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「――――おーぅい宗二郎。起きろぉー。遅刻するってのー」


 教科書が詰まった学生カバンというのは見た目以上に重さがあり、毎日学校と自宅を往復するには酷な量となっている。それは同時に振り回せば重さに比例した邪悪な鈍器となり――東堂宗二郎は忍川留歌子のカバン攻撃を四度、無防備な腹に食らい、ようやく学生カバンよりも重い瞼を開いた。


「ゴホっ。ぐ、ぐっもーにん。マイ目覚まし時計」


「誰が目覚まし時計だ。さっさと着替えて行くよ! 遅刻するよ! ハリアップ!」


「……もう動けない。ルカ子。着替えさせて」


「なに宗二郎。まだぶたれ足りないの?」


 屈託なく笑む顔が、(にじ)み出る怒りと矛盾していて怖い。完全覚醒に十分だった。

 宗二郎は、そそくさとベッドから飛び上がり、着替えをはじめる。

 今日も――自分が満足に動く身体であることに、密かな感謝を感じながら。




 忍川留歌子は毎朝、宗二郎の部屋に訪れていた。『遅刻する』というのは、留歌子の脅し文句であり、留歌子が起こしに来る時間は、朝食を済ませても余裕がある。

 寝室で着替えている間、ルカ子は散らかるに散らかった部屋を見渡す。


「ねえ宗二郎。ちょっとは片付けたらどうなの」


「んー。そうねぇ……こんどやる」


 部屋の向こう側の彼はどちらともつかない中途半端な返事をする。

 フローリングに転がっている、道具の一本を取って見た。

 留歌子からしたら金属製の耳かき。あるいは歯医者さんが使っているよく解らない謎道具(アイテム)

 踏むと危ないので、彼女はリビングの真ん中に(ちん)()している机においてあげた。


「…………また新しいの、作ったんだ」


 新聞紙が敷かれた机の上には、細かく彫られた粘土細工の象があった。まだ未完成なのか、頭部と両腕がない。フォルムは薄い布を(まと)った女性で、背中からは大きな羽根が伸びた天使の姿だった。


「ほんと、こういうのって才能って言うのかな? すごいよね。これは素直にすごい」


 留歌子は机から、壁際にある棚に視線を移動させた。いくつも並ぶ造形の数々。美術品であるのは解った。その手の情報に(うと)い留歌子でさえも知っている形がいくつかあった。

 宗二郎には言わないのだが、彼が作る新しい造形を見るのも、毎朝宗二郎の部屋に来る理由の一つであった。彼の手で彫刻された物には、自然と凄さを感じさせる何かがある。


「全部、出来が悪いけどね」


「そんなことないけどなぁ~。この作りかけだって、すごく細かいし」


 腕と頭がないぶん、羽根が強調されて見えるのだが、ルカ子からしたら足と頭が欠損した鳥女のようにみえなくもない。


「……はやく首と手をつくってあげなよ。ずっと見てると、なんか気持ち悪い」


 宗二郎がようやく着替え終わり、ブレザーに袖を通しながら、リビングに入る。


「あー。ルカ子さんゆっちゃったね。……全世界の()()好きにゴメンナサイしなさい」


「にーけ? にぃけぇ?」


「……〝サモトラケのニケ〟ルーヴル美術館にある彫像。今じゃ外界の情報は調べようがないからどこかに移動してるかもしれないけど、少なくともパンドラクライシス以前はそこにあったと記憶してる」


 説明すると急に留歌子はプスプス笑った。どこか腹の立つ笑い方である。


「まさか勉強もぺぺぺーの宗二郎から、そんな単語が出るなんて。ニャハハハ……へんなの。前も同じようなの聞いた事あるけど、やっぱへん。似合わない。宗二郎のくせに」


「どうせ俺はポンコツですよ。他人の魔力無きゃ刻印は使えませんし、成績も良くないですしね。エリートなルカ子様とはちがってね」


「むー。なんか棘のある言い方だなー。冗談だってぇ。もう、そう腐らないでよ。養成所では無能でも、こっちは才能あるじゃんか。どうやってこんなの作れるの?」


「さりげに無能認定するな。大いに傷つく。……象の作成関しては、()()()()()()からだよ。寸分狂わずな。偶然、養成所の美術室にあるレプリカ(複製)を見たんだ」



 人の再現は難しいが、こと()()に対しての記憶力は人一倍以上あった。この能力に気がついたのは、俺が病院で全身を動かせなくなって絶望していたときだ。いつのまにか、空間や目の前にある外見の構造を頭の中に擦り込んでおくことができるようになっていた。

 造形だけではなく図形に対しても同じ。単純に頭の中に取り込むと言っても、正確な角度を憶えるのではない。……例えば憶えている斜線が何度の(かたむ)きかは解らない。線があって点で繋がって。再現してみれば結果それが正確な角度として完成させることができる。

 ただ、宗二郎が作り出す()(ぞう)はどれも(いびつ)だった。造形を学んでいる人からすれば、お粗末の一言に尽きるだろう。

 頭でイメージ出来ていても、実際に形に成す行為は根本的に違う。頭で浮かんでいる設計図は完璧である。だが実際に形として作り出すのは腕であり、指先である。宗二郎には根本的な技術(スキル)が足りていなかった。



 ――宗二郎は自分自身で考えたオリジナルを作り出せない。

 頭でイメージ出来ない創造物(デザイン)は、指を動かす以前に難しい。

 故に宗二郎は作り出すことは出来ても、何も生み出す事ができない。

 どうしようもなく、(じゅん)(ぜん)たる複製(コピー)(そう)()することが出来るだけの(がん)(さく)者であった。



 ネクタイを適当に締めながら、宗二郎は留歌子がまじまじ見ている粘土(ニケ)を横目にする。


「こういった足りないモノに対して、俺は良さを感じる。形として存在しながら、想像できる『自由』があるっていうのかな。……この欠けた先は、どんな格好をしているのか、ってさ」


「この天使さんは、もしかしたら、(まえ)(なら)えしてるかもしんないよ」


「………………ソレも一つの可能性でありますがね。空想に否定はしませんよ」


 俺はこの造形に、もう一つの『自由』を感じた。ニケは勝利の女神とされているが、単純に翼の躍動感に、そこはかとなくソレを連想させられた。翼を動かし羽ばたく瞬間。



 ――時々、考える事がある。どうして翼は二枚必要なのだろうか、と。



 別に哲学的な真理を悩んでいるわけではなく、こうである物理への法則に疑問を感じているわけでもない。俺が考えているのはもっと幻想じみた〝もしも〟の話。

 空を飛ぶためには常に翼は二枚以上必要になる。一枚だけではダメなのだ。翼は片方でも失えば、たちまちに地面に(しば)り付けられてしまう。

 二枚……例えば一枚だけしか翼のない生物が居るとして、生まれながら飛べる翼があるのに自力では飛ぶ事ができない運命を背負わされていたとしたら、()()()を求めるように、自分の翼となる片翼を探すのだろうか。



 ――俺は自分が何もできないのを知っている。この背中には見えない翼が一枚しかない。

 最初から片方しかなく、みんなは平然と飛び立てるものが、自分にはないことを知っていた。

 中途半端な刻印を持っている事実は、自身を()(がい)させていた。俺の刻印は中途半端。魔力すら取り込めないハリボテにしか過ぎない。魔力が作れぬ劣等者。

 魔術に対しては興味がある。

 それは魔術がどんな代物であるのか、無意識に読み取れるからだ。

 他の人間からしたら、単なる線と点の複合図形。なのに俺にはその図形がどんな意味を持っているのか、察する事ができた。

 面白い……すごく面白いが。魔力のない俺では、どの魔術も使えない。


「いつか行ってみたいんだよねぇ。実物を見にさ」


 ニケの彫像をいつまでも取り憑かれたように見つめる姿を留歌子に()(しん)がられぬよう、思考とは全く別に、なにも考えず勝手に口走った言葉。特段美術品に詳しいというわけでもないし、展示されている美術館(ルーヴル)がどこにあるのかも知らない。本当にとりとめの無い発言だった。


「…………あ、アタシもいってみたいなぁ。なんてねー」


「ニケニケプスプスしてた人間が何を言うか」


 他愛なく、長い会話から始まった朝。二人とも会話に没頭していたのもあって、朝食を食べる間もなく、本当に遅刻しそうな時刻が迫っていた。



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