第50話 ニューゲーム
王都の真ん中にそれは突然現れた。
「おおっ、見ろ!」
「すごい……!」
市民たちが集まったのは橋の上。
欄干から身を乗り出して、川を指さす。
真っ白でほっそりとした船体が微速で進んでいく。
船尾にはためく旗を見れば、だれであってもその船のオーナーがわかったことだろう。
〈チェスの真珠号〉。
ヴェルリア王家所有の大型クルーザーだ。
「王子がいる!」
「殿下の親征だ!」
市民の注目を集めるのは、オープン式のデッキで操舵手を務めるアレン王子。
軽く手を振ると大きく歓声が上がる。
「おお、黒髪の女性がいるぞ!」
「あれが我が王国の花嫁か!」
船が橋をくぐる瞬間。そんな声が聞こえた。
それはおそらく私のことに違いない。
私がいるのは、クルーザーの舳先だった。
「エリア、マルグレーテこっち来て! タイタニックごっこやるわよ!」
「タイタニックってなんですの?」
マルグレーテはいぶかしげな目をしている。
「私の世界に存在した超大型豪華客船よ。処女航海で氷山にぶつかって沈んだの」
「船旅なのに、不吉なことを言わないで!」
「私の世界では、船に乗ると両手を広げて氷山の真似をして鎮魂を表現するのよ」
あれ、タイタニックごっこってそんなんだっけ? そういや、レオナルド・ディカプリオもいい感じに前髪が後退してきたよね!
「ほら、私がタイタニック役やるから、エリアは氷山役ね! ……エリア?」
私が呼びかけたもののエリアはなにも答えなかった。
船上で呆然としている。
「どうしたの……?」
「な、なんでです?」
「……?」
「なんで私はこんなお船の上にいるんですかー!?」
エリアが絶叫した。
なぜと問われても――むろん、理由はあるわけである。
■
国王たちに〈大進軍〉のことを話した翌日から、物事はめまぐるしく動き出した。
両陛下は私の言うことを信じてくれたようで、即座に「第五次防衛計画」というものが策定された。これはつまり、やってくるモンスターと戦うために、人と資金を用意するというものだ。城壁を作り、武器を作り、兵士を訓練する。ちなみにこれら実務を担当するのは、国王の弟で金髪くんの父親にあたるロラン・ヴェルリア国務大臣とのことだった。
一方のアレン王子は冒険の用意を進めた。〈大進軍〉が事実と確認するためには、王国の東、旧ゼー帝国の奥深くに入らねばならない。その上で王家が用意したのが豪華クルーザー〈チェスの真珠号〉である。これで人員を丸ごと運ぼうというのだ。
遠征メンバーは、アレン王子、ラウル先生、フィーン先生の三人。それに私とマルグレーテとマリスさん。プリムチームからアレクサンドとヨハンくん。加えて、金髪くんと、冒険から帰ってきたばかりのエリア、レインくん、セナくん、眼鏡くんだった。合計13人である。
最後の4人は冒険から帰ったばかりでへろへろだったのだが、顔を合わせるなりクルーザーに蹴り込んだ。
心配する必要はない。実のところ、この船には、船内とは思えないほど豪華な寝室がいくつもあってゆっくり休むことができるのだ。ちなみに食事を作ってくれるコックさんと、面倒を見てくれるメイドさんも何人かいるぞ! さすが「動く宮殿」「船上の迎賓館」と呼ばれるだけはある(ちなみに船名の「チェス」はボードゲームのチェスではなく、学園の前にある湖の名前。普段はそっちのほうに停泊してるのだとか)。
午後に出港したクルーザーはプロの船員さんたちの手で川を進んでいく。聞いた話によると、この船は相当なスピードを出すことが出来るそうなのだが、川は蛇行した部分が多いのでゆっくりと慎重に進む予定だという。
その日のうちに〈エバーグリーン大草原〉に到着した船は、遠足の時に使った簡易桟橋に停泊する。ここでいったん夜を明かし、翌朝再び出航。
冒険二日目。しばらく進んだころである。私はクルーザーのデッキに立ち、周囲の風景を眺めていた。ちなみにBGMはヨハンくんの奏でるバイオリンソナタだ。月末のコンクールに向けて練習中です。
バイオリンのもの悲しい音色が風にかき消されていく。私の髪が流れる。川の左右はほぼ平原であった。色は緑と茶の混合物。なにもないので遠くがよく見える。このあたりにモンスターはいるのであろうか。いるとしてもそう数は多くないであろう。〈大進軍〉はおそらくもっと北の山と森から来る。遙か遠くに見える稜線がそれだろうか。帝国の背骨こと、ゼーガイメルソル大山脈だ。
やがて川の両岸に建物が見えた。それは……朽ち果てた村のようだ。かつてここで人が暮らしていた名残。雨が少なく乾燥しているから、年月を経てもかすかな痕跡が残されているのだろう。かつてのゼー帝国の西半分は現在のエリスランド王国、そして東半分はもう誰も住んでいない土地である。ヨハンくんの奏でるバイオリンがまるでレクイエムのように感じられた。
「リリーさん」
昼前に目をこすりながらエリアが起きてきた。昨夜の早いうちに床につき、十二時間以上寝ていたようだ。彼女は〈疲労回復〉も持っていることだし、〔スタミナ〕はそれなりに回復しているだろう。
おっと……このパーティーの参加者は13名と言ったが、重要な一人を忘れていたね。彼女が小脇に抱えているミニミニドラゴン、ラーくんである。
「それで、これはなんなんです?」
エリアの質問。
「私の記憶が確かなら、リリーさんが王子様の花嫁とか言われてませんでしたっけ? ハネムーンですか?」
「それは夢よ。忘れなさい」
いまだ噂が残ってるようだが、全国家的に忘れて欲しい。
「そうなんですか? でも、リリーさんのことだから、その気もないのにいつのまにか結婚式をあげることになったりするんじゃないですか?」
エリアにシナリオの先読みされた! そ、そんな展開ありえないよね? でも、結婚式にグリー様が乱入して私を連れ去るというのは素敵かもしれない。今すぐ追加シナリオ導入して!
「それで、この船はどこに向かってるんです?」
「目的地はラーくんが教えてくれるわ」
私はミニミニドラゴンを手に取る。エリアはいつも頭の上に載せてたりするけど、これ重いよな……。だってまるごと生き物だし。
「ラ、ラーくんは単なるぬいぐるみですよ……」
と、エリアは目をそらした。
「まだその設定続けてるの?」
「せ、設定じゃありません、ぬいぐるみです!」
もし、ドラゴンだと周囲に気づかれたら、ラーくんと離ればなれになったり、もっとひどいことになるとエリアは信じているのだった。もはやそれどころじゃないイベントがこれから起きるんだけどね。
「――どうしましたの?」
騒ぎを聞きつけてやってきたのはマルグレーテだった。
「ラーくんのことなんだけど……」
「そのぬいぐるみがなにか?」
えっ、マルグレーテはエリアの言い訳を信じてるの!?
「そうなんです、ぬいぐるみです! ドラゴンじゃありません!」
「ぬいぐるみですわね?」
ずぶっ! とマルグレーテの手刀が私の脇腹に突き刺さった!
「ぐぼぉ」
「ぬいぐるみですわね、リリーさん?」
「は、はひ、ぬいぐるみです……」
どうやら空気を読めということらしかった。さすがマルグレーテだ。常に親友エリアのことを考えており、私のダメージなどどうでもいい。
「そ、それでなんの話でしたっけ?」
なんて今さら言われても、頭からすっ飛んでいってしまっている。そうそう、メインストーリーで発生するイベントの話だった。
「これからエリアは夢を見ることになるわ」
「夢ですか?」
具体的には秋以降。〈エバーグリーン大草原〉を踏破し、その次の中級マップをクリアしたらイベントが発生する。
「その夢でエリアは謎の声を聞くの。〈エバーグリーン大草原〉のさらに向こうにある神殿に行けって。エリアはラーくんと一緒に出かけることになる」
「いまその神殿に向かっているというわけね」
というわけであった。
「なんなんでしょうね、その謎の声は」
「そういえば、なんなんだろう……」
夢についての説明はとくになかった。たぶんエルシスのお告げかなにかだと思うんだけど……
「ぼくだよ」
ラーくんが小さな声でつぶやいた。
「おまえかよ!」
それならそれで問題はないわけだが、
「いましゃべったよ! ぬいぐるみがしゃべりましたよ!?」
確実に聞こえたでしょ!?
「ボクダヨ」
「ボクダヨ」
二人が口まねをする。
「いや、あんたたちじゃないでしょ!」
真似が微妙に上手いのがうざい。
ヨハンくんのバイオリンが喜劇的な曲に変わる。
「そのBGMやめて!」
これコントじゃないからね! リリーさんのキャラも崩れまくりだ! もうとにかくやめて!
クルーザーは半日ひた走り、夕方前、目的地の近くにたどり着く。
船上でもう一泊して翌日。
朝の早いうちに私たちは上陸した。
岸辺に近づくと座礁する恐れがあるということで、上陸にはボートを使ったのだが、下りるときに一騒動あったのは忘れようじゃないか。五人も手をさしのべてくれたのになんであんなことになるんだ。防水ブーツでよかった。
「さて、ここからどうするのかな、黒髪の君」
「さあ?」
「――――――――」
だれにも突っ込んでもらえなかった。面倒臭いからおまえが突っ込めよ的な譲り合いの精神に満ちあふれている。リリーさんは負けない。
「ここから道案内をしてくれるのは、ラーくんよ」
ちなみに停船する場所を小声で指示したのも彼だ。
「ん、なんだ、それドラゴンじゃねーか!?」
と、金髪くんはいまさらラーくんの存在に気づいたようだった。
「違います! これはぬいぐるみです!」
「小さいけど、どう見てもドラゴンだろ!? なんでそんなもんがいるんだ! どういうこ……ぐぼぉ」
金髪くんが真横にすっ飛んでいった。マルグレーテのドロップキックが見事に決まったのである。
「それで、そのぬいぐるみがどうしたのかな、黒髪の君」
空気が読めるからか、あるいは暴力による恐怖支配の影響か、アレン王子はそんな風に質問を発した。ちなみに常識人のセナくんは諸々の流れにドン引きである。
「ほら、どっちに行くのよ」
私はラーくんをこづく。ぷるぷると震えているミニミニドラゴン。みなの視線が集中する。
「ところで、みなさん、忘れ物はありませんこと?」
「そうだね、確認しないと」
一同が不自然に背中を向ける。そうしないものには制裁が下され、地面を見ることになるようだ。
「あ、あっち……」
ラーくんの腕がわずかに持ち上がり、水平線の向こうを指さす。
「なんとなく向こうに行きたい気分になったから、者ども行くわよ!」
「おーっ!」
とりあえず、指針は決まった。
さて、パーティーは13人(プラス一匹)である。
フォーメーションを組む必要があるだろう。
どう編成したらいいかな。