第11話 外れ区の小疫:水と熱源の現場診断
南東の外れ区は、石畳が細くて、家々が近い。
咳の音は壁で反響して、実数より多く聞こえる。
――だから、数える。耳じゃなく、板で。
私は角ごとに小板を立てた。〈咳/日付/家の水/熱源〉の四列だけ。
ミーナが白墨を握り、子どもたちに枠の引き方を教える。
「咳は“続いた日”に線。水は“井戸の印”。熱源は“炭・薪・油”」
子どもたちの線は曲がっているが、壁は曲がっても効く。
「先に“水”」
私は井戸の縁にしゃがみ、柄杓で味を見る。
舌に重く、石の粉の感触。――硬い。
生姜粉を指先でつまみ、灰針を一滴。
「“夜水”は煮沸→沈殿→粗布濾過。舌下で少量から」
咳の若い母が眉を寄せる。
「香は、もう焚いてません」
「香は後で。今は熱源」
私はかまどの前に立ち、手の甲で空気を撫でる。
鼻に甘い焦げ。天井の梁に黒い指の跡。
「寝床のそばに炭盆。夜に甘い匂い。窓は西だけ閉め忘れ」
「どうしてわかるの」
「匂いは投薬。壁に残る」
私は布を濡らし、梁を湿る拭き。叩かない。
灰と香の粉は、叩くと再投与になるから。
カイは黙って炭盆を廊下へ、寝床の位置を壁際から指一本分ずらす。
「動線、作った」
「ありがとう。風の道は薬」
◆
次の家。咳は短いが連鎖する。
水は中程度。問題は鍋。
底が煤で厚く、塩が早い。
「塩は遅らせ。生姜はひとかけ増やす。灰針は未活性で封を切って」
私は持参の粥素で公開調合。
湯気が上がると、子どもが吸い込む。
「いい匂い」
「匂いも投薬。拍を数えながら吸う」
私と子どもは、十から逆に。十、九、八――。
咳が、一拍ぶん遅れる。
遅れは勝ち。ここから詰める。
◆
路地の突き当たりで、行商の水樽に行列。
樽の口から、軽い金属の匂い。
私は樽の皮を指で弾く。――濁り。
「どこの井戸?」
男は目を逸らす。
「東の古井戸だが、寺の裏で汲むと早い」
タミが顔色を変える。
「寺院倉の横だ。昨日、**二重底の“無銘瓶”が出た」
私は路地図に赤い線を引く。〈寺裏→行商樽→外れ区〉
「善意の近道は、投薬のショートカット。――やめる」
男は肩をすぼめる。
「じゃあ水は?」
「家の水で仕上げる。重い水は“塩遅め・生姜多め”。軽い水は“塩早め・灰針少なめ”」
私は壁に“水の仕上げ表”**を貼った。
硬(重)/中/軟(軽)。三段。短文。太字。迷路なし。
◆
昼前、咳の群れが一段落。
私は角の板を回り、白石を一つずつ置いていく。
線が増えた家、拭いた家、炭を廊下へ出した家。
白石は拍。
拍が増えると、咳は行き場をなくす。
そこで、嫌な音。
軒の上、瓦の隙間から青い煙。
私は袖で口を覆い、ミーナを引く。
「下がって。叩かない」
カイが梯子を駆け上がり、濡れ布を押し当てる。
香の粉が焦げる匂い。
軒裏に香染めの布。祭りの余りだ。
「外して濡れ包み。焼かない。飛ぶから」
住人の青年は肩で息をする。
「母の思い出なんだ、その布は」
「文化は投薬。量を間違えると毒。――思い出は語るほうへ戻す」
私たちは布から文様を写し取り、壁に貼った。
祈りは声と拍に戻す。布は物語にする。
青年は泣いて、笑った。
「置いておく。燃えない形で」
◆
午後、小隊の役人が来た。
紙はよく乾き、口は渇いていない。
「“香の販売”は停止中。だが寺の寄進は止められない」
「止めない。投与量を戻す」
私は彼の手首に指を当てる。
拍は速いが揃う。理屈は届く拍。
「壁を立てて。寺の外壁に“寄進掲示”。日次差分で。
“無償”の欄に理由を書く枠も」
男は目を細め、黙って頷いた。
空欄は薬。晒すと、恥が副作用で効く。
◆
夕刻、集計。
角の小板を一本にまとめる。
咳:朝27→夕12(線の本数)
湿る撤去:9軒/炭移動:14軒/夜水の導入:21軒
数字は冷たい。けれど、肩を温める。
ヴォルク侯からの使いが来る。
紙は短く、字は太い。
外れ区の壁、王都広場に写したい。
“白石合流”の審理、明日に前倒しする。
恥は私が受ける。息は市が受け取る。
私はミーナと頷き合い、壁の余白に一行。
〈**明日:“金”の審理。補償基金は白石合流で一本化〉
タミが帳面を閉じる。
「“無償”が値付けになる枠、用意できた」
「貼ろう。紙は燃える、壁は鳴る」
カイは肩を回し、短く言う。
「腹、減った」
「甘さは少し。今日は生姜多め」
湯気が旗。旗は風を見る。
風は、こちらを向いている。
本日の処方メモ(3行)
・湿る撤去>叩く掃除。香と煤は叩くと再投与。
・家の水で仕上げると、治りが根づく。硬=塩遅め/生姜多め。
・文化も投薬。思い出は“語り”へ戻して量を整える。
次回予告
#12「白石合流:金の審理」――“無償”の理由を枠で縫い、補償を一本化。