第31話 不祥事
今朝の目覚めはやけに爽快であった。
「うーん」
ベッドの上で大きく伸びをする。
良い朝だった。
心も体もすっきりしている。痛めた左手の指もすっかり回復したようだ。今日もいい一日になりそうである。
おっとっと、それどころではなかった。すぐに着替えた私はエリアの部屋に行く。
「……今日はお休みだから大丈夫だよ」
ノックしようとすると、小さな声が部屋の中から聞こえた。どうやらエリアはもう起きてるらしい。マルグレーテとでも話してるんだろうか。
「エリア?」
「うひゃあ、リリーさん!?」
エリアが驚いて振り返る。どうやら彼女はミニミニドラゴンのラーくんと話しているところのようだった。まずいところを見られたという顔をしている――ラーくんがドラゴンで意思疎通できるということは秘密にする設定だからね。
「お、おはようございます、リリーさん!」
「おはようエリア、ラーくんもおはよう」
私はぬいぐるみのふりをしているミニミニドラゴンをつつく。ごまかすならもっとうまくごまかしてほしい。
「それより、エリア、調子は大丈夫なの?」
「はい、おかげさまですっかり」
私はエリアの頬や額をぺたぺたと触る。少なくとも熱があるかとそういうことはなさそうだ。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
ラーくんに聞くと、彼はぬいぐるみのふりをしたまま小さくうなずく。エリアの体調のことなら、私やマルグレーテよりも、いつも一緒に寝起きしてるラーくんのほうがよく知ってるだろう。だが、大丈夫と言われても安心はできない。
「この先、最低でも一週間は安静だからね。運動厳禁。授業も座学だけにしなさい」
「でも、なんともありませんよ?」
「脳のダメージは怖いの! 絶対安静!」
「わ、わかりました」
その後、エリアと連れだって食堂に向かう(ちなみにマルグレーテは朝遅いのでいつも別行動)。一年生は今日(水曜日)から日曜日まで休みであった。
「あっ……」
寮の玄関あたりで女子学生に目をそらされる。
「うわっ、リリーさんだ……」
などと、陰口らしきことまで言われる。さらには小走りに逃げていく者さえいた。
「いったい、どうしたのかしらね?」
「リリーさん……、昨日、私が気絶してるあいだになにをしたんです?」
なぜか、エリアは私が何らかの事件を起こした人物であるかのような言い方をした。
「ちょっと記憶にないわね……。それより、エリア。昨日、あなたがなんであんなことになったのか、私のほうが知りたいんだけど」
「聞いてないんですか?」
聞いていた。
話は――準決勝第一試合で私がプリムを下した直後、会場を飛び出したところにまでさかのぼる。私の様子がおかしいことに気づいたエリアは、次の試合があるというのに、マルグレーテと一緒に私を探しまわったのだという。見てください、この直球いい子っぷり。
しかし、リリーさんが見つからないので、エリアは仕方なく大会会場に戻った。本来なら失格になってもおかしくないほどの遅刻をしたわけだが、どうしたことかレフリーであるアレン王子が負傷の治療処置を受けていたため、どうにか試合開始に間に合ったらしい。
準決勝第二試合は、エリアと金髪くんの戦いだった。はっきり言って、回復力のあるエリアが圧倒的に有利で、負けるはずなんてないのだが、なんと結果は金髪くんの勝利だったという。
聞いた話では、〈スターダスト・ストライク〉ラッシュに耐えきれず、膝を屈したそうなんだけど……それくらいで負けるとは思えない。思うに、相手の火力を測りきれず、HP回復のタイミングを誤ったんじゃなかろうか。さもなくば、運悪くクリティカルを受けたのか。
重大で言語道断な事件が起きたのは、この敗退の瞬間である。卑劣にも金髪くんがとどめとばかりに剣でエリアを殴り倒し昏倒させたのだ!
――というようなことは一切なく、金髪くんがとどめの〈スターダスト・ストライク〉を放ったとき、エリアは振り上げた自分の剣を勢い余って眉間に当ててしまったのだ。結果、脳震盪を起こし、バタンキュー。彼女らしいセルフ・スタン攻撃だった。
慌てて救護班を呼んだアレン王子だったが……そこに現れたのが神殿から戻ってきたリリーさんだったというシナリオ展開である。それから何かあったらしいのだが、エリアは目を回していたため、よくおぼえてないそうだ。
……それにしても脳震盪である! 脳震盪って目に見えないから軽視されることが多いのだ!
「脳震盪から回復していない間に二度目の脳震盪を起こすと重度の障害が残るのよ! 運動は絶対だめだからね!」
「そ、それはわかったんですけど……私がぐるぐるになってるあいだになにがあったんです? 大会の決勝はどうなったんです? なんか結果を見られないんですよね」
エリアはスマートフォン代わりの学生証をいじっている。
「ん……風の噂によると決勝は中止になったそうよ」
「えっ、なんでですか!? まさか私のせいじゃ……」
「違う違う、ちょっとね、モンスターが乱入してうやむやになったのよ」
「さすがにそれはないでしょう」
本当にモンスターが大暴れしたのだ。冥翳の騎士という名の闇のモノがな……
エリアから目をそらしていると、食堂の手前あたりで知り合いを発見する。
「おっ、リリーじゃねぇか」
明るく手を上げるその赤毛男子。準々決勝で私と当たったリオンくんである。獅子の名前通り、ライオンみたいな外見・雰囲気の子だ。一年生の中では一番身体ががっしりしてるのではないだろうか。
「おまえ、魔術の腕は立つが、昨日のパンチはなんだあれ。腰が入ってないぜ。こうだろ、こう」
リオンくんはボクサーのように軽くジャブを打つ。そんなこと言われてもこっちは〈殴る〉スキルなんて持ってないんだから仕方ないじゃないか。
「あんな殴り方じゃ、指を痛めるぜ」
「それが本当に痛めたのよ。頬骨に当たって左手の薬指あたりが腫れ上がってね」
「本当か、見せてみろ」
リオンくんは勝手に人の手を取る。こら、変なイベント発生させるな。本当に心配しているようだから、不快感ゼロだけどね。
「なんともないようだが?」
「治ったのよ」
「治るの早すぎだろ」
「そういう体質なの」
「問題ないってんなら、週末、一緒に冒険行こうぜ!」
リオンくんは屈託のない笑顔で私を誘う。
「エリアが脳震盪で絶対安静だから絶対行かない」
「えっ!? リリーさん、私のことは気にしないで行ってください!」
「エリア抜きなら行かないわよ」
「ん……そういうことならしょうがないな。行く時は誘ってくれよ。絶対だぞ」
リオンくんは軽く手を振ると、残念そうに食堂へと入っていく。
「リリーさん、本当に私のことなんていいんですよ」
「よくないわよ。今回は一ヶ月も離ればなれだったからね。エリアのことはもう絶対手放さない」
「愛が重いんですが……、そもそも、毎日、一緒にご飯食べたり授業受けたりしてましたよね? 一緒に王都にも行きましたよね? それより、リリーさん、指を痛めたんですか? 決勝で怪我したんですか?」
「さあ、どうだったかしら……」
私が食堂に入ると、近くにいる人たちが目をそらしたり、愛想笑いを浮かべたりする。不自然かつ奇妙な雰囲気であった。
「あっ、リリーさん!」
近くの席にいた女子が、食事中というのに大声を上げて立ち上がる。
このマナーの悪い子は……プリムではないか。両隣には、幼なじみ(推定)のシューくんとオネエのアレクサンドがいる。彼女は常に仲間に囲まれているのだな。
「リリーさん、大丈夫だったの!?」
「なにがかしら?」
「処分とか……なかった?」
そういうものはなかった。
突然の乱入で、金髪くんがボコボコにされたあと――大会本部のほうで話し合いがもたれ、今大会の一年生部門は決勝なし、優勝者なしという決定が下されたらしい。
本来なら公然の暴力行為により乱入した一年生女子は失格、金髪くんの不戦勝ということになるはずなのだが、どう見ても乱入者のほうが強いよねと判断され、優勝の栄誉としょぼい賞品が金髪くんに回されることはなかったのである。
ちなみに乱入者に対するペナルティも「大会失格処分」以外は特になかった。騎士同士の戦闘という競技の性質上、多少の暴力行為は見逃されてしまうのだという。
「リリーさん、昨日の準決勝の動画を見つけたんですがこれなんです? 遠いからわからないんですが……なにをしてるんです?」
「さあ……なにかしらね」
私は遠く未来を見つめる。過去を振り返ってもいいことはない。
食堂の隅のほうで朝食をいただく。今朝のメニューは、鶏肉とジャガイモのトマトチーズ煮だ。食べ始めてすぐであった。
「――あら」
気がついた私は顔を上げる。
うげっと顔を歪めた男子。こいつは金髪くんじゃないか。
昨日、私がぶん殴った相手だ。
■
あのとき。
試合会場で、地面に倒れているエリアを見たあのとき――
「エリアになにすんのよ!」
私は……
演じるのを忘れた素の百合佳は飛び出した。
「えっ」
突然の乱入に驚いたのは金髪くんであった。興味ないので気づかなかったが、どうやら彼は準決勝まで進出して、エリアとの対戦となっていたらしい。
だがそんなことはどうでもよかった。私のエリアを傷つけるなんて、誰であろうと絶対に許さない。
思いっきり顔面をぶん殴る。
「ぐぼっ!?」
油断していたところに一発だ。金髪くんは背中から地面に倒れた。
そこに追い打ち! 私は馬乗りになり、ワンツーのパンチを決めた。
「黒髪の君、なにを!?」
と、止めに入ったのはレフリーのアレン王子であった。
「リリーさん、およしになって!」
さらにマルグレーテが乱入し……アレン王子に飛び膝蹴りを浴びせる。ナイス! これで邪魔者がいなくなった。
「てめぇ、黒髪、なにをする!」
と、騒ぐ金髪くんに右! 左!
騒然となる場内。公然たる暴力行為が続く。
もはや、闇の戦士となった私に怖いものなど何もなかった……。
■
休日ということもあって、今日は食堂にゆっくり来る一年生が多いようだった。マルグレーテもまだ来てはいない(早くしないと食べ尽くされるぞ)。
金髪くんも遅く来たほうの組である。いつものように眼鏡くんをお供につれて、座る場所を探していたところのようだ。
「ど、どなたでしたっけ?」
私は全力で顔をそらす。
「知らないわけないだろ!」
「鼻のところ赤くなってるけど、どうしたの?」
「おまえが殴ったんだろうが!」
「リリーさんそんなことしたんですか!?」
エリアが驚きの声を上げる。
「ちょっと、記憶にないわね……」
「おまえが、急に殴りかかってきたんだ!」
「あーあー、聞こえなーい」
まったく記憶になかった。
金髪くんがエリアになにかしたと勘違いして、ボコボコにしたなんてことは。そんなことしてない。ついでに「リリーに意識を乗っ取られる!」などと勘違いしたこともなかった。なかったことにしたい、全部。
「さすがリリー様。ごまかし方が適当ですね」
朝から眼鏡くんは感心している。
「なんなんだよ、おまえは!」
「大声出すとまわりが迷惑するから、そこ座ったら?」
「おまえのせいだよ!」
金髪くんはガチャンとトレーをテーブルに叩きつけるように座る。
「謝るから……昨日のことは忘れて」
「忘れられるか!」
「エリアが倒れてるのを見て、思わずカッとなったのよ」
防具のない顔を集中的に狙うくらいには冷静だったなんてとても言えない。
「――こんなやつに謝る必要なんかなくってよ」
そこで急に話に割り込んできたのはマルグレーテである。遅まきながらやっと食堂に来たようだ。
「私ならどんなに私が悪くても絶対に謝らない」
「ふざけんな!」
「試合後にぼけっとして殴られるほうが悪いのよ」
と、マルグレーテは金髪くんを馬鹿にする。ブロンドシリーズ同士、仲の悪い奴らであった。でも、私に殴られて鼻血出した金髪くんに〈女神の癒し〉したのもマルグレーテだったりするんだよね。きれいに治った後で、一発ぶん殴ったのもマルグレーテだったりするわけだが。まだそのときの跡が鼻に残っている。
「申し訳ありません、リリー様。殿下は心が小さいので、謝罪を受け入れることができないのです」
「それを言うなら心が狭いだろ、わざわざ小さい言うな! だいたい謝罪が投げやり過ぎるだろ!」
ぐうの音も出ないほどの正論であった。
「謝る気はあるんだけど、ぶっちゃけどうしたらいいのかわからないわ。人を殴ったときってどうしたらいいの?」
「開き直るんじゃない!」
「わかった。責任とって学校やめるから」
私は両手で顔を覆う。もう恥ずかしくて学校これない。このまま消えてしまいたい。
「やめるな! ……そもそも俺様は謝罪なんて求めてない」
金髪くんは私のことをじろりとにらむ。
「黒髪、俺と勝負しろ」
「は?」
「くだらないことで試合は中止になった。だが、試合という形にこだわる必要はない。俺と勝負だ。どっちが上か決める」
なるほど。決勝のやり直しということか。
「……早食い競争でいいの?」
「剣だよ! 剣で勝負だ」
「マルグレーテ、朝食なくなっちゃいそうだから早く取りに行ったほうがいいわよ」
「そうですわね」
「話をそっちにそらすな!」
「申し訳ありません、リリー様。殿下はあなたを負かしたくてしょうがないのです。どうやら勝てば、あなたが言うことを聞くと思ってるようで」
「……なにそれ、気持ち悪ッ。眼鏡くんと同じくらい気持ち悪ッ」
「まさかこっちに跳ね返ってくるとは思いませんでした……」
「勝てば言うこと聞くとか……本気で思ってるの? 子供の発想よ、それは」
「そ、そんなこと思ってねぇよ!」
思ってるような金髪くんの言い方であった……。
だが――今回は間違いなく私に非がある。
勘違いしたとはいえ、特に落ち度のない金髪くんを一方的にボコったのが私なのである。偶然エリアに勝ったという罪はあるものの、これは残念ながら刑法に問えない。だから、金髪くんが望むのなら、勝負とやらには乗らないとなるまい。
「――しょうがないわね。そこまで言うのなら、真剣勝負よ」
「ああ」
「真剣で斬り合って死んだ方の負け」
「そういう真剣勝負かよ!」
「だって、試合の形にこだわらないんでしょ?」
「そこは試合用の剣でいいんだよ!」
「――馬鹿ね、そんなの無理に決まってるでしょ」
ここで口を挟んだのはマルグレーテである。
「なんでだよ」
「試合用の剣と防具はどこから持ってくるの」
「大会で使ってるのがあるだろ」
「大会で使ってるのをどうやって持ち出すのよ。まさにいま使用中なのよ。そもそも学園が厳重に管理してる国家財産よ」
「くっ……」
完全に言い負かされる金髪くんであった。マルグレーテの言い分にはまるで隙がない。でも……やりようはあったりするんだけどね。
「それについては考えがあるわ」
「――本当か。どうするんだ?」
「あなたのお兄ちゃんのメソッドを使うのよ」
「お兄ちゃん……?」
金髪くんが変な顔をした。
そう、やり方はある。彼が大会の外で決着をつけたいというのなら。
とうとう暴力沙汰か……
というような話はさておき、仲が悪い金髪キャラ3人の人間関係について記述しておきます。
マルグレーテ:
金髪くん → うぜぇ
アレン王子 → 女にだらしない最低の男ですわ!
金髪くん:
マルグレーテ → うぜぇ
アレン王子 → 女にだらしない最低の兄ちゃんだぜ!
アレン王子:
マルグレーテ → ハハハ
金髪くん → ハハハ
金髪シリーズは上記の3人に加えて、国王(アレン王子の父)、公爵(金髪くんの父)、隠しキャラの合計6人がいると思われます。




