第52話 竜を祀る地
中は緑だった。
地面や建物は茶色なのだが、水場に草や椰子のような木が生えているのだ。これがオアシス都市か。砂漠でも水さえあれば植物が見られる。
遺跡内は狭いので迷うことはなさそうだった。
建物の天井が崩れたのか、あちこちに太い柱だけが残されている。
石畳の上に石材が散乱しているので歩きにくい。
「こ、これはいったいどういうことでしょう?」
フィーン先生が素っ頓狂な声を上げた。
石の柱の一本にレリーフが刻まれている。
それは女神。おそらくエルシスだろう――露出度でだいたいわかる。奇妙なのは、身体に蛇が巻きついていることだった。はっきり言って、淫猥でエロティックな光景である。どんなプレイだ、これは。昔のエロ同人誌か?
「なぜ、竜の時代の遺跡に女神が!?」
「さあ……」
そういえば、この遺跡はドラゴンの遺跡であると同時に、エルシスの影があちこちに残されているのだった――たとえば入手アイテムとかね。そうなった理由は不明だが、たぶん、ストーリーの都合じゃないかな。
「この蛇はなんでしょう。いったいなにを表現しているのでしょうか」
「先生、蛇です!」
「そうなんです、蛇なんですけど……」
違う。そんな話じゃない。
太い柱の上から本物の蛇が下りてきたのだ。
「こっちにもいる!」
セナくんが叫んだ。
いったい何体いやがる。
それは……〈スネーク・オブ・ガーデン〉なのか!?
「キュキュッ」
蛇がしゃべった。人間から聞くとまったく意味のなさない言葉である。そのはずなのだが……
「くっ」
フィーン先生が頭を抑える。
これは〈ささやき〉か!
〈スネーク・オブ・ガーデン〉の特殊攻撃、洗脳だ!
これを食らうと、パーティーの仲間が敵になってしまうのだ。
「〈乙女の祈り〉準備!」
私は聖水を取り出しながら叫ぶ。
幸いにして、フィーン先生は〈ささやき〉に耐え、蛇への反撃を行う。
しかし、不幸にも〈スネーク・オブ・ガーデン〉は4匹もいた。
エリア、金髪くん、ヨハンくんが洗脳状態!
うわあ、3人とも目からハイライトが消えている。なんか私のことむっちゃにらんでるんだけど、なんなの!? 日頃の恨み的なやつ!?
「目を覚ませ!」
とりあえず、私は火力の一番高い金髪くんに【聖水】を投げつけた。
「なんだ……?」
白い光の粒子を浴びた金髪くんが目を覚ます。
しかし、すぐ近くにいたエリアが襲いかかってくる! その怒りに満ちた目つき……こっちを先に状態異常回復すればよかった! 【聖水】どこだっけ!?
「ぐぼっ!?」
思いっきり顔面を殴られた。この味は……鼻血か。
そこにマルグレーテが〈乙女の祈り〉。
「あれっ?」
とエリアが目を覚ます。ヨハンくんも隣のアレクサンドが状態異常回復させた。その隙にアレン王子やラウル先生が〈スネーク・オブ・ガーデン〉を斬りふせ、残り2体とする。
蛇は再び〈ささやき〉攻撃に訴えた。
対象はセナくんと……私か!
セナくんが洗脳され、次の瞬間、マリスさんが〈乙女の祈り〉で状態異常回復。これは上手い、敵の特殊攻撃を先読みして、すぐに回復できるように待ち構えていたのだ。
さて、私のほうは――
『おまえのまわりはすべて敵だ』
そんな言葉が私の脳裏に響く。
『だれもがおまえを馬鹿にしている』『その女はおまえを殴った』
そう――私は馬鹿にされている。エリアは私のことを殴った。
『憎いだろう』『おまえの敵だ』『殺せ』『殺せ』『全員殺せ』
「おまえが死ね」
私は蛇の頭を〈シャドウ・スラッシュ〉でかち割った。
その手の攻撃が私に効くはずもなかった。だって、世界中のみんなが私を敬愛しているって知ってるもの。マルグレーテは私の嫁だし、マリスさんもここしばらく事実婚状態。エリアはもはや私がいないと生きていけない。気に入らないことがあっても、気に入らない相手をすぐその場で殴ることにしているので(アレン王子とか金髪くんとか)ストレスが溜まることもない。フッ、馬鹿な蛇め、狙う相手を間違えたな。
もう一匹の〈スネーク・オブ・ガーデン〉もズタズタに切り裂かれ、すぐ戦闘は終わった。回復役がたくさんいるから、状態異常攻撃にもこのパーティーは強いようだ。
「ふう、被害がなくてよかったわね」
マルグレーテが安堵の表情を浮かべる。
「いや、私、殴られたから……」
「どうしたんです? リリーさん、鼻血出てますよ。変なことでも考えたんですか?」
「あんたに殴られたのよ!」
「ふひゃっ!? 私がリリーさんを殴るわけないじゃないですか。いつも我慢してるのに」
「いつも殴りたかったの!?」
「そういえば、なぜか気分がすっきりしてるんですけど、どうしたんでしょうね」
お、おかしい。世界中から愛されてるはずだったのに……
「いったいどういうことなのよ!?」
「うわあ、リリーがまだ蛇の術にかかってるぞ!」
「暴れるんじゃない!」
「とめろ!」
と、大捕物になる。
ちなみに――いまのエリアの話は単なる冗談で、実のところ、剣で斬りかかりそうになる衝動を愛の力で抑えて、ダメージがないように素手で殴るにとどめたということらしい。
……本当なんだろうね!?
神殿は都市の中央にあった。
逆ピラミッド、あるいはすり鉢状のスタジアムのような階段を下りた先である。何百年、何千年前に封じられた扉がそこにある。
「ほい、開けて」
ラーくんをかざすと、重そうな石の扉がずずずっと開いた。中は優しい光に包まれた通路となっている。エネルギー源どうなってるんだよ、ここ。
「ラウル先生が先頭ね。セナくん補佐してあげて」
「了解」
「罠だらけだからね!」
ラウル先生とセナくんは壁に張り付き、地面に這いつくばった。なにかあったときのためアレン王子とマルグレーテがそばに控える。一応〈罠発見〉スキルを持ってる私も色々と調べるのだが、レベル1ではたいした協力はできない。
他のメンバーは遺跡の外で退屈そうにしていた。フィーン先生だけ興奮して色んなところを見て回っている。これ、後列からの奇襲を受けたら死ぬよね……。
「通路の先まで見た。でかい罠がひとつあるな」
しばらくしてラウル先生が報告する。
「どういうもの?」
「たぶん、遺跡全体が水に沈む」
そうなったらイベント終了である。
「通路の床全体がたわむような構造になっていてな。二人以上通ると、スイッチが入ってドボンだ」
「じゃあ一人ずつ通れば問題なし?」
「そうすると奥にいるゴーレムと一人で戦うハメになるな」
中ボス格の〈ストーン・ドラゴン〉か。なんて陰険なダンジョンなんでしょう。
ゲームでは罠を発見したら、それだけで解除状態になって、先に進むことができた。〈ストーン・ドラゴン〉とは集団で戦った記憶がある。
「どうにかならないの?」
「床全体が動くからなあ……」
ラウル先生は腕を組んで首をかしげる。
「橋を作ろうぜ」
と、言ったのはセナくんだった。
「外にあるがれきを土台にして椰子の木を渡せば橋になるはず」
ナイスアイディアであった。
というわけでみんなで土木作業開始!
まず椰子の木を魔術スキルで伐採する。余計な枝も落とす。それから神殿内に運ぶわけである。石材のがれきも椰子の木も重かったが、十人以上いるから人力でどうにかなる。
たわむ床の手前あたりにがれきをセット。そこから椰子の木の橋を向こう側まで渡す。これで進めるようになった。
「じゃあ、〈ストーン・ドラゴン〉について説明するわよ」
「それがあのゴーレムの名前か」
奥に竜型の彫像が置いてあって、近づくと急に襲いかかってくるのである。
「〈ストーン・ドラゴン〉の特徴は、1ターン3回攻撃。〈炎のブレス〉を吐いてくることもある」
「ターンってなんですの?」
「ああ、このダンジョンで魔術攻撃は禁止ね。というか使えないから」
「は? 使えない?」
「吸い取られるのよ」
言い忘れていたが、魔術攻撃を行うと「魔力を吸い取られ、何も起きなかった」というようなメッセージが出るのだ。設定上、そのエネルギーは一番奥に行くのだろう。
「だから〈強打〉で直接殴って」
〈強打〉はSPの消費0で通常攻撃をパワーアップするという優秀なアクティブ・スキルである。であるのだが……。はっきり言って、このスキルが使われることはない。なぜなら、ゲームにおいてSPを節約して通常攻撃を行うといった場面がほとんどないからだ。
それでも序盤では役に立つスキルかもしれないが、〈強打〉を獲得できるのは、剣術レベルが5になった段階――そろそろ序盤が終わって中盤にさしかかるころなので、結局のところ、SPを使い切ったときくらいしか〈強打〉の出番はない。ゲームにおいては典型的な死にスキルであろう。
このダンジョンで魔術が使えないのは、もしかしたら〈強打〉を活かすためのギミックなのかもしれない。ちなみに私はこのスキル、役に立つんじゃないかと疑っている。とくにゲーム終盤にね。
「通路は狭いし、橋の向こうに立てるのは三人が限度。だから、殿下、両先生が行って。通常攻撃ね」
「つまり、そのまま剣で殴ればいいというわけだね」
「そのうしろ。橋の上に、マルグレーテ、マリスさん、エリア。それぞれ、殿下、ラウル先生、フィーン先生の専属になって毎ターンHP回復」
「だからターンがわかりませんわ!」
「余計なことしないでよ、とにかく回復専念だからね」
「よくわかりませんが、癒しの奇跡を使えばいいんですね?」
六人パーティーで前衛三人攻撃、後衛三人回復というようなシステムである。ゲームでは回復役が少ないからやったことのない特殊編成だ。
「マルグレーテ、これをかぶって。三人でこの影になって」
それは私が砂漠を行くあいだ羽織っていたイカす黒いマントだ。
「なんですの?」
「炎系のダメージを大幅にカットする〈ウォーター・スクリーン〉よ」
〈ファイア・ドレイク〉の寝室から失敬してきたマジックアイテムである。普段は避暑と格好つけにしか使ってないが、ゲーム的にはそういう効果があるのだ。たぶん、〈ファイア・ドレイク〉を討つべくやってきた勇者の持ち物だったんだろうなあ。
まとめると、戦術はこうである。レベルが高く、攻撃力の高い大人三人が、〈ストーン・ドラゴン〉を物理で殴る。後ろの女子三人は毎ターン〈女神の癒し〉でHP回復。〈ストーン・ドラゴン〉の〈炎のブレス〉による全体攻撃は、後列のみ〈ウォーター・スクリーン〉で防ぐ。前列へのダメージは毎ターン回復するから問題ない。ほら、完璧なプランでしょ?
「ほい、行ってらっしゃい」
アレン王子を先頭にパーティーが突撃を駆ける。私は遺跡の入り口すぐあたりで待つ。すぐに奥から金属音や悲鳴が聞こえてくる。
「やああああ! 落ちますううううう!」
絶対落ちるなよ、エリア! このイベント失敗に終わっちゃうから! ロープで縛っておくべきだったかな。私は肩をすくめる。
「――あたしたちは役立たずってワケ?」
と、暇そうに話し掛けてきたのはアレクサンドだった。
「アレクサンドはこっちに残った唯一の回復役なんだからね」
後方から敵に奇襲されたら彼女……もとい彼に活躍してもらわないとならない。ちなみに制服についた鼻血の染み抜きを可能にしたのも、彼の特殊技能である。
「こんなことなら楽器持ってくればよかったかな」
と、つぶやいたのはヨハンくんだ。絶対壊すからやめておきなさい。
なお、セナくん、金髪くん、眼鏡くんは、階段の上のほうで周囲警戒中。レインくんは椰子の木の橋が転げないようにがっちり支えている。
「リリーとの冒険っていつもこうよネ」
「なにが?」
「ああ、絶対変になるね」
「なにが変なのよ」
「なにもかもヨ」
「意味が分からない」
「まあ、こういうのもたまにはいいかもね」
吹き出すようにヨハンくんが言った。
「こんな珍しいところまで来られたしネ」
私の冒険はそんな扱いか!
憎い……普段まっとうな冒険をしているプリムが憎い。クルーザーで王子や教官たちと遺跡に乗りつけて13人で冒険するのはそんなにおかしいだろうか。
「終わったみたいネ」
奥の方から聞こえてくる金属音がやんだ。
「扉が開いたぞ!」
ラウル先生の声だった。ほんじゃ、先に進みますか。
すぐ行き止まりに突き当たった。
その狭い部屋で目立つものといえば、小さい井戸のようなプールだけである。
これはアドベンチャーゲーム的なギミックですね。裸になったラウル先生がプールに潜ってしばらく経つと、部屋正面の隠し扉が開いた。先生がどこか奥のスイッチを押したのだろう。扉の中に進むと、裸のラウル先生が隅の方で震えているという新たなギミックはあったものの、どんどん神殿を進んでいく。
最深部は広大な空間になっていた。それはそうであろう。だって部屋の主は巨大なドラゴンなんだから。
中央の祭壇のようなところでドラゴンが眠っている。ちなみに彼氏の名前は〈神祖竜〉である。
「やれやれ、やっとたどり着いたね」
聞いたことのない声だった。
いったい何者か。
振り返ると、ラーくんが可愛い人間の少年になっていた。