表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/14

第8話 王都の壁、拍を数える

 黎明の王都は石畳が冷たく、鐘の音が低く長い。

 私とカイ、荷車一台。上には薄板、釘、紐、拍石の小箱、うらばなしの束、封蝋台、空瓶、砂時計。

 ――“壁の種”。


 広場に着くと、夜番が欠伸を噛み潰し、パン屋が最初の生地を叩いている。空気は粉と灰の匂い。

 すでに板が二枚、立っていた。昨日の“公開謝罪”と“配合公開”だ。紙は上質、字は堅い。けれど鳴りはない。


「ここに、もう一枚」

 私は柱と柱の間に紐を張り、薄板を立てた。

 釘は四本。ミーナの言葉を思い出す――“壁は冷えると音が濁る”。

 息を吹きかけ、角を温めてから、最初の一打。

 木槌の音が石造りの広場に澄んで広がる。パン屋の手が止まり、夜番の背が伸びる。


「王都標準“適合鑑定”草案、掲示」

 ライサ教授の若い使いが紙束を差し出す。角は保護してある。現場の手だ。

 私は紙を板に重ね、透明板で覆い、四隅に“鳴り”の印を刻む。

「王都の言葉で書く。――けど、鳴りは辺境式で」

 カイが短く笑った。

 広場の光が増えて、人の輪がにじむ。噂は風より早い。



 最初の一言は、ヴォルク侯爵の家令だった。

 顔色は悪いが、背筋は伸びている。

「侯爵家より通達。“安眠香”販売停止、“納戸瓶”没収、被害記録の壁を各地区に設置。――発言は以上」

 私は軽く頭を下げ、板の端に白石を一つ置いた。

「謝罪と公開、受領。次は“再審”の段取りです」


 ざわめきが濃くなる。

 そこで私は砂時計を持ち上げ、白い砂を落とし始めた。

「十から逆に。――十、九、八……」

 広場にいる者の呼吸がゆっくり合いはじめる。

 拍が揃うと、言葉は短くても長く届く。


「順番は、“患者→方法→記録→金”。再審も、この順番で。

 一、患者=被害の列挙。部屋単位、日付と症状。

 二、方法=“香”の配合と投与様式、誰が決めたか。

 三、記録=供給網、納品、封蝋の鳴り。

 四、金=価格変動、負担、補償。

 逆流すると、死にます。王都も例外ではない」


 群衆の中で、誰かがゆっくりと頷く音がした。

 私は“うらばなし”を束で配る。

〈香は投薬。揮発は再投与。夜の安眠は朝の倦怠〉

〈封は鳴る。濁りは嘘〉

〈拍は吐く。祈りは拍で数える〉

 文字は短く、字は太く、迷路は作らない。



 第一の妨害は、想像より礼儀正しかった。

 上等な外套の男が三人、役所の印を胸に歩み出る。

「辺境の薬師に、王都の標準など決めさせられぬ。――追放処分は生きている」

「生きている処分は、再審で“読み直す”」

 私は淡々と返し、封蝋台の火を小さく上げる。

「あなた方の“許可”は、喉の乾きに効きますか」

 男たちは眉間に皺を寄せた。

「許可は秩序だ」

「秩序は拍。――数えられない秩序は、ただの看板」


 私は空瓶を持ち上げ、鳴りを聞かせる。

 澄んだ音。

「“香なし”の証明。広場では香を焚かない。頭が鈍るから」

 人々の口角がわずかに上がる。

 役人の一人が苛立って封蝋の印を突き出した。

「王都式の印はここにある」

「鳴らします?」

 私が印の上を指で弾くと、濁った音が短く跳ねた。

 広場が笑い、男の耳たぶが赤くなる。

 ――“鳴り”は言葉より速い。



 第二の妨害は、雑だ。

 人垣の後ろで、火花が一瞬散った。

 板の足元に火打ち石。紙束へ手が伸びる。

 カイが踏み込み、手首をひねって男を地面に落とす。

「燃やすなら、心臓じゃなく端から」と低く言って、火打ち石を取り上げた。

 私は落ちた紙束を拾い、上から透明板を載せ、四隅を増し締めする。

「壁は二重。紙は燃える。板は鳴る。二つでだいたい勝つ」

 群衆の圧が、犯人を押し出すように離れる。

 女の声が上がる。「燃やすな」

 拍が固まり、火は居場所を失った。



 セルジュが人垣を抜け、板の脇に立った。

 顔には眠気と、何かを決めた薄い硬さ。

「――再審に同意する。王都広場の壁に、父上の名で」

 彼は手袋を外し、自分で拍石を一つ、“再審”の欄に置いた。

 石の音が大きく澄み、広場の空気が一歩動く。

 役人たちの肩が一斉に強張り、しかし押し返せない。拍は数だ。数は強い。


 そこへ、遅れてライサ教授。

 灰色の瞳は朝の粉塵を読み、靴の踵は音を立てない。

「順番は守られたようだね」

「守りました。――王都は“手順の街”だから」

 教授は微笑してから、標準草案の第一項を指で叩いた。

「“適合鑑定:個体差に合わせ、投与量・投与様式・投与速度を動的に定める”」

動的どうてき=揺れてもよい、の意」

 私は群衆へ向けて言葉を足す。

「人も制度も、揺れます。揺れたら、拍でつなぐ。――それが薬」



 正午、私は広場の端に簡易の調合台を出した。

 “公開調合”。

 王都の水と、辺境から運んだ灰針と、生姜と塩。

 鍋が鳴り、湯気が旗になる。

 最初の椀は、祈りの場の掃除をしている若い書記へ。

 彼は一口飲み、目を瞬いた。

「頭の中の“綿”が減る……」

「綿は香の残留。拍を数えながら飲むと、抜けが早い」

 彼は椀を抱えたまま、標準草案に何かを書き足した。

「“現場飲用試験”の欄、空いてたので」

 良い現場だ。王都にも、まだ生きている場所がある。


 粥の鍋の脇で、私は“価格”の札を立てた。

〈本日の拍値:白石三/銅貨二/労働一刻=大石一〉

〈被害家庭は白石優先〉

 役人の一人が鼻を鳴らす。「慈善だな」

「投資です。拍に。――慈善は短い。拍は長い」

 彼は言葉を失い、椀を受け取り、二口目で少し笑った。

 甘さは控えめにしてある。謝罪の日は、砂糖が少ないほうが効く。



 午後、壁の前に一人の老婆が立った。

 祈りの場で倒れたという。

 指は小枝みたいに細いが、目は澄んでいる。

「字は読めないけど、音はわかる。――鳴らして」

 私は板の四隅を指で弾き、封蝋の端を鳴らした。

 澄んだ音が重なって、広場の騒がしさの奥に細い道を通す。

「いい音だねえ。うちの孫に、その音、持たせたい」

「孫の拍を数える札、渡します」

 私は“拍札”を二枚手渡した。

 老婆は胸に当てて、「効く」と短く言い、白石を一つ置いた。

 ――拍は、最良の装飾だ。



 夕方近く、広場の端から脂の匂い。

 商会の男が三人、肩で風を切って歩いてくる。

 タミはすでに板の前にいる。硬い靴、硬い目。

「“灰針配合粥素”の卸を停止せよ、との通達」男たちの声は派手で、言葉は薄い。

 タミは首を傾げ、板を指さす。

「“通達”は紙。紙は燃える。――壁は鳴る」

 私は横に“供給網”の図を広げた。

 畑→乾燥→粉砕→調合→封蝋→在庫→出荷。

 図の左下に、細い線を一本引く。

〈もし停止するなら、理由を記す欄〉

 欄は空白のまま、広場に晒される。

 男たちの顔が強張り、やがて一人が小さく舌打ちして引き下がった。

 タミは短く息を吐き、私にだけ聞こえる声で言う。

「“空欄で晒す”は、よく効く」

「副作用は、恥」

「恥は、必要な薬」



 日が傾き、鐘がもう一度鳴る。

 私は最後の一枚、“但し書き”を壁の足元に差し込んだ。

《但し書き:本日の“公開”は終わり。明日より“再審”の初回審理。順番は患者→方法→記録→金。香の販売は暫定停止。被害基金は白石と合流。》

 字を太く、線を細く。

 風が一度だけ強く吹き、透明板の面を撫でていった。

 鳴りは濁らない。


 セルジュが近づき、低く言う。

「父上は、明日ここに来る。怒る。……が、多分、座る」

「座れば、拍が合う」

「君は、王都の“先生”になれる」

「先生はライサ教授。私は、壁の薬師」


 教授が肩越しに笑った。

「先生は壁の向こうでいい。ここは、現場の“拍”が先生だ」


 遠くでパン屋が、焼き上がりの鐘を小さく鳴らした。

 王都の空気が、かすかに甘い。砂糖ではなく、焼けた小麦の甘さ。

 甘さは短期の鎮静。今日ぐらいは、少しだけ許す。


 私は砂時計を裏返した。

 落ちる砂は、辺境と同じ速度。

 ――薬は体に。処方は世界に。

 壁は、明日も鳴る。


本日の処方メモ(3行)

・“許可”は喉の乾きに効かない。拍で数え、鳴りで確かめる。

・空欄を晒すのは薬。理由を書かせる枠が、嘘を減らす。

・王都は手順の街。順番(患者→方法→記録→金)で進めば、だいたい勝つ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ