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主人公、城を追い出される 2

 気持ちよく眠っていたところに、遠慮のないノックの音が聞こえてきて目が覚めた。

 もはや壁ドンと変わらない騒音に思わず顔をしかめつつ、寝台から体を起こす。目を開けても視界は暗いままだったから、どうやらまだ夜半のようだと判断する。

 こんな夜半に自分を訪ねる人間が居る理由など、ひとつしか思いつかない。十中八九、お偉いさんからの呼び出しだろう。

 まさか一日と間を置かずに呼び出しを食らうとは思っていなかったので少しびっくりしてしまったが、相手からすれば半年も処分できなかったものが処分できるようになったのだから、早く動くのも当然かなとも考える。

 理解はできても、当事者としては受け入れられる事態ではないのだけど。

 憂鬱な気分を溜息と一緒に吐き出した後で、軽く伸びをしてから寝台を出る。寝起きでまだ少しだるい感じも残っているが、行動にはさほど支障はなさそうだった。

 未だに鳴り続けるノックの音に、はいはい起きましたってと声をかけると途端に音が止んだ。相手が扉を開く。扉の向こうから現れたのは一人の侍女だ。蝋燭の光に照らされる顔はここ一年で見慣れたもので、世話役として宛がわれた顔見知りだった。

 この城に居る人間のうち、自分の私的な時間でもっとも面を付き合わせた時間が長いのが彼女だ。だからと言って遠慮がなくなるのもどうかと思うが。

「こんな夜に、いくらなんでもうるさくし過ぎじゃないかね」

 非難する気持ちを少しだけ声に込めてそう言ってみたものの、

「寝てしまっていた貴方が悪いのです」

 彼女は平然と、悪びれる様子もなくそう返してくるだけだった。

 相も変らぬその態度に、思わず小さく笑ってしまった。

「無茶苦茶言ってるなぁ、おい」

「私は貴方を連れてくるようにと言われてしまいましたので。部屋に勝手に入らなかっただけ、いい判断だったと思っています」

「いや、そこはむしろ素直に部屋に入って起こせよ俺を」

「殿方の部屋に一人で入るなど、とてもとても」

「へいへい、そういうことにしておきましょう」

「……皆様が待っています。こちらです」

 彼女はひとつ咳払いを挟んでそう言うと、先導するように歩き出した。

 最初に比べれば随分と会話が弾むようになったものだと思いつつ、彼女の後に続く。

 しばらく歩いた後で彼女は立ち止まり、こちらですと扉を示してくる。どうもと軽く礼を言った後で扉を開いて部屋に入った。

 今夜案内された部屋は、どうやら、この世界に来て初めて呼び出された時と同じ部屋のようだった。ただ、当時と違う点があるとすれば、机についた人影がひとつ増えているというところだろう。

 見覚えのない顔であることを差し引いても、おっさんやおばさんという年齢の連中に混ざって一人だけ明らかに若いと思える容姿をしていれば、その姿は嫌でも目立つ。

 あれが件の、こいつらからすると正統な勇者様というやつだろうかと考えながら、今回は予め用意されていた空席に躊躇い無く座った。勧められるのを待つような間柄でもないし、いい意味でも悪い意味でも、遠慮をする必要がない連中が主だからだ。

 礼を欠く振る舞いであることは自覚している。しかし、ここで礼を尽くした方がいいと思う相手は少なくとも一人しかいない。その一人に対しては、流石に少し申し訳ないと感じる部分もあったから、視線を向けて軽く謝る。

「勧められない内に座ってしまって申し訳ない。今日の訓練はちょっと辛くてな」

 この場に居る者のうち、二番目か三番目に若いであろう男――自分との話し合いで矢面に立ち続けた彼は、こちらの言葉を受けて肩を軽く竦めて見せる。

「ああ、既に報告は受けている。流石に、あの基礎訓練を丸一日やっていればそうもなろう。私は気にしない」

「そりゃありがたい。じゃあ夜も遅いし、手早く用件を済ませよう。呼び出した理由はきっと、そこに座っている若い子に関係しているんだと思うが」

 こちらの言葉に、彼以外の誰かが口を開いた。

「そうだ。彼女が、彼女こそが我らの待ち望んでいた勇者だ。お前とは違う、本物のな」

 相変わらず、口を開けばゴミしか出ないなと溜息が出た。こちらの反応が癇に障ったのか、部屋の空気が少し張り詰めたように感じられる。気に入られるつもりも毛頭ないので無視をすることにして、彼だけを見て話を続けることにした。

「それで、新しいのが入ったから古いのは切り捨てようって話でいいのか?」

「……君はいつもそうだな」

「いきなり何だ」

 彼の口から漏れるように出た曖昧な言葉に、思わず眉をひそめた。何を指して、そうだ、と言っているんだろうか。少なくとも、険のある声音ではなかったので責められたわけではなさそうだ、とは思うのだが。

 彼はこちらの疑問符に小さく笑った後で、首を横に振って笑みを消すと、言葉を続けた。

「いや、話が早くて助かるなと。少しは反発があるんじゃないかと、少し構えていたところがあったんだ。君にとっては、君自身は被害者であり、私たちは加害者だ。加害者の都合で振り回されることを良しとしないのではないかと、そう思っていた」

 出てきた言葉の内容は、先ほど漏れた呟きには触れていない、と感じた。しかし、それを追求しても答えは返ってこないだろうとも思う。

 答えの出ない疑問符は持っていても仕方が無い。

 内心で吐息を吐いた後で、納得したように頷いてみせた。

「ああ、なるほど。まぁ、そう考えていないと言えば嘘になるし、ごねてどうにかなる時はごねるが、今回はどうにもなりそうにない気がしている。だったら早めに切り上げて、最後になるかもしれないマトモな寝床での睡眠を優先したい。それだけの話だ」

「なるほど。では、手短に決定事項だけを」

 こちらが頷いて言葉の先を促すと、彼は続きを口にした。

「明日には城を出てもらうことになる。荷物をまとめて欲しい」

 告げられた内容は、意外でも何でもないものだった。処刑するとか言われないだけマシだろう。

 意外に思う部分があるとすれば、それは明日という日取りだけである。随分急な話だとは思ったものの、口にするのは別なことだ。

「まとめるほどの荷物は無いから構わんが、それだけか?」

「……何か要望が?」

「金が欲しい。一生暮らせるだけとは言わない。ここの兵士がもらえる一か月分の給金でいい」

 こちらに向けられる視線の大半が一変した気配がした。どうせ浅ましいとかなんとか思っているのだろう。しかし、有象無象がどう感じようが、どう評しようが知ったことじゃなかった。

 この国では貨幣が流通しているのだ。それはすなわち、生活するには金が必要だということである。

 休日労働をした時期もあるのでまったく蓄えが無いとは言わないが、それでも金はあるに越したことはない。持ちきれない財はゴミ同然だが、持てる範囲であれば無いよりは有る方がいいし、なにより、ごねて通らなかったところで痛いところはどこにも無い。だったらごねておく方が得というものだろう。

 彼はしばらく悩むように黙り込んでいたが、やがて諦めるように溜息を吐いて、こちらの言葉を首肯した。

「わかった、用意しよう。明日、城を出る前に私のところに来てくれ」

 彼の言葉に、周囲の誰かが机を叩いて立ち上がり、声を荒げて言う。

「王よ、それはあなた一人で決定していいことではないでしょう!」

 大きな音に多少驚いたものの、それ以上に驚くべきところは彼を王と言ったことだ。

 え、マジで? としか言葉が浮かばない。

 かなり偉い人だとは思っていたけれど、まさか一番偉い人だとは……いや、ちょっぴりも思わなかったと言えば嘘になるけども。そうでなければいいなと現実逃避していた部分が強い。よく命があったな、俺。

 内心で冷や汗をだらだら流しつつ、表情には出さないように努力しておく。ここはポーカーフェイスで平然としているべき場面だからだ。でも正直なところ、うまく出来ている自信は全くない。出来てるといいな、というレベルである。

 彼――この国の王様は、声をあげた者を一瞥した後でこちらに視線を戻すと、吐息をひとつ吐いて言う。

「彼はこの程度でこちらの仕打ちに目を瞑ってくれるのだ。安いものだろう」

 いい表現だ、と思わず笑ってしまった。こういう場面でなければ、その通り! なんて膝を打ちながら声を出していたかもしれない。

 この王様はこちらを理解する努力を怠っていなかった。だから、俺が何を考えているのか想像できて、こういう表現が出てくるのだろう。

 俺は確かに、この世界で生きていくために色々なことをやっている。誰に何を言われようとも利がある状況であれば受け入れるし、少なくとも受け流すつもりではいる。

 その様は、外から見れば最初の出来事を受け入れ、無かったことにしたように映るかもしれない。

 しかし、自分はこの世界に無理矢理招かれた結果として、これまでの人生で積み重ねたものの殆どが消えてしまったことを忘れたわけじゃあない。そして、その行いを許したわけでもない。

 それが例え彼らの意図していなかったものであったとしても、だ。

 そこに気付いているからこそ、王様はああ言ったのだろう。

 とは言え、一人の人間に出来ることなど高知れている。例え世界を滅ぼしたいと願うほど憎んでいても、多少他よりも出来ることが多くても、一人で出来ることには限りがある。一人では、国という集団にはよっぽどのことが無い限り勝てないのだ。

 故に、個人からどう思われるかなど国という集団には本来関係ない。

 それを考えると、この王様はなかなか人情に厚い人物だと言える。甘いと謗られることの方が多いかもしれないくらいにだ。なにせ周りの有象無象が思っている通り、ここで自分に金を渡すことは王様の損にしかならないのだから。

 そういう意味では、この国に呼びつけられたことそれ自体は悪いことではなかったのかもしれなかった。運が良かったのかもしれなかった。

 まぁ不幸中に幸いを見つけても大勢は変わらないのだけど。少なくとも区切りを素直に受け入れる理由のひとつにはなる。

 俺は王様と視線を合わせた後で椅子から立ち上がり、頭を下げた。

「ありがとう。助かる」

『――――』

 一瞬だけ、部屋の中が無音になった気がした。

 ……確かに振る舞いは粗野だったかもしれないけど。別に礼を言えないわけじゃないんだがなぁ。

 内心でそう嘆息してから、頭を上げて椅子に座りなおす。

 王様は咳払いをした後で、何と言うべきか考えるように口をまごつかせていたが、結局言うべき言葉が見つからなかったようで吐息を吐くだけに終わった。

 沈黙が降りる。

 さて、この沈黙が話すことが無くなったから生じたのであれば、すぐにでも出て行きたいところではあるのだけど。そうなると、どうして新しい勇者がこの場に居るのか、その理由がよくわからなくなる。単純に、自分より前に来ていたという勇者モドキを見てみたいという希望があったと見るのが自然かもしれないとも思うのだが。

 かと言って、話し辛い雰囲気になってしまったから生じたのだとすれば、話の流れからして俺が礼を言ったことがそれだけ衝撃的なことだったということになる。なんだか釈然としない気持ちになるのは、俺の器が小さいからではないと思いたいところだ。

 まぁいずれにせよ、黙っていても仕方が無い。図らずして、自分の発言が本当になってしまったのだ。まともな寝床での睡眠を優先するためにも、こちらから口火を切ることにしよう。

 あー、と何を言おうかと考えながら唸って沈黙を破った後で、続ける。

「今日の用件は、追い出しますよということを伝えたかっただけか? だったら、もう部屋に戻って寝たいんだが」

 こちらの言葉に、はっと現実に引き戻されるような表情を一瞬浮かべた後で、王様が言う。

「……ああ、いや、それだけじゃない。どうしても、彼女が君と話をしてみたいということでね。明日出て行くことになるのだから、この場くらいしか機会が無いだろうと同席してもらうことにしたんだ」

「若い子に夜更かしさせるのは感心しないな」

 そう茶化すように言ってみたものの、内心では王様の言った内容に疑問符と嫌な予感しか感じない。

 勇者モドキってどんな奴だろうと、興味を持って一目見たいと思う気持ちはわからないでもない。顔を覚えられたくないというのが本音ではあるのだが、状況がこうなってしまった以上は仕方ないことだ。諦めるしかない。

 しかし、会話をしてみたい、となると少し話が変わってくる。

 理由として最初に思いつくものは、同じ異世界から来た者同士で情報を分けて欲しい、というところだろう。ただこの場合、自分がその立場に居るならば、そもそも相手が城から出ることを止めさせる方向で動く。これは相手に同情するから、では勿論ない。それがまったく無いとは言わないが、そう動く一番の理由は同じ境遇の仲間であるからだ。例えそれぞれ異なる世界観の場所から来た者であったとしても、境遇が同じであると思える者が近くに居れば、それだけで気が楽になる。少なくとも自分はそう考える。だからこそ、会話だけをしたいという動機には疑問を覚えるのだ。

 考えすぎと言われればそれまでのことなのだが――彼女の第一声を聞いた瞬間に感じていた嫌な予感が正しかったことを理解した。

 彼女は今も口を開いて何かを喋っているが、その内容は頭に入ってこない。

 なぜなら、彼女が口にしている言葉がこの世界の言葉であったからだ。

 それでどうして驚くのかと言われれば、今も受けている恩恵の性質に理由がある。

 この世界に来てからの恩恵のひとつに、自動通訳じみたものがある。これには言葉や文字を二重音声のように訳語として理解できる機能と、こちらが話す言葉や文字を相手の言語に合わせて理解させる機能が存在する。

 そうでなければ相互に会話をすることは出来ないのだから当然と言えば当然なのだが、不思議なことに、後者については自分が感じるような二重音声じみた状態にはなっていないようなのだ。というのも、そういうものだと諦めていた自分はともかく、何も知らない街の人間がこの状態をすんなり受け入れるのは不自然だろうと気付いて思い至った事実であり、他にも気付いたことは多々あるのだが――要は何が言いたいかと言うと、もしも彼女が自分と同じような勇者としての恩恵を持っているのであれば、彼女の言葉は俺の世界の言語でなければおかしいということだ。

 ひとつの可能性として、彼女と自分の住む世界が異なるために、たまたまこの世界の言語が選ばれたのではと考えたものの、それは俺の世界の言語で訳されない理由にはならないと却下する。

 勇者としての恩恵が消えていないこと。

 彼女が使う言語がこの世界のものであること。

 この二つの事実は、いったい何を意味するのか。

 ……うわぁ、考えたくねえなぁ。

 なんて現実逃避をしていると、周囲からの自分の態度を咎める言葉が耳に飛び込んできた。集中が途切れて音が聞こえるようになったようだ。

 意識を現実に戻して前を見ると、彼女が少し戸惑った様子でこちらを見ている。目の前で話をしているのに聞いていないのであればそうもなろう。当然と言えば当然だった。これには流石に、隣の王様もいい顔をしていない。

 まずは素直に頭を下げる。次に申し訳なさそうな顔を作って、言う。

「いや、申し訳ない。自分で思っていた以上に、急に城を出ることになった事実が堪えているようだ。彼女には悪いんだが、ここで失礼させてもらいたい」

 王様は隣に座る彼女を見る。彼女は王様の視線を受けて、少し考えるような間を置いた後で、残念そうに溜息を吐きながら頷いた。

 ありがとうと礼を言い、椅子から立ち上がって部屋を出る。

 部屋を出た先には、見慣れた侍女が待っていた。彼女はこちらの顔を見て少し驚いたような表情を作る。珍しいなと思って、どうしたと声をかけると、こんなことを言ってきた。

「あなたがそんなに顔色を悪くするところを初めて見ました。何があったのですか?」

 本当に心配しているような声色でそんなことを言われると、なぜだか少し嬉しく感じる。弱っているせいかもしれない。

 なんにせよ、そんな表情が部屋を出る前から出ていたのなら、容易に部屋を退出できたことにも納得できた。

「いやまぁ、単に城を出て行けと言われただけさ。だから、これからどうしようかという不安でちょっと参っている。それだけ」

「……そうですか」

 彼女は少し納得のいかない様子ではあったものの、それ以上は何も言わなかった。

 深く聞かれても困るので、正直助かった。自分でもまだ状況の整理が追いついていないし、勢いのまま喋ると何を言うかわからなかったからだ。もし何かを伝えてしまって、その結果として彼女の身に危険が及ばないとも限らないのだ。

 いやまぁ、ただの想像や推測でしかないことで、徒に周囲を刺激したくないというのが一番大きいのだけど。

「部屋に戻ろう。先導してくれ」

「わかりました」

 彼女の背を追いながら部屋に戻る。

 その道中で考えるのは、これからの身の振り方だ。

 昔の、この世界に来る前の自分であれば、最悪の場合なんてそうそう起きないと高を括って明日まで寝こけていただろうが、今の自分はそうしない。というか、できない。怖いからだ。

 なぜかといえば、起こるわけがないと思っていた物語の設定そのままの世界を、今まさに実感しているからである。それはすなわち、人の頭が考えられる程度の出来事はすべて起こりうるということにもなる。それが例え、多くの人間が見たことの無い出来事であったとしてもだ。

 だから考える。頭を回す。どう動いたら自分は後悔しないかを、思索する。

 部屋の前に辿り着いた。彼女が扉を開いて中を示す。

 もしかしたら言う機会を逃すかもしれないとふと思って、感謝の言葉を告げておくことにした。

「……今まで面倒見てもらって悪かったな。助かったよ、色々と。ありがとう」

「……仕事ですから」

 彼女はかすかに驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻してそう返してきた。

 にべもない返事だなおい、と思いつつ笑ってしまう。

 なんてことのないやり取りだというのに、なぜだか無性におかしかった。精神が不安定になっているからかもしれない。ともあれ、笑えたことで随分と気が楽になったことは確かだった。

 笑いが収まってきたところで彼女を見ると、彼女の表情がかすかに曇っていた。なんでだろうと思えば、すぐに理由に思い至る。自分が発言した後で笑われれば、馬鹿にされたのかと思うのも自然なことだろう。

 そんなつもりはなかったので、素直に謝っておく。

「あー、悪い。気を悪くしたなら謝るよ。すまなかった。

 別にあんたを馬鹿にしたとかそういうことじゃない。単純に、このやり取りが面白かっただけだ。気が楽になったわ、おかげで」

「はぁ……?」

 こちらの言葉に、彼女は曖昧に頷いた。抑えきれない疑問符で、今のやり取りのどこが面白かったんだ、と視線が語っているのだけど、そこには応えない。

 彼女の横を通って部屋に入る。

「それでは、私はこれで失礼します」

「ああ、ありがとう。じゃあな」

 扉が閉まる。少しの間を置いて、扉の向こうから足音が響き、段々と遠のいていくのが聞こえてきた。

 周囲が無音になる。

 一人になれたことを実感して、安心したような、疲れたような気分で大きく息を吐く。寝台に腰掛ける。寝転びたくなる衝動が湧いたが、なんとか我慢した。このまま横になったらそのまま寝てしまいそうだったからだ。

 代わりに、自分の膝に肘をついて溜息を吐く。なんだか頭が痛くなってきたようにも感じる。考えることが増えてしまったからだろう。

 面倒なイベントもなく放逐されるのが理想だったというのに、厄介な事態になってきたものだ、と思う。まぁ、もしかしたら自分の考えすぎなだけで実際は危惧しているような事態にはなっていないのかもしれないが、そういうことを想像してしまうような状況になってしまっているのがそもそも嫌だという話である。

「…………」

 思うところは多々あるものの、起きてしまったことに文句を言っても埒が明かない。気分は多少紛れるが、状況は何も改善されないので意味がないのだ。考えたところで改善できるかどうかもまた別問題なのだが、考えた上で納得しておくことは大切だろう。

 深く息を吸い、長く息を吐く。思考をリセットし、考えるべきを考える。



 まずは状況を整理しよう。

 今日の会合で得られた情報のうち、確定していることは城を追い出されるということだけだ。

 この問題に対して考えるべき事柄は今後の身の振り方であるが、こちらに来てから過ごした一年という期間のうち、休日に街に出ることで生活に必要な金銭感覚と労働の仕方については把握できているので大勢に影響はない。そもそも城を追い出される前提で動いていたので、やっと時期が来たなという程度の感想しか持てないくらいでもある。

 もっとも、見通しが甘いと思われる部分もきっとあるはずで、あまり楽観的になれない状況になってしまったことに変わりはない。とは言え、少なくとも、勇者としての恩恵がある内は多少の無理が利くから、状況を改善する目は十分あると思っていいだろう。

 いつ消えるともわからないものに頼るのはあまり良くないことだとも思うのだが、ある程度は頼るつもりでいなければ生活が成り立ちそうもない状況なので四の五の言っていられない。使えるものは使える内は使えばいいし、消えたら消えたで、どうにかするしかないのだ。その時になったら考えればいい。

 城を出ることになった。この問題については不安を感じているわけではない。

 では、自分は何への対処に頭を悩ませているのだろうか。

 ――考えるまでもなく、新しい勇者という存在についてである。

 これはかなり厄介な問題だった。

 厄介だと感じる一番の理由は、今頭の片隅をちらついている考えが正しいかどうかを判断するための確証がない点だろう。

 いやもうホント、勇者とやらの詳細についてとか諸々わからないことが多すぎて、神様でも何でもいいから呼び出した誰かが居るなら色々説明しに出て来いや! と叫びだしたくなってくるくらいには苛立たしいが――それはさておき。

 元より、人は持っている材料でしか判断できないのだ。だったら、使えるものは正しく使えていると考えた上で思索を続ける方が建設的だろう。

 だから、とりあえず今持っている判断材料はすべて正しいものと仮定する。

 このとき、現状であの勇者についてわかっていることは――正確に言えばそうだと判断している事実はふたつある。

 ひとつは、彼女がこの世界の言語を知っているということだ。それも、日常会話に支障がないレベルで、である。

 勇者とはこの世界とは異なる世界から呼び出される者である、という前提が間違っていないのであれば、彼女がこの世界の言語を使えるのはおかしい。仮に、この世界の言語に慣れ親しむことができるほど関係が近い異世界があるとしたって――もはやこの仮定をする時点で前提が破綻していようにも思うが――勇者というものが全て自分と同じ恩恵を得られるのであれば、相手の言語を使う必要はない。普通は慣れ親しんだ言語の方を使うものだろう。

 それに彼女が本当に自分と同じ恩恵を受けているならば、彼女の発した言葉は俺の言葉で訳されていなければならない。この恩恵の機能は優秀だ。わざわざ他の言語を介して発現する理由もないだろう。

 そして、これらの理由から、彼女についてわかる事実がもうひとつ現れる。

 それは、彼女が勇者ではない、かもしれないということだった。

 勇者でなければ何なのだと言われても、正直な話、まったく見当がつかないのだけども。だからこそ怖いのだ。わからないことは怖い。思惑の見当もつかないから、どう行動するのかもわからない。

 ただ、あえて想像をするのなら。

 あれは少なくともこの国の味方ではないのだろうと、そう思う。

 この国の連中にしたって勇者についてもろくに説明しない奴等ばかりだし、今はどうだか知らないが、勇者という単語の認識が間違っていなければ、元々は魔王やらの明確な敵に対抗するための術であったはずである。そこを利用して何かを為すというのであれば、それはきっと敵側だ。

 目的は何か、正体は何なのか、何をしたいのか。そんなことはどれひとつとしてわかりはしないが、彼女がこの国の連中が望んでいた勇者じゃないことだけはわかっている。

 だから悩んでいるのは、そのことを伝えるべきか否かという、ただ一点に尽きる。

 身の振り方も多少は悩むところがあるが、結局は自分一人のことだ。彼女が何かしら行動を起こす前に逃げ出してしまえばいいだけの話である。もらえるはずだった金は惜しいが、何をされるかわからない状態で居るよりは、無かったことにして逃げ出してしまった方がまだ気楽で居られるからだ。

 とは言え、伝えようにも他人を信じさせるだけの証拠がないし、それ以上に、自分の立場が問題だった。

 真偽はどうあれ、彼女は本当の勇者だと周囲から信じられている。

 対して自分は、バグだかなんだかよくわからないマガイモノだ。しかも、城から追い出されることまで決まっている。

 こんな状況で彼女は勇者じゃないと言い出してみたって、どれだけ良く見積もっても、城から追い出されないために出鱈目を言っているとしか受け取ってもらえないだろう。

 どうすれば信じてもらえるだろうかと、その方法を考えるが、いい案は浮かんでこなかった。



「…………」

 熱の入った思考を冷ますために、深呼吸をする。

 一度、二度、三度と繰り返し、再び思考を再開する。



 答えが見つからないのであれば、まずは考えを整理しよう。

 知った事実を伝えるべきか否かを悩んでいる――それは、本当にそうだろうか?

 どうすれば信じてもらえるだろうかと考えるのなら、それは伝えたいと思っているのだろう。

 では何を悩む必要があるのか。それは、知った事実を伝えたところで信じてもらえないという理由があるからだ。

 なぜなら、信じてもらえなければ状況は何も変わらないからだ。誰も動かないからだ。

 では、信じてもらう以外で状況を変えるに足る動機付けをすればいい。

 ならば、人が動く理由は何だと自問する。

 答えは出る。それは疑問だと。わからないことがあるから人は動くのだと。そして、そこに不安、好奇心、興味という感情が伴えば行動に対する意識が強まる。

 こちらの言葉が信用に足るものであったとき、彼らが得るのは疑問と不安だ。

 だったら、好奇心か興味を煽れればいい。


 ――そこまで考えが至った所で、思索を終了した。

 結論が出たからだ。

「ま、駄目だったら駄目だったでいいわな。大事なのは、自分が納得することだ」

 やることが決まれば、後は動くだけだ。

 ここから逃げ出す準備を始める。

 鞄なんて高尚なものは持っていないから、心の中で頭を下げつつ寝台のシーツを風呂敷代わりに使用することにした。

 持って行くのは、休みの間に稼いでおいた金銭に、まだ読み終わっていない本が数冊とナイフが一本だけだ。折角だからと、いくつかの衣類も持っていくことにする。

 やってることは立派な泥棒だなと思いつつ、本と衣類をシーツで包んで肩に担う。ナイフは腰に下げておき、金銭はいくつかのずだ袋に分けて服のあちこちに仕込んでおく。

 そして最後にやることは、置手紙を書くことだ。まぁ紙はないしインクもないので形だけだが。

 寝台の布をちぎって紙代わりにする。インクの代わりは仕方が無いからナイフで指を切って自分の血を使うことにした。

 書くのは一言だけだ。

『勇者が二人現れた意味を考えろ』

 自分の世界の言葉だが、伝える意図をもって書けば意味が伝わることはわかっている。仮に伝わらなかったとしても、意味深なものが残っていれば多少は何かを調べる気にもなるだろう、多分。連中がそうならなかったらそれまでだが、伝えたいことを書いたところで信用されないだろうから、どっちにしても結果は同じだ。

 大事なのは、自分はやったという自覚だ。考えたところでどうにもならない部分まで面倒を見る理由はない。

「勇者なんて呼ばれて、やっぱり多少は浮ついていた部分もあったんだろうな」

 言って、自分で自分を笑ってやる。

 知ったからと言って何かをしなければならないわけじゃない。何かできると言っても元より高が知れているし、やれることも限られている。それに、やった結果がいい目に転ぶとは限らないのだ。

 だったら、やりたいことだけやればいい。自分で自分を嫌いにならない程度であれば、何をしても、何をやらなくてもいいのだから。

 手紙代わりの布を寝台の上に置き、念のためにと飛ばないように、持って行かないことにした本を乗せて置く。

 これで作業は終了だ。

 扉を見る。普通に出て行くのなら扉を通って行くべきだが、その道中で誰に見つかるかわかったものじゃないなと考えて視線を外す。

 次に視線が向かう先は窓の方だ。この部屋の高さは三階相当である。普通なら飛び降りれば死ぬかもしれないが、今の自分は普通じゃない。飛び降りて足が折れたりすると笑えないが、そこは今の頑健さを信じることにしよう。

 窓を開ける。下を見る。地面が遠いように感じられる。やっぱり高いなと若干尻込みしたものの、他に手はないしと気合を入れて窓枠に足をかけた。

 踏み切るのは一瞬だ。

 窓枠に乗せた足に力を入れる。踏んだ勢いで体を持ち上げ、前に持っていく。自然ともう片側の足が前に行くがそこに踏みしめるべき地面はない。すっと引かれるように体が落ちた。

 地面が迫る。近づいていく。

 ――足に衝撃が来たと同時に膝を曲げ、尻餅をつき、後ろに転がる。何度か回って、勢いが止まったときには天を仰いで地面に横たわっていた。

 自然と止めていた息を、ぶはっと音を立てて吐く。

 体は多少痛むものの、動かせないような部位はない。着地は無事に成功したようだ。

 ホントどうなるかと思ったけど、意外とどうにかなるものだ。勇者の恩恵に初めて感謝してもいいと思ったかもしれない。こんな行動を採らなければならなくなったのもこれのせいなのだが。

 体を起こし、立ち上がる。服についた砂やら何やらを手で払ってから、歩き出す。

 向かうのは城の外だ。城の中に比べれば人の数が少ないとは言え、警備の姿も残っている。気は抜けないが、まぁ、最悪思い切り走ればどうにかなるだろうとは思っているので気負いすぎない程度に気にかけておくだけだ。

 それよりも心配するべきことがある。

「……あー、城出てからどうすっかなぁ」

 また酒場などで雇ってもらうのも一興だが、流石に城のお膝元であるあの街で働くのは難しいだろう。すぐに見つかっては、煽った甲斐がないし。

 となると、近くの街まで移動する必要が出てくるのだが――さて、今もっている金銭でどの程度まで遠くにいけるのだろうか。

「ま、いざとなったら歩くしかないんだが」

 治安の悪いこの世界でそんなことをするとその道中で死んじゃうかもしれないなぁ、なんて考えも浮かんでくるが、他に手段が無ければそうせざるを得ない。

 相変わらずのハードモードだと、思わず口から溜息が漏れた。

 とは言え、これからこの世界で生きていくのだから受け入れなければならない事実でもある。

 なにはともあれ、自分だけで生活してもいいことになったのだから、それをまずは喜ぼう。何をしてもいい、という状態は正直持て余すところもあるが、なかなか得られるものじゃないのも確かだ。

 そのための第一歩は、この城からの脱出が成功するかにかかっている。

 よし、と気持ちを切り替えて、歩く足を速めて城の外に向かって急ぐことにした。


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