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「第一次異形進攻……授業で習っているな?」
檜山颯太は、宗二郎を校内にある教員室に連れ込んだ。宗二郎本人は仕事が終わったとはいえ、石蕗祈理に何も言わない状態で、持ち場を離れて良かったのだろうかと不安になったが、魔導科の講師が直接魔術を説明したいというのだから、このチャンスを掴まずには居られないと判断した。不安よりも、今から何を見ることが出来るのか、終始大きく揺さぶられ続ける好奇心の方が勝っていた。
檜山の使用している教員室は、どちらかといえば倉庫に近い。本棚に詰め込まれた参考書。入りきらず地面に乱雑に積み上がった本の塔。バランスが崩れぬよう塔と塔の間に本の掛け橋を繋いで、一番下の本は取り出し不可な状態。
――まさしく目に見えて片付けられない人間。なんだかシンパシーを感じる。
「第一次…………えーっと、新宿で起こったパンドラクライシス。次いで四枚の結界が、異形の行動を封じた。そして結界が破られ、人間と衝突した初めての戦争、ですよね?」
見た目よりも学習面は、しっかり出来ているらしい。
檜山は第一印象から思っていた東堂宗二郎の学力を少しだけ嵩上げした。
「第一次異形進攻は一方的な惨敗に終わった。〝戦争〟なんて呼べない戦闘だったと聞く。正確には――一方的な〝虐殺〟だ。実は兵士達の死因の中に、結構な数で占められている割合があるのだが、何か判るか?」
「戦って死んだ以外に、ですか……なんだろ。逃げるときに襲われたとか?」
適当に言ったものが正解したらしく、檜山もすこし驚き気味に頷いた。
「そう。逃げるとき。……正確には敵前逃亡だ。撤退命令が出ていない状態で、逃げ出した兵士が追い込まれて襲われたんだ。人間の足なんかじゃ人外の脚力に勝てるはずがない。これは現在のサイファーと異形の戦いにも同じ事が当てはまる」
「先生は、サイファーにも詳しいんですか」
「…………一応、ブラックボックスから派遣されてきた講師だからね。多少はサイファーについても知識をもっているさ」
一度、咳払いをして檜山は話を本題に戻した。
「異界の奥に行けば行くほど、異形に囲まれる可能性が高くなる。……例えば何らかの形で撤退を余儀なくされたとしよう。基本が少数で組まれているのサイファーは、来た道と同じ距離を引き返さなくてはならない。行きは良いが、撤退するときの疲弊状況から考えれば絶望的だ。どこから新たな異形が出るのか判らないわけだから」
「たしかに」
相槌をうちながらも、宗二郎はできるだけ想像力を働かせ、異界の中で危機的状況にある自分をイメージする。
「そこで制定されたのが……特定の上位種の異形を標的とした限定戦闘。あらかじめ地理条件を把握し、万全な体制を整えた戦闘様式が存在している。そういった作戦には本部直属のサイファー……特殊戦闘班と呼ばれる短期決戦を専門とした連中を中心として、サイファーが派遣される。その戦闘において重要なのは、最前線で異形と戦うオフェンスではなく、むしろ後方のオプション。魔術専門のサイファーが要となる。……つまり高位魔導師は過去の失敗をくり返さぬため。作戦における被害を押さえるよう〝逃げ道〟を制作する役割を与えられる」
「――〝逃げ道〟ですか」
檜山は頷き、自分の部屋に備え付けてあるホワイトボードに大まかな図形を書きだした。
「ここに書いた円が、異形を討伐する際に向かわなくてはならないフィールドだとしよう。つまり作戦で定めた戦場だ……異形の種類や特徴にもよるが、こういった討伐戦闘が行われるときは広範囲の戦闘が予測される。土地が変質している異界で、深追いは禁物。あらかじめ決められたエリアでしか、作戦行動を許さないようにしている。そして最前線で傷ついたサイファーは、作戦戦闘エリアから、後方に用意した安全地帯まで引き下がらなくてはいけない」
檜山は円から離れた場所に、安全地帯を現す四角形の図形を書き足した。
「…………おおー。なんか本格的」
サイファーが実際に異界で何をやっているのか。初めて聞く内容に、脳内から溢れる好奇心の濁流が止まらなかった。
「撤退を安全かつスムーズに行うようにさせるのが、いま説明した高位魔導師のチームによる〝逃げ道〟の利用だ。撤退をするとなると、どうしても移動距離がネックとなる。安全地帯へ向かうまで、別の異形に襲われる可能性だってある」
――〝作戦戦闘エリア〟を表す円形と……〝安全地帯〟を示す四角形の間に、真っ直ぐラインを引き、檜山は次いでラインにバツ印を書いた。
「では、どのような逃げ道か。……平たく言えば〝転移魔術〟だ。物質の転移は難易度が高いわけじゃないのだが、これが血肉を持った人体となると、その難度は別次元。……リスクの分、転移の有用性は生存率を跳ね上げる。戦場から一気に安全地帯へ飛ばしてしまえば、二次的な損害を受ける可能性が極端に低くなるからな」
檜山は間髪入れずに、宗二郎に来いと指示し、本棚の前に立たせた。
彼は何冊かある中のひとつ、一冊のスケッチブックを取り出す。長いこと本棚から出していないのか、毛玉状のホコリがふわりと、ゆっくり舞い落ちた。
「このスケッチは俺が書いたモノだ。正確には本部にいるときに、優秀な魔導師が作りあげた魔術をそのまま転写しただけの代物なのだが……この中には、いくつかの〝第一級クラス〟の術式がある」
宗二郎の好奇心はもうピークになっていた。さっさと見せろと言わんばかりに、首を伸ばしてスケッチブックが開くのを待っている。
「…………キミは術式を憶えるのが得意だと言っていたから、多くは見せられない。モノによっては一級魔術は非常に危険なものであるからだ。キミに見せるのは一つだけ」
スケッチブックの一面が宗二郎の前に開かれる。
「…………〝転移魔術〟ブラックボックスの魔導師が所持している魔術の中でも、第一級魔術に相当するものだ」
「――すげえ」
宗二郎はその術式に、一瞬だけ言葉を失うどころか、呼吸さえも忘れた。
まるで翼を持った生き物が何十人も手を繋ぎながら、円を描いている姿。幻想的にして芸術的。たとえ術式でなくとも、魔術を知らなかったとしても、その紋様は人の目を奪うことだろう。
宗二郎が真っ先に連想したのは美術関連。画家ギュスターヴ・ドレの作品に似たような絵画があったような気がする。
「こんなのが、魔術になるんですか――いや、理論上は可能かもしれませんが、想像も付きません」
「真っ先にコレを見て、単なる模様ではなく、術式として理解し――さらには可能かどうかを判断できる。キミの観察眼には驚かされる」
褒められていると思わなかった宗二郎は、檜山の顔を窺うことなく、一点にその魔術の公式を目に焼き付けた。こんな機会はもう来ないかもしれない。できる限り細部まで。丸々全てを頭脳に押し込んだ。
「この術式は基本的に、双方同じ文字式と繋げる事で効力を発揮出来るのだが、…………例えば、この部分だ」
檜山は何重にも円が重なっている〝転移魔術〟一部。あからさまに何も書かれていない空白を差す。
「この部分に、座標を刻むことで効果が発揮出来る。簡単に言うと『無線機の周波数』と言った所か。……もう片方の座標と同じ言葉、あるいは図形を刻めば良い。そうすれば空間は繋がり、固着される。……問題は、単純な言葉で繋いではいけないという点。空間を跳躍する魔術は非常に危険だ。一瞬であれ、ココでは無い次元に身体を預けなきゃならないからだ。……もし、どこかで全く同じ周波数と重なってしまったとき、どうなってしまうのかは想像も付かない」
「もし、座標が複数あったら、予期せぬ場所に飛ばされる。身体がバラバラになる。あるいは……逆に向こう側から何かが転送されてくる可能性もある、ですか…………ちょ、っちょっと待って下さい。するってーと、この魔術ってかなりヤバくないですか!? もしこの術式を悪用したら、もう一回パンドラクライシスを再現できちゃうんじゃ」
――肉体の転移が可能ならば、異形達の世界を繋ぐトンネルを作り出すことが出来るかもしれない。高度な術式だろうが、使い方によっては壊す魔術よりも悪質なのではないかと、宗二郎は懸念する。
「それは様々な協議がされたらしいが、不可能らしい。まずは魔法陣を維持し続けるのに莫大な魔力を消費するということ。数秒ならば単独でも作れるが、二時間維持するのに、高位術者を三十人で回し続けるほどの燃費の悪さだ。……そしてこの転送術式は空間を飛び越えることはできても〝世界同士〟と繋げるのには接点が細すぎるのだそうだ。ただ万全を期して、この部分における双方を繋げる座標は、複雑にしなければいけない人間側の取り決めがある。それこそ、作戦時に印刷物を見ながら作るくらいな。この内界で存在している魔術は――全て次元の向こう側にある神秘の産物。全て異形の者たちが扱っている能力であるからだ。過信しすぎても頼りすぎても危険だ。空間を斬ったり継いだりする魔術は、特に使用条件が原則化されているのだ」
「なるほど。…………えーっと、もしもですけど、異界で術式を制作して、内界……つまりは異形を押さえてるっていう防壁を転移で越えさせるの可能なんじゃ……」
「可能かどうかと問われれば、ゼロではない。ただし――転移魔術は距離が離れれば離れるほど座標の固着が難しくなる。それに膨大な魔力が必要になるから、転移させるにしても限定的な土地でしか難しい。……例えば、魔力が流出しつづける俺たちの居る十八区から内側の区画。他の区ではほとんど不可能に近い。加えて最前線の防壁は二枚で囲われている。物理の壁と、魔術の結界。防壁は難なく飛び越せるだろうが、強力な結界を挟んだフィルターがあると、転移は更に難しくなる。物質すら送るのは困難だそうだ」
良い着眼点を持っているな、と檜山はひっそり笑む。
「転移魔術……ふうん。向こう側にも作らなきゃならないんだったら、一人だけの魔術では使えないわけです?」
「褒めたと思ったらそれか、話を聞いていたか? 双方に術式があれば使用できると言ったはずだ。もしキミが、この術式を簡単に再現できる能力が本当にあるなら、転送先さえも頭で組んでしまえれば、発動が可能というわけだ。コレは複雑な術式が故に、維持が難しい……魔術における術式はイメージだ。細部まで頭で思い浮かべられるならば、例外はあれど、実際に書き込む必要は無い。わかるか?」
「魔力の基礎は教わってますけど、魔術の基礎は魔導科の領分で教わってないんです。イメージとか理屈とか。良く解らないんです」
「いいか。術式の全ては頭の中でのイメージから始まる。上級魔導師ですら、書き込まずに術を使用するのに、自らに暗示させた固定詠唱を使わないと発動出来ないほどだ。鮮明に暗記が出来るキミなら、詠唱など必要無しに術式を発動させることが可能かもしれない……。転移魔術を使用する時、双方の術式に魔導師を配置している理由は、転移先の安全が確実なものとして維持しておかなくてはならないからだ。単体でも使用は可能であるが、転移先がどうなっているか判らないのに、人は送れないからな。もし……キミが使えるのなら、障害物のある向こう側に行こうとはしないことだ。何かある先に重ねて肉体を転移すれば、どのような結果が起こるのか、俺にもわからない。それに術式を刻まずに展開させるには、空間を把握しておかければいけない条件がある。透視でもしないかぎり、目に見えない壁の向こう側に術式を展開することはできないからな」
「………………どうして。こんなすごい術式を俺に教えてくれるんですか」
「さあねぇ。俺自身も信用していなかった与太話を――ようやく信じられる気になったから、かな?」
宗二郎は檜山の言っている事が判らず、だらしなく口を開けたまま、小首を傾けた。
「東堂宗二郎。キミは自分の事を過小評価しているのだろうが、キミは誰もが持っている力を持てずにいる反面……誰にも真似できない事ができる。出来ないことを嘆くよりも、キミにしか出来ない巡り合わせを誇り、伸ばすべきだぞ」
「はい。です、ねぇ…………できる限り、やっていきたいと思ってます。はい」
「もし、キミが望むなら、少しずつ……魔術を教えてやっても構わない」
「ほんとうですか!? 魔導科と同じ、魔術師の勉強ができるんですか!?」
「予想外の反応だ。もっと嫌そうにするかと思ったのだが」
「普通科じゃ本格的な魔術なんて学べないですからねぇ。基礎と魔力をこねくり回すだけだって聞いてましたから。俺なんかじゃ絶対に魔導科の事なんか得られないと思ってましたので」
「魔術に興味があるのか?」
「いえ。興味と言うよりも――自分には自分の目指す物がありまして」
「………………………………向上心があるのは悪いことじゃない。俺もキミを通して色々と面白いモノを得られそうだしな」
「………………?」
檜山が言っているのが、何を意味するのか宗二郎には判らなかった。
ただ、思わぬ接点をもって、自分が魔術の道を開くことができ、
この幸運に笑みを浮かべずにはいられなかった。
「ただし、だ。東堂宗二郎くん。……俺が教えるからには、条件がある」
だしぬけに提示された『条件』……宗二郎は不安になった。どんな高いハードルが置かれるのだろうか。
「まずこのことを誰にも話さないこと。仲良い友達、学校の生徒。石蕗さんにも、だ。……個人的に技法を教えることは、俺にとっても非常にリスクがある。なんせ本来教えるべきではない普通科の生徒に知識を与えるのだからな」
「はい」
「そして基本的なルールだが、人前で魔術を使わないこと。キミが魔術を使用すれば、その出所が俺だと知られてしまう。そうなると俺はクビになる。それだけはなんとしても避けたい」
「は、い……」
ちょっと話が重い。しっかりと守ればどうってことないのだが、うっかりなんて事もある。先生が与えてくれたチャンスと善意に泥を塗るのだけは避けたい。
「あと最後に訂正。キミは『魔術師』と言ったが、正確には『魔導師』だ」
「――同じ、なんじゃないんですか?」
「使う術はどっちも同じだ。区別と言った方が正しいか……我々が使う魔術は〝闇を照らし導く者〟という意味を込めて魔導師と呼び、人類に害を及ぼす魔術の使い手を『魔術師』と呼ぶ。君らが常日頃から扱っている魔力が、銃器と同じだけの凶器を所持しているということを肝に銘じなければならない。……そして、キミが俺から学んだものを良き道に役立てられるよう、人類に敵対しする魔術師にならぬ事を、心から願っている」




