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関原養成所はサイファーを育成する学び舎の中でも、屈指の敷地面積を誇る。
敷地面積で言えば、同じ足立区の『千住元町』や『千住桜木』寄りなのだが、今は関係者しか渡ることの出来ない『西新井橋』の向こう側にも河川敷を中心とした数百メートルに渡る巨大な封鎖区域と、いくつもの施設が建造されている。最初に着手されたのが関原であったので、学校の名前が『関原養成所』となった由来は、学校の生徒であれば多くが知っている。
「……ふと思ったのだが」
「ん、なになに?」
「直線距離にしたら、お前が住んでいる女子寮の方が、学校から近いよな?」
「そうねぇ。…………そうかな?」
「ですよ。俺の寮の方が遠いもん」
比較的、女子寮が近いのは女子の方が身支度に時間が掛かるのが理由だから配慮されたのだとか……。噂レベルの話なので真偽は定かではない。
「わざわざ俺のとこ来て、起こしに来なくてもいいんじゃないか?」
「朝弱いのに? 宗二郎のくせに? アタシが部屋に行く理由がなくなっちゃうじゃん」
「来たいが理由かよ。なにその、どストレートな理由」
男女の友情とは不思議なもので、多少の配慮を除けば、異性の壁を越えて明け透け無く会話が出来る。もし普通の女子なんかにこんな事いわれたらドギマギするだろう。ルカ子が相手なら『ドギドギ』も『マギマギ』もない。
「俺ん家くる時間無くなれば、そのツインテールも、ストレートからカールにできるかもしれんぞ」
「あんなぁー、宗二郎くんや。キミも一回、髪の毛を巻いてみれば乙女の気持ちがわかるよ。これだけの長さをコテ使ってしっかり巻くとなると、二十分そこらじゃ済まないから。何も考えないで飛び出した軽はずみな発言は、女の子の影ながらの努力と苦労の否定に繋がり、拗ねさせてしまいます。注意しなさい。寝癖直すだけでも大変なのです」
「ほーいほい。俺はただ巻いた方が、かわいくなんじゃねえかって思っただけですし」
「…………………………」
「ん? どうしたんだよ。急に立ち止まって」
「ほ、ほんとにそうなるとおもう?」
「――へ? なにが」
「なにがじゃないやい。か、かわいくなるとおもいますかねぇー!?」
「さあ? 少なくとも印象は変わるんじゃないかなぁ。想像つかんけど」
「ほぅ。ふんふん。そですか……」
留歌子は真剣な返事をすると、再び歩き出した。
寮のある区域から大通りを跨いだ所から、関原養成所の施設区域は始まる。
簡易的な金網によって境界線を引かれた向こう側が、異形と戦うサイファーになるための訓練が行われている中心だ。寮から十分ほど歩けば関原養成所の校舎に辿り着く。区画の内部に入ると生徒の数は一気に多くなる。
ここ、関原養成所では大まかに分けて二種類の人間が存在している。
――『普通科』と、
――『魔導科』である。
普通科はサイファーになるための基礎的な訓練が行われ、
魔導科はサイファーの上位に当たる『魔導師』を目指すものが在籍する専門クラスだ。その名前の通り普通科が基礎鍛錬を行って体力作りや、戦う技術を学んでいる間、魔導科は魔術について自己に内在している神秘の幅を広める訓練をしている。
これら二つの科は根本的に分け隔てられているのだが、どこに所属しているかは、視覚的にも判別できるようになっていた。ブレザー姿の制服。左肩にあるワッペンだ。
制服の袖には、ワッペンを収める盾のエンブレムを模した余白があり、この中に入っている形で、普通科か魔導科かを判別することが可能。
……ワッペンが〝逆三角〟は普通科。
……対して〝円環〟が魔導科である。
ワッペンの中に斜線が引かれているのは〝訓練二等〟の証。一つ上の階級である〝訓練一等〟になると、斜線の代わりに〝白黒の十字線〟が入る。これは円環、逆三角形共通だ。
ただし、留歌子のような訓練生以上の試験兵扱いの――いわゆる優良生徒には、白黒の代わりに〝青色の十字線〟が定められていた。
更に上の階級になれば、円環と逆三角形が二重になるのだが、宗二郎からすれば、普通科か魔導科かを判別できればそれだけで十分。細かな階級においては、さして意識していなかった。
日頃から登校時にバラバラの形を見ているが、教室に行けば、普通科の逆三角しか集まらない。訓練の時でも同じだ。
登校時の二人はいつも色々な会話を広げている。
今日の授業の話や、昨日行われた訓練についての議論など、学校内の出来事以外にも、学校外のこと――放課後になったら、どこかに行こうかと留歌子が積極的に提案を出す。
その度に宗二郎は、とくに明確な返答をしようとはせず、どこか遠くを見ながら『うん』『あぁ、そうねぇ』など空返事をくり返す。
そろそろ校舎に辿り着く。留歌子がもう一度念を押して、宗二郎に詰め寄ろうとしたとき、二人と同じく、声大きく談笑をしつつ背後から、小さなグループが近づいてきた。彼らは周りに誰がいるかなどお構いなしで移動していた。肩を軽く小突いたり、会話の内容までは把握しきれないが、とにかく朝から面白い話をしているらしい。
グループがついに、宗二郎の真後ろまで来たところで、意図的ではなかったものの――起こっても仕方なかったであろう偶然で、宗二郎の肩にぶつかった。
「おっと悪いな……」
謝りはするものの、その言葉のニュアンスには心からの謝罪感情がないのだと、ぶつかられた宗二郎はすぐに理解した。男子生徒が振り向きつつ言い、宗二郎を見た瞬間。その表情が急に冷めたものになったのを留歌子は見逃さなかった。
「なんだ一般か。……邪魔くせぇ」
宗二郎の顔を見る前に、その肩にある〝斜線逆三角形〟のマークを判断するや、態度は一変。
敵対するのとは違う、侮蔑を含んだ言い方。
宗二郎自身は特に気にしていないようで、頬を掻きつつ目を丸めるだけ。
「どうしたんですかぁあ? 彼が何かしたのでしょうかぁああー?」
宗二郎と他人を装った留歌子は、偶然居合わせた優良生徒という立場で、腰の刀をわざと男子生徒にちらつかせた。声こそ誠意をもっていたものの、表情には殺気じみたものを漂わせる。
相手も事を荒立てるつもりはなかったのか、留歌子に気圧された相手はたじろぎつつ、なんの説明もしないまま、舌打ちをしつつ去って行ってしまった。
「なんだよなんだよ。感じわるいよね。宗二郎はなんもしてないのにさ」
実物の刀よりも早く、殺気の鯉口を切っていた留歌子は、平静の鞘に戻し、腰に差している刀の鍔に触れながら言った。
「相変わらずの好待遇のようですな。普通科は」
皮肉を込め、宗二郎は慣れた様子で両肩を竦めた。
「魔導科と普通科って確執……っというか、元々もっている権力が違うからねぇ。仕方ないよね。でもムカツク。ぶつかってきたのは向こうだし。また宗二郎に噛みついてきたら、八つ裂きにしてあげる」
「怖いこといわないでよ、ルカ子さん。…………関原養成所っておかしな場所だよな。同じ学校の生徒なのに、変な格差を付けるなんてさ」
生徒間のいざこざというのは今に始まったことではなく、宗二郎と留歌子が正式に入学したときから、おかしな習わしは存在していた。……古い時代にあった様式で言い表すとすれば『身分』と言った所か。
厳密に言うと、普通の学校にあるような学年の差はあれど、普通科と魔導科の間に明確な溝はない。……これがどこから食い違ってしまったのか、サイファーになれば、一般サイファーと魔導師には階級の差があって、身分の違が、そのまま学校内のカーストとして定着してしまい、現在のよく解らない生徒同士で擦り合っている制度になってしまっていた。
客観的に見ると、変なシステムだ。普通科の努力を魔導科は知らず、魔導科の辛さを普通科は知らない。普通科の宗二郎からすれば、偉そうにするからには自分達よりも大変な訓練をしているのだろうと思うが……訓練の質で立場の上下を決めていいものではない。
実際に双方で、もっと話し合わねばならないのだが、生徒全員に遍く行き渡る和解は難しいのかもしれない。
確執は常にどこかで燻っていて、隙あらば火種同士がぶつかって火を起こす。
魔導科の人間が、普通科に高圧的な態度を取り、普通科反発する事によって結果――争いごとが発生する。学校でのトラブルの大半が、この流れで成り立つ。
「今の学校のあり方は、魔術を扱える能力が高い生徒に重点を置いてるから、どうしようもないよね……言うなれば確率の高い交通事故に遭うのと変わらないよ」
「常に車が往来している十字路に突っ立たされているような気分になるなぁ。それに比べ、ルカ子さんは便利ですね」
「…………どういう意味よ?」
「だって、お腰に差した『ソレ』をちらつかせれば、みんな逃げてゆくのですから」
「こんなん通用するのって、同じ学年しかないよ? アタシが一年生だからまだまだ効力低いよ。それに刀は脅しのためにあるわけじゃないの。持ってると地味に大変なんよ。最初は重くて腰痛くなったし、片足に負担掛かるし」
「ふうん。じゃあ、ちょうだい」
「はい。どうぞ――ってなるかーい」
宗二郎は先のトラブルなど、なにもなかったかのようにはにかんで見せた。