<Prologue>
――――――十二月三十一日。
あと半日もすれば、古き年を背に、新たな年を迎え。
日本国内は例年通り、緩やかな始まりで幕を開ける。
何も変わらない。歴史の一ページ。
数ヶ月もすれば、誰の記憶からも薄れっていってしまうような二十四時間。
――――やっとここまでたどり着けた。
――――とても長かった。
――――長かったようで、とても短い。
自分は街中を歩き続けた。一万人以上いる中から――たった一人を見つけ出すために。
どこだ。どこにいる? 焦れば焦るほど、背負っているものが肩に食い込む。
通行人に怪しまれぬよう、厚手の布で巻いて外観を偽っているが、蓑虫にような物を背負っている人間は他に居るはずもなく。とても目立った。目立ちはするも、誰も彼もが、すれ違う頃には興味をなくす。
年末ともあって、人の往来や車の流れは多い。
寒さを凌ぐため、ポケットの中に手を入れ、右手が〝お守り〟に触れた。神仏の習わしに沿った物ではなく、自分が大切にしてきたもの。他の人間からしたら、取るに足らないものだ。
でも、このお守りこそが自分の全て。大切な人とを繋ぐ因果だと知っていた。
間もなく……世界は反転する。あらゆる正常が通用しなくなる。
この世が地獄と化す。一度始まってしまえば冥応さえも地上には届かない。
言葉を交わしながら笑い合う恋人達。
旅行カバンを片手に歩く初老の男性。
手を繋ぎ、花咲いたような笑顔で母親を見上げる子供。
寒さに手を揉みながら信号を待つ女性。
学生だろうか、集団で移動しているグループ。
全て、全て全て全て全て……。ありとあらゆる人間が、空を見上げることだろう。
晴天……真っ青で透明感のある、雲一つ無い空。
チャンスは一度きりしか無い。二度目は無い。
接点は針の穴を通すような幸運。
ここまで来られたのだから――もう後には退けない。
いまごろ……都心では、大規模な混乱が生まれていることだろう。
人間が作りあげた社会の中で、構築されてゆく常識とは、思いのほか対岸にある異常に対して脆く、耐性がない。だから多くの人間はいざというときに対して、冷静でいられなくなってしまう。あまりにも非常識な、現実を脱した異物が日常を阻害してくるのだ。人々は精神の均衡さえも保てるかどうか。
まあいいさ。……こっちも覚悟をもって来たのだ。
遠くの場所で起こっている事態よりも、こちらに集中せねばならない。
……………………………………。
………………………………。
…………………………。
………………きた。
空は暗雲に包まれ、陽光の色彩は失われる。
地面に落としていた陽光が陰りを示したところから、ようやく人々は天上を見上げた。
昼は夜とは別質の――『薄闇』に包まれ、街は不可思議な『霧』が発生する。
――――始まった。
「…………………………ッ!」
解っていたはずなのに、自分でも心構えをもって来たはずだというのに。
どうしてか、手が震える。
…………この現在に全てが掛かっている。
そう意識しただけで、この手は恐怖と不安が形となって現れる。
静まれ。静まれと。震える手を何度も握っては開き。
血液の届かなくなった冷たい指先に血を巡らせる。
深呼吸をくり返し、もう一度……自分の意志を確かめる。
――――恐怖を討ち払え。あとはやるだけなんだっ!
周囲の人々も、ようやくこの現象が、ただ事でないと理解し始めている。
頭で解っていながらも、まだ携帯電話で撮影をしたり、危機と当てはめない人が大半。
しばらくすると、遠くで火柱が上がった。
天高く舞い上がった炎の登りは空気と消えて、黒煙を巻く。
手足に熱が戻るのを感じ、ようやく布にくるまれた物を解き放つ。
布の中身は、一振りの剣。
自分が武器を出すのを見ると、周りの人間は目を剥く。
――もう、周囲の視線など気にする必要はない。あと数時間もすれば、関原一帯は炎に包まれるのだから。
「…………ふぅ」
軽く窄めた口から、小さな一息。
しっかりと柄を握りしめ、地面を強く踏み込み、十二月の闇を駆けだした。
目的地は決まっている。逃げ惑う人々の流れを逆らえば……きっとアレもいるはず。
都心で起こっている奇怪な現象とは別の場所。
東京都足立区――関原。
この土地で……もう一つのパンドラクライシスが始まろうとしていた。




