偽神編第1話:さらわれたアナヒト/Silný Dagon
圧倒的な存在。
圧倒的な力。
スズメは初めて感じた。
脅威を。
「アナヒト、ちゃん……ッ!」
視界が眩む、世界が揺れる。
スズメは手を伸ばす――遠のく恐怖の背に。
それは30分前に遡る。
ステラソフィア学生寮への引っ越し準備もある程度済み、スズメは夕飯の買い物へと出かけていた。
「今日はアナヒトちゃんの好きなハンバーグカレーにしようかなー」
材料も買い終え、バーリン市内のアパートの前まで来た時だ。
スズメは気づいた――奇妙な機甲装騎の姿に。
「あれはディープ、ワン……!?」
青黒い装甲――どこか生物的なフォルム――それは実地戦で何度か矛を交えたこともある装騎ディープワンの姿だった。
しかし、実地戦で見た凶暴な野生生物のような印象と違い、飼い主を待つ従順な犬のようにかしずいている。
明らかに異常な光景の中、アパートのエントランスから黒いフードに身を包んだ怪しげな人々が出てきた。
そして、その内の1人の手には――――
「アナヒトちゃん!?」
スズメの叫び声に黒ずくめは気づいた。
「スズメ……っ」
アナヒトがスズメへと手を伸ばす。
スズメもアナヒトの元へと一気に駆け寄る。
だが、数人の黒ずくめがスズメを妨害した。
「アナヒトちゃん! アナヒトちゃんアナヒトちゃん!!」
アナヒトを抱えた黒ずくめが、ディープワンに何か指示を出した。
すると、ディープワンはその手にアナヒトを受け取り、その場から走り去る。
「待って! ……っ!! どいてください!!!!」
スズメは腰のホルスターからナイフを抜き取ると、その切っ先を黒ずくめ達に向けた。
黒ずくめが一瞬ひるんだその隙に、スズメはアナヒトをさらった装騎の後を追いかけて駆けだす。
「スパロー、早く来て、早く来て早く来て早く来て」
追いかけてくる黒ずくめをまきながら、やがてスズメは装騎の輸送ポイントに到達――そこで装騎スパロー・パッチワークに乗り換え、本格的にディープワンを追跡した。
スズメはすぐにディープワンの姿を発見することができた。
悪名高いディープワンの姿は多くの人の目を引くため、SNSサイトに多数の情報が上げられていたからだ。
バーリン市郊外、そこでスズメの装騎スパロー・パッチワークとディープワンは相対した。
「サエズリ・スズメ、スパロー。行きます!」
ディープワンの右手にはアナヒトの姿――下手な攻撃はできない中、装騎スパローはチェーンブレードを構える。
「待ってて、アナヒトちゃん……!」
装騎スパロー・パッチワークは一気にディープワンへと接近。
その鋭い1撃は、ディープワンの左腕を切り飛ばした。
『Ugggggrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!』
痛みを感じているかのように、悲鳴を上げるディープワン。
「アナヒトちゃんは、返してもらいます!」
続けて、ディープワンの両足を薙ぎ払おうとしたその瞬間――くすんだ霊子の輝きがその場へと叩きこまれる。
咄嗟に身をかわす装騎スパロー・パッチワーク。
スズメは霊子が飛んできた方向へと顔を向けた。
そこには――ディープワンによく似た、だがディープワンと比べがっしりした体つきの、どこかタコを連想させる装騎が立っていた。
「アップデート?」
不意に装騎スパロー・パッチワークのサブディスプレイにそんな表示が浮かぶ。
恐らく、ネットワークから何かの情報をダウンロードしているのだろうということは分かる。
しかし、どうして突然アップデートが始まったのか、スズメには分からなかった。
装騎スパロー・パッチワークのアップデートは一瞬で終わり、メインディスプレイに1つの言葉が表示される。
「偽神装騎……ダゴン」
それがあのタコにも似た機甲装騎の名称だった。
片腕を失くしたディープワンを助けるように現れた偽神装騎ダゴンは、装騎スパロー・パッチワークの前に立ちはだかる。
「アナタの相手をしているヒマはありません!!」
装騎スパロー・パッチワークは一気に限界駆動へと達した。
「行きます、突貫――」
『Choooooorrrrrrrrrrrrrr!!』
大気が震えるような振動と共に、偽神装騎ダゴンの口ようになっている部分から、何かが勢いよく吐き出される。
それは強烈な衝撃となって、装騎スパロー・パッチワークを弾き飛ばした。
それだけではない。
「スパローの装甲が……ッ」
吐き出された何かは、粘液のように装騎スパロー・パッチワークにまとわりつき、更にはその装甲をじわじわと溶かす。
警告、警告、警告、警告、ディスプレイが赤く染まる。
「ですが、まだ……」
それでも装騎スパロー・パッチワークは立ち上がり、ウェーブブレードを構えた。
「スパロー、無限――」
『Chraaaaaaaaaaaaaaaaa』
偽神装騎ダゴンの腕から伸びた触手が装騎スパロー・パッチワークを叩きつける。
「くぁっ――――!?」
衝撃に頭がクラクラする。
意識が、くすむ。
偽神装騎ダゴンはそれで充分だと思ったのだろうか?
装騎スパロー・パッチワークに背を向けると、その場を去っていった。
「アナヒト、ちゃん……ッ!」
遠のく偽神装騎ダゴンの背を目に、スズメはただその手を伸ばすことしかできなかった。
狭く広大な光の世界。
暗く沈んだその部屋に、1人の少女が居た。
「ついに、始まった――――運命の時が」
少女が眺めるディスプレイに映されたのは、破壊され、動かなくなった装騎スパロー・パッチワークの姿。
「この世界の彼女は、どこまでやってくれるかしら」
どこか楽し気にそう呟くが、少女の表情は少しも変わらない。
白銀の髪を弄びながら、金色の瞳を細める。
「必ず決まって、この日に始まるのね」
少女がそう口にしたその時だけ、その瞳に強い憎しみが宿った――そんな気がした。