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魔王の選択のその先で

「マオー!こっちこっち!」


 幼馴染のリナベルに呼ばれて、()は早足になる。

 今日は十五歳の成人の儀だ。

 成人を祝う神事のため、町では三日間お祭りが開かれて賑わっている。

 今日、儀式に一緒に参加しようと約束していた幼馴染達が私を待っていた。


 町の真ん中の特設された祭壇で神事が始まる。司祭が歌うように祝詞を口にし、祝福のため天に高々と手を掲げると、晴れ渡った空からキラキラと光る花びらが舞い落ちた。

 周囲からワッと歓声が上がったのが聞こえ、隣に立つリナベルや幼馴染達とも笑顔でお互いを祝福した。


 白い、けれども同色の刺繍で意匠を凝らしたワンピースと、色とりどりの花を髪に飾り、リナベルと踊る。

 その後、成人を喜び涙する両親と踊った。幼馴染達とも交代で踊った。


 その幼馴染の一人から、翌日の祭りに誘われ、そして告白された。

 澄んだ青い瞳は煌めいていて、成人の儀に見たあの晴れた空のようだと思った。


 それから数年かけてお互いに仕事に励みつつ、穏やかに愛を重ね、結婚した。

 夫は私をそれは大切にしてくれて、短い髪も似合いそうと言えば、翌日にはバッサリと切って私を驚かせることもあった。

 リナベルも違う幼馴染と結婚して、同じ時期に子どもを産んだ。

 初めて子どもを産んだ時、あまりに辛そうな私の様子を見て、夫がひどい顔で泣いていたので、思わず笑ってしまった。

 忙しく、子どもがいて刺激的なこともありながら、常に笑いが絶えない日々だった。

 三人産んだ子ども達は大きくなり、それぞれ成人の儀を経て巣立っていった。

 それぞれが私のことを大事にしてくれて、夫にはなぜか塩対応だったりもしたけれど、それでもみんな愛があった。


 そして、夫と穏やかな日々を過ごし、夫を先に見送った後、とうとう私自身も神の身もとに旅立つ日がやってきた。

 子どもと孫に囲まれ、感謝の言葉が聞こえる。

 もう言葉にできないけれど、私も感謝を伝えたい。

 色々なことがあったけれど、本当に素敵な人生だった。

 この先、あなた達に、幸せが、降り注ぎます、よう、に……。




***




 気がつくと、大きな泉の前に立っていた。

 泉を見ていると、幸せだった記憶が曖昧になっていく。それがとても怖くて、泉から目をそらす。


「これは、想定以上だったな。彼に感謝しないと」


 先ほどまでは気配がなかったのに、瞬きすると、明るい茶色の髪に、榛色の瞳の美しい白の外套を纏った、整った顔の美男子が隣に立っていた。


「僕のこと、思い出せる?」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中に情報が溢れるように、魔王の記憶を思い出した。

 ああそうだった、と自分に染み込む記憶が懐かしい。

 一方で、フィニマで得た幸せな記憶が失われていくのがとても嫌だった。

 夫のことも、子ども達や孫達のことも、忘れたくない。

 だから魔王の記憶なんて、思い出したくない。


「やっぱり、抵抗があるな」


 そう呟いて思い悩む様子の勇者が酷く恨めしい。

 この人のせいで記憶が無くなっているのだと直感で分かった。


「ごめんごめん、そんな顔で見ないでよ」


 勇者はニコリと笑って、パン、と手を叩いた。

 すると、朧げだった記憶が徐々にはっきりしてくる。

 

「何をしたの?」

「君の記憶を消すのをやめただけだよ」


 勇者は笑顔のまま恐ろしいことを言った。

 それはつまり、いつでも消せるということじゃないか。

 思わず一歩後ずさる。


「ちょっと待って、ちゃんと説明するから。まずは、君の願いから。覚えてるよね?」

 

 あの時、魔王は普通の人として生きてみたいと願った。

 あの赤子のように、父や母の愛を受け、愛を返して生きてみたいと。

 そして魔王は、フィニマのとある町で、赤子の「マオ」として生まれた。

 魔王としては性別を意識したことがなかったが、女性に生まれたのは神のご厚意らしい。

 いつか、自身で子を産み育て、命を祝えるように。


 勇者はそのことを序列二位の魔王に伝えに行ったらしい。そしたら暴動が起きた。


「え、暴動?」

「そうなんだよ、君、人気高すぎない?」


 なんでも、序列二位が烈火の如く激怒したらしい。

 前世でもそうだが、勇者から聞く二位と私が記憶している二位は別人じゃないかと思う。

 以前とは違い、神託という形で二位の夢に出ただけだった勇者は、夢なのに魂の危機を本気で感じたらしい。

 そしてその二位の怒る様を見て、事態を把握した十位までも同様に怒り狂い、ボイコットを始めたと。

 なんなら、二位は自死してでも天に昇ろうとしたらしい。

 自死では天に昇れないと、慌てて勇者が神託を下ろしにいって、また死にそうになったとか。


「やっぱり魔を統べる魔王って、二位以下も伊達じゃないよねー。うっかり輪廻に流されちゃうとこだったよ」


 なんてぼやいていた。

 私のせいでご迷惑をかけたようで、申し訳ない限りである。


「その様子を見て、神がオールドー様と僕を遣わしたんだよ」


 オールドー様は、秩序を司る神様らしい。

 そして、勇者はまたしても人間になって行ったわけではなく、今度は普通に天の遣いとして下界に降りたようだ。

 そうして魔王達と話し合い、私と同じように魂をフィニマに連れて行くことで納得してもらったらしい。


「それで、十位までの魔王の体を休眠させて、ちょっと身軽にしてから魂だけこっちに連れてきたのさ。皆君よりは抱えるものが少なかったから、この姿で迎えに行けて良かったよ」


 十一位以下もうるさかったらしいが、そこはもうオールドー様の神のご威光で黙らせたらしい。

 意外と力技だ。

 勇者曰く、十位と十一位の差は高い山の山頂と谷底くらい差があるから問題ないとのことだった。


「さて、問題です。その後彼らはどうなったでしょう」


 勇者が問いかけてくるが、私も薄々気づいていた。

 それってきっと、そういうことなのだろう。


「うん、正解だよ」


 答えてもいないのに、私の顔を見て察したらしい勇者が答えた。




***




 私は、いつかぶりの魔王城に帰ってきていた。

 まだ記憶保管庫には寄っていない。きっと、魔王の頃の記憶を受け止めるとしばらく動けなくなる。

 その前に会いたい人がいた。


 その人は、私が気配を辿っていたのと同じように、こちらの気配に気づくなり近づいてきていた。

 廊下の向こうに姿を現した彼は、私の前に盛大にスライディング土下座した。

 この土下座、リナベルのお父さんがお母さんを大層怒らせた時にやってたな……と思い出す。

 これは下界にはない、フィニマにしかない文化だ。


「久しぶりね」


 声をかけるが、顔を上げない。

 以前、赤子に入る前に見た時は長かった髪が、さっぱりと短くなっている。

 そのつむじを眺めながら、声をかける。


「デウティ、お願い、立って」


 彼の愛称を呼びながらそっと屈むと、その手を持って立ち上がらせる。

 彼、序列二位であるデウテロンの顔は硬く、そして私に叱られるのではないかと怯えているようだった。


「申し訳ありません。私達はあなたの意に反して天に昇り、あなたの安寧の時間に介入してしまいました」


 あなたは我らに託してくださったのに、と呟く。

 どうやら前世の私が最後にそう願ったらしい。

 私が全ての責任を持ってお怒りはお受けします、と彼はまた頭を下げる。


「あなたがどうして介入したのか、聞いたわ」


 勇者はあの後教えてくれた。なぜ、彼らが激怒し、天に昇ろうとしたのか。


「あなた達は守ろうとしてくれたのでしょう?幸せの記憶を失うことを恐れ、神を恨みここに戻ってこれないかもしれなかった、私の心を」


 実際にその通りだった。私は記憶を失いたくなかったし、魔王の記憶を取り戻すまで、いや、取り戻してからも、先に逝った夫の元に行きたいと願っていた。

 あの時、幸せな記憶が奪われることに恐怖したのはいまだに忘れられない。

 あのままだったらどうなったのか、私にはわからない。


 目の前にいるデウテロンは勇者から話を聞いた時、そうなることを予見し、人として穏やかに過ごすことが私の幸せだと信じている勇者に、そして神に激怒したらしい。それは他の魔王も同じだった。

 魔王としての記憶を持たない私が、ただの人としての幸せな人生を歩めばどうなるか、私とともに下界の人に寄り添い、嘆きや苦しみを浄化していた彼らには容易に想像がついた。

 私はあの時、魔王としての記憶を失っていたから、そこまで考えられなかっただろうこともわかっていたようだ。

 だから、私が記憶を無くさなくて良いように、勇者を半ば脅し、神にさえ反抗して意志を示したのだ。

 彼らが家族としてあれるように。


「感謝しかないの。おかげで()は、愛していた夫のことを忘れないでいられるし、こうしてまた会うこともできた」


 姿が変わっても、彼は間違いなく私がフィニマで愛し、共に過ごした夫だ。

 そう、あの時、勇者に問われた時にすでにわかっていた。彼らはきっと、フィニマでの私の家族になったのだと。

 デウテロンは、私の言葉を聞いて、思わずといったように顔をあげた。


「デウティ、私とまた一緒にいてくれる?」


 そう願った私の声に目を瞬かせた後、彼は何度も頷き、その綺麗な青い瞳から大粒の涙をこぼした。

 私の夫は、今も昔も実は泣き虫なのだ。


 そこから、上位魔王不在時に下界を守ってくださったオールドー様に謁見し、感謝をお伝えした。

 お名前から男性を想像していたが、たおやかな女神だった。

 彼の神は笑って、下界のことに関われて楽しかったし、上位が全て揃うまではまだここにいるとのお言葉をいただいた。

 十一位以下を黙らせた威光を持ち出す方には見えないが、それはもっと落ち着いてからデウティに聞けばいい。

 人ではない私たちには、余りある時間があるのだから。




 そうして私は記憶保管庫へ向かった。

 ふわりふわりと揺れる、あのふわふわした光達が出迎えてくれた。

 保管庫の中は光達で溢れており、眩しいくらいだ。


 私はデウテロンに目配せして、光達を呼び寄せる。

 戻っておいで、と。

 最初は少し戸惑った様子だった光達だったが、一つが私に飛び込むと、どんどんと私に飛び込んできた。

 自分の欠けていたものが戻るような、温かな気持ちになる一方、どんどんと体が重くなってくる。

 自分の体を支えられなくなる前に、デウテロンが私を支えてくれた。

 その腕に安心して身を任せ、そしてしばらくして私は意識を失った。


 ひとつ、心配していたことがあった。

 魔王の本来の記憶を取り戻した時、私が私ではなくなるのではないか、と思ったのだ。

 デウテロンもそれを気にして、しばらくはこのままでいいのでは、なんて言っていた。

 けれども私は記憶を戻すことを決めた。

 理由は単純だ。私には子ども達がいる。その子達はフィニマでの生を終えれば、こちらに戻ってくる。

 問題があったとしても、あの子達を迎える前に、全てを終わらせておきたかった。

 

 そうして記憶を取り込み、自分に馴染ませるまでに、随分と時間がかかった。

 時折は目を覚ましたように思うが、余り記憶はない。




 ある日、唐突に目が覚めた。

 起き上がってぼーっとしていると、バタバタと音がして彼が部屋にやってきた。

 彼は緊張を隠せない様子でこちらを見つめている。

 ああ、彼もフィニマでの生活を経て、変わったのだなと思った。

 前の記憶では、もっと飄々としていたから。


「どれくらい時間が経ったのだ?」


 おっといけない、記憶に言葉が引っ張られている。

 以前はフィニマでマオとして生きた年数の方が、魔王としての記憶より長かったが、魔王の膨大な記憶を取り込んだところ、少し魔王が優位になっていたようだ。

 なんてことを考察していると、デウテロンは目を見開いた後、一度ぎゅっと目を瞑る。

 次に目を開いた時は、以前の飄々とした、何を考えているのか分かりづらい彼の表情になっていた。


「魔王様が目覚められて何よりでございます。魔王様が記憶を取り込まれてから、三年が過ぎました」


 彼は言った。

 私はそう、と答えて目を閉じた。三年が長いのか短いのかわからないが、魔王の生の長さを思えば短いのかもしれない。

 改めて、自身の記憶と向き合う。


 私の中で、魔王の記憶は大きい。だが、あの時の魔王は純粋すぎた。いつまでも子どものままでいられる御伽話の妖精のようだ。

 ものすごく長い幼少期を経て、その後短くとも密度の濃い、そして自身の幸せを願ったフィニマでの大人としての記憶があるような状態だった。

 以前の魔王とフィニマのマオがきちんと混ざり合って、そしてひとつの人生になったような、そんな感覚だ。


「ごめんなさい、デウティ。少し記憶に引っ張られたみたい」


 私は彼を見つめながら、今の自身の状態をつらつらと説明する。そして言った。


「さあ、子ども達はまだ帰ってこないけれど、彼らがいつ帰ってきてもいいように、()()も準備しなければね」


 そう笑顔で言えば、顔をくしゃくしゃにして青い瞳から涙をこぼす私の夫は、やっぱり泣き虫だった。

 



 それからのことは、概ね予想通りだろう。

 子ども達と孫達はちゃんとフィニマで天寿を全うしてきたらしい。

 順繰りと城に帰ってきて、それぞれ再会を喜んだ。

 こうして出会って思い返すと、やはり勇者と出会ったあの赤子に何かしなくて本当に良かったと思う。

 子どもに何かされて平静でいられるとは思えない。


 最後の孫が帰ってくるまでは時間がかかったけれど、それも私たちにとってはわずかな時間。

 オールドー様は最後の再会を喜ばれた後に、依代を残して神の国に帰られた。

 秩序の力で押し留めていたものが、少しずつ溢れるかもしれないからと、御力の影響を少しずつ減らせるようにしてくださったのだ。

 後に神託という名を借りて夢に遊びに来た勇者に聞けば、オールドー様は私達が神と呼ぶ主神の愛娘らしい。

 力の強さも相まって、以前人の国で狙われたこともあり、人の世に送り出されることはほとんどないのだとか。

 そんな方を送り出していただいた挙句、長い期間下界に留めてしまった事に申し訳なさを感じていると、勇者は笑って言った。


「神は、魔王達の訴えを聞いて、浅慮だったとおっしゃっていたから、その罪滅ぼしだよ。気にしなくていいって」


 神でも反省というか、そんな人間じみたことをされるのだな、と意外に思った。


 そうして、魔王として人々に寄り添い、悲しみや苦しみを共に受け止め、そして澱みを浄化する日々に戻った。

 以前より純粋さは失われたかもしれないが、人の嘆きや苦しみをもう少し理解できるようになったように思う。

 それに、一人で抱え込むことも無くなった。一人ですり減っていくことも、もうない。


 私の隣には愛する子どもや孫たちと、私を大切にしてくれる夫がいるのだから。





Fin.

お読みいただきありがとうございました。

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