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<2>-3

 このまま女子寮に帰っても良いのだが、祈理にはもう一つ安心できる場所があった。

 ――西(にし)(あら)()(ばし)。そこは東京に()()()()()()()(あら)(かわ)』を渡していた四百メートルを超える巨大な橋である。現在は関原養成所の管理下にあり、一般の人間が通行することはできない。

 橋の向こう側にも、養成所の施設と演習場がある。普段の授業でも生徒がこの橋を使用する事は少ない。

 橋に到着すると、祈理の駆け足は落ち着きを取り戻し、いつものゆったりとした歩調になる。

 花柄の(らん)(かん)、突き抜けた夕空。

 河は干上がっているものの、当時の河川の横幅がそのまま残っていた。

 今は川底の地肌が見えた状態を保っているが、外界と内界を隔てる『人工防壁第九層』で囲まれている上流の方では、川の流れを()き止めている第九層に巨大な水門が有るらしい。普段は外界の壁沿いに荒川の水流は流れているらしく、人工の川幅は狭く、有事の際には許容範囲を容易く超え、簡単に決壊してしまう。大雨による濁流によって川の水面が上がる場合、限定的に水門が開放され、この本来の荒川に流れが戻るらしいが……祈理が入学し、今に至るまで水門が開放されたことはない。この第十八区周辺は、パンドラクライシス以降、一番大きく土地と地図が書き換わってしまったエリアでもあった。

 当時は、この橋にも沢山の車が渡っていたのだろうが、今では一台もなく。橋はその存在を否定されたように、冷たい風を受けるだけの巨大な建造物と成り果てていた。

 川に沿って背の高いマンションらしき建物が(そび)え立っている。現在は入居している人がいるのだろうか……。

 行く先では、首都高速中央(かん)(じょう)(せん)が斜め上の空を横断しているはずなのだが、橋の向こう側の高速道路は途中、何かによって破壊されたのか、広範囲にわたって分断され、機能を失っていた。残骸は撤去されていて、どれほどの損害であったのか、現在の状況から推測することは難しかった。

 橋を渡った先も関原養成所の施設がいくつかあり、それら施設の更に奥。関原の土地は(こう)(だい)な荒野が広がっていた。荒野は砂利と、かつて〝何か〟があったであろう建物の基礎のような名残があるだけ。

 数百メートル以上が更地と化した関原の土地には誰も居ない。長い年月が経過した今では、ようやく草が点々と生息し始めている程度で、これから先も確約された平和が訪れるまで、居住するような建造物が作られる事は無いだろう。

 向こう岸に到着するよりも早いうちから、欄干はなくなっていた。橋にもいくつかの修復と損壊の名残があるところから、高速道路と同様、ココにも破壊の爪痕が残されたのだろう。パイプと足場で組まれた簡易な階段がある。祈理は急な階段を下りて、河川敷の草を踏み締めた。

 ――風が吹いた。まだ湿っている髪には心地良い。

 祈理は校内にある個室と同じく、この場所が好きだった。わざわざ他の生徒が、あの長い橋を渡って来ようとはしないからだ。

 寮に行けば否が応でも誰かと接触する。同居人がいるにもかかわらず、会いに来ようとする生徒までいる。だから祈理は密かに自主訓練を行って時間を潰していたのだが、最近になっては、ついに練習相手になってほしいと申し出る生徒まで出てきた。自由はさらに侵蝕され、束縛されつつあった。


「………………はぁァ」


 今日一日、ずっと飲み込んで仕舞っていた、疲れやプライベートな時間の(そう)(しつ)。自分が保っている体裁やしがらみなどが、ストレスを含む強めの吐息となって吐き出された。

 関原を背に、河の向こう側である『(せん)(じゅ)(もと)(まち)』と呼ばれていた十八区の町並みをぼんやりと見つめる。川の向こうは何ら街に損傷はない。ただ祈理の背後の関原はかつての町並みから大きく掛け離れていた。その損壊には、もちろん訳がある。

 ――今から八年前、パンドラクライシスは東京都に大きな衝撃と絶望的な(きゅう)()をもたらした。その余波は『東京』と呼ばれた隅にある足立区にも、大きすぎる傷痕を残し続けている。



 ――〝()()()()()()()()()()()()()()()



 内界の人間でも、この史実を知っている人間は少ないだろう。

 新宿区で現れた異形とは別に、もう一体の異形がこの関原に現れ、猛威を振るった。

 異形の出現により、当時の混乱は異常を超えた地獄になっていただろう。

 まだサイファーが作られるよりも過去の話。火器類の利かない異形を(せん)(めつ)できず、都心と同じく、関原もまた惨敗を帰したはず。

 では……この土地に現れた異形は、誰が処理したのか。

 (こつ)(ぜん)と姿を消したとは考えられず。祈理は魔力が枯渇して力尽きたのだろうと、他の生徒たちが考えている推理と同じ結論に達していた。



 ……もし、また異形が現れるような事があれば、自分は戦えるのだろうか。



 祈理は安息を求めて訪れる河川敷と関原の荒野を見るたびに自問自答し、己に対して命題にしている。答えは出せていた。問うまでもない。

 異形。いずれ戦わなくてはならない敵。サイファーになるための訓練を積んで、自分は魔術を使える。異形に対しての知識を付けている。先の訓練のように異形と戦えるはずである。

 ――そうやって、()()()()()()()()()


「………………………………っ」


 祈理は自分の腕を抱きしめ、向こう岸から吹いてきた足下を撫でる風に対し、必要以上の薄ら寒さを感じた。

 期待されている自分。そんな自分が、強くないわけがない。

 (せん)(ぼう)されているのを自覚している。いくつもの言葉にそれらが乗せられているのを知っている。

 私ならば、答えられる。それだけの実力と努力と――強さを持っているのだから。

 抱きしめた腕を強く掴む。乗っている重みを感じるかのように、一度だけ大きく両肩を上下させた。



 そのとき――ふと、祈理は視界の端に何かが動いたのを感じた。

 自分の無防備な姿を見られてしまったと思い、すぐさま姿勢を正し、動いたであろうその方向を注視した。


「……………………?」


 祈理の勘違いでもなく、(さっ)(かく)でもなかった。動いたであろうソレは人間であった。

 ただし、見られていたと思っていたのは、とんだ自意識過剰な勘違いで、相手は背を向き膝を付いたままじっとしている。ただでさえ、普段は誰かが訪れることのない場所だ。よほど粋狂な人間でなければ橋を渡ってくることはしないだろう。

 ――河川敷には二人だけしかいない。自分は安息を求めて。だとすれば……もう一人の人物は、何を求めてココに来たのだろうか。

 一度考え出したら、祈理の好奇心は歯止めが利かない。何故とどうしてがグルグル頭の中でずっと回っていて。回っているよりも外の枠にある答えに飛び出せない。

 立ち上がった彼女は、地形が生み出す強い風に右へ左へ。背中に向かって近づいていった。

 徐々に目標が大きくなるにつれて、その人物が学校指定のバッグを背負った男の人であり、服装からして同じ関原養成所の生徒である事が解った。

 どんなにゆっくり近づこうとも、気配を消しているわけではない。相手も後ろから近づいてくる何かの気配を感じ取ったらしく、ゆっくり振り向いた。



 その男子は特に特徴が有るわけでもなく、制服の肩部分は、生徒がどの立場にあるのかを示すワッペンが張り付いていた。

 ――〝(ひと)()の逆三角形〟枠の中には黒の斜線。

 すぐに祈理は相手が一年の普通科。訓練生だと判別した。

 祈理の肩には――〝二重の円環〟円の中に赤六角形がある。

 彼女は相手を()(しゅく)させてしまわぬよう、左肩を隠すように、斜めに身体を構えて立つ。

 どうしてこんな所に人が居るのだろう? と男子生徒にも祈理と同じ心情がそのまま表情に出ていた。

 よく目を凝らさなければ解らないのだが、目の下や眉に(きず)(あと)のような皮膚の浅いへこみがあった。優しそうな瞳。でもどこか悲しそうな雰囲気。

 ――どうしてそんな顔をしているのですか?

 祈理はそんな言葉を最初に投げかけようとしたが、彼が見せた表情を思うと、率直な疑問を口にすることが出来なかった。



「…………あの。何か捜し物ですか」


 そんなわけがない。別に地面を()いながら何かをしていたわけではない。あまりにも嘘くさい会話のきっかけ作り。祈理は頭の中で皮肉の笑いをする代わりに、学校で見せているいつもの作り笑顔を男子生徒に落とした。


「いや……ちょっと来たいから来ただけっつーか。そんな感じかな?」


 この場にいることを知られたくなかったのだろうか、あからさまに誤魔化し、警戒する少年は頭を掻きながら立ち上がる。


「――んじゃ、俺このあと用事があるんで」


 祈理を見ても、特に何かを思ったようではない男子生徒。普段取り巻いている環境が環境なだけに、彼女からしたら素っ気ない態度は妙に新鮮。

 早足に去って行く彼の背中を見つめ、祈理はさっきまで背中のあった地面を見た。

 ――そこには、小さな花の束が置いてあった。

 この十八区で花屋があるなど聞いた事がない。単純に自分が知らないだけでどこかでやっているのだろうか。花はゴミが出ないよう、植物の(つる)で束ねられていた。


「献花、でしょうか……」


 祈理はこの場所で何があったのかを知っている。知っているからこそ、花の意味するところが何であるかを理解していたし、同時にあの男子生徒とこの土地には、何年も前から不運な運命によって結びつけられているのだと、勝手に考えた。


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