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第30話 私の中の影を超えて

「エルシス!」


「あら、リリー様でしたっけ?」


 神殿に飛び込むと、いつもの美少女司祭様が出迎えてくれる。彼女にかまっている余裕などいまの私にない。たとえ不作法であろうと、勝手に目を閉じてお祈りを始める。


(ちょっと、エルシス! 早く出てきて!)


『なんなのよ、もう!』


 彼女の声が聞こえた。


 愛の女神エルシス。この世界に住みたもう神の一柱である。いま私がすがりつけるだれかは本物の神である彼女しかいない。


(エルシス、話があるの!)


『わかってるわよ、どうせスキルってのがほしいんでしょ!』


(……は?)


 突然意味のわからないことを言われて、私は硬直する。


『なんでアンタはいつもそうなの! いつもは全然神殿に来ないのに、こういうときだけ連絡してくるんだから! この一ヶ月一回も来なかったじゃない!』


(どういうこと……?)


『いま、騎士の大会やってるの知ってるんですからね! どうせアンタはアタシの加護で勝つつもりなんでしょ!』


 ん……


 これはなんだろう。ひょっとして、金の無心をするときだけ実家に電話をかける娘みたいな扱いになってるのかな?


(違う、全然違う! 別にスキルがほしいわけじゃないから! もっと重要な緊急の話なの!)


『えっ……そうなの?』


(そう、私の話! 私がいなくなった話! 消えそうなの! 私がいま誰なのかもわからないの!)


『――わかった。とにかく話してみなさいよ』


 取り乱した私とは正反対に落ち着いた声だった。姉御肌を目指す女神様だけあって、エルシスはそれなりに頼もしい態度を見せる。


(思い返してみると、最初からおかしかったんだ! 最初から思ってもみないことばかり言っていた!)


『どういうこと? とにかく落ち着いて』


(考えているのとは別の言葉が口を出るの。リリーとしての台詞が……)


『勝手に言葉が出てくるの?』


(そう。こっちの世界に来たときからずっとそうなの!)


 この世界にやってきたその日から、私は私として発言することがなかった。リリーのしゃべり方でリリーとしてしゃべっていた。そもそも考えてみてほしい、「~~~だわ」「~~~かしら」なんて口調の大学生ってまずいないでしょう? 私は日本でこんな風にしゃべったことがない。母や祖母だってこんな言葉遣いはしない。


『だれかに乗っ取られてるってこと?』


(乗っ取られてるのか融合しようとしてるのか……リリーは私じゃないし、私はリリーじゃないの! こうやってしゃべってる私がどっちなのかもわからない。私が消えちゃう……)


 怖い。怖くて涙が止まらない。なんで私はこんな世界に来たんだろう。


『リリーとアンタは違うの?』


(リリーはあくまでゲームのキャラよ。私はリリーを演じているだけの別の人間、そのはずだった……)


『ふーん。なるほど。言いたいことはわかった。アンタはリリーを演じる役者みたいな存在だったはずなのに、いつのまにか役であるリリーに乗っ取られてたってことね』


(そう! だいたいそういうこと!)


『ふーん、なるほどね。そういうことか』


(私はどうすればいいの? 神様ならわかるでしょ!?)


『うん、なにもしないでいいんじゃね?』


 神様はなげやりに言った。寝っ転がってせんべいでもかじってるかのような発言だった。


(ちょ、ちょっとなによ、それ! こっちは真剣なのよ!)


『それ気のせいよ、多分。気のせい』


(なに、気のせいって、ふざけてんの!?)


 神のくせにこの態度はなんなのだ。私は恐怖でいまにも倒れてしまいそうなんだぞ!


『アンタについてはさ……けっこう業界で話題になってんのよ』


(……は?)


 業界ってなんだ。神業界か。神様たちが私について話しているのか。


『アンタのケースは珍しいってことで、専門の調査委員会を立ちあげる話も出ててさ。クロナスあたりはやる気あるみたいね』


(そ、そうなんだ……)


 私について調べるという約束は忘れられてると思っていたが、ちゃんと気にかけてもらっているようである。


『これまで何人かに見てもらったところでは、アンタはこの世界の人間じゃないって結論になってるのよね』


 うん……。それであってる。


『まあ、運命が全然違うのよね』


(運命が? どんな風に?)


『フォーマットが違うし、動き方も違う。エリアなんかはまっすぐに生きてるんだけど……アンタはふらふらしてちゃらんぽらん』


 それもまた否定できない現実であった。


『それでさ……、アンタの運命、アンタのものよ?』


(は?)


『だから、アンタの中にはアンタしかいない。だれかに乗っ取られたなんてないし、融合なんかもしてない。純粋にアンタ一人がいる』


(……え?)


『アンタの運命は「ユリカ」って子のもの。アンタの名前これであってる?』


 はい。あってます。いったいどういうことなんだろう。私には理解できない……


『ユリカの運命はユリカのもの。リリーとかいうやつはこれっぽっちも関わってない。だから……アンタの心配は全部杞憂だと思うよ』


(どういうことよ! 私の中にだれかいるのよ!?)


『気のせいでしょ』


 気のせいって! そんなはずがない! 闇と一緒に何者かが出てきたのだ。あくまで私の内側の話なのできちんと証明できないのがもどかしい。


(じゃ、じゃあさ、もし仮にそうだとして、私がリリーの台詞をしゃべっちゃうのはどういうことなのよ!?)


『それなんだけどさ。うーん……イーグル通りの鍛冶屋の旦那さんのこと知ってる?』


(は?)


 知ってるわけがなかった。いきなり世間話を始めるとかやめてもらいたい。こいつ話をごまかすつもりか? 何度も言ってるが、私は真剣なのだ。


『ほら、剣に魔力を付与する職人なんだけどさ』


(あ……、それなら知ってる)


 ゲームに出てくる鍛冶屋さんのことのようだ。この人、頭がつるつるのナイスミドルなので忘れることができないのである。


『あの旦那さんさ、実直な職人でさ、毎日仕事に精を出してさ、地道に働き続けて、奥さんとの新婚旅行にすら行かなかったような人なのよ』


(ふーん、ずいぶん生真面目な人だったのね)


『それでさ、結婚25年目ってことで、娘さんが旅行をプレゼントしたの。多島海でのバカンス』


(いい話じゃない)


 多島海アーキペラゴはこの世界の南にあるエーゲ海的なリゾート地である。


『25年遅れの新婚旅行ってことでさ。旦那さんは生まれて初めて仕事を休んで多島海に行ったんだけど……現地で逮捕されちゃったのよね』


(えっ!?)


『現地のレストランで酔っ払って大暴れ。やってきた官憲にお縄って寸法よ』


(酒乱だったの……?)


『いや、そんなんじゃなかった。でもさ……慣れない旅行で、ちょっとだけ、たがが外れちゃったのよね』


(……?)


『だからさ……リゾート地に来て、はしゃいじゃったのよ』


(あー)


 なんかわかる話だった。普段は実直な職人。しかし、普段と違う世界で、普段とは全然違うことをしてしまう。要するに……旅行でテンション上がりすぎてしまったのだ。いかにもありそうな話ですこと。


『翌日にすぐ釈放されたんだけどさ。旦那さんはしょげるわ、奥さんは泣くわで大騒ぎ。旅行をプレゼントした娘さんが自分を責めてさ。ろくなことにならなかったわ』


 最悪な旅行になってしまったが、別に誰も悪くない話である。ただ、そういうことが起きてしまったというだけだ。


(それはわかったけど……その話、私と何の関係があるの?)


『アンタはこの旦那さんとまったく一緒でしょ』


(――は?)


 私は理解できずに聞き返した。エルシスのやつは何を言ってるんだ?


『だから、普段と違う世界に来て大はしゃぎしてる。それがアンタでしょ』


(………………)


 それでもまだ私は理解できない。


『アンタは自分で考えて行動してるのよ。異世界に来て他人として行動してるから、普段の自分とは違うことができる。なにをしでかしても、ユリカじゃなくてリリーのやったこと。私は悪くない。そういうの楽しいでしょ? 日常からの解放ってやつよ』


 ――――――――――――


 となると、あれか? それが本当だとするとあれなのか?


(リリーの台詞は私が全部考えて言ってる……?)


『そうなんでしょうね。それらしい言葉がとっさに口を突いて出てるのよ』


(それじゃあ……「私の中の〈影〉が出てくる!」とかも、私が自分で考えてノリノリで言ってる……?)


『そうなんでしょ』


(そ、そんなのありえない!)


 だって……だとしたら、私は単なる痛い奴じゃないか! だって……二十歳にもなって、闇に覚醒してしまっているんだぞ!?


『アタシはアンタが言うところの「ゲーム」がよく理解できてないんだけど……リリーっていうのはゲームの登場人物なんでしょ。アンタは登場人物になりきってるのよ』


(そ、そんなはずない!)


『じゃあさ、聞くけどさ……、実はアンタの学校の「とある学生」がこんな祈りの言葉を捧げてくるのよね』


(……?)


『こんな感じよ。「神様、聞いてください。学校の友人の話です。彼女はとてもいい友人なのですが悪戯がひどいんです。暇になると私の身体に触ってきて、楽しんでいます。変な趣味があるわけじゃなくて、ただ単に私が嫌がるのが楽しいようです。いったいどうしたらやめさせることができるでしょうか」』


 これマルグレーテだ!?


『もうひとつあるわ。とある学生さんのお悩み。「神様、こんにちは。いま、お友達のことで悩んでいます。お友達のリリーさんが、マルグレーテさんという別のお友達の身体に触っているのをよく目にするんです。マルグレーテさんは嫌がってるのですが、リリーさんのほうは親愛の表現でやってるんじゃないかと思います。ここで疑問があります。私はこれまでリリーさんに触られたことがありません。いったいなぜなんでしょうか? 私はリリーさんにお友達と思われてないんでしょうか? 今度勇気を出して聞いてみるつもりですが、返答次第によっては……」』


 どうするのよ、エリア! というか、なんでラジオに届いた相談メールみたいになってるの! ちなみにエリアへの返答は、触っても面白くなさそうだからです!


『アンタって、元の世界ではこういうことしてたの?』


(で、できるわけないじゃない、こんなこと)


 現実にできる人もいるのだが、少なくとも私はそういうキャラではなかった。


『リリーっていう登場人物はするの?』


(わからないけど……)


 しそうになかった。なにしろクールな美女である。で、でも、名前の通り、百合っぽい人かもしれないし! ゲームに出てない部分でしてたかもしれないし!


『じゃあ、アンタは間違いなくアンタだね。リリーという名前で活動しているユリカ。異世界に来て思い切り弾けてるユリカ。リリーがやってることだから責任取らなくていいと思ってるユリカ』


(ち、違うって! な、なら。じゃあ、私の中の〈影〉はなんなの!? 本当にあるのよ!)


『気のせいじゃ?』


(身体の奥から闇が出てきたのよ!)


『あるとしたら、ヒト族が使ってる原始的な〈マギカ・ゲネラーレ〉絡みだろうね』


(まぎかげねらーれ?)


『アンタたちの言葉でいうところの「魔術」ってやつ。属性ってのがあるでしょ。アンタは闇属性。つまり相性の問題で、体内の魔力を闇属性に変換しやすいってだけ』


 あっ……


 あれって、魔力なんだ……


 身体の中から闇属性の魔力が出てきただけなんだ。


 そうなんだ。別に私の中から出てくるもう一人の私とかじゃないんだ。


 となると私の中にはだれもいないんだ。


 〈影〉とか最初から存在しないんだ。


 ってことは、坂城さんのところの百合佳ちゃんって、いい年して「闇に飲み込まれて私が私でなくなる!」とかやっちゃってたんだ……


 へぇ……


(…………………)


 ……………………………………


(………………………………………………………)


 あああああああああ!


 ひああああああああああああああああああああ!


 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい!


 なにもかも全部恥ずかしい!


『まあ、よくある話よ。非日常で弾けちゃうのも、勘違いしちゃうのも』


 エルシスに知られちゃってるのも恥ずかしいし、理解されてるのも恥ずかしい!


 主観的に恥ずかしいし、客観的にも恥ずかしい!


 すべてを理解した私は、矢も楯もたまらず神殿を飛び出す。街の人たちが驚いた顔で振り返る。


 なんだよ! なんだったんだよ! あれだけ怖がってたのは、なんだったんだよ!


 単なる勘違いじゃん! それも、徹底的に恥ずかしい勘違いじゃん! なにもかもが勘違いじゃん!


 なにが私の中の〈影〉だよ! ねーよ、そんなもん! どこから出てきたんだよ! いったい何に影響されてそんなこと言い出したんだよ!


 だれかに乗っ取られるなんてないよ! 最初からだれもいないよ! 全部妄想だよ! 私がリリーっぽく演じてただけだよ! 単なるゲームキャラなりきりだよ! ロールプレイだよ! 元ネタが薄いからほぼオリジナルの創作だよ! あちこちキャラ逸脱してたよ! 周囲にセクハラを繰り返す変な奴だったよ! あまりに弾けすぎてたよ!


 恥ずかしい、恥ずかしい! なにもかもが恥ずかしい!


 私はすっかり日の暮れた学園都市を走り続ける。


 と、そこで急停止。180度ターン。


 速攻で神殿に戻って、上半身だけを入り口から建物の中に入れる。


(あっ、エルシスいる? 試合でスキル使うから振り込んでおいてね)


『アンタ、やっぱりスキル目当てなんじゃない! あれほど無駄遣いしないようにって――』


(お願いね。よろ~)


 神殿の外に出る。


 さて、仕切り直しだ。


 ここで私の恥ずかしいポイントをまとめてみよう。



a)ノリノリでリリーさんを演じる


b)急に影や闇がどうとか言い出す


c)自分がリリーさんに乗っ取られてると勘違いする



 うわあああああああああああああああああああ!


 恥ずかしい、恥ずかしい、本当に恥ずかしい!


 世界に謝りたい! スーパー馬鹿でごめんなさいって謝りたい!


 もういい、私、闇の戦士になる! 己が身に暗闇の皇子プリンス・オブ・シャドウランドを宿した冥翳の騎士(シャッテンリッター)になる! これ私のオリジナルだからパクらないでね!


 私は走った。瞬く間に狭い学園都市を横断する。


 それはもうものすごい勢いだった。私、こんなに速く走ったことない。


 だから、来たときよりずっと早く大会会場に戻れた。


 そこで私は信じられないものを見る。



             ■



「えっ、なにこれ……」


 会場の中心にエリアが倒れていた。


 ぴくりとも動く気配がない。


「えっ……?」


 これはなんなんだろう。


 会場にいるんだから試合中だったんだろう。エリアは真っ赤になった防具を着けているし、近くには試合用の剣が落ちている。


 でも、なんでこうなるんだ?


 近くに立っているのは、平均的な身長の少年であった。髪型は特徴的な金髪。試合用の剣を手に、いつものようにつまらなそうな顔である。


 いったいなにをした? こいつはエリアになにをした?


 ――なにがどうしてこうなった?

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