第34話 夏だ! 海だ! 冒険だ!
「マルグレーテ! マルグレーテ!」
寮の廊下である。私はとある部屋のドアを叩いていた。
「もう……なんですの?」
顔を出したのは、マルグレーテであった。季節はもう夏ということもあり、妙に露出の多い部屋着に着替えている。私はその両肩をつかんで、部屋の中に押し込む。
「聞いて、大変なの!」
「何事なの……?」
「エリアが実家に帰るって!」
「あなたたち……夫婦でしたの?」
マルグレーテはベッドに腰掛けると、優雅に足を組んだ。生足である。生足ぺろぺろなんてふざけている余裕はいまの私にはない。
「違うの! エリアが夏休みに帰省するって!」
私はへたりこんで、マルグレーテの足にほとんどすがりつく。私の嫁は彼女しかいない。
「それは夏休みなのだから、当然でしょう」
「帰省しちゃうから、夏休み、冒険行けないの! あんな何もない村なのに!」
「……仕方のないことではなくて?」
「私と故郷のどっちが大事なのかって聞いたら、そんなの比べるものじゃないって!」
「そりゃそうね」
マルグレーテはなぜか投げやりになっているようだった。
「どうしよう、エリアがいないと、パーティーの戦力が、ガタ落ち……」
エリアのいないパーティーなんて考えられない。回復役が消えるんだぞ!
「つまり、リリーさんは夏休みに冒険に行くつもりなのね?」
「そう、夏休みにしか行けないダンジョンに!」
「あきらめたら?」
と、マルグレーテはブロンドの見事なロングヘアを軽く整える。
あきらめられるわけがない。
「――リリーさんのお国では、長期休暇中に帰省したり、バカンスを取る習慣はないの?」
「あるけど……」
現実を元にしてゲーム世界が作られているので。
「夏休みはみんな帰省するか遊びに行ってしまうわよ?」
「マジで?」
「私も冒険には参加できそうにないわよ?」
「はああああああああああ!?」
私は声をひっくり返した
「な、なんで!? マルグレーテの実家は王都でしょ!? 三十分で帰省できるでしょ!?」
「これでも貴族ですから。溜まった公務を片付けないといけないの」
面倒臭そうに横になって肘を突くマルグレーテ。あまり貴族には見えない姿勢であった。
「冒険に行くような暇はないわよ?」
「――ちょっと、セナくん!」
食堂で私が捕まえたのは、夕食をとりに来たセナくんだった。
「あなたまで実家に帰るなんて言わないわよね!」
「は?」
私の剣幕にセナくんは目を白黒させた。前後の脈絡なく、突然、そんなことを言っても意味不明だったらしい。しかし、彼は理解力が高い。
「あー、えーと、それは夏休み中にってことか? そりゃ帰省するけど……」
「するの!?」
「するけど……」
「私との冒険はどうなるのよ!?」
私は両腕でセナくんの肩を揺さぶる。
「い、いや、冒険に行く約束なんてしてないだろ。なんでおまえは先に言わないんだ!? ……どっちにしろ、夏休み中は無理だけどな」
「――レインくんは!?」
私はセナくんと一緒に来ていたレインくんに目を向ける。
「俺は帰省しない」
それを聞いて、私の胸に期待がこみ上げる。
「なぜなら、俺にはもう帰る家がないから」
――重ッ!
そうか、この子はもう親も家族もいなかったね。
「……あなたは、エリアと一緒に村に帰りなさい。あそこが第二の故郷みたいなもんでしょ」
「いいのか……?」
「歓迎されるから大丈夫よ」
ゲームでもエリアと一緒に帰ってる設定になってるしね(その上で特にイベントは起きないが)。そうだ、ゲームでもエリアは帰省することになってるんだ! 私は重要なことを思い出す。
ゲームにおいて、エリスランド学園の夏期休暇は、7月の第2週から9月の第2週までの2ヶ月間である。このあたり、日本の大学の夏休みとよく似ている。
夏休みの間、主人公は冒険に行くことができるのだが……それは8月の一ヶ月間のみ。7月中は実家に帰省し、オートでカレンダーが飛んでしまうのだ。
なんでこんなスケジュール・システムになってるのかというと、おそらくはゲームバランスの都合だろう。7月中にまで授業や冒険を入れると、エリアがあっという間に強くなってしまうだろうからね。だから調整として、7月の約3週間は削られたんじゃなかろうか。
それにプラスして、あまりプレイ時間が長いと、間延びしてだれるという事情もあるかもしれない。かつて、似たようなタイプの学園シミュレーションゲームをプレイしたことがあるのだが、一年が長くて途中で飽きた記憶がある。
「なんだ、黒髪、おまえ夏休みの予定がないのか?」
「リリー様は、帰省なさらないのですか?」
騒いでいたら、食堂にやってきた金髪くんと眼鏡くんに絡まれた。またこいつらか。
「俺様は多島海にバカンスに行くんだが、おまえも来るか?」
「眼鏡くんは狭い我が家に帰るの?」
「狭くありません! 敷地だけは広いんです! ともかく、帰りますよ、私がいないと家の用事が片付かないので」
「妹さんにお土産買っておくから持って帰りなさい」
「なんで、リリー様が妹のことを気にしてくださるんです!?」
「ゲームで色々世話になったのよ」
眼鏡くんの妹のココアちゃんは、『乙女の聖騎士2』の親友キャラであり、ゲームに関する情報を提供してくれる便利ガールなのだ。日頃の感謝を込めて、ぜひともお礼の品を贈りたいのだ。
「俺様を無視するな!」
金髪くんの突っ込みはスリーテンポほど遅れていた。
「あなたは王族なんだから、実家で公務でもしてなさい」
「終わったら行くんだ、終わったら。多島海でバカンスだぞ? 海だぞ? 行きたくないのか?」
「海は日焼けするからちょっと」
紫外線は女の敵です。プールにはいつも入ってるしね。
ともかく、いつものメンバーは全滅であった。冒険に行けるやつらがいない。
それなら……と、私は食堂内でプリムを探す。
いたぞ。あの野郎、私の気も知らないで、のんきに仲間内で飯なんか食ってやがるぞ。
「プリム! 夏休み、暇よね!」
「ふぇっ!?」
私が後ろから肩に手を回すと、プリムは驚いたようだった。
「な、なんで私が暇なこと前提なの!? これでも忙しいんですけど!」
「海水浴でも行くの?」
「仕事よ! 親の手伝い! 今年はノースノルドのセラニまで行かないと」
「ノースノルド?」
エリスランドの北にある国であった。
「こいつの家、商売やってるんですよ」
と、幼なじみ系男子のシューくんが横から補足情報を入れる。
「何屋さん?」
「貿易業よ」
「こいつ、業界最大手のクリスフォルド商会の跡取り娘なんですよ」
「プリム、お金持ちのお嬢様だったの!?」
以前から貴族階級出身でないとは聞いていたのである。だから、庶民仲間だと思ってたのに――騙された!
「やけに足が太いと思ったらお金持のお嬢様だったなんて……」
「それは関係ない! リリーさんなんか、東国のお姫様でしょ! 広大な領地と良質な金山をいくつも持ってるとか……」
「どこから出たのそんな話! そもそも私は姫でもなんでもないから!」
サラリーマン家庭の出身である。娘を私立大学に行かせる程度には裕福なのかもしれないが。
「なんだ、リリーって貧乏人だったのか? うちに嫁に来れば贅沢ができるぞ」
なんて軽口を叩いたのは、赤毛の大男、リオンくんである。イラっと来た私は空になった皿を投げる。はい、がつんと顔面直撃。
「夏休み、暇な人はいないの!?」
「ごめんネ、アタシ、実家のお店手伝わないとならないの」
オネエのアレクサンドが謝る。彼(彼女?)の実家ってなにやってるんだろう。やはり男性の店主が「ママ」と呼ばれるような店なのかな……?
「だれか、時間ある人いないの!? 夏休み、リリーさんと冒険行ける人!」
私は自ら手を上げ、食堂全体に呼びかけた。
シーン……。
答えはゼロである――だれもいないのかよ!
あまりのショックに私はよろめいた。これでは冒険に行けないではないか……!
「リリーさんが倒れた!」
「なんでリリーさん、あんな冒険好きなの!?」
なんでって冒険してレベルアップするのがこのゲームの根幹でしょ! 『乙女の聖騎士』が好き過ぎて、ゲームの中にまで来てしまった人間に対してなんて言いぐさだ!
「や、やっぱり、夏休みはみんな家に帰るんですよ……」
唐突に現れ、私の顔を覗き込んだエリアは息を切らせていた。どうやら、私を追いかけてきたようだ。
「い、いや、まだ希望はある……!」
私はなんとか身体を起こし、テーブルの上に落ちていたシュウマイをむしゃむしゃ食べる。
「それあたしの!」
そんなことにかまっている暇はない。走り出す。
「ドーター! って人少なっ!」
私が飛び込んだのは、冒険者の酒場だった。いつもむさ苦しい冒険者たちで溢れているはずの店は、なぜかがらがらだった。
「ああ、みんな実家に帰る時期だからな」
名無しの店主は肩をすくめる。
「なんで冒険者まで帰省するのよ!」
「そりゃ、夏は暑くて冒険どころじゃないからなあ……」
「夏にこそ行けるところもあるでしょ!」
「ああ。やる気のある連中はもう出発したか、予約済みだぜ」
……しまった、出遅れたってことか! 想像外の事態である。まさか、冒険者まで出払ってるなんて。
「――どうしたんだ、姉御?」
ドーターはいつもの隅の方の席にいた。彼女は数少ない店に残っていた組であるらしい。
「よかった、いたのね! あなたまで帰省するなんて言わないわよね!?」
「帰省? もうオレに帰る家なんかないよ……」
ドーターは目をそらす。しまった、こっちも重かった!
「なら、夏の間、一緒に冒険行けるわね?」
「それは無理だよ、姉御。オレたちは墓参り行かないと……」
「ホホーイ」
トントンとガリがビールを持ち上げる。
「墓参り?」
「ああ……、死んだ数が多いからな。墓がエリスランドのあちこちにあるんだ……」
ドーターは目を伏せながら言った。
……だからいったいなにがあったのよ!
「じゃあ……雇える冒険者はいないってこと?」
「ちと遅かったな、騎士さんよ」
店主が首を振る。
もうダメだ……
これで騎士候補生とプロの冒険者が全滅。つまり私は夏休みの間、冒険に行けないということだ。
私は空いていた席にへたり込む。
いや、それどころではない。
冒険に行けないとなると……私には丸々予定がないのだ!
夏休みにやるべきこともやりたいこともない。現実世界では、夏休みはこれ幸いとバイトしてゲームして漫画読むのだが、この世界では不可能である。
理解できなかった。わけがわからなかった。夏休みの2ヶ月間いったいなにをして過ごせというのか。
「やってられるか! オヤジ、酒持ってこい!」
「だから候補生には出せないって言ってるだろ!」
「ったく、なんだってんだよ……コノヤロー、バカヤロー!」
一時間後、飲んでもないのにほとんど千鳥足でくだを巻きながら、私は女子寮へと戻ってくる。抱えている酒瓶は、よく見ると単なる小道具で、空っぽのペットボトルである。
「おう、帰ったぞ!」
「お帰りなさい」
と、腕組みで迎えてくれたのは、午前様の亭主におかんむりの巨乳妻でなく、マルグレーテだ。
「リリーさん、気づいてないみたいだから言っておくけど」
「あによ」
「寮は明後日に閉寮して、夏休みの間、だれも入れないからね」
――なんですと!?