主人公、追手に見つかる 3-3
「確かに、食べながら出来る話ではなかったようだ」
小さく笑いながら言われた彼の言葉に、言い返すことが出来ない私は視線をそらすしかなかった。
結局、目の前に置かれた料理が無くなるまで話を切り出すことが出来なかったのは私の方なのだから。
……流石にお高い料理だけあって、美味しかったんだもの。
そう思いながら、注がれた酒に口をつける。あ、このお酒も美味しい。
既に空いた料理の皿は下げられていて、今は彼が最初に頼んでいた酒を二人で飲んでいる状態だった。
いい加減話をしなければならないなと考えているのだけど、何をどう切り出したものかと悩んでいたところで、
「それじゃあ、少し真面目な話をしようか」
彼の方からそんなことを言い出した。
黙って見つめていると、彼は酒を一口含んだ後で続ける。
「とは言え、何を話せばいいのかというところではあるんだが。……そうだな、まずは君がなぜここに居るのか、から聞いてみたいもんだ」
なぜここに居るのか、なんて随分とわかりきった質問をするものだ。
「あなたがここに居ると思ったから。探していたのよ」
「……いやまぁ、それはそうなんだろうけど。あんなに叫んじまうくらいなんだから、よっぽど探し回ったんだろうよ。
俺が聞きたいのは、なんで俺を探す必要があるんだ? ってことさ」
困ったように笑いながら言う彼を見て、私は小さな笑みを得る。わざとそこを応えなかったのだ。からかわれたことに対して、ちょっと意地悪な対応をするくらいは許されるだろう。
……しかし、理由を問われると私も困る部分はあるのよね。
王の意図は聞いている。いつでも利用できるようにしたいがために彼の所在を把握しておきたいと、そういう話だったのだけど。これはそのまま彼に伝えてもいいものか、判断に迷うところだ。
「…………」
考える時間を作るために酒を一口含み、不自然にならない程度の間を置いてから口を開く。
「あなたが残した書置きの意図を確認するために、探していたのよ」
そうして口にした答えは、事前に伝えられていた建前のうちのひとつだった。
なぜそれを口にしたのかと言えば――王の意図を直接伝えるのは、やはり得策ではないと判断したからだった。
少なくとも自分が彼の立場にあって、同じ言葉を聞かされたとすれば、どうしたってこちら側への印象は悪くなる。
人は感情で判断する生物だ。悪印象を与えるのはできれば避けたかった。
……まぁ、どこまで通じるかはわからないけれど。
彼は馬鹿じゃない。むしろ、人の考え方や意図を把握するという点では聡い方のはずだ。でなければ、完全な他人と驚くほどの短期間で親しくなる、なんて離れ業ができるはずもない。先ほどの言葉も、質問ではなく確認する意図のほうが強い可能性だって高いくらいだ。
「…………」
こちらの言葉を吟味するように、彼が黙ってこちらの様子を観察しているのがわかる。勿論、表面上はそれとわからないけれど、今ある沈黙はそういうものだ。
しかし、口にした内容は全くの嘘でもないので、構える必要もない。彼が判断するまでの間を、酒を楽しむ時間に使うだけだ。
それに、先ほどの言葉は私自身の言葉でもある。殆どの人間が戯言だと思ったのか何も言っていなかったが、彼は不必要に他人の不安を煽るような人間ではないし。彼はあの場面で何も残さないという選択も取れたのにそれをしなかったのだ。それ相応の意図があったのだろうと、そう思う。
機会ができたら聞こうと思っていたことだから、自然と口にできた。
まぁ、内容を全て作ってしまうと嘘をついたことがすぐにバレるから、という理由もあるのだけど。人を騙すためには、話の中に自分が本当だと思っていることも混ぜなければならない。そういうことだ。
「――そうか。それはまぁ随分と、面白い理由だな」
酒を飲んで時間を潰していると、そう長くない間を置いて、彼はそう言った。
本当に納得しているのかどうかまではわからないが、少なくとも、こちらの話に乗ってくれる気にはなったようだ。
内心で少しだけ安堵しつつ、話を続ける。
「元々、護衛はつける予定だったらしいわ。呼んでしまった相手を、そのまま見捨てるほどうちの国も非情じゃないみたいね。……まぁ、その護衛が私になってしまったことには驚いたけれど。
ただ、そういった話をする前にあなたは城から出て行ってしまったから、さっき言った理由も追加されたという、そういう話よ。
探すのには本当に苦労したのよ。噂をアテにしなければ、今も見つけられていなかったでしょうね」
これも嘘を含んだ話だ。護衛の話など露ほども出たことは無い。殆どの連中は彼を見捨てるつもりだったはずだし、王も着かず離れずで監視することを期待していただろう。
彼に同行したいのは私個人が楽をしたいからという思惑もあるが――そもそも活動時間に違いがありすぎる相手に遠くからの監視は現実的ではないのだ。彼の所在を把握するためには、私個人の都合とは関係なく、同行させてもらうことが必須条件となる。
同行する理由としては、我ながらうまくこじつけられたと思うのだが――
「まぁこの世界じゃ気軽に街を行き来することも難しいからな。人を一人捜し当てるのは相当な苦労だったろうさ。そりゃ叫びたくもなるわ。
しかし、気になるのはどんな噂を聞きつけたのか、ってところだな。これでも一応、地味に堅実に生きてきたし、そう悪いこともしてこなかったつもりなんだが」
彼は私が嘘をついた点については触れず、後半の噂について聞き返してきた。
嘘に気付いていないのか見逃しているのか。わかりはしないが、深く聞かれない方が助かるのは私の方だ。話を合わせるしかない。
「……互助会への依頼をかすめとってる輩が街を転々としている、っていう噂を聞いたのよ。私はその噂を聞いてすぐに、あなたを思い浮かべた。だって、そんな馬鹿なことをやりそうなのはあなたくらいしか居なさそうだもの」
「随分な決め付け方だな」
「違うの?」
「心当たりはある」
「合ってるんじゃない」
「その噂の指す人間が俺かどうか、なんてのはわかりゃしないさ。所詮、噂は噂だからな」
屁理屈を、と思うものの口にはしない。
しかし視線は十分以上に語っていたようだ。彼はこちらの様子を見て笑いながら続ける。
「そう怖い目で見ないでくれ。こういうのは曖昧にしたままの方が都合がいいんだ。
それにその噂の真偽になんて大した意味もないだろう?
噂が本当であれ嘘であれ、それをアテにして探してみたら見つかった。その事実が重要だ。そうだろう?」
なるほど、彼の言葉は正しい。
彼が何も語らない以上、現時点で私の側では噂の真偽を定かにすることはできないし――なにより、本当かどうかを確かにしたいのは個人的な興味によるものが強い。結果として見つかったのなら是非もないのだ。
ただ、言い返せなかったことがなんとなく悔しくて。それを素直に言うのもしゃくだったので、酒を飲んでその気持ちを誤魔化すことにする。
「ともあれ、あんたの事情は理解した。面倒事に巻き込まれて災難だったな、とでも言うべきか」
「……あなたはいちいち人の気を逆撫でないと気がすまない性質なの?」
「そんなつもりはないが、口が悪いのは生来かもしれんな」
「あまり良いものではないけど」
「この年になるとそうそう変わらんし、変えられんよ。今のところ不便はしてないしな。
――さて、話を戻そう。
あんたの事情は理解した。何が目的なのかもな。しかし、それを俺の側でどう扱うかはまた別の話だ」
「そうでしょうね」
彼の言葉を、私は素直に肯定した。
私が語った理由は、嘘も本当も含めて全てこちらの事情によるものだ。これらを聞き入れることに利点はない。唯一あるとすれば、国を敵に回さずに済むという点が挙げられるが、これを彼が利点として捉える可能性は非常に低い。
……そもそも彼はそんなものなんてどうでもいいと思っている。
規模や権力は異なるものの、既に彼はギルドや互助会を敵に回している。一人で集団を相手取ることを選択できてしまっている。その選択が自棄になった結果なのか何なのか、それは私にはわからないが――そんな人間が、今更国と敵対すること自体を恐れるわけがない。
そもそも彼は自ら逃げ出したのだ。この国の庇護に期待できないと、そう判断したからだろう。その国が今更自分に味方をしなくなる程度で、判断が動くはずもなかった。
……何か言わないと。何か。でも、何かって何を!?
平静を装いつつ必死に頭を回すものの、彼に提示できる材料が思いつかなかった。焦る気持ちからか、酒を口にするペースが上がる。ああ、このお酒ホントに美味しい。止まらない。
「…………」
彼はこちらの様子を若干呆れの混ざった視線で眺めていたが、溜息を一つ吐いて視線を外すと、こちらではないどこかを眺めながら口を開いた。
「現実逃避してるのかその酒が気に入っただけなのかはよくわからんが、話を進めるぞ?
あんたの要求は簡潔にまとめれば書置きに関する疑問の解消と、俺の旅への同行の二点だな。なぜそんなことをしたいのか――その本意はあえて確認しないが、ひとつはっきりさせておきたい。
それらを了承することで、俺にどんな利益がある?」
交渉に近いこの場で、本来なら言わなくてもいい言葉をわざわざ口にしたのはこちらへの助け舟のつもりだろうか。
……本当に、妙なところで人が良い。
ただ、彼のお陰で状況は単純になった。
駆け引きは殆どない。こちらが提示する条件を彼が気に入るかどうか、それだけの話になってしまったからだ。
大きく溜息を吐いてから目を瞑り、天井を仰ぎ見るように顎をあげる。そのままの状態で深呼吸を一度して覚悟を決めてから、彼をまっすぐ見て言った。
「私を自由に使っていい権利がもらえる。どう?」
私の言葉に、彼はこちらに向き直って一瞬目を見開いて驚いた後で、呆れを隠さない声音で言う。
「好きに解釈されたらやばい言葉だな、それは」
「そう取ってもらっても構わないわ。私なんかでよければ相手になってあげるわよ?」
にやりと笑ってそう答えると、彼は降参と言わんばかりに両手をあげながら天井を仰いだ。
「これだから女ってのは怖いんだ。……追ってきたのが男だったら殴ってとんずら出来たんだが、女が相手じゃそれも難しいな」
彼はそう言って笑うと、私に視線を戻して続ける。
「さっきの言葉の意図をどう解釈するかはまた別な機会に話すとしよう。……明日の昼、またここに来い」
「今日はしなくていいの?」
「酔ってんのか? それとも素がそれか? ――単純に、いきなり色々言われて俺にも考える時間が欲しいんだって話だよ。急にあの書置きの意図を話せと言われても、きちんと説明できるかわからん」
「あなたが明日ちゃんとここに現れるって証拠はどこに? 今日のうちにあなたは逃げるかも」
「そこは信用しろよ。この話はそこからだ」
彼は十分以上に譲歩してくれている。これ以上は無理だ。
「……わかった。また明日、昼に、ここで落ち合いましょう」
彼の言葉に頷いてから、席を立つ。
「今日はもう帰るわ。……送ってくれる?」
「送っていきたい気持ちもあるが、俺はまだ少し飲んでいくことにするよ。あんたの一言で酔いが覚めちまった。飲み直す」
彼の不貞腐れたような物言いに、小さく笑ってから背を向ける。
「じゃあお先に。私が言うのもなんだけど、ほどほどにね」
「ホントだよどの口が言ってんだ。――ただまぁ、帰り道ではよくよく気をつけることだ。この街は比較的治安は良い方だが、あんたは酔ってるしな」
そう思うなら送りなさいよ、と思わなくもなかったけれど。彼にそこまでする義理はない。忠告してくれるだけ優しいと、そう捉えておこう。
「忠告どうも。それじゃあ」
彼の気遣いに一言、礼を返して酒場を出た。
話をしている間に、陽は落ちて既に夜。酒で火照った体に冷たい夜気が身に染みる。
彼と話をした酒場から、私が取っている宿まではだいぶん距離がある。受付の人間が起きている時間に戻れればいいけれど、とそんなことを考えながら進む足を速める。
――酔っていた。急いでいた。油断していた。言い訳はいくらでも思いつくけれど、それらをいくら思ったところで意味はない。
異変に気付いた時点で終わっていたのだから。
「……っ!?」
路地の暗がり、そこから突然迫ってきた人影に何かをかけられた。
頭からひっかぶったそれが何かの薬品だと気付いたのは、妙な匂いに意識が遠のいていくのを感じたからだ。
夜、暗がり、女一人――それらの単語が繋ぐ最悪の未来を頭の片隅で感じつつ、なんとか意識が落ちないようにと抵抗しようとするものの、波が引くように意識が薄れていくのがわかる。
……これじゃあ忠告を受けた意味がないわねぇ。
そして、そんな言葉が頭を過ぎった直後に意識が途切れた。




