第6話 はい、趣味は筋肉です
パイオーツさんこと、マルグレーテ・ラ・オーツちゃんは、ど派手で何をやらせても完璧なお姫様(本物)である。金髪の美人という設定だが、実物を間近で見るとまぶしいほどのマジ美人であった。さすがゲームから出てきた人間は違う。
だが、私の目はまったく別の一点に吸い寄せられていた。すらりとした足の上、馬鹿みたいに細いウェストのさらに上、そう、パイオーツさんなどというお下品なあだ名の元になっているその部分に――
ものすごい迫力であった。な、なんなんだ、これは。まわりの領空を激しく侵犯しておられるぞ。どうなったらこんなことになるの!?
「本当に……大きいわね」
私はその馬鹿でかいおムネを正面からがっしりつかんだ。制服と下着の上からでも、要塞のような重厚感がしっかりと伝わってくる。
「えっ、な、なんですのっ!?」
突然の性犯罪にマルグレーテちゃんは自分の胸を隠しながら後ずさった。
なにって……ゲームをプレイしていたころからやりたかったことをやっただけですけど? 現実世界でやったら、例え女同士でも白い目で見られることを。
「だれもがやってみたかったことをいきなりやってのけるなんて……」
「さすがリリーさんね……」
周りの女子からの評価が上がった(変な方向に)。
「リリーさんですって?」
マルグレーテの片眉が上がった。
「では、あなたが東国から来た黒髪の美姫!?」
「黒髪の美姫……?」
東国っぽいところから来たのは事実だが、美姫という熟語には心当たりはない。
「噂通りの方ね!」
胸を隠し、じろりと、気の強そうなつり目でにらまれる。
「噂? どういう噂?」
「変な人」
それはなにをどうしても否定できなかった。
「パイ……マルグレーテ。エリアとは話をしてないのかしら?」
「エリア? そちらの方とは初対面ですわ。というか、なぜ、わたくしの名前を知ってますの……!」
「そう……」
うむむ、また初対面イベントが発生しなかったようだ。
――パイオーツさんのあだ名でユーザーに親しまれるマルグレーテ・ラ・オーツちゃんは、エリアのライバルにあたるキャラである。
庶民のエリアに対し、大貴族のマルグレーテ。残念な体型のエリアに対して、ボインボインのマルグレーテというような対比がなされている。貴族であることを鼻にかけ、しょっちゅうエリアに絡んできては、勝負をふっかけるというような役回りなのだ。
しかし、そこは人気投票第五位。単なる嫌な女であるはずがない。
実のところ、彼女はライバルのふりをして主人公を助けてくれる親友キャラなのである。
彼女が「あら、こんなこともわからないの?」と、絡んできたら、それはチュートリアルの始まりだ。さらには、放課後、コマンド選択で彼女の部屋を訪ねると、「あなたは〔知力〕が足りないわね。座学に出たらどうですの?」、「レベルを上げるために冒険に行くべきでしてよ」、などと言った台詞でゲームの指針を教えてくれる。さらにさらに、なぜか、男性キャラの好感度(数字で表示されないマスクデータ)もコメント形式で教えてくれる。
要するに、マルグレーテちゃんは、口ではなんのかんのと言いながら、エリアに親切にしてくれる正統派ツンデレガールなのだ。エリアに絡んでくること自体、実は庶民のエリアが学園内で孤立しないように気を遣っているためだったりするので隙がない。マルグレーテのいい子エピソードはこんなもんじゃないぞ! あざとい、マルグレーテってば本当にあざといのだ。
主人公を助けてくれる金髪のツンデレお姫様という時点でプレイヤーからの人気が出るのは保証されているようなものだが、この子の場合、ゲーム上のデータ的にも人気がある。どういうことかと言うと、ステータスの伸びが良好で、冒険に出かけるたび、ぐんぐん強くなっていくのだ。どれくらい強いかというと、彼女と二人旅で充分クリアできるくらいである(極めると一人でもクリアできるのだが)。愛着を持って序盤から延々とパーティーに参加させていたプレイヤーも多いのではないだろうか。
ちなみに、かの忌まわしきアニメ版『乙女の聖騎士~星屑学園記~』では、男性スタッフの趣味か、マルグレーテだけ異様に優遇されていた。なにせ作画が違う。マルグレーテの顔アップだけイベントCG並みの美麗さなのだ。他キャラの作画に関しては、総作画監督が「どうしてこうなった」という謎のつぶやきをインターネット上に残していることから色々と察していただきたい。
ちなみに、「パイオーツさん」のあだ名が生まれたのもアニメ版からである。アニメオリジナル水着回のキャプチャー画像がネットのあちこちにばらまかれた結果、自然発生的にそう呼ばれるようになったのだ。当初、私はこのような下品なあだ名付けに憤慨していたのだが、なぜだか、そのうちパイオーツパイオーツ言うようになっていた……だって間抜けな語感が面白かったので。
「な、なんですの……」
じろじろ見ていると、マルグレーテは怯えた目で半歩下がる。
ご多分に漏れず、私も彼女をごひいきにしている。ゲームではよく「マルグレーテ・エンド」を迎えたものだ。魔物の侵攻をはねのけた上で、どの男性キャラともくっつかないと、このいわゆる「友情エンド」を迎えるのである。内容的には、互いにライバルとして騎士団内で高めあっていくとかその程度のものであるが。
「着替え、手伝ってあげようか?」
「けっこうですわ!」
「どうせ、家ではお付きの人に手伝ってもらってたんでしょう?」
「一人で着替えられます!」
と、なぜか変態をにらみ殺すような目つきである。それなら仕方ない。諦めよう……と油断させ、変質者のようにさわろうとする。
「いやーっ!」
マルグレーテは更衣室の奥の方に走って行ってしまった。チッ、逃がしたか。もっと本物の彼女と遊びたい。女だって、学園一の美人ツンデレお姫様にかまってもらいたいのだ。エリアとマルグレーテを左右にはべらせて学園生活を送るというのもそれはそれで楽しいかもしれないな。
■
体育の担当教官は、ラウル先生だった。
「おら、おまえら、走れ走れ!」
そんな檄を飛ばすのが似合う熱血系の24歳である。
授業は二手に分けて行われた――出来る子組と出来ない子組である。出来る子組(主に男子)は、軍隊的な障害物コースを昇ったりくぐり抜けたりしている。高い壁に、塹壕に、ロープに、丸太かつぎにとフルコースだ。
私とエリアは、もちろんのこと、出来ない子組(主に女子)だった。スポーツ万能という設定のマルグレーテまでこっちなのは、ゲーム的な数値によるものだろう。序盤は〔体力〕が低いからね。
出来ない子組は、まず走る・飛ぶ・投げるといった基礎中の基礎から始められた。女子たちはほとんどが貴族のお嬢様なので、このくらいのことができなかったりするのである。小中学校の体育の授業を思い出すね。私は走ることくらいはできるのだが、投げるのが駄目だった。いわゆる女投げになってしまうのだ。
「そうじゃねーよ、こうだ!」
と、ラウル先生が直々に投げ方の指導をしてくれる。
「腕で投げるんじゃねーよ、腰で投げるんだよ。こうやって回転させてだな……」
教え方が顔に似合わず細かかった。この人が24歳でなく42歳だったら、(やだ……)って頬を赤らめるイベントが発生したかもしれないのに。
「でも、ラウル先生、ボールを投げるって騎士に関係あるんですか?」
「馬鹿野郎、関係あるに決まってるだろ」
体育会系らしい根拠レスなお言葉だった。ゲームで何かを投げるようなシーンってあったかなあ……。攻撃は全部剣だし、なんだろう……
「あーら、エリアさん、こんなゴムボールも投げられないの?」
マルグレーテがエリアに声をかけていた。おっ、これは親切なツンデレイベントの発生か!
「こう投げるのよ、わたくしの華麗なフォームをごらんなさい」
マルグレーテが野球選手のような見事なフォームでボールを投じる。ただし、リリースポイントを完全に間違えたようで、ボールは明後日の方向に飛んでいきラウル先生の頭を直撃する。
「こっちじゃねーぞ! 向こうに投げるんだよ!」
ラウル先生は怒鳴るがマルグレーテはまったく気にしてはいない。
「はい、こうですか!?」
バラバラのフォームからボールを投げるエリア。当然、ボールはまったく関係ない方向に飛び、ラウル先生の頭を直撃した。
「向こうだ、向こう!」
うーむこれは天丼ですか? 私もラウル先生の頭部にぶち当てることを要求されている? まあ、可哀想だからそんなことやらないけど……と思いつつボールを投げると、案の定、すっぽ抜けて明後日の方向に飛んでいってしまい――これ以上は言えませぬ。
さてさて、体育の授業でけっこう〔スタミナ〕を使ってしまったぞ。授業後に確認すると、〔体力〕は34から35に上がっていたが、〔スタミナ〕は93から73に大きくダウン。授業に出ただけでこれか。うーむ、今後の計画に支障が出るかもしれないな。
ついでに、ステータスの見られるキャラが増えていた。
ステータス
マルグレーテ・ラ・オーツ
レベル 1
HP 10/10
SP 12/12
スタミナ 71
体力 30
知力 30
剣術レベル 1
魔術レベル 1
信仰レベル 1
スキル スターダスト・ストライク LV.1
ここで注目するべきはスキルである。金髪専用スキルなどと揶揄される〈スターダスト・ストライク〉を、ゲームと同じく、彼女は最初から所有していた。これは星属性攻撃、他のゲームでいうところの全属性攻撃である。すなわち、どんな敵に対してでも高いダメージを与えられる万能技なのだ。ぶっちゃけ、「最初から最後まで、もうこれだけでいいんじゃね?」というくらい使い勝手がいい。
マルグレーテのステータスが見られるということは、冒険に付いてきてくれるということだろう(ゲームではそうなのだ)。だったら、この全属性攻撃をたっぷりと活用してもらおうじゃないか。
放課後、制服に着替えず、体操服のまましばらく休んだ私は、屋内練兵場――体育館へと向かう。ここには筋トレ用のジムがあるのだ。
「うーん、設備が貧弱だな」
私はその狭い一室を見てがっかりする。置かれているのは、ベンチ、バーベル、ダンベル、懸垂用の鉄棒くらいのものであった。せいぜい中学高校の部活動程度の設備である。スポーツジムにあるようなマシンがないのだ。
現在、部屋は空っぽで私以外にだれもいなかった。この学園では筋トレが軽視されているのかもしれない――どうりで細いキャラばかりのはずだ。
「軽くやっていくか……」
私は準備体操のあと、一番軽いダンベルを手に取り、トレーニングを始める。と言っても、トレーナーさんがいないので、簡単なダンベル体操のようなものであるが。
一通りメニューを消化して、仕上げに腹筋と背筋を多めにやっているところで、ジムに来客があった。
「ゲッ、またおまえかよ」
「あら、関心ね。トレーニングなんて」
金髪くんと眼鏡くんである。どうせなら、女のほうの金髪ちゃんが来たら、手取り足取り教えてあげたのに。
「これはこれはリリー様。殿下はリリー様に筋肉を付けろと言われて、素直に筋肉を付けにきたのです」
「そんなんじゃねーよ! 最初から来るつもりだったんだ!」
「殿下は小さいことを気になさってますからね。筋肉が小さいことを」
「小さい小さい言うな! わざとらしいんだよ、おまえ!」
二人はゲームでもよく見られたようなやりとりをしていた。眼鏡くんは従者のくせに金髪くんをいじめ抜くのだ。
「あなたたち、筋トレは普段からしているの?」
「――いや、してねーけど」
「ふん、じゃあ基本からね。ベンチプレス、スクワット、デッドリフトをバーンとやりましょう」
「なに……?」
「ほら、ベンチ座って、早く!」
と、戸惑う金髪くんをむりやりベンチに座らせる。
「わっ、さわるな」
ちょっと肩を押しただけなのに、なぜか金髪くんは恥ずかしがっていた。乙女かこいつは。むしろ勝手に婦女子にさわるほうのキャラだろうに。
それにしても……
「ずいぶん細い腕ね。枝みたい」
「ほっとけ!」
これはあれだ、乙女ゲームや少女漫画に出てくる男性キャラってやけに設定上の体重が軽かったりするでしょ? 身長180センチで体重60キロだったりさ。その実例がこちらになります。そりゃあ腕も細くなるだろう。これを丸太のようなぶっとい腕にまで育てたいものだが……。うーん、無理かな?
「はい、ベンチに寝そべって。男の子だし、とりあえず三十キログラムからね」
私がやらせようとしているのは、おそらく筋トレで一番有名なベンチプレスだった。仰向けに寝転がってバーベルを持ち上げるあれだ。主に大胸筋を鍛える効果がある。
「バーベル落としたら、首直撃するから、補助してね」
「ええ、了解しました」
と、金髪くんの頭の方に立った眼鏡くんはうなずく。わざと落とすなよ、危険だからね。
「手はもうちょっと広げて……それだと手首が折れる。はい、そう、ゆっくり持ち上げて――」
「へっ、こんなの軽いな」
「黙って! 息を止めて持ち上げる! 限界まで繰り返して!」
最初は簡単そうに上げていた金髪くんであったが、10回を超えたあたりから顔色が変わり、結局、15回が限界であった。だいたい10~12回が目安なので、もうちょっと重いバーベル使ってもいいかな。
「ほら、次はスクワット! 早く立って!」
「――生き生きしていますね、リリー様」
眼鏡くんは少々驚いているようだった。
「何者なんだ、おまえ……」
ふらふらと立ち上がった金髪くんは私のことをにらむ。
私? 私は――
「筋肉を趣味にするものよ!」
二人にそう宣言した。