工作船の中で
荒ぶる海を、一隻の工作船が航行していた。
漁船に偽装された工作船は、豪雨と荒波の中で激しく揺れている。
波は十メートルに迫りつつあり、工作船の小さな船体を容赦なく襲う。
船内は隙間から染み込んでくる海水で水浸しになっており、乗組員たちが必死に操船を行っていた。
エンジンが悲鳴を上げ、工作船は山のような大波を乗り越える。
くるぶしの下あたりまで水が入ってきている船内の兵員室では、焦茶色の戦闘服を着て作業帽を被り、銃床折り畳み式の自動小銃を抱えた十二名の兵士が、出撃の時を待っていた。
兵士たちは無表情で、その心情は読み取れない。
ただ、戦闘服の方に縫い付けられた赤い星と剣のワッペンから、彼らがウーフェン共和国軍の精鋭部隊たる特殊作戦軍に所属しているということだけは分かった。
「ひどい時化だな」
兵士たちの隊長である共和国軍将校のレーナ大尉は、船の操舵室で外を眺めながら、そう言った。
彼女は美しい銀髪とマリンブルーの瞳が特徴的な女性兵で、小型の短機関銃と拳銃で武装している。
現在、彼女はウーフェン共和国特殊作戦軍、第二特殊作戦旅団の一個小隊十二名を率いて工作船に乗り込み、攻撃目標へと向かっている最中だ。
大波が操舵室の窓を殴り、甲板を洗い流す。
レーナ大尉の澄んだ瞳は、大波と雨で霞んだ海を睨みつけていた。
「ええ。ですが、この時化は我々の味方ですよ。おかげでダミア帝国軍は沿岸の監視をほとんど行なっていない。上陸するなら、今がチャンスです」
ウーフェン共和国を出発して数日間。ついに彼らはダミア帝国領の奥深くへ到達しようとしていた。
「ここまで我々を運んでくれてありがとう」
「仕事ですから。帰りも任せてください」
若い船長は、そう胸を張る。
レーナ大尉は曖昧に笑う。
彼女に、生きて帰れる自信はなかった。
攻撃目標は、ダミア帝国軍最大の空軍基地である、レトナーク空軍基地。
主に爆撃機部隊が駐屯しているこの基地は、ダミア帝国軍によるウーフェン共和国に対する爆撃において、最も重要な拠点の一つとなっていた。
もちろん警備も厳重だ。だが、レーナ大尉と彼女の率いる特殊部隊員たちの力があれば、多数の爆撃機を破壊して、基地の機能を一時的に喪失させるぐらいならできるだろう。
だが、そこから生還する自信が、レーナ大尉にはなかった。何しろ、数百名の警備兵によって守られた地上の要塞だ。それに、軍上層部はレーナたちの生還を期待していない。
一年前から続くダミア-ウーフェン戦争も、いよいよ大詰め。
ダミア帝国軍による連日の砲爆撃と地上侵攻により、ウーフェン共和国はこの世界から永遠に消え去ろうとしている。
独裁的な政党により支配され、世界各国に喧嘩を売り続けた小国の末路として相応しい最後。
この作戦は、そんなウーフェン共和国による最後の足掻きだ。
しばらくして、工作船内に一際大きな衝撃が走る。揺れが止まった。
工作船が砂浜に乗り上げたのだ。上陸用舟艇のような運用を想定されている工作船の船首には観音開きのハッチが取り付けられており、兵員室から直接兵士を揚陸することが可能だ。
ハッチが開き、特殊部隊の隊員たちが次々と下船していく。
砂浜の向こうには森があり、そこからレトナーク空軍基地まではすぐだ。
「それでは」
レーナ大尉は船長に一礼して、下船する。
「ご武運を」
船長は最後にそう言って、深々と頭を下げた。