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幕間:ある小国の王の判断


 ――逃がした魚が大きかったのか。それとも、逃げたが故にこう成ったのか。

 判断に迷うところだな、と。立て続けに起こった出来事を思い返しながら、男は長い溜め息を吐く。






 

 その申し出は、こちらからすれば本当に何の前触れもなく唐突にやってきたものだった。

 それは、相応の立場にあるからこそ日々山のように――実際に物理的な山を築く形で積み重なっていく仕事をなんとか捌いてる最中にやってきた。

「……話をまとめると、だ。

 以前から揉めている鉱山開発の件について、向こうから譲歩をしにきたというんだな?」

 記憶にある限りにおいて、どれほどの緊急案件であっても冷静さを保ちつつ報告すべき案件を報告し続けてきた側近の一人である彼が、部屋に飛び込んでくるなり取り乱した様子を隠しもせずに口にした話は、まとめてしまえばそういう話だった。

 にわかには信じがたい話である。この話を持ってきた彼もどう判断したものかと困惑している様子がわかる表情を浮かべているし、おそらく私も似たような表情を浮かべていることだろうと思う。

「…………」

 今回の話に出ている鉱山開発の問題というのは、隣国との国境付近というすこぶる微妙な位置にある鉱山の所有権などをはじめとした利権の話であった。

 まぁ面倒な話は省略するが、要はこちらもあちらも"その鉱山は自分の国のものだ"と主張しあって長いこと揉めていたわけだ。

 なぜなら、国と国が揉めているという事実からわかるように、その鉱山の持つ価値は当然にして高いからだった。立地はあまりよくないが、それを差し引いてもあまりあるほどに産出物の質や量に期待できる、という調査報告があるのだ。

 鉱石類の産出場所確保は大きな国益となるものだ。ゆえに、互いに引くわけにも行かずに何度も交渉を重ねる形となっていた。

 ……まぁ、最近は結論が出なさ過ぎて没交渉になっていたわけだがな。

 だと言うのに、急に相手側から妥協点の申し出があったと言うのだから、驚かないほうが無理というものだろう。しかもそこに加えて、あちらから提示された条件がこちらに有利な内容になっているのだから、驚きもさらに増そうというものである。

 ぶっちゃけ、一瞬夢かなこれと思って頬を抓ってみようかと思ったくらいだった、と言えば驚きの程度が伝わるだろうか。部下の手前もあって実行はしなかったが、それはさておき。

 提示された条件自体はこちらに有利な点が多いことは間違いないものの、妥協点として見れば適当の範疇でもある。拒否する理由は全くない。

 ただ、ここまでの好条件を突然提示されても、嬉しく思う気持ちよりも困惑や猜疑の感情が強く出るのが政治に携わる者として当然の思考である。

「……まぁ話はわかったが。向こうから他に何か条件の提示はなかったのか?」

 そう聞けば、彼は少し迷うような間を置いた後でこう言った。

「実は、王に直接渡したい手紙があるのだと言われています。

 それを受け取ってもらえるのなら、その書面にある条件でこの件を終わらせて構わない、とも」

「中身は?」

「頑なに渡そうとしないため、確認できていません。無理にでも確認したいところではあったのですが……」

「君の懸念もわかるが、流石にそれをやるのは無茶に過ぎる」

 この世界には魔術というものがあり、その中には当然、見ただけで見た者が死に至ると言われる呪詛の類も存在する。

 彼が心配しているのは、その手紙を利用した暗殺だろう。

 私も当然その可能性を考えないではなかったが、

「……客人は既に城内にいるのか?」

 得られる利益を考えれば私の命の方が安い。そう判断した。

 彼は一瞬だけ苦虫を噛んだような表情を浮かべたが、吐息ひとつで表情を戻した後で、私の言葉に首肯を返してきた。

「ならば、待たせるのも体裁が悪い。早速会って話を終わらせるとしよう」

 そう言って、執務室を出る。

 ――もしかしたら死ぬかもしれないが、国益のためには仕方ない。

 そんな覚悟をもって応接間へと向かったわけだが、そんな劇的な展開は全くなく。話し合いは穏便に終わった。

 その後、鉱山開発の件についての顛末が城の中を駆け巡って。得られた利権の大きさに、にわかに城内が賑わったのは言うまでもないことであろう。


 もっとも。

 客人から受け取った手紙に書かれた差出人の名前――いや、誰が出しているのかをわからせるために書かれた文面を見て。

 隣国からの客人がここを訪れる、という現在に至るまでの経緯を理解し。事の大きさに戦慄を覚えたのは私一人だけだったようではあるが。








 そして、鉱山開発の件で感じていた戦慄は間違いではなかったと、そう確信できる日はすぐにやって来た。




 それは、部下の一人が帰城したときのことだった。

 彼女には城から勝手に出て行ってしまったある青年への餞別を渡すことと、可能であればその追跡を依頼していたのだが――どうやら彼にまかれてしまい、追跡できる可能性がなくなったと判断して帰ってくることにしたようだった。

 最初にその報告を受けた側近の一人は、彼女の報告に対して任務失敗の判断を下し、処罰を考えていたようでもあったが、その動きは私の方で止めておいた。

 なぜなら、彼女は任務に失敗したわけではないからだ。

 あくまで私の依頼は餞別を渡すことだけであり、彼の所在を把握し報告することは"ついで"でしかない。

 ……まぁ、たまたまうまくいっていたようであったから色々と追加のお願いもしてしまったが。

 それらも含めて、彼女はうまくやったと言っていい結果を残している。

 そんな彼女を処罰するようなことは、信賞必罰の基本に反するものだ。

 ――側近にはそう言い渡して誤魔化したが、どうやら彼女は状況をよく理解していたらしく、そんな言い訳は通用しなかった。

 これは報告を直接聞きたいと、彼女を呼び出して直に会って話をしてみてわかったことだが。彼女も処罰されるだろうことを覚悟しつつ帰城していたらしい。

 彼を見失った場所と彼女の能力を考えればそのまま逃げるという選択肢もあったというのに、それでも彼女が行方をくらます選択をせずに戻ってきたのは、ひとつの可能性を信じたからだそうだ。

「きっと彼が何かをしてくれたのでしょう。違いますか?」

 なぜそう思うのかと聞けば、彼女はこう答えた。

「それなりにいい関係を築いたから、とでも言えばいいのでしょうか。

 ……名前を知って、相応に関わりを持った誰かを見捨てることはしないと、彼は自分でそう言っていました。

 最期まで面倒を見ることは絶対にできないけれど、自分と関わりを持ったがゆえに出来てしまった――彼がそう考える損失の可能性は潰しておかなければ、本当にそうなってしまったときに後味が悪いから、だそうです」

 そして付け加えるように続けて言った。

 ただ、勘違いだけはしないでほしいと。

「先ほどの言だけを聞けば、彼が情け深い善人なだけで付けこむ隙があるように感じられるかもしれませんが、それは違います。

 彼の企みや配慮が成功しようがしまいが、彼にとってはどちらでもいいんです。すべては彼がその場でどう思うか、それだけなのです。

 もしもそれらが失敗して誰かが損をしてしまって、その誰かが彼の前に立って文句を並べたとしても、彼はきっとこう言うでしょう。だからどうした、と。

 そして、その時点における彼の目的を果たすために必要であれば、かつて助けようとした誰かであっても彼は切り捨てて目的を達成するでしょう。

 ……つまり今回の私は、その過程でたまたま運の良い方向に転んだだけ、という話でしかありません」

「しかし、君はそこまでわかっていながら、良い方向に転ぶだろうことに賭けたわけだ。

 なぜそちらに賭けたのか、教えてもらうことはできるかね?」

 こちらの質問に対して、彼女は答えるかどうかを迷っているような、あるいは言葉を選んでいるような曖昧な表情を浮かべて少し黙った後でこう言った。

「私に逃げるという選択肢を選ぶ度胸がなかった、というだけの話でもあるんですが。

 加えて言うのなら、彼にはそれが出来る実力があると判断したからです」

「……君達が本気でやりあっても勝てないか?」

「戦う場面まで持っていくこと自体が不可能でしょう。

 まず、彼を彼と捉えることが出来る人材がこの国にはいません」

「――よくわかった。しばらくはゆっくり休んでくれ」

 彼女はこちらの言葉を受けると、一礼をした後で退室した。

 彼女が立ち去った後、一人になった部屋の中で、私は天井を仰いで大きく溜め息を吐いた。続けて思い出したのは、鉱山の一件が片付いたあの日に渡された手紙の内容についてだった。


 皮肉の効いた表題は、"かつて見限られて捨てられた男から見捨てててくれた国の王様へ"。

 その内容は簡潔で。"これは彼女の手柄でもある"、"だがこれ以上は求めるな"という言葉だけだった。


「…………」 

 最初にその内容を見たときに理解できたのは、誰が鉱山の件について落とし所を定めたのかということと、それをおそらく彼が一人で為したのだろうということだけで。

 今回彼女と話をしたことでわかったことは、あの鉱山の件そのものが、彼が彼女にしたことと同じように、彼が私に対して行った損失の補填であるということだった。

 ……だから、これ以上は求めるな、というわけか。

 彼の中にあったこの国に対する負い目を失くすための行動が終わったから、これ以上は求めても応じる理由がないというわけだ。

 ……凄まじい話だ。

 自身の中にある負い目を消すためだけに国家間の問題をひとつ解決するなんて、普通に考えれば正気の沙汰ではない。

 しかし、彼はそれを成し遂げた。常軌を逸したその成果は、彼が個人にして国を滅ぼしかねない怪物になった事実を示している。

 ならば、こちらはその意図を汲んで動かなければならないのだろう。

 彼がここを落とし所にしてくれると言うのなら是非も無い。彼があとほんの少しでも感情的に動く人間であったなら、私達も無事では済まなかったはずなのだから。

 ……ただ、それを理解できない無能も多いのが困りものだな。

 かつて救ってやった男がこちらのためになることをした。だから、こちらから何かを求めれば応じるはずだ――そう考える愚昧も、残念ながらこの国には存在するだろう。考えるだけならかわいいものだが、そんな考えで彼と接触を図ろうとすればどうなるか。

 そんなことは考えるまでもないことであり、その結果は考えたくもないことでしかない。

「……まったくもって、厄介事というのは無くなったと思えば増えていくばかりで困りものだよなぁ」

 逃げ出せる立場ならそうしたいがそうもいかないのが最も難儀な部分だ、と。そんなことを思いながら溜め息を吐いた後で、これからやるべきことについて思索を始めることにした。



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