なし、檜山は目を離さない。
次いで、異形が二度目の腕を振り落とす。
脇腹の痛みを抱えながら、檜山は大きく後退する。
「……近づいちまえば、小細工はできない。手足もいで、生きたまま連れ帰ってやんよ」
最低限の魔力で防御を行っていた檜山は、右の脇腹を押さえながら、ゆっくり呼吸した。
――折れて、なさそうだな。だったら問題ない。
咳き込み、小さな呼吸を一つ。彼はおもむろに語り出した。
「魔導師の戦いは、相手がどうするかだけに注視してはダメだと、教わらなかったか?」
「なに……言ってんだお前?」
「空間。空気の流れ、先ほど展開したトラップ。魔導師は周囲の空間を操り、その場を自らの武器として作り替える。全ては基本を起点している」
脇腹打って、頭おかしくなったのかといった表情をする少年に。
檜山はマスクの下にある口を吊り上げた。
「行動一つ一つに……あらゆる布石を仕込む。わざわざ君に近づいたのは――俺の『動脈』を直結させるためだ」
ハッとした少年は、ようやく事のおかしさに気がつく。
徐々に浮かび上がって来るは、檜山と少年の間にある地面。真っ直ぐ半透明の光る線によって繋がっていた。……そして線は少年の腹へ。
腹には小さな円形の紋様。魔術式が展開されていた。
どうしてこんな場所に術式があるのか。
驚愕の色に染まり。最初の時……腹に受けた掌底を思いだす。
あの一撃すらも――『布石』であったのだ。
いよいよ、あらゆる行動に理由があると悟った少年は、檜山から視線を外し――後方を見た。
それは檜山が作り出した、動きの遅い魔力の球体が向かった先。
何も影響がないと見捨てた一撃。
後方で静止していた球を見て、血の気が引いた。
しん、と。なにをすること無くぼんやり浮かんでいた球体。
自らは行動せず……まるで術者の命令を待っているかのようだった。
「対象に術式を刻む繊細な魔力干渉は、素人には判断しづらいだろう。常に先を読む。あらゆる可能性を作り出し、最短の勝利を導き出す。ソレが俺のやり方だ。基本の応用である『多重併用魔術』……二つの術式を組み合わせて、一つの効果を生み出す技法だ――フレアッ!!」
浮かんでいた球体は、檜山の命令を受けて細く伸び、一本の矢となり飛び出す。
鈍速であった時とは別格。高速で戻ってくる。それも正確に少年目掛けて。
始めに檜山が少年の体にに与えた術式が『設置』『発動待機』『誘導』
そして、新しく作りあげた球体がの術式が『魔力圧縮』『任意停滞』『発動待機』『集束』『加速』『追跡』である。
少年という目標にめがけ、光の矢は自身の魔力が続く限り、定められた目標を追いつづける。
さながら、ホーミングミサイルと――戦闘機が放つ囮の関係に似ていた。
「…………くッ、オォ!?」
腹へと誘導されて迫る光の矢。
少年は『ネブリビア』を使い、檜山と自身を繋いでいる『導脈』を断ち斬った。
腹の術式が消えると光の矢は目標を失い。回避のため、倒れ込んだ少年の肩に触れた。
外套を弾き、パーカーを抉り取り。
普通の肉体ならば、体に穴が開いてもおかしくはない一撃。
間一髪、回避に成功した少年は、左肩を掠めるだけに留まる。
まだ立ち位置は逆転していない。
最初の時と変わらず、少年の背には、地上に上がれる唯一の階段。
檜山は追い打ちを掛けることをしなかった。背中の異形が、自分の意志をもって行動できるとしたら、それだけで危険であるからだ。
肩から流れ出る血。膝を付きながら少年は唸り声をあげる。
――――今しかない。
目を逸らしている今が最大のチャンスと見定め。
檜山は右手に備えている『略式魔導鉄甲』を覆っている黒い布を解き放った。
中には手首まで覆われている、金属の装飾が施されたグローブ。
「フラッドレイッ!!」
鉄甲には、固定された魔術が組み込まれていて、檜山が地面に向けて放った『フラッドレイ』は強力な衝撃波を生み出す事のできる魔術である。
地面に与えられた衝撃は、コンクリートを破壊し、夥しい土煙となって空気を染め上げる。
「てえええめえええ! 小細工ばっか使いやがってッ! クソがぁああああああ!」
視界を奪われた少年の怒号と、背後に備えていたネブリビアが地面を、近くにあった牢屋を、無差別に破壊し続ける狂乱を背後に。
…………檜山は地下の階段を、気配を殺して駆け上がった。




