第35話 神々の黄昏(ラグナロク)
夏休みの予定なし。
それどころか家なし。
翌朝、目を覚ました私はすぐに厳しい現実を思い出す。冒険ができないことについては、確かに私が悪いかもしれない。予定を自分の都合と思い込みで立てて、準備も確認もしていなかったからだ。
でも――だからといって、寮まで閉鎖することはないじゃないか。私には明日からいるところがない。着の身着のままで寮から追い出されるのだ。本当にどうすればいいというのか。
あまりの仕打ちにだんだん腹が立ってきた。
「おはようございます、リリーさ……ふひゃっ!?」
廊下でいつものように朝の挨拶をしてきたエリアが仰天して後ずさりする。どうやら、私がにらんでいるのが怖かったらしい。エリアはこんな可愛い顔をして私を裏切ったのである。私よりも実家への帰省を選んだ女――
「あ、待ってください!」
無視して食堂を向かうと、エリアはついてくる。私は歩くスピードを早める。
「リリーさん、どうしたの?」
「怖いんだけど……」
「怒ってるみたい」
食堂である。周囲の候補生たちは私を遠巻きにしてひそひそと声を交わしあっていた。混んでいるというのに、私の横の席に座ろうとする者すらいない。まるでバリアを張ったかのように、私の周囲には不自然な空間ができている。
「怒るのも当然だろう。みんな実家に帰るって言うんだから」
それはセナくんの言葉だった。その通り。みんな冒険につきあってくれない薄情者だから私は怒ってるのだ。
「リリーは帰りたくても帰れないんだぞ」
「そうですね。リリーさんの実家までは遠いでしょうからね」
「国までの往復で夏休みつぶれるんじゃないのか?」
えっ、そんな話だったの!? ヨーロッパから東アジアまで船旅で帰るとかそういう扱いですか!?
違う違う、そんなことで怒ってるんじゃない! 確かに地球の実家に帰れないという問題は存在するのだが、夏休みはこっちの世界で満喫したかったんだよ!
「そうだったの……冒険に行きたくてわがまま言ってるんじゃないかったのね!」
いや、マルグレーテさん、その通りです!
「待て、リリーの祖国は滅んだと聞いた」
「亡国の姫だったのか――」
「だから、昨日、私は姫じゃないとか言ってたんだな」
なんか私の設定増えてる! 普段は外に出さないけど実は可哀想なキャラみたいな扱いしないで!
「それじゃ帰れるわけないよね」
「帰る国すらないんだもんな」
「怒るのも当然だな……」
勘違いされたまま謎のストーリーが進展していた。
「この馬鹿! リリーさんがそんなことくらいで怒るわけないでしょ」
と、テーブルを叩いて立ち上がったのはプリムだった。その通り、プリム言ってやって!
「リリーさんは騎士候補生たちがのんきにバカンス取るような危機意識のなさに怒ってるのよ!」
なんか意識の高い人扱いされてる!?
違います! とにかく冒険がしたいだけです! 夏休み専用ダンジョンで一儲けしたいだけです!
「おい、だれかリリーさんの機嫌を取ってこいよ」
「おまえ行けよ。リリーのお気に入りだろ」
「えっ!? 私ですか!?」
押し出された生け贄はエリアであった。
「あ……あの、リ、リリーさん、ここいいですか?」
と、話しかけてくる。だが、無視だ。私は怒っているのである。
「うわーん、やっぱりダメですー!」
「落ち着いて! 私が行ってきますわ」
そうしていると、マルグレーテまで来た! なんなんだよ、こいつらは! いたたまれなくなった私は食堂を出る。そのとき、立ちふさがった金髪くんを跳ね飛ばしたようが、それはどうでもいいことだった。さっさと寮の自室に戻ろう。
「ううっ、リリーさんが怒りを静めてくれますように」
「女神様、どうかお助けください」
エリアとマルグレーテがとうとう神頼みを始めたのが後ろから聞こえた。さすがにそんなことで私をどうこうできるわけが――
急に初夏のさわやかな陽射しがかげった。
「…………?」
見上げると、空がスクリーンのような濃い紺色となっている。そこから白く淡い光と共に莫大なエネルギーが降ってくるのを感じる。
突然の怪現象。なんだろうこれは。なにかの魔法のエフェクト? いや……私はこれを知っている。ゲームで見たことがある。
大空に浮かび上がるのは――二十代半ばくらいの女性の巨大な姿だった。
『ちょっと、アンタ!』
その髪の長い女性が私を指さした。この声は――
「って、エルシス!?」
女神であった。
――女神様降臨しちゃった!?
こんなところでしちゃった!?
まだ早いから! 女神降臨イベントは最終決戦でだから! 序盤の一年目夏休みで出てくるもんじゃないから!
『なんで、アンタ神殿来ないのよ!』
「って、そんなこと言うために出てきたの!?」
それくらいでわざわざ来るんじゃない。
母親が突然アパートに押しかけてきた一人暮らしの娘のような気分を強制的に味わう羽目になった。
『なんか、祈ってた子たちがいたから、ついでに出てきたのよ』
「ついでに来るようなものじゃないでしょ! さっさと帰って!」
『ひどくない? そっちが来ないからこっちから来たのに』
ちなみに、このあいだの騎士トーナメント以降、神殿には行ってなかった。私は回復キャラじゃないから、信仰レベル上げる必要ないんだよね。
「神様がこんなカジュアルに降臨しちゃったらまずいでしょ!」
候補生たちが食堂の外に出て空を見上げてるぞ。こんな威厳のない神様を見たら、みんなショックを受けるんじゃないだろうか。
『あー、それは大丈夫だって。アタシたちは人によって見え方が違うからね。アンタにはどう見えてるの?』
二十代後半くらいの独身OLが休日にコスプレしてはっちゃけてるように見えた。これは私の中のエルシスのイメージなんだろうか? 子供をばかすか産んでるわりにはずいぶんと若いけど。
『他の連中には厳かに見えるだろうし、私たちの会話の内容もよくわからんでしょ』
「そ、そんなもんなんだ……」
『で、アンタ、なにをやらかしたのよ』
「なにが?」
『みんな祈ってたわよ。アンタがなんかして怒っててどうたらこうたらって。聖地じゃないのにこっちにガンガン聞こえるくらい』
「みんな、私のことを放っておいて実家に帰省するっていうのよ」
『そっちは夏休みでしょ。アンタも帰ったら? ああそうか、ユリカは異世界から来たんだっけ』
女神は私の本名を呼んだ。
「そういえば、私について調べてるって話はどうなったの? 調査委員会を作るとかなんとか」
『ああ、有志でプロジェクトチーム作ってね。……時空の神にクロナスってやつがいるんだけど、アンタについて調べても一切なんもわかんないから時空の神やめるって言ってた』
「全力でさじを投げられた!」
『でも、アイツにわからないってことは、〈ゲオ・システム〉絡みなんじゃないかな』
「なにそのシステム?」
『世界の事象の根幹となっている法則みたいなもの。アタシたちじゃ〈システム〉そのものはいじれないから、調べるにしても時間がかかるね』
「ああ、つまり私には帰れる場所もないし、行くところもないってわけね」
私はふてくされる。
『なによ。行くところがないなら、うち来れば?』
「あんたのところって……あの世か!」
気軽に自殺薦めるんじゃない。
『違う違う。神殿に来いってこと。巫女になれば、三食昼寝付きよ』
「それはちょっと」
聖職者として清貧な日々を過ごすのは、できたら避けたいものであった。
『だったら、だれか帰省する人についていけば?』
「うーん……」
エリアの田舎に一緒に行くのは可能であろう。しかし、あの村ってなにもなくて死ぬほど退屈そうだ。眼鏡くんの実家も同上。畑仕事とかやらされるかもしれない。
セナくんは……どういう家なんだろう。ついていったりしたら激しく誤解されそうだな。「息子が学園から嫁を連れて帰ってきた!」なんてね。そういうイベントは乙女ゲームでやってほしい。
『それが嫌ならあきらめるしかないね』
「あきらめるって……」
『だってどうしようもないことでしょう? 悩んでも意味なし!』
じゃあまた神殿に来なさいよ、と言い残してエルシスは消えてしまった。
それが結論かよ!
ゆっくりと夏の高くて青い空が戻ってくる。神様まで出てきたのに、問題がまったくなにも解決しないという驚きの展開である。
「愛の女神が帰ったのか……」
「リリーさん、ずっと女神と対話してたぞ」
「まさか、リリーさんが神まで呼び出すなんて……」
「さすがに姫も怒りを静めただろう……」
思いっきり注目の的になっていた。騎士候補生どころか教官や騎士たちまで来てるぞ。神が降臨して、人類と対話するなんて、そりゃファンタジックなイベントだよな。話の中身に関しては、以上の通りなんだけど。
「あ、あの……リリーさん」
おずおずとした顔ででエリアが声をかけてくる。
「この私を見捨てた裏切り者!」
「ふひゃっ! 全然、怒りが収まってません!」
「神様まで来たのになぜなの!?」
私は逃げるエリアとマルグレーテを追い回す。本当に役に立たないよね、あの女。
■
午前中に終業式的なものが行われた。
これが終わったら夏休みである。明日には寮も閉まる。一部の候補生たちは今日の午後にも実家に帰るつもりのようだ。
式典には、アレン王子もグリー様も出席しなかった。教官たちだけでこぢんまりと行われる。フィーン先生とラウル先生が目に入った瞬間、私は彼らを忘れていたことに気づく。
……そうだ、この二人がいた!
式典が終わるのを待って、私は両先生のところにダッシュする。
「先生、夏休み暇ですよね!? 実家が王都だから帰省もしませんよね!?」
「なんだ、リリー、いきなり」
面倒臭そうに振り向いたのはラウル先生である。
「ラウル先生は一緒にバカンスに行く女性もいませんよね!?」
「ほっとけ!」
「なら、冒険に行きましょう!」
「いいですね」
フィーン先生がにっこり笑った。おおっ、のっけから脈ありだ! これでなにか変なオチさえなければ……!
「そういえば、おまえ、前も冒険どうこう言ってたなあ……」
「〈北の大氷原〉、〈ピックレー火山〉、〈ケストラルの水上都市〉に行きましょう!」
「〈水上都市〉ですね。攻略プランは練ってあるんです」
フィーン先生の眼鏡が光る。これは本気で乗り気だぞ! というか最初から行く気だったな!
「待て。行くにしても、あそこは危険だ。おまえにそれだけの腕があるのか?」
「騎士競技大会の結果をお忘れ?」
「……そうだったな」
先に行われたトーナメントの決勝(非公式)で私は勝利している。現状、一年生で最強のキャラクターは私であろう。〈ケストラルの水上都市〉に行くには少しレベルが足りないかもしれないが、それも考慮して計画を立てている。
「7月中に〈大氷原〉で腕試しして、〈火山〉でアイテム回収。8月に〈水上都市〉に挑戦するプランなんです」
「それだと少し、スケジュールが足りませんね」
「えっ、そうですか?」
「我々が冒険に行けるとしたら8月からですよ?」
「えーっ!?」
「おまえ、教官が夏休みで暇だと思ってるだろ。片付けないとならない事務仕事もあるし、研修・講習も山ほどあるし、騎士団のほうの訓練もある。王都での儀式もある。休みが取れるのは8月だけだ」
なんだそれ! いや、ゲーム通りか! 冒険は8月からと決まってるのか!
「我々教官の予定がどうなるかわかりません。スケジュールについてはまた話し合いましょう」
「わ、わかりました」
フィーン先生とラウル先生は教務棟のほうに戻っていった。ともかくとして、8月に冒険に行くという仮の約束を取り付けることができた。フィーン先生が遺跡馬鹿で良かった。大丈夫だよね? やっぱり中止とかにならないよね?
あとは暇な7月中の予定と宿だけどうにかすればいいだろうか。まあ……どうにかなるだろう、たぶん。
翌日の早朝。
私の部屋をノックする音があった。
「朝っぱらからだれよ……」
と、ドアを開けると、そこにいたのは、はたしてエリアである。
私服姿で旅行カバンを持ち、頭にミニミニドラゴンのラーくんを載せている。
「それでは、私は実家に戻りますので」
「行けば……?」
私は眠いしまだ怒ってるので投げやりな返答である。
「リリーさんも一緒に来ませんか?」
「……行くわけないでしょ」
この会話は昨晩もした。エリアが一緒に帰省しろなどというのである。どれだけ暇であろうと、何もない村に行くのは遠慮したい――なにしろ、実家までの交通手段が汽車だからね。電気自動車がある世界で蒸気機関かよ。どれだけ田舎なんだ。
「わかりました」
エリアは旅行カバンを下ろした。
ん……? その目がやけに決意に満ちているぞ?
「夏休みは帰省するのやめて、リリーさんと一緒にいます! 冒険でもなんでも行きます!」
と、主人公のように宣言するのである。
「いや、帰省しないとダメでしょ……畑もあるし、おじさんおばさんもあんたの顔を見たいだろうし」
それが世間の常識というものであった。
「どっちなんですか!? 残れって言ったじゃないですか!」
「ほら、行きなさい。汽車の時間に間に合わないわよ」
うるさいエリアを寮の外に出して、一緒に帰省するレインくんにバトンタッチした。まだ眠いから部屋に戻って寝よ。