手の中の世界
「では、麻酔をかけさせていただきます」
「お願いします」
白衣、マスクをつけ、注射器を右手で持った人が、私の右手の手のひらに注射をする。
「チャージする場合は、コンビニや駅などにあります機器で行ってください」
「分かりました」
注射器を刺す前に空気を抜くために軽く洗面台に出し、私の手首の少し上に一気に刺し入れる。
瞬間的に激痛が走り、反射的に手を動かそうとするがどうにか押さえることができた。
「痛かったですか?」
「ええ」
見ていりゃわかるだろうと思う気持ちを抑え、徐々に引いていく痛さを感じながら私は右手を台の上に力なくおいた。
その台の横には、1辺が2cmほどのチップがケースに入れられて置かれている。
中には、私が登録したデータが記録されているらしい。
緑色の基盤の上には縦横にはしている銅色の線があり、方々にチップやコンデンサーらしき部品が小さく並んでいる。
数分間そのまま放置され、その間に麻酔が効いてきた。
「感覚がありますか?」
目を閉じさせられ右手を軽く触っているようだが、私は何も感じなかった。
「いいえ、大丈夫です」
「では、これからチップを挿入します。規約についてはご存知ですか?」
「もう一度、説明していただけますか?」
私は確認のために、すでに同意している"規約"を聴くことにした。
「必要なところだけ抜粋します。本規約に同意していただくと、同時に体内に当社製のICチップを入れることに同意したものとします。ICチップには電磁防護されたものを使用します。ICチップは当社のクレジットとして使用することができ、『ICOCA』『Edy』『Suica』などの既存の電子マネーと当社が契約を結んでいるものに限り、使用することができますが、当社以外の電子マネーとして使用する場合は、使用する会社の規約に従う必要があります。確実にICチップを導入したことに起因するものと認められた場合のみ、当社は損害賠償責任を負うものとします。以上で規約の抜粋を終了します。質問はございませんか」
「いえ、大丈夫です」
私は医者にあとは任せることにし、天井ばかりずっと見ていた。
「終了しました。明日また来てください、経過観察をしたいので。それと、今日はお風呂は入らないでください」
「分かりました」
私は包帯でぐるぐる巻きにされた手を見ながら、タクシーで家に帰った。
翌日、再び病院へ行くと、包帯をゆっくりと外された。
傷跡がうまく隠れるように、伸縮自在の生分解性ポリマーを新しく巻かれ、さらにその上から包帯を昨日よりかはやさしめだが多少動かしずらくなるほどにまかれる。
「傷口はこれで完全にふさがりますが、次の経過観察までは水につけないようにしてください。次は1週間後、よろしいですか?」
「ええ、かまいません」
1週間後、ようやく自由の腕となった私は、最後にこう警告を受けた。
「人によっては、電磁波に弱いという人もいます。そのことをよく心に留めておいてください。電子マネーを使用する際は、カードの代わりに掌をかざしてくだされば、使えるようになります」
「ありがとうございます」
一礼してから、さっそく使おうと思い、すぐに病院から出て行った。
掌に埋め込むタイプの電子マネーはあまり普及はされていないものの、ニュースで大々的に宣伝をされたこともあり、知名度はかなり高かった。
「いらっしゃいませー」
病院のそばにあるコンビニへ入ると、何を買おうか決めてないことに気付いた。
ペットボトルでも買おうと冷蔵庫へ近寄る。
適当に『午後の紅茶 ミルクティー[500ml]』を手に取り、レジへと進む。
「一点で、147円になります」
俺はさっそく掌を電子マネーの受光機にかざす。
甲高い電子音が頭の中に響き渡る。
「レシートは…」
「結構です」
俺はシールを張られたペットボトルを持ち出して家に帰った。
家に帰ると、少しばかり膨らんだ掌を見ていた。
電磁波に弱い人間もいるという話だったが、あまり気にするほどでもないそうだ。
「まあ、大丈夫だろう。普通に使う限りは」
俺はそう呟いて、しっかりと握った。
すこしだけ、痛く感じた。
翌日から、仕事に復帰し、営業活動を再開した。
俺の仕事は、保険の営業員で、街頭でいろいろ聞きながら勧誘をするというのを主な方法として使っていた。
復帰してから3人目の勧誘で、ようやく喫茶店へ入り、説明を始める。
「この保険は、傷害保険と生命保険から成り立っておりまして……」
いつものようにパンフレットを見せながら、一つ一つを説明していく。
その途中で、私の掌が偶然見えたのだろう、俺から見てのお客である彼女が、俺の掌に軽く触れてきた。
「どうしたんですか?」
「ああ、これですか」
俺はしっかりと彼女に向けて掌の凸部分を見せた。
「今はやりの埋め込み式ICですよ。試しで入れてみたんです」
「そうなんですか」
彼女はすこし残念そうな顔をしていた。
「どうされたんですか?」
今度は俺が聞く番だった。
「ああ、いえ。実は、私、そういうのあまり良くないんです」
「どういうことですか?」
パンフレットをテーブルの上に置きっぱなしにして、彼女の話に耳を傾ける。
「電波に弱い体質だと、医者から言われていまして、一応、パソコンの無線LANや携帯電話クラスでしたらいいんですけど、それよりも強いもの、たとえば、あなたがつけているそのICチップのものは、掌を通すために数十倍強く設定されています。私の体は、その電磁波に強く揺さぶられるらしいのです。詳しいことは、よくわかりませんが」
彼女は、そう語ってくれた。
「そうなんですか」
そう言って、私が注文したコーヒーと、彼女か注文したソフトドリンクが店員によって運ばれてきた。
それから、会話らしい会話もなく、静かに別れた。
翌月、銀行へ行き、預金を確認すると、誰か判らないが、お金が振り込まれていた。
行員に確認をとったが、だれから振り込まれたものかは分からないという。
さすがに嘘だろうと思ったが、何も聞かずに外へ出た。
「あった」
手の平を太陽にかざすと、しっかりと黒い2cm四方の物体が見えた。




