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<4>

 ………………冷たさの、ようなもの。……なにも感じない。

 なんの抵抗も出来ないまま〝無〟になる感覚は、今でも昨日のことのように思い出すことが出来る。きっとこの思い出は……一生、俺の中に残り続けるのだろうと思う。

 昨日の事のように回想できる理由は――よく見る夢にある。

 八年も前の出来事を、どうしてこんなに夢見るのかというと、

 きっと、俺の人生の中でも、特に鮮烈なものとして、脳裏に刻み込まれているからであろう。




 ――そして、今夜もまた、()()()()から、()()()()()()は始まる。




「…………おはよう。ここがどこだか判るかな?」


 視界は(かす)みきっていて非常に悪い。俺は起き上がろうとするも、体が上手く動かせない。

 全身が締め付けられているような状態。()(えき)はほとんどなくて、口の中が苦い気がする。



 左の視界が……ない。

 まだ判断できない。

 何があったのか。

 俺はどうして、寝ていたのか。




 ――嗚呼(ああ)。変わらぬ繰り返し。苦しさまでも再現されているような体験。

 目覚められるのならば、いまココで目覚めてしまいたい。




「ここは病院だよ。まず名前を教えてもらえるかな?」


 少しの間があって、俺は自らの名前を言う。

 満足そうに、相手はどこかホッとした表情を作った。

 自らが医師であることを説明した男はキャスター(車輪)が付いた移動型のシャウカステン(X線観察機器)の電源を入れると、白色のボードに柔らかな明かりが点く。そこへレントゲン写真を貼り付け、俺に見やすいよう近づけた。


「動くためには、まだリハビリが必要かもしれないが、君はとても幸運だったんだよ……()()()――あ、つまりきみが巻き込まれた爆破事件は憶えているかな?」


「ばく……は?」


 どれだけ眠っていたのか、満足に声が出せない。

 ()()()――すると、年越しすら終わって新年の緩やかな始まりを、俺は病院のベッドで過ごしていたということになる。


「うぅ……う……ぅ?」


 もう一度、起き上がろうとして腹に力を込めるも、やはり十分な動作が出来ないでいた。

 痛みは無いのに……どうして身体が動かないのか。

 いや、違う――()()()()()()()。手足の感覚が無い。

 視界が左の視界がないのも、何かに(さえぎ)られているからではなく、視界そのものが機能をしていないのだ。

 とにかく生きていることの安心感よりも、いま自分の身に何が起こっているのか、それだけが気がかりであった。

 医師は身体に写り込んでいる、奇妙な白い粒を指さしながらゆっくりとした口調で話を続ける。


「何か覚えている事はないかな? 君は荒川の()(せん)(じき)近くで倒れていたんだ」


 何も知らない。どうしてそんな所に居たのかも。俺は言葉に出して言おうとするが、口の近くにも巻いてある包帯の締め付けが、タダでさえ鈍くなっていた唇の動きを止めさせていた。


「この白いのは、破片だよ」


「ン…………へ、ん?」


 身体に写り込んでいるのが破片であるとしたら、その破片が()()()()()()()()()……。

 まだ混乱と、まだ身に起こった事に対する明確な思考判断が出来ないでいた。まだ時間が欲しい。目が覚めたばかりだというのに、押し込まれてくる情報が多すぎた。今は何日だったか、何日間眠っていたんだったか――三日だったか、六日だったか? 今日は何日目になるんだか。



 ああ、そうだ。身体の話をしているんだった。

 爆発、巻き込まれた。すると怪我をしたのか? だから病院か。でも痛みがない。

 視線はせわしなく、天井と近くにある医療機器と、カーテンと医師とを、行ったり来たりさせた。一番目立つレントゲン写真は出来れば見たくなかった。身体に分散している真っ白いのは、どう考えても異常としかいいようが無い。気持ちが悪くなる。何かの冗談であると思えるほど満遍(まんべん)なく点在している。自分の身体を透過させたものだとは考えたくない。一方的に突きつけてくる現実が怖かった。


「破片。……ん。なに、が……中に、入っている、んですか。俺の――中に」


 もう説明されたから破片が入っているのは解っている。問題はソレが何であるのかを知りたかった。鉄片(てっぺん)なのか(こいし)なのか。全身がドクドク波打っている脈を感じるのは、破片とやらのせいななのか……。身体が動かせないのも、写真に写り込んでいる()()()が悪さをしているのか?

 ……この左目が見えないのも、どうしてなんだ。




 ――この頃は、絶望に打ちのめされ、安らぎなんてなかった。なにもしていないのに、不条理な運命に対して、俺は辛さと悔しさで涙を流していた。身に起こったことを回避できなかった自分。身体すら起こすことの出来ない(もろ)さ。医者が通告する現実を許容することのできない弱さ。無力が全身に駆け巡っていた。




 天井が涙で歪む。こぼれた雫が包帯に吸い込まれて、温かさが頬にひろがる。

 …………そんな、温度を感じた気がした。

 痛みを感じないということは、温度も感じられないということ。神経は俺にとって都合の良い損壊をしていなかった。先の人生に、希望が感じられなかった。きっと誰かが(すく)ってくれた希望を、心に流し込んでくれたとしても、俺の気持ちが温かく感じ、満たされることはないだろう。


「とにかく、まずは時間をかけて良くしていこう。いいですね? 東堂さん」


 なんとかして、俺の心の中にある、(いち)()の希望を掘り起こそうとする医師。

 そんなものなんか、もうあるはずない。彼の声など心にすら届かない。

 ……なにも感じなくなってしまっていた手足と同じように。

 俺の心は深く凍り付いてしまっていた。



 ただ、あの夜に聞いた最後の声は……鮮明に残っていた。

 ――『生きろ。お前が救え』

 意味はまるで判らず、生き残った自分すら救われない状況。

 そんな言葉を投げかけた相手に、当時の俺は憎しみしか湧かなかった。


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