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第1話 処方箋には“ざまぁ”を一滴だけ

 追放判決の紙は、やけに上質だった。

 厚く、乾いて、涙でも滲まない。都合よくできた紙だ。


「伯爵令嬢リゼ・アルトリア。王都より無期限追放。理由――毒薬調合の嫌疑、並びに王族侮辱」


 読み上げた役人の喉はからからで、私が差し出した水を警戒して飲まない。毒にも薬にもならない女、としか呼べない想像力に、少しだけ同情した。毒は量で薬になり、薬も量で毒になる。人間の悪意だって同じだ。


 馬車に乗せられる直前、元婚約者のセルジュが囁く。

「忠告だ、リゼ。辺境で薬は売れない。お前に残るのは干した草だけだ」

「なら安心ね。干草は、焦った馬を落ち着かせるから」


 私は笑い、王都を後にした。



 灰針はいばり峡谷は、地図だと細い切り傷みたいな形をしている。

 風は針のように細く強く、井戸の水は石をかじったみたいに硬い。借りられたのは穴だらけの廃屋。屋根に穴、壁に穴、床に穴。けれど穴は呼吸口だ。余計な熱や匂いを吐き出してくれる。


 私は一枚の古い処方箋を壁に貼る。王都の薬学院で最初に書いた、へたくそな処方箋。字は震え、配合は平凡。でも、これを越え続けるための“物差し”が欲しかった。


 最初の患者は、若い母親に抱かれた赤子だった。

「熱が下がらなくて……」

 私は脈を取り、瞼の裏を見て、井戸水の硬度を測る。石灰を沈め、粗布で濾し、灰針草の煎じ液をほんの一滴だけ足す。

「薬は?」と母親が聞く。

「これは薬じゃない。薬の土台」

 土台が曲がれば、名薬も倒れる。赤子が眠り、母親は泣きそうに笑った。礼に置かれたのは硬貨一枚と磨かれた木匙一本。私は木匙を壁にかける。ここで働いた証拠が欲しかった。


 その夜、風の音に紛れて荒い足音。

 扉を開けると、背の高い傭兵が立っていた。

「搬送だ。落石で三名。……お前、薬師か」

「名乗るほどには」

 外套の襟には古い血の匂い。けれど目はまっすぐだった。


「代金は?」

「効いたら、働いた分をください。効かなかったら、私の負け」

「命の現場で賭けるのか」

「効く処方は、利子をつけて戻るから」


 私は封蝋瓶を十本、布袋に詰めた。“痛みをずらす”調合が二、止血が三、気付けが一、残りは“恐れを薄める香”。

「名前は?」と彼。

「リゼ。あなたは?」

「カイ。運ぶのは得意だ。……走れるか、薬師」

「走るのも、そこそこ」



 峡谷の夜は、星の処方箋がよく見える。

 落石現場に着くと、石の間で若い鉱夫が呻いていた。太腿の外側、裂創。出血は速いが脈は保てる。私は止血と痛みの“ずらし”を同時に投与し、呼吸の拍を合わせる。


「見ろよ、あの青い瓶。王都の学院のやり口だ」

 野次のような囁きが耳に刺さる。

 私は平然とラベルを見せた。

「辺境式よ。王都式はもっと飾りが多いから」


 嘘でも本当でもない。ここは王都じゃない。効くか、効かないかだ。

 私は患者の指に自分の指を添えて、声を落とした。

「怖いのは、痛みじゃなくて想像。想像は増える。だから減らす薬を入れたわ。数を一緒に減らそう。十から逆に」

「じゅ、十……きゅう……」

 脈が落ち着き、肩のこわばりがほどける。血の勢いが弱まり、私は縫合の準備をしながらカイに目配せした。

「次の患者は?」

「奥。脚じゃなく胸だ。……呼吸が浅い」


 奥で倒れていたのは、顔色の悪い青年。胸郭の小さな変形、浅い呼吸、指先の冷え。

 私は躊躇なく香の封を切り、微量だけ吸わせる。

「気道の痙攣。恐怖由来も混じってる。香りで拍を取り戻す」

「香りで?」とカイ。

「薬は飲むだけじゃない。吸う、触る、聞く、見る。人間全体に投与する」


 青年の眼が焦点を結ぶ。私は合図するように指を一本立てた。

「おかえり。吸って、吐いて。吸って――吐いて。いい子」


 処置が終わるころ、風が向きを変えた。峡谷の上から、複数の松明の光。

 嫌な、王都式の光り方。


「……王都の巡検隊だ。誰が呼んだ?」とカイが歯噛みする。

 松明の先頭が叫んだ。

「そこにいる薬師! お前は王都から追放処分を受けたリゼ・アルトリアだな!」

 最初に届くのが罵声なのは、王都らしい。


「違うわ。ここにいるのは――辺境の薬師」

 私はゆっくり立ち上がり、処方箋の束を掲げた。

「必要なものを、必要なだけ。王都の許可は不要。患者の許可は、もうもらった」


 巡検隊の一人が鼻で笑う。

「追放令嬢の“薬”など、信用できるか」

「なら、飲んでみる?」

 私は水のフラスコを差し出す。

「毒にも薬にもならない女の水よ。あなたの喉の乾きには、たぶん効く」


 笑いが消える。巡検隊の視線が、水と私と患者の間で揺れた。

 その時――峡谷の上で、岩が鳴った。

 乾いた夜に、湿った音。崩れる前の、いやな音だ。


「伏せて!」

 叫びながら私は香の小瓶を割り、青い煙を風上へ。恐れを薄める、臨時の結界。

 頭上で岩が裂け、石の雨が夜を叩いた。


 ――星空に、処方箋の余白が一枚、増える音がした。



 崩落がおさまると、巡検隊も村人も誰も喋らなかった。

 最初に立ったのは、カイだ。

「続きは明日でいいか、王都の人間。今は、こいつらの拍を守るのが先だ」

 私は頷き、患者の額から土を払う。巡検隊の隊長が、わずかに顎を引いた。

「……処置の続行を許可する。責任は私が取る」

 その“許可”は、ここではもう不要だったけれど。


 私は処方箋に、一行だけ書き足す。

《副作用:腐敗した権力に効く可能性あり》


 ――追放令嬢の薬は、体に。処方は、世界に。

 辺境の夜風が、瓶の口で小さく鳴った。


本日の処方メモ(3行)

・薬は「量」で性格が変わる。善も悪も同じ。

・“恐れ”は増える薬。だからまず減らす。呼吸は最強の解毒。

・水は最初の薬。土地の水に合わせて、人も処方する。

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