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「…………んぅーっ」
思わず顔がほころんだ祈理は、頬に手を当て口をもぐもぐ。
津拭七代からすれば、たかが卵焼き一つにここまで幸せそうにする女子も珍しい物だと、さほど手間暇かけず〝完全無欠〟を〝顔面崩壊〟させられるチョロさに、得意そうなゲス顔。
咀嚼するたびに、半分跳ねた前髪がぴょこぴょこ動いていた。ときどき七代は、あの前髪には本人とは別の意志があるのではないかなんて思うことがある。
七代は満足な祈理に対して、首をカクカクと動かす。カエルを模した着ぐるみのパジャマに付いている動眼がくるくる回った。何よりもカエルをこよなく愛する七代。家に帰ると制服から、お気にいりのカエルへと変貌する。
祈理はと言うと、上下セットアップのスウェット。トップスはゆったりとした半袖。下はショートパンツ。身なりにこだわりはないらしい。
祈理を慕うファンならば、涙と鼻水必死の私服姿。プライバシーの薄い学校生活の反動からか、彼女は休日になると、とことん自宅に引きこもる。よって制服以外は非常にレア。七代からすれば同じ学友に特別視などあるはずもなく。一年も同じ屋根の下で過ごせば何も感じない。
最初の頃は『なんですかその着ぐるみは』なんて非難めいた感情と好奇の視線を向けられていたものだが、今となっては特に指摘はなく。新しいパジャマを見ると『あ、色違いを買ったのね』なんて言うが、色違いじゃない。全部種類が違う。そこは譲れないものがある。
「天才です。七代は天才です」
「そですかそですか。…………なんだろう。天才という単語がこれほどペラペラで、ありがたみを感じないのも珍しい。……そっか。祈理ちゃんがどうしようもない料理ヘタクソが故の足し引きした評価だから薄いのかなぁ。まあいいや。たぁんとお食べー」
食卓を囲む――といっても囲むほどの人数ではないのだが、祈理と七代の夕飯はいつも一緒にとっている。これは七代の提案であり、料理が得意な七代は、普段から使用している台所が綺麗でなければ気分が悪くなる性分であった。
一緒にご飯を食べるのは、言わば七代の為でもある。
祈理は負けず嫌いなところがあり、自分の欠点をなんとしても補おうと努力をする。努力をするのは決して悪いことではない。向上心を失うと短所は欠点に変化し、欠点を放置すれば錆び付き、落としがたい頑固な汚れと同じ部類になる。
七代は頑張る姿を見るのが嫌いなわけじゃない。いつも微笑ましく見守る。いつも笑っているような表情が、他人から見たら微笑ましく映る。たとえ……聖域である台所を――休みの日に一生懸命磨き上げ、綺麗にした場所を――油と得体の知れない原型の失った材料を爆散させて、火元から壁に至るまでベショベショにしようとも、笑って見えてしまうのは七代自身の悩みどころでもあった。アレは料理ではない。壁をキャンパスか何かにした狂気の画伯が描いたもうた産物だ。
「私も、お料理を上手くならなくちゃですねっ。一回、お菓子を作ってみたかったんです。例えば――そうね、パウンドケーキとか?」
「…………〝台所で嵐を巻き起こす祈理ちゃん〟がお料理をするときは、ガスコンロから壁に至るまで、ラップフィルムでコーティングしなきゃだから、台所に立ちたいときは必ず言ってね。これナナヨとのお約束」
一年生の時に巻き起こした祈理の大嵐は、七代の記憶に今も鮮明に生きている。聖域が煉獄に変わる姿はもう見たくない。
「それで……祈理ちゃんが捕まえた、トードーだっけ? しっかり更生できているのぉ?」
まだ顔を合わせた事のない一年生だが、祈理の中では今のところ好印象。『トード』というくらいだ。さぞかしカエル顔に違いない。
「いえ。これが一筋縄ではいかないの。まるで反省してないのです」
「…………私にまかせて言うから、ナナヨはびっくりしたんだよ。祈理ちゃんが積極的に改悛させようとするって、今までなかったンからさぁ」
「今回のは………………事がことですから。私の事が絡んでいるから、七代には負担をかけたくないですし」
七代は滅多に見せる事のない、他人に対しての激しい怒りを、両肩から立ち上る雰囲気で感じ取った。
「ま、まあまあ。ご飯を食べて落ち着くンですよ祈理ちゃん。短気は損気っていうでしょ」
「でも、あの屈辱は、落ち着こうとしてどうにかなるものじゃありません」
祈理が捕まえたとする固有刻印の不正者は一年生であったことにも驚いたのだが、不正者の一年生を個人的に処罰したいとお願いしたのは七代の方からだった。本来ならば委員会が捕まえた事として案件を引き取り、正式な報告を養成所――つまり学校に行わなくてはならない。学校はまだ固有刻印を使って不正を働いている人間がいるという存在すら認知していない。いくら第三者から確かな情報提供があったとしても、実際にあるかどうかも定かではないもしもの犯人を、随時学校へ報告を入れるわけにも行かず。
七代は、此度の処罰を、仲間への相談無く自分の端末を使って、勝手に『東堂宗二郎』という男子生徒に送ってしまった。端末への連絡手段は簡単。祈理が取り上げた学生証の認識番号を使って、携帯端末の番号を得たのだ。生徒を取り締まる、公正委員会のメンバーである七代だから、情報を得るのは容易かった。
つまり、いま厳正な処罰の正体は、津拭七代による独断。偽物の処罰。聞こえのいい理由で固めた私的制裁であり、当たり前であるが、そんな行為を養成所は許さない。なかなかに危ない橋を渡っている。立場を揺るがすのだと判っていても、怒りは収まらない。
――本当は友人を困らせた一年生を、自らの手で密かに罰するはずだった。二度と祈理に近づかぬよう、脅しを添えて。
……だがここで予期せぬ誤算が生じた。
制裁を知った祈理が、彼を更生できればと、実行役を買って出てきてしまったことだ。
一体何がどうなってここまで祈理を行動させるまでに怒らせたのか。とても気になるところである。自分とソックリな人形を造られたとしか聞いていない。詳しくはあまりにもおぞましくなってしまうので、今は話したくないと本人は語る。
――厄介事と知って自分でお願いしたのが仇となった。話がややこしくなってきている。今のところはなんとか修正できる話であるが、さっさと学校に報告しなくてはならない。自分が要領よくやって出張ってれば祈理ちゃんに迷惑をかけることもなかったのに。事の発端は間違いなく自分だ。……だったら、祈理ちゃんが満足いくまで支えるのが、せめてもの埋め合わせになればいいのだけれども。
「ごめんね。ナナヨが頼まなきゃよかったのに」
「なにを言っているの。七代が言ってくれたからこそ、知ることの出来た真実なのよ。…………私の知らぬ所で、あんな物が大量生産されていたと考えると。……ほんと、男の子の考えることは気持ち悪いです。信じ難い生き物です」
「…………………………」
身震いをしながらも、食べる手は止まらない。どんな時でも栄養補給は怠らないのは、彼女の良いところだ。『おいしい』といって食べてくれるのは嬉しい。
「もくもく……だって、言い訳ばっかりなんですよ。まるで反省している色がありません。もうすこし懲らしめなくては、きっと同じ事をするに決まっています。あむあむあむ……」
普段は食べながら喋って怒られるのは自分である。だが今日は逆。感情が入ると祈理は気持ちが先に出てきてしまい、どこかユルくなる。
「祈理ちゃんって、わりと人のこと信じないよねぇー」
七代の発言に黙っていられず、祈理は間髪入れず言い返した。
「だって自分とそっくりの人形よ!? そんな人間をどう信じられるの?」
「うーん。祈理ちゃんって基本的に誰も信じないよね?」
「そう? 七代は信じてるけど」
「ナナヨ以外は?」
「………………だって、他の人たちって、みんな同じ感じだし。十人十色っていうけど、私の周りって同じような人ばっかり。それって本当は違う色があるのに、みんな似た色になって、自分を隠しているってことよね?」
「まー、そうだろうけどもん……」
どこか言いたそうな顔で七代はフードを目深にかぶる。




