P3の夜明け
揺らぐ視界。
浮き上がっていく気泡。
暗んだ視界の向こうに白衣を着込んだ中年女性の姿が見える。
「ペネロペ博士、同調実験成功しました」
白衣の女性――ペネロペはどこからか響いたその声に頷いた。
「はじめまして、P3。産まれたばかりで悪いけど任務だ」
シューと空気が抜けるような音とともにP3を包み込んでいた液体がその足元へと吸い込まれる。
「行動に支障はないな」
P3はペネロペの言葉に頷いた。
そして産まれて最初の一歩を刻む。
「ルーティーンは把握しているな?」
「はい」
そして産まれて初めての一言。
とは言え、P3には自身がなすべき事、その全てを理解していた。
「わたしはアルバですから」
アルバ。
ロメニア皇国に存在する軍事研究施設二六機関にて製造される26人の強化人間の名称だ。
二六機関ではマルクトとの開戦によって夜の時代となったロメニア皇国を夜明けに導くことを願い、26人の研究者たちがそれぞれの遺伝子を元にした強化人間を生産、培養していた。
非人道的なこともあり極秘裏の計画として進められた為、1人の研究者が1人の強化人間を産み出すという窮屈な条件ではあったが、"同調"と呼ばれる技術の発明によってアルバは経験の引き継ぎを可能としていた。
「P3、P2の敗因はなんだ?」
「敵が手負だったとは言え功を焦り重装甲のウリエル型を狙ったのは判断ミスでした。アブディエル型を牽制し、ウリエル型は味方に任せるべきでした」
「そうね。次は失敗しないな?」
「はい」
とは言え、完全に記憶を引き継げる訳ではない。
正確には引き継がないようにしている――というのが正しいが。
あくまでアルバに期待されているのは精度の高い戦闘マシーンであることなのだから。
「おっ、Pじゃねーか! 戻ってきたの久しぶりだな!」
静かな施設内で場違いな陽気な少年の声が響く。
「L、うるさい」
声をかけてきた少年の名はL6。
もちろん、P3と同じアルバだった。
「気が立ってんなー。死んだか?」
どこか癪に触る言い方に否定したいができない。
実際、以前の戦いで死んで、そして産まれたばかりだったかりだ。
P3が顔をしかめていると、L6の背後にあった扉が開く。
「L6――室内まで声が聞こえてる――うるさい」
「うぇっ、F3までそんなことゆーかぁ!?」
アルバは基本的に群れない。
もちろん、任務でチームを組むように命令されれば別だが。
それにも関わらず、このL型とF型はよく一緒にいることで有名だった。
「次の任務が決まっている。ほっといてもらおう」
「えー! なんでみんなそう冷たいの!」
「L6は絡みすぎ――節度、守って」
騒がしい2人組に背を向けてP3は次の任務の地へと向かう。
ロメニア皇国領フロレンツ。
その都市の防衛部隊であるロレンツォ隊への配属がP3の任務だった。
「ようこそロレンツォ隊へ! 名前は――P3、か……」
にこやかにP3を迎え入れるのはこの隊の隊長フェラーリ・ロレンツォ。
先にあったマルクト神国への一大反抗作戦「天空の檻」作戦に於いてフロレンツ奪還の功績を挙げたのがこのロレンツォだという。
だというのに――
「P3ね……でもなぁ、なんか違うんだよなぁ。P3って感じじゃないんだ」
「は?」
理解できないノリにP3は困惑する。
フロレンツを奪還し、今ではマルクトとの戦いの最前線となったこの地の防衛部隊の隊長がこんな人物とは思ってもいなかったからだ。
「女の子の名前がP3ってのは頂けないなぁ」
「わたしはアルバですから」
「その前にラガッツァだ」
正直、話にならない。
P3はそう思った。
明日にでも戦火に見舞われそうな最前線。
それだけ責任も重大な立場だと言うのにこんな態度とは。
「そうだな…………ピピ! 今日から君はピピだ。可愛らしい名前だと思わないか?」
「勝手にしてください」
「うん! それじゃあ仲間に紹介しようか! ロレンツォ隊の新メンバー、ピピちゃんを!」
P3改めピピは「はぁ」とため息をつく。
とは言え、名前など所詮は自他を識別する程度のもの。
例え名前がP3であろうとピピであろうとアルバとして産まれた以上、彼女の使命は変わらない。
戦場の夜明けとなる。
この身体が滅びてなお。
「ロレンツォ隊長。仕事はよいのですか?」
「力仕事はヤロー共に任せとけ。ピピはそうだな……街を観光するといい! この街は最高だぞ!」
「は、はぁ。隊長は?」
「俺はロムのカワイコちゃんと話があるからちょっち席を外すぜ」
「首都のカワイコちゃん、ですか?」
「そ。ワガママで大変なんだがちゃんと相手してやらねーとな」
ロレンツォはいつもそう言って装騎の中で1人、誰かと通話をしていた。
「言っても仕方ないですからねぇ。良いんですよアレで」
とはジュセッペの談。
正直、部隊としてこういうところもP3には抵抗があるところだった。
とは言え配属された以上、不満を言えるような立場ではない。
だからP3は必死にやった。
自分に今できることを。
日が経つにつれ、それは他の面々も同じだということが分かってきた。
ジュセッペは常にロレンツォ隊長とP3達部下の間を取り持つために帆走している。
ルジャーダは騎使でありながらもメカニックとしても優秀で、ネーヴェはその人の良さと活発さで、ブフェーラはその巨体とパワーで重労働には重宝していた。
過去のPシリーズが見てきた部隊の中でもこの部隊の面子は優秀だと感じる。
それだけ優秀な隊員達が全員ともあの隊長を強く慕っていることだけはP3に理解できなかったが。
「ピピには夢ってあるかい?」
とある夜。
満天の星空の下でロレンツォはP3に尋ねる。
「わたしに夢はありません」
それは考えたこともなかった概念だった。
いや、ちがう。
「産まれた時より明確な使命と存在理由のあるわたしには必要のないものです」
「夢ってのは存在理由の分からない人間が抱くものだって?」
「はい。自身の生存目的を気休め的に設定するものが夢と言うものです」
「はは、かもな」
ロレンツォの軽快な笑い声が響く。
「ピピの使命ってのはこの国を戦争に勝たせるってことかい? それとも、マルクトからこの国を守る?」
「この国の夜明けとなることです」
「夜明けって?」
「この戦いの勝利、マルクトからの守護。それは当然です。その先の未来、この国のために戦う。それがわたしの使命です」
「もし、明日にでもマルクトが攻めてきて、この国がなくなったらピピはどうするつもりだい?」
「そんなことさせない為にわたしは産まれました」
「もしもの話さ。もしもそうなったらどうする?」
「国と共に死にます」
「それじゃあ、逆にこの戦争で勝って、もう戦う必要がなくなったとしたら?」
「人の歴史は戦いの歴史です。わたしが不必要になることはありえない」
「かもな」
「ですが、もし――の話、ですよね」
「話がわかるようになってきたじゃないか」
「もし――」
P3はしばらく思案する。
もしも本当に戦う必要がなくなった世界。
戦う為に産まれた自分はどうしたらいいのかを。
考えて考えて――ふと、馬鹿馬鹿しくなってやめた。
「こんなこと考えるのは、無意味です」
「あらら」
ロレンツォは残念そうに肩をすくめる。
「なんだよ、思い浮かばなかったらパスタ屋でも開こうかって誘おうと思ったのに」
「パスタ……?」
「ピピも食べたことあるだろ? 俺のお手製パスタ。美味かったろ」
「はぁ、確かに精度の高い料理でしたが」
「そんな褒め言葉ははじめてだぜ……俺はな自分の店を持つのが夢なのさ!」
「もしかして、この一連の話題はわたしをパスタ屋に誘う為に……?」
「はっはっは。まぁなんだ、アルバだからと言って人としての生活を送らないわけでもないだろ。どうだい? 趣味にパスタ作り!」
「本当に好きなんですね……パスタ」
「当然! よし、ロレンツォ流パスタ料理の作り方、ピピに伝授しようじゃないか!」
「今からですか?」
「善は急げと言うだろう」
「善……?」
そう首を傾げながらもパスタを作ること自体に拒否感がない不思議にP3は気付いていなかった。
後になって考えると、こういうところがロレンツォが慕われる理由だったのかもしれない。
そして翌日。
「さぁ、きりきり働きたまえ!」
「隊長は働かないんですかぁー!?」
「はっはっは、ジェッポよ俺もちゃんと働いてるゾ」
「パスタの材料かき集めてるのは見たらわかります! じゃあなくて、迎撃装置の保守と点検! この少人数の部隊じゃ手が回らんですよ!」
隊員の1人であるジュセッペが悲鳴に近い声を上げる。
「俺だってロムのかわい子ちゃんと楽しいおしゃべりをする仕事があるんだ。それになにより、ピピとパスタを作る準備をしなきゃ!」
「ピピさんと、パスタですか!?」
「そうだ! ピピとパスタだ!」
その言葉を聞いたジュセッペの方が僅かに緩む。
「ったく、仕方ないですねぇ! ちゃんとピピさんに伝授してあげてくださいよ!」
「すまんなジェッポ!!」
「ルジャーダ、そういう訳で我々だけで頑張りますよ!」
「作戦成功か! さすがカピターノだな! ネーヴェとブフェーラにも伝えるかぁ!」
P3がパスタを作るという噂はみるみる内に部隊内に広がっていく。
それだけP3――いや、ピピという少女はこの部隊の関心ごとだった。
ロレンツォ隊唯一の女性でありながら、誰よりも兵器たらんとしていた彼女の人間らしさを垣間見える。
それは彼らにとって喜びだった。
「諸君よろこべ! 本部のカワイコちゃんと話がついた!」
「もしかして、新型装騎ですか!?」
「そうだジェッポ! 我が隊にユピテル型の配備が決定したぞ!」
「長い交渉でしたね……さすがは隊長です!」
目を輝かせるジュセッペに、ピピはその時はじめて気付いた。
ロレンツォの言うカワイコちゃんとは軍の本部のことだったのだと。
彼は毎日のように上層部に掛け合い、この部隊の処遇や装備の充実に働いていてくれていたのだ。
「とは言え、マルクトに新型が配備されてなかったら怪しかったかもな」
マルクト神国の新型装騎の配備とそれに伴う鎖の輪作戦による反抗を受けて、さすがの上層部も腰を上げた。
かくしてこのロレンツォ部隊にも最新の駆逐装騎ユピテルが配備されたのだった。
ユピテルはロメニアに伝わる神話の神の名を冠した装騎であり、天空の檻作戦で活躍した駆逐装騎の系譜をついだ装騎だ。
ルシリアーナ帝国製の駆逐装騎ペルーンを参考に作られた魔電霊子砲を単体で使用可能な(マルクト以外の国にとっては)高性能な騎体だった。
「カタパルトにバリスタ、そして駆逐装騎!」
「改めて見ると遠距離兵装ばかりですね」
「何、これも負けないためさ」
それがロレンツォのモットー。
勝つより先に負けない。
その為には堅牢なマルクト装騎に少しでもダメージを与えられるような高火力の設置型兵装を充実させ、遠距離からの砲撃や待ち伏せが得意な駆逐装騎を新たに申請していた。
実際、破壊不能なマルクト装騎を相手に戦う為には強力な熱を起こす武器や、衝撃の大きい武器を使い騎使自体の消耗を狙うという戦法が主流。
寧ろ、それ以外に勝ち目が無かったところにベロボーグやペルーンなどの装騎が現れ、やっと装騎の性能でも争えるようになってきたのがこの最近の情勢だ。
とは言えそれもX装騎と呼ばれる新型マルクト装騎の出現で危ういのだが。
「これでマルクトの新型からこの街を守れるのでしょうか」
「わからんが……やるしかないんだ」
その後、彼らは知ることになる。
マルクト神国の新型装騎の性能と、チーム・ミステリオーソの強さを。
暗んだ視界の中、液体に揺られ彼女は静かに思考を巡らせていた。
頭の中に過るのは満点の星空。
そこになんの感慨もない。
ただ情報としてある記憶。
それでも彼女は思った。
ああ、パスタを作りたい。




