第13話 天の怒り
「神様が怒ったんです!」
そうエリアは叫んだ。
一瞬置いて、ざわりと食堂内が波打つ。
神様が……怒っただって?
「エリア、その――神様っていうのは、愛の神エルシスのことかしら?」
「そうなんです、神殿でお祈りしてたら、急に神様の声が聞こえて怒り出したんです!」
「………………」
まあ……
確かにそうなんだろう。
神が怒るってのは、世界がひっくり返るような衝撃だよね、普通の感覚では。
でも、この世界の神って、あいつだからなあ……。はたして怖いのか? 母ちゃんが怒った程度の恐ろしさならあるかもしれないが。
「それで、エルシスはなんて言ったのかしら……」
「そう、それなんですけど、リリーさんが神殿に来ないから呼べって……」
………………。
それだけかよ!
確かに前回神殿に行ったとき、私はまた来ると彼女に約束した。そして、それから一度も神殿に行ってない。それは事実である。
でも、私が神殿に行ったのって日曜日で、今日は金曜日だぞ。まだ一週間経っていない。どれだけ、私のことが恋しいんだよ!
「私、神様の声が聞こえたのって初めてなんです。いったいどうしたら……」
見るからにおろおろしているエリア。こんなくだらないことで、可哀想過ぎる。エリアをメッセンジャー代わりに使うんじゃない!
「ああ……安心して、全然大丈夫だから。明日、私が話をつけに行くから……」
私は軽くめまいを覚えながら、エリアに約束する。
「本当ですか……?」
「別に何でもないから気にしないで……」
エリアは信じていいのか半信半疑のようだ。
「やべぇ、リリーさん、神に話つけるって……」
「神殿に殴り込む気……!?」
「あの人ならやりかねない……」
周囲でささやく声が聞こえる。またとんでもない評価をされてしまっているようだった。
神殿に殴り込むなんてさすがに言いすぎである。私は元来おとなしくて引っ込み思案な人間なのだ。今回の件も穏便に済ませようと思う。
「グラァ! エルシス出てこいや!」
翌、土曜日の午前中。
神殿にカチコむなり、私はそう叫ぶ。いつもの美少女司祭さんが私の乱入に驚いているのが見える。……私は何事もなかったかのようにベンチに腰掛け、お祈りのポーズをとる。
(ちょっと、エルシス、どうなってるのよ!?)
『あっ、やっときた。アンタ、やっと来たわね!』
愛の神ことエルシスは私の頭の中に直接声を届ける。
(エリアに変なこと言わないでよ! 怖がってたじゃない!)
『な、なに怒ってるのよ』
(私を呼びつけるくらいでエリアを使わないで! 神に直接話し掛けられてびっくりしてたんだから!)
『そ、それは……アンタが来ないのが悪いんでしょ!』
(逆ギレして私のせいにすんな! このあいだ来てから一週間も経ってないから!)
『どうせ呼ばなかったらアンタ来なかったでしょ! 一週間に一回くらいは来なさいよね!』
(そんな毎週毎週いちいち来てられないから!)
『なんでそれくらいできないの!?』
そこまで話が進んで私は気づく。
――これはひょっとしてアレか。
一人暮らしの娘に電話しろ電話しろうるさい母親。あのバリエーション。心配なのか、暇なのか知らないが、しつこくて娘が迷惑するあのパターン。はあ、と私はため息をつく。
(わかったわかった……。一週間に一回くらいは来るから……)
『絶対よ。絶対来なさいよ』
(それでいったい何の用よ)
『いや用ってほどのもんじゃないけど……』
(なら、呼ぶなよ!)
『そうそう、あれよ、あれ』
(どれよ。あ、私がなんでここに来たのかを調べてくれたの?)
『それはまだ。あれの話だってば』
あれとかそれとか言うのはおばさん臭い。
『ほら、あの子の……あれ。アンタが今言った子』
(エリア?)
『そう、それそれ』
おまえをもじった名前を忘れるな。
(あの子の母親の……なんだっけ。そこの国を作ったとかいう)
『国を作ったのはエリアの母親じゃなくて、遠い祖先のエリスでしょ』
(そうそう、エリス。あいつ、今いるのよ)
『いるってなに』
(ここにいるの。変わる?)
えっ、変わるって……
『エリスでございます』
まったく違う声の人が出た。
エリスって……
「おそらく、あなたがご存じのエリスでしょう。エリス・シューシルト=ヴェルリアと申します」
本物!?
まさか本物!? 本物の伝説来ちゃった!?
どうするんだよ、これ! エリスランドのエリスだぞ! サブタイトルの一部だぞ!? わりとその辺にいるものなのか!?
『リリーさんは、私の曾孫の同級生だそうで、いつもお世話になっております』
(はあ、どうも……)
なんか友達のお母さんと話してる気分になってきたぞ。ちなみにエリアはエリスの10代以上先の子孫だったはずなので、曾孫などではない。死人も若作りしたいもののかな?
『エリアがご迷惑をかけていませんか?』
(いえいえ、全然。いつも元気で明るい可愛い子ですよ。エリアはエリスさんを見習って、聖騎士を目指してるんです)
『聖騎士……ですか?』
(ええ、最初の聖騎士だったエリスさんにあこがれて)
『聖騎士……。聖女とか最初の女騎士と呼ばれたことはありますが、聖騎士という風に呼ばれたことはありませんね』
マジか!
『おそらく、私が死んだあとに付けられたものでは?』
うわあ……、そういうのありそう。後世の人間が勝手に創作して、それをみんなが信じちゃうの。……やべぇ! これは歴史が変わるぞ! というかゲームの設定が変わっちゃう! タイトル変わっちゃう!
『聖騎士のことはわかりませんが、エリアのことどうかよろしくお願いいたします……』
と、言って、エリスさんは電話(?)をエルシスに戻した。
『どうだった?』
(どうだったじゃないよ。知りたくないこと知っちゃったよ)
『死人と話すもんじゃないね』
(神ともね。そうだ、神様、新しいスキル寄越しなさいよ。あんたが呼びつけたんだから)
『また? スキルって言われてもわからないんだけど』
(〈聖なる光〉ちょうだい。あんたに祈ると光のオーラが出て、邪悪を滅ぼすっていう)
『ああ、だいたいどれかわかった。でも、それ、よほどあたしに近い子じゃないと邪悪を滅ぼすまでいかないよ』
(スキルレベルも信仰レベルも上げていくから問題ない)
『アンタのその言葉遣い理解できないのよね……って、あれ、アンタ何か変なことしてない? 力を授けることができないんだけど』
(あっ、それ、スキル制限だ。説明不足で悪い。私じゃなくて、エリアにあげて)
『エリアね……はい、やった』
(それから、ここの司祭さんに声かけて、売店で【聖水】とか安く買えるようにしておいて)
『まったくお祈りに来ないくせに要求だけは多い』
(よろしくー)
というわけで、電話を切る。じゃなかった、つむっていた目を開けて、立ち上がる。
『もう帰るの!?』
まだ女神の声が聞こえる。目を開けてるのに話しかけてくるな。おまえと話すことなんてたいしてないんだよ。
『話すことなくてもまた来なさいよね!』
おまえどれだけ私のことが好きなんだ。好かれるようなことしたおぼえないぞ。
さて、話は終わったことだし、買い物して帰るか。
「すいません、聖水ください」
と、いつもの美少女司祭さんに声をかける。
「あの……あなたがリリーさんですか? いま急に女神からの啓示があって、リリーさんという方に聖水を安く売れと……」
うーむ、神からの声は啓示という分類になるのか。【聖水】のディスカウント販売とか、彼女にとっては意味不明だろうから申し訳ない。
「私がリリーです。聖水をいま神殿にある分だけ全部いただけますか。あと、ポーションとエリクサーを10個ずつ」
「はい……わかりました」
売るとか買うとか言ってるけど、神殿での売買はあくまで喜捨という扱いである。
ともかく私はポーション、エリクサーと、小瓶に入った聖水を20個ばかり入手した。これだけあると重いのだが、瓶はそれぞれ小さいので、持参したバッグに上手く収まる。まだまだ買わなければいけないものは残っていた。
■
「ど、どうでした!?」
神殿から少し離れた場所でエリアが待っていた。実はエリアと一緒に神殿まで来たのだが、神の怒りが怖いからと中に入ることはなかったのである。
「別になんでもなかったから安心して」
「大丈夫……なんですか?」
「元々、エリアは関係ないし、それどころか新しいスキルまでもらってきたから」
学生証を確認すると、エリアのスキル欄に〈聖なる光〉レベル1がちゃんと記載されていた。単なる思いつきで要求したのだが、今回の冒険にぴったりのスキルだろう。ちなみにエリアの信仰レベルは3まで上がっている。これならスキルレベルのほうが1でもそれなりの効果があるはずだ。
「本当に何でもないから、そんなに怖がらないで。そうね、それじゃ、せっかくだからショッピングでもして行きましょう」
「お買い物いいですね! なにを買うんです?」
「洋服かしら」
「わあ、楽しみです!」
というわけで、そのままブティックに向かう。
「って、武器屋さんじゃないですか!?」
エリアの叫びですぐにネタバレしてしまったが――
ここは学園都市内にある武具の店、『マオン&ショーン』である。騎士や騎士見習い、冒険者たちが各種装備を揃えるためのお店だ。ゲームでは主にこの店でアイテムの売買をすることになる。
要塞のようなぶ厚い扉を押し開くと、中は武器庫のようだった。
ずらりと並ぶ剣と鎧。大半は大量生産の汎用品だが、厳重に鍵のかかったショーケースの向こうに、名品がいくつか並んでいる。
「ふーむ、【炎の魔剣】、5万クラウン……。火属性+3か」
などと、魔石で強化された剣を眺めていたところで、
「いらっしゃ~い」
アラサーくらいの格好いいお姉さんが声をかけてきた。彼女は店主のマオンさん。私やエルシスとは違うマジもののサバサバ系姉御肌である。
「二人とも学園の生徒?」
「ええ、入ったばかりの一年生です」
「じゃあ、私の後輩だ」
にんまり笑うマオンさん。彼女はエリスランド学園の卒業生であり、王国の騎士だったのだが、負傷で引退し店を開いたという設定がある。ちなみに既婚者で、旦那のショーンさんは現役の騎士だ。
「マオンさん、クロースアーマーをいただけます? 私と彼女の分でふたつ」
「クロースアーマー? あれはないよりあったほうがマシ程度の初心者向け装備だよ。メイルシャツにしたら?」
「私たちは入学したばかりの初心者だから初心者向けでいいんです。メイルシャツだと重すぎて動けなくなるでしょうから」
「ふーん、ずいぶん謙虚だね。そこまで分かってるのなら、あたしから言うことはないか。こっちよ」
マオンさんは鎧のあるところに案内してくれる。
「女性向けのクロースアーマーはこんな感じかな」
と、見せてくれたのは、裾の長いパジャマかスエットのような服だった。
これは鎧である。布製の鎧なのだ。
布なんて防具として役に立つのかと思われる方もいらっしゃるだろうが、これはこれで効果がある。と、設定資料集には書かれている。なんでも刃を通しにくい素材で織られた布なのだそうだ。これを着て、同じ素材で作られた制服を重ね着すると、マオンさんが言った通り、ないよりはあったほうがマシ程度にはなる。と、思われる。
「これがメイルシャツなんだけど、そっちでいいのね?」
次にマオンさんが見せてくれたメイルシャツはいわゆる鎖帷子である。金属の糸で編まれたメッシュのシャツだ。
手に取ってみると、ずしりと重い。クロースアーマーに比べて、値段、重量、防御力がそれぞれ三倍はある。
「やっぱり私たちには重すぎるわね」
「重量が全身にかかるから、思ったほどじゃないよ?」
「こっちはもう少し鍛えてからにします」
メイルシャツは防御力が高い反面、〔体力〕が40以上ないと装備することができない。私はぎりぎり装備できるのだが、重い金属の防具を着込んで冒険に行くのは避けたかった。
「んじゃ、これね」
何種類もあるサイズ違いのうち、私とエリアにあうものをマオンさんが見繕ってくれる。奥で試着すると身体にぴったりだった。とりあえずレジで代金の1000クラウン×2を支払う。
「これ、もらっちゃっていいんですか……?」
エリアはクロースアーマーの入ったショップバッグを抱える。
「ええ、プレゼントよ。もしもの時に使える勝負服」
「こんなどうしたらいいかわからないプレゼントは初めてです……」
せっかくお洋服を買ってあげたというのに、エリアはあまり喜んでいなかったようだ。女同士では好感度が上がらないというのか。
「本当はこういうのをあげたかったんだけどね」
私が目をやったのは大きな宝石のはまったペンダントであった。【守護の御守り】(中)。値段は1万クラウンとちょっと。これは滅び去った帝国が生産していた御守りの一種で、着用者の周囲に防御用のフィールドを張り巡らせることができるのだ。むろん、鎧と併用可能。入手できれば、大きな防御力アップとなろう。
「あとこういうのも必要ね」
店の奥には、ロープ等の冒険用品や消耗品、武具の整備用品などが置かれていた。
現在、私が持っているアイテムは、せいぜいバッグ、ブーツ程度。ナイフ、ライター、ライトなど冒険に必要なものをここで揃えておく必要があった。とくに目的地が目的地であるから、照明は複数必要であろう。
「武器も一応買わないとね」
私は棚から一本の剣を引っ張り出す。
「えっ、そんなんでいいんですか?」
エリアが当惑する。それは木刀――単なる木の棒だった。
「今回はこれで充分。いえ、これが最高なのよ」
「……そうですか」
エリアはなぜかもうそれ以上口出ししようとはしなかった。頼れる私にすべてをゆだねようとしているに違いない! というわけで、冒険用品を1セット揃える。
「――冒険に行くみたいな装備ね」
再びレジを済ませると、マオンさんが疑うように言った。冒険の件が彼女にバレると面倒なことになるかもしれないな。
「いえ……、こんなんじゃ、冒険には行けませんわ。せいぜいハイキングです」
「そういえば、さっきも一年生の男の子が来て、一式買っていったわね……」
「ず、ずいぶん気の早い子がいるものですね。一年生が冒険に出るのはまだ先なのに――」
これ以上話しているとやぶ蛇になりかねない。私は適当に挨拶すると、買った商品を持って店を出た。
「さあ、エリア、これで準備完了よ!」
「私、自信が無いんですけど……本当に冒険に行くつもりなんですか?」
エリアは私の買ってやった木刀とクロースアーマーを抱えて縮こまっている。自信どころか、冒険に行くという現実味すらないようだった。
「なに言ってるの、あなたは聖騎士を目指す騎士候補生でしょう」
「そうなんですけど……」
「いい? エリアはパーティーの主力なのよ!」
「ふひゃ!? 絶対無理です。敵と戦うなんてできません!」
どうやらエリアは自分を過小評価しているようだった。
「大丈夫。行ってみればわかるわよ」
私はエリアに微笑みかけてやる。
「――あなたがいないと、この冒険は成り立たないってね」
翌朝の朝早く。まだ夜も明けきっておらぬ時間帯に私は目を覚ます。学生証のアラームが鳴る前に起きてしまった。気分はすっきりとしていて、身体の方も快調。
カーテンを開けると、白々とした空が見える。予報の通り、今日は晴れ。絶好の冒険日和だ。
ぐーすか寝ていたエリアを叩き起こした私は、必要な準備を済ませると、クロースアーマーの上に制服といういでたちで、学園前のチェス湖に向かう。
「リリーさん、遅い!」
「言い出しっぺのくせに遅いぞー」
早めに来たつもりだったのだが、パーティーのメンバー3人――セナくん、レインくん、マルグレーテが船着き場に到着していた。
「あら、おはよう。……みんなやる気満々といったところね」
「冒険が楽しみで楽しみで、昨夜はぐっすりと眠ってしまったのよ!」
マルグレーテは寝言を言っていた。
「リリー、荷物多くないか?」
「全員分の食料と水を用意してきたのよ」
私は重いバッグをどさっと下ろす。食料と水に加えて、ポーションとエリクサーも5人分、予備として2つずつある。緊急用の携帯食だってあるぞ。このそれぞれをメンバーに分配する。お昼のお弁当だけは私が持とうか。
「いいわね、装備はみんな揃ってる?」
確認すると、セナくんはさすがに完璧だった。レインくんも意外と実用的なものを揃えている。マルグレーテは予想通りほぼ手ぶらだったので、私が用意したものを渡した。
「よいしょっと」
水と食料を分配しても私の荷物は重かった。今回のダンジョンに特化したスペシャルの用意があるからね。
「――これを」
急にレインくんがペンダントのようなものを取り出し、エリアの首にかける。
「えっ、なんですか?」
それは――守備力を高める【守護の御守り】(小)だった。お店で売っている一番安いやつだけど、レインくんめ、プレゼント攻撃とはなかなかやるじゃないか。
「???」
エリアはまったく意味がわかってないようだ。少しは好感度上げてやれと思うが、まあいい。
「それじゃあ、行きましょう。早く行かないと教官に邪魔されるかもしれないわ」
あらかじめレンタルしておいたボート(小型クルーザーのようなもの)に乗り込もうとしたときだった。
「おまえら、ちょっと待て!」
急に声をかけられて振り向く。
そこに立っていたのは――