幕間:ある教官の所感
本日、前代未聞の事故を伴って召喚された勇者が私の部隊に配属されることとなった。
彼の扱いは訓練兵のようなもの、なのだそうだ。断言を避けるのは、彼はこの国に属する兵士ではない、という前提があるためだそうだ。まぁ特別振るべき仕事もなければそうもなろう。ひとまず用意している訓練を終わらせることができるかどうか、それを見届け、管理、監視するのが私の仕事となる。
もっとも、彼に対して最初に実施する訓練内容は常人にこなせるものではなく、当分の間は、終わらないことを責め立て、罵倒することに終始することになりそうだと考えていた。
なぜなら、この訓練は、私も含め規定時間内に終わらせられる者がどれほど居るのかと思える程度には過酷なものだったからだ。
なぜそんなに厳しい訓練を最初に課すのかと言えば、その理由は至極単純なものである。不出来を罵って心を折り、罵倒を重ねることで尊厳を踏みにじり、上下関係を骨の髄まで刻みこむために行われる特別な訓練だからだ。特に、訓練対象がこの国に望んできたわけでもない客人であればなおのこと、それを徹底せねばならないということで、訓練表には過去に見たことも無いような厳しい内容が記載されていた。
過去に召喚されたどの勇者も、最初は通ってきた道だと聞いている。彼らは兵士ではない。だから、普段の振る舞いの中で上下関係を刻み付けることは難しい。だからこそこの訓練が必要とされてきた。この訓練を行うことで彼らは従順な兵士となり、都合よく扱うことができる駒になるのだと、私も含めてそうなることを疑う者は居なかった。
しかし、その目論見はあっさりと崩れてしまった。
今回の勇者は、流石に規定時間を完全に守ることは出来なかった部分もあったものの、用意された訓練をやり遂げてしまったからである。
当然、規定時間を守れなかった部分については口汚く罵倒をしたが、心を折るにはまったく足りない。彼を苛立たせるだけで、むしろ逆効果になったかもしれないとさえ思うくらいだ。
なぜこうなってしまったのかと議論が交わされたものの、結論は当然出なかった。彼が素人であることは動きを見ればわかるが、できるわけが無いと思っていた動きを無駄の多い動作でやり遂げてしまうのだ。見ている側としては不思議でしょうがないし、それを説明できるだけの理由など、勇者という単語くらいしか思い浮かばない。
それでも、この訓練を連日続けていれば心身ともに磨耗して、いずれは思惑通りの状況になるだろうと期待する者が多かった。
ただ、その思惑も甘い幻想であったと言わざるを得ないだろう。
なぜなら、彼が翌日の訓練で、規定時間内での訓練完了を叶えてしまったからだ。
はっきり言って、これは異常なことである。訓練完了後の彼は、息こそ多少荒れていたものの、前日と比較すると尋常でないほどの余裕があった。おそらく、もう一回訓練をしてみろと言われてもこなせたのではないかと、そう思えるくらいにだ。
どれだけ優秀な者であっても、訓練というものを容易くこなせることはない。それは用意された訓練が、対象となる者の実力から見て少し上の段階を目標に、常に設定されているからだ。
そして、今回彼に用意された訓練は、他のどんな優秀な者であっても、彼と同様に終わらせられることはないと断言できるものだ。
勇者という単語は眉唾ものだ。確かに、残っている記録からわかる彼らの持つ能力はすばらしい。戦いの場にあっては大変有用であり、それを評価して勇者なんて肩書きをつけて持ち上げるのもわからないではないが、それは彼らが持つ機能に対してであって、少なくとも彼ら自身は優秀な人間でしかない。残っている記録から、今回の勇者のように振舞えた人間は存在しないことがわかっている。勿論、その中には今回のような事態を前にして記録に残したくなかったという意思が働いた可能性もなくはなかったが、仮にそうだったとしても、今回の勇者が稀有または異常であるという事実に変わりは無い。
正直なところを言えば、彼に関わるのはやめてしまいたいというのが本音である。不気味なのだ。適当な言葉が思い浮かばないが、彼のこの適応力とでも言うべきものを見ていると、自分とまるで違う何かを見ている気持ちになってくる。勇者というものがこの世界とは別な場所からやってきていることは知っているし、初めて関わるというわけでもないが、以前見た彼らにこんな感情を抱いたことは一度だって無かった。
しかし、これが仕事である以上、自分にその進退を決める権限はない。
上申だけはしておこうと考えつつ、憂鬱な気分を抱えたまま、今日の報告書を書き上げることにした。