婚約破棄? 私が泣いて縋るなんてありえませんけど?
「ソーラ! お前は何故そんなダサいんだ?! 特にメガネが!」
「メガネがないと、前が見えませんので……」
またか、と周囲は笑う。
「なんでお前はメイと同じ制服を着ているのに、そんなにブスなんだ!」
彼女から返答はない。
今やこれは学園の食堂で、毎日起きている風物詩となっていた。
その中心にいるのは……。
学園で五本の指に入るほど人気のある侯爵令息、メナーシ・ミル。
そして常に眼鏡と三つ編み姿でどちらかといえば地味な伯爵令嬢、ソーラ・ウワーノ。彼の婚約者だ。
ソーラはメナーシに「ブス」と言われても、動揺ひとつ顔に出すことはない。
常に真顔だった。
「あら、自分の良さが分かっていないだけですよ、メナーシ様」
「そうだな、メイはいつも可愛いからな」
「うふふ、嬉しいです」
そう言ってメイはメナーシへとしなだれかかる。メナーシは嬉しそうな表情を隠しもしない。
「お前もメイのように可愛く着飾ったらどうだ? ……いや、ブスはブスのままか」
「そんなこと言っては可哀想ではありませんかぁ」
二人は顔を見合わせた後、ソーラへと視線を向け鼻で笑う。
そんな二人の様子を見ているのは野次馬たちだ。
面白いからと見物する者。
我関せずと食事をする者。
眉を顰めながら食事をする者……この三者に分かれていた。
普段であればソーラはこのまま口を開かず、嵐が去るのを静かに待っているだけだ。けれども、今日の彼女は少し違った。
「私は制服をきちんと着用しているだけですが……」
そう答えた彼女に周囲は目を見張る。それほど彼女がメナーシに反論したことが信じられないのだろう。
しかし、そんな彼女の反論を一蹴したのが、メナーシの隣にいるメイ・ワークナ伯爵令嬢。彼女はソーラを見て鼻で笑う。
「私と格が違うだけではありませんかぁ〜?」
「そうだな、そもそもの作りが違うから、お前が綺麗になるのは無理だな」
そう言って二人は笑い合うが、目の前で悪口を言われているはずのソーラの表情は、ぴくりとも変わらない。何を言っても変わらない彼女に、メナーシは舌打ちをすると、踵を返した。
「ふん、鈍臭い奴め。いくぞ、メイ」
「は〜い!」
ソーラを振り返りもしないメナーシ。そんな彼を見て、まるで勝ち誇ったような笑みを見せるメイ。二人は楽しそうに腕を組みながら歩いていく。
しばらくソーラはそちらをじっと見つめていたが……二人の背が見えなくなると席についた。
何度も繰り返す光景。最初はメナーシを諌める者もいたが、何度も繰り返されるその行動に呆れて静観する者たちばかりになっていた。だから皆、これは学園が終わるまで続くのだろうと思っていたのだ。
まさか反撃があるとは、誰も思わなかったのである――
「ソーラ、また言われてきたのか?」
ソーラが食事を終えて研究室へ帰ると、開口一番にマジー・メカターイ公爵令息に訊ねられた。彼女と同級生で、公爵家の三男である。
「ほんっとうにあの人は、何様なんでしょうね?」
その横でプリプリと頬膨らませているのは、カワーイ・メカターイ公爵令嬢。マジーの妹である。
「ソーラお姉様がなぜあの見る目のない男の元に嫁がなくてはならないのかが、分かりませんわ!」
「王命だから仕方ないだろう」
「理解はしておりますけれど、受け入れたくはないのです」
マジーに言われてカワーイの表情が曇る。
もともとこの婚約は、衰え始めたミル侯爵家を立て直すために王家が決めたものだ。ソーラが半ば巻き込まれた形だった。
「私はお姉様を蔑ろにするなんて、許せませんわ。お兄様もそう思いません? むしろ我が家の者たちと薬草研究を進めた方が――」
「カワーイ」
マジーは彼女の言葉を遮ると、静かに首を振った。これ以上は王家への批判となってしまうからだ。兄に止められ、彼女は口を尖らせている。
「我が家の薬草研究が進んでいるのは、公爵家の努力によるものではありませんか。確かに以前はミル侯爵家と競い合っていましたが、胡座を掻いて落ちぶれたにもかかわらず、それを理解せずお姉様の力を搾取しようとするなんて……私は悔しいの」
「……ありがとう、カワーイ」
顔を上げた彼女の前で、ソーラは穏やかに微笑んでいた。カワーイは眼鏡の奥に見える、泉のように透き通った彼女の水色の瞳に息を呑む。しばらくソーラは彼女の背中をそっと撫でていたが……。
その瞳の奥には、決意が宿っていた。
それに気がついたのは、マジーだ。彼は見たこともない表情を浮かべている彼女に一言、投げかけた。
「健闘を祈る」
「ありがとう、マジー」
それから一ヶ月ほど経った頃。
学園内で行われる社交パーティーの予行練習でそれは起きた。
「ソーラ、お前とは婚約破棄をする!」
練習を終えて皆が教室へと帰ろうとした矢先のことだ。メナーシは会場中に響くような大声で婚約破棄を告げる。周囲の者がいきなり起きた珍事件に目を白黒させている間に、彼は続きを喋り始めた。
「お前は侯爵家の嫁として相応しくない! 特に身なりが、だ! それにいつも薬草に触れているからか、お前は薬草臭いじゃないか! 俺はお前のような女よりも、メイを選ぶ!」
「メナーシ様、嬉しいですわ」
腕に縋り付いたメイを見て、メナーシの鼻の下は伸びている。
その様子を見て、野次馬たちはざわめいた。
普段笑いながら見ている者も
我関せずと無視している者も
眉間に皺を寄せて見ていた者も……まさか、あの男が王命での婚約を勝手に破棄するとは思っていなかったのだ。
この時皆の気持ちはひとつだった。周囲の者たちは、ソーラへと視線を送る。
ソーラはその場に佇んでいた。もちろん、表情は変わらない。
婚約破棄を告げたにもかかわらず、顔色ひとつ変えない彼女に、メナーシは苛立ちが募った。
「お前は可愛げがないからな! こっちから願い下げだ!」
そう言って、メナーシは笑みを見せた。ここまで言えば、ソーラも縋り付くだろう、と。
メナーシはソーラの顔を歪ませたかった。
それは何故だか自分でもわからなかった。
だからこそ、ここまで場を整えのだ。
だが、その思惑が外れる可能性など……彼は考えてもいなかった。
「そうですか、承りました」
冷静に頭を下げるソーラ。
彼はまだ気づいていない。ソーラが、彼に好意など抱いていないことを……。
「では、書類を作成してお持ちいたしますので、一筆お願いできますでしょうか?」
淡々と進めるソーラに、メナーシは頭が真っ白になった。
何故彼女は悔しがらない?
何故婚約破棄を受け入れる?
隣ではメイが優越感を滲ませた笑顔を湛えている。
そしていつの間にか、ソーラは書類とペンを取り出していた。その書類の一番上に書かれている『婚約破棄』という字を見たメナーシは、あまりにも表情の変わらない婚約者に声を荒げた。
「何故そこまで淡々とできるんだ! 少しは俺に縋りつこうとは思わないのか!」
その言葉にソーラは、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を見せる。
「お言葉ですが、メナーシ様。あなた様に縋り付く要素など私はひとつもございませんが」
その言葉を聞いて目を極限に見開いたメナーシ。
対照的に、不思議そうな表情で首を傾げるソーラ。
「そもそも、ここで婚約破棄を宣言するなんて……馬鹿だ馬鹿だ……とは思っていましたが、本当の阿呆でしたね」
野次馬の者たちは耳を疑う。
普段であれば静かに聞いているだけのソーラから、思いも寄らない言葉が飛び出たからだ。ソーラの目の前にいるメナーシとメイも、口をみっともなく開けている。
「ええ、ええ、喜んで婚約破棄しますよ。むしろさせてください」
ソーラの声だけが会場内に響き渡る。
「私があなた様と婚約した理由は、王命です。それ以上でもそれ以下でもありません。普段から顔を合わせれば『ブス』だの『地味』だの言う男に、惹かれると思いますか? 私、そんな奉仕精神はあいにく持ち合わせておりませんので」
ソーラの言葉は止まらない。
周囲で見守っている者たちは、皆一同、彼女がここまで喋ることができるのか、とある意味感心していた、そんな時。
「え、いや……お前は俺との婚約を喜んでいたのではないか……?」
メナーシの無意識なのか、弱々しい声がソーラに放たれる。
彼は覚えていた。初対面の時に、彼女が喜んでいた笑顔を。
「は、喜んでいた?」
初めて彼女が表情を変えた。メナーシはその事実に胸が高鳴るが……次の言葉は辛辣だった。
「そうですね、確かに最初は喜びました。だって、薬草の聖地のひとつである侯爵家に嫁げると聞きましたから。これで薬草の研究がいつでもできるって」
国王陛下にソーラの薬草に対する知識を買われたのだ。
それも国王陛下が侯爵家に新たな風を入れるために、気を遣っての婚約。これでメカターイ公爵家とミル侯爵家がまた競い合ってくれるだろうと。
「ですが一週間ほどして、絶望に変わりました。侯爵家の皆様は、薬の話を一向にせず、果ては私に嫁入り修行をさせ始めるのですから。私は国王陛下より侯爵家に入り薬草の研究をするよう命じられているにもかかわらず」
話を聞いていた周囲がにわかに騒がしくなる。
この話は皆の知るところであった。それにもかかわらず、薬草の研究ではなく花嫁修行をさせる意味。野次馬はメナーシから一歩距離を取る。
そして隣にいるメイも――
「ですから、私は国王陛下に直談判いたしました」
「直……談判……」
メナーシの言葉には感情が乗っていない。ソーラはそれをまるっと無視して話し続ける。
「ええ。証拠と共に事情をお伝えしたところ『婚約破棄を群衆の目前で告げた場合、問答無用で婚約が破棄される』という書類に印を押していただきました。そのため、あなた様が婚約破棄を告げた時点で、私たちの婚約は破棄となっております。良かったですね」
そう伝えるソーラの表情は全く動かない。
「そんなの無効だ!」
メナーシは無意識に叫んでいた。
彼の知っているソーラは、静かでいつも薬草の研究をしていて……反抗する女ではなかったはずだ。
そうだ、嘘に違いない!
そう判断したメナーシが、ソーラを睨みつけようとしたその時。
「……残念ながら、彼女の話は本当だ」
会場の後方から、低い声が響いた。
そこに立っていたのは、メカターイ公爵家三男――マジー。
彼は懐から一枚の書類を取り出す。
「先ほど国王陛下より私が預かったものだ。先ほど彼女が告げた件は、ここに全て書かれている」
マジーは一歩、また一歩メナーシに近づいていく。
その迫力に身震いしたメナーシだったが、書類を突きつけられ一通り目を通す。するとそこには、先ほどのソーラの言葉と同様の文言が書かれていた。
メナーシの顔から血の気が引いていく。
「王太子殿下の遣いとして、私マジー・メカターイが宣言する」
彼は静かに書類を掲げた。
「この婚約は、ただいまをもって破棄された……同じ研究者として彼女を見てきた私としても、この結果には異論はない」
「ありがとうございます、マジー様」
ソーラは侯爵家で叩き込まれた美しい礼を披露する。その堂々とした姿に、ひとり、またひとり自然と拍手が沸き起こる。最後まで理不尽と戦った彼女を讃える者がいる一方で、彼女を虐げた者たちは呆然とその場に佇んでいた。
翌日の研究室。
ソーラが入った瞬間に、重いものがのしかかってきた。カワーイである。
「お姉様! よかったですわ!」
涙を流すカワーイに、ソーラは優しく頭を撫でる。
「カワーイが発破を掛けてくれたから、私は動くことができたの。ありがとう、カワーイ」
彼女の言葉がなかったら、そのまま放置し彼と結婚していただろう。自分の価値を、ソーラ自身が貶めていたのだ。
「だって、だって……悔しかったのですもの! お姉様は素敵なのですから! ねえ、お兄様!」
「そうだな」
妹の言葉に同意するマジー。
「マジー様、ありがとうございました」
「礼には及ばない。私も君の婚約には疑問を抱いていたからな。陛下は国の薬学の発展を思ってそのようにしたのだろう」
彼は一呼吸置いてから、肩をすくめた。
「……我々公爵家から見たら、ふんぞり帰っているだけの侯爵家に君が嫁ぐだなんて……宝の持ち腐れだろう?」
マジーから思った以上に評価されていることに気がついたソーラは目を丸くする。
その間にカワーイが隣でマジーの言葉に大きく首を振った。
「確かに先代侯爵様は薬学の発展に寄与してくださいましたけれど……それ以降の当主は鳴かず飛ばずですもの! てこ入れが遅いのですわ! 今からお姉様を入れたところで、何も変化はないと思いますの。過去の功績に縋っている方達ですから」
「……カワーイ、それは言い過ぎだ」
「ですが事実でしょう?」
彼女の言葉に肯定も否定もせず、目を瞑るマジー。兄の様子にカワーイは鼻を鳴らす。
「あの家は王命を潰した、ということで降格処分になるでしょう。折角先代侯爵様の功績で陞爵なさったのに……唯一の実績ですら自分たちで潰してしまったあの方たちに手を差し伸べる者はいないでしょうね。お姉様を軽々しく扱った罰よ」
「……カワーイ」
「お兄様、そろそろ口を慎みますわ」
カワーイの言葉に、マジーは眉間に深い皺を刻む。
そんな二人のやり取りを見ていたソーラは、知らず知らずのうちに笑っていた。二人はいきなり笑い出した彼女を、不思議そうな顔で見る。
「申し訳ございません、本当にお二人とも仲良しで……少し羨ましいなと思ってしまいました」
「「羨ましい?」」
兄妹だからだろう、二人は全く同じ言葉と表情でソーラを見つめていた。彼女はそんな二人を見てまた微笑みながら、言葉を続けていく。
「ええ。元婚約者様とは、お互いを想い合うことができませんでしたから……」
もしメナーシに少しでも薬学の知識があれば……話し合いの機会を持てれば……。
たらればの話ではあるが、違う未来もあったのかもしれない。
遠目で思いを馳せる彼女を見て、カワーイは声を上げた。
「なら、お姉様。これから探せばいいじゃない! ……あ、お兄様はどう?」
「マジー様?」
ソーラは思わず視線を彼へと送る。マジーも驚いているのか、目を見開いていた。
「お兄様なら、薬学の知識は豊富よ? それに来年になれば、王宮薬師として働くことになっているし……口を開いたと思ったら、薬草のことばかり話しているから、お姉様も楽しいかと思って!」
「カ、カワーイ……」
珍しくマジーが狼狽えているのだが、考え事をしているソーラはそのことに気がつかない。ソーラが考え込んでいる隙に、二人は小声で話し始めた。
「お兄様、もっと押して押して押すくらいじゃないとダメですわよ……」
「しかしだな……」
「しかしもへったくれもありません! だから横から奪われてしまうのです。お兄様、次はないと思った方がいいですわ」
「……」
ふとソーラが顔を上げると、そこには勝ち誇った表情のカワーイと、項垂れているマジー。
何が起きたのだろうかと首を傾げつつ、ソーラは二人に話しかけた。
「そうですね、私、マジー様にお願いしたいと思います」
「「えっ!?」」
カワーイとマジーは同時に目を輝かせた。そしてソーラは満面の笑みを浮かべる。
「同じ研究者として、ぜひ今後もよろしくお願いいたしますね! また、薬草談義を一緒にしてくださいませ」
「……もちろんだ」
二人で見つめ合い、微笑み合う。
ソーラは思った。
これからの研究は、きっと今までより楽しくなる、と。
――そんな恋愛のれの字もなさそうな二人を見て、カワーイは呟いた。
「お兄様のヘタレ」
その呟きは、誰にも届かなかった。
だからカワーイはまだ知らない。二人が結ばれるまで、ここから長い時間が掛かることを――。
お読みいただき、ありがとうございます!本日も、婚約破棄短編をお送りしました٩( ᐛ )و
元婚約者に舐められていた主人公が、全力で反撃するところを見てみたいな、と思ったので執筆しました。楽しんでいただけたのでしたら、嬉しいです!
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また、現在執筆している作品のリンクも下にございます♪
完結作品もございますので、ぜひご覧ください!
それでは、次の作品でお会いしましょう〜




