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我輩、魔王。いま赤子の中にいるの。

久々の投稿です。よろしくお願いいたします。

吾輩、魔王。

いま赤子の中にいるの。


おっと待った。

今、吾輩が赤子に取り憑いたんだなとか思ったであろう。


そうではない。

吾輩は取り込まれたのだ。

この、勇者の生まれ変わりの赤子に。




***




吾輩は、魔王である。

序列はまだない。


神は何を思ったか、無垢な魔王を数多作り出し、ある条件を満たすことで序列に加えた。

序列に加えられると、受肉と言って人の形をもらえるのと、謎に能力が上がるらしい。

我々ただの魔王(ただのふわっとした光達)は序列に加わることを目指しているが、条件がわからなければどうしようもない。


吾輩も何が条件かさっぱりわからなかったが、序列高位の魔王の友人から、勇者をあの世へ送れば序列に加えてもらえるとの情報を得たので、さっそく実践してみることにした。

ちなみに友人は、たまたま目の前に死にたがりの勇者がいたので仕留めたらしい。

運がすごい。


その友人がこう言った。


「そういや、俺が仕留めた勇者、転生して今赤ん坊になってるらしいわ」


ほほう、それはそれは。

ただの魔王でも赤子には負けるまい。


友人が受肉して得た銀色の前髪をサラサラと何度もかき上げているのを横目で見ながら、吾輩はほくそ笑んだ。

目も口もないけど。


善は急げと友人から聞いた勇者の居場所へ飛ぶ。

幸いにも、他の魔王達の姿はそこにはなかった。

ただ、問題がひとつ。


なんと、その赤子はまだ生まれてなかったのだ!

お産の真っ最中である。


やむを得まい、と赤子が産まれるのを待つことにした。

母親の横で待機する。

吾輩、魔王。今、あなたの隣にいるの。

なーんて、某怖い女の子の真似でもしないとやってられない。


にしても、人間は大変だ。

赤子を産み落とそうとしている母親の必死の形相を見ながら考える。

吾輩、あんな苦しそうな思いなどしたくはない。


勇者の魂をあの世に送った後、この赤子はどうなるのであろうか?

産まれてすぐに死んでしまうと、母親が悲しむであろうな。

なんと憐れなことだ……ちょっと同情してしまうではないか。


吾輩は慌てて首を振る。(実際は光る球がふよふよと揺れただけだ)

うっかり同情心で、本来の目的を忘れてはならぬ。


そうこうしているうちに、赤子が生まれるようだ。

周りの人間どもが、母親に「頭出たよ!」なんて声をかけている。

どれどれ、吾輩も赤子の顔を拝みに行くかな、なんてことを思いながら、母親の股の間まで飛んでいく。

次の瞬間、人間のひとりが赤子を両手で持ち上げた。

あ、生まれた。

というか、吾輩より人間の赤子の方が大きいではないか。吾輩の体とあの握っている手、大きさではいい勝負である。

ん?この場合、どうやって魂をあの世に送ればいいのだ?

あれ?んんん?と高速で思考を巡らせていると、赤子が大きく口を開け、盛大に泣いた。

元気でよいではないか、と思った次の瞬間、吾輩は赤子の口に吸い込まれていった。


いやいやいやいや、こんなことが起こるなんて聞いていないぞ!

吸い込まれる一瞬、視界の端っこで、友人の高位魔王が、自慢の髪が乱れるのも気にせずに爆笑しているのが見えた。

おのれ、覚えておれよ……いつかその髪むしってやる。

赤子が口を閉じると同時に、吾輩の意識も暗転した。


そうして次に目を覚ました時、吾輩は光り輝く球の側にいたのだ。

そして冒頭へ戻る。


吾輩、魔王。

いま赤子の中にいるの。


意識を失うなんて、生まれて初めてのことで動揺しながら、状況を把握する。

お隣の球は明るいが、辺りは真っ暗だ。

赤子に吸い込まれて、それで、今どこにいるのだ?

この光る球は怪しいが、触れていいものなのか……。

序列なしの魔王たちの中でも、ひと際輝いていた吾輩よりも輝いている。

なんだかじぇらしーを感じるではないか。


だが、もしかして、これはあれではないだろうか。

勇者の魂ではないだろうか?

吾輩が光る球の周りをくるくると回っていると、光る球から声がした。


「君は誰?どうしてここにいるの?」


吾輩、びっくりして後ずさりする。が、負けじと無い胸を張って近づいた。


「吾輩、魔王。序列はまだない。おぬし、勇者の魂で相違ないか?」

「そう、魔王なんだ。すごいねえ。うん、僕は勇者で間違いないよ」


なんだかのんびりした輩である。

こんなので、この世の荒波を超えていけるのか。


「勇者、とな。では、その魂を吾輩に捧げてもらおうか」

「僕の魂を?……うーん、残念だけど、ちょっと難しいみたい」


もしかして検討したのか?

ますますおかしな奴である。


「いいや、問答無用。ていやー!」


吾輩は、思いつくままに勇者(光る球)に体当たりした。

が、キン、と高い音がして、跳ね返される。

勇者、硬すぎじゃね?

負けじと何度か体当たりするが、まったくもって歯が立たない。

どうしたものか、と光る球を眺めていると、周辺が一部明るくなってきた。

何が起こるのか、と身構えつつ、勇者と距離を詰めて置く。

断じて、怖いから近くに行ったのではない。


明るくなってきたところが像を結び、何かを映し出した。

まるで、人間たちが見ている映画のようだ。

こういう時に良い例えが出てくるのが、(暇すぎて)人間界を飛び回っていた甲斐があるというものよ。


映像には、先ほど赤子を産んだ母親と、吾輩を吸い込んだ、生まれたばかりの赤子が映っていた。

どうやら初めて乳を飲むらしい。

映像の中で、母親が悪戦苦闘しているのが見えた。


「わあ、赤ちゃんだ。かわいいねえ」

「え、あれおぬしじゃないの?」

「え?僕、生まれてるの?」

「いやいや、我はあの赤子に吸い込ま……いや、あの赤子の口からここにたどり着いたのだぞ。あの赤子はおぬしであろう」

「そうかな、全然そんな感じしないけど……。まあいっか。ほら見て、ようやくお乳がのめそうだよ」


映像を見ると、ようやく赤子が母親の乳に吸い付いたところだった。

母親は、汗だくである。側で別の人間がこうした方がいい、ああした方がいい、と助言しているのも見える。


「人間は、乳を吸わせるのにもひと苦労なのだな。って、乳を離してしまっているではないか」


赤子がぽろっと乳から口を離した。母親が慌てて再び口に含ませようとするが、赤子は全く違う方向を向いてしまって、うまくいかない。

首が座らずふにゃふにゃしている割に、顔を背ける力が強いせいで、中々難しいようだ。


「おぬし、この赤子であろう。もう少しちゃんとできぬのか?」

「うーん、そう言われてもね……。僕の感覚としてはまだ生まれてないから、体に指示を出すとかできないんだよねー」

「なんということよ……」


ますますあの母親が不憫になってきた。

大汗をかく母親によって、赤子は再び乳を口に含ませられ、ちゅばちゅばと吸っている。

と、映像が徐々に暗くなってきた。


「あ、寝る時間だね」


勇者がそういうと、映像は消え、心なしか球の光が暗くなる。


「どうしたのだ。ただ乳を吸っただけではないか」

「うーんとね……体力がないんだよね。いつもこんな感じだし。眠いから寝るねーおやすみ」


勇者の光がどんどん暗くなると同時に、吾輩も強烈な眠気に襲われて、眠りについた。




それからしばらくは、同じような状況が続いた。

勇者が光を取り戻すと、吾輩の目も醒め、またあの映画のスクリーンが広がり外の様子を映し出す。

大体は乳を吸っている所で、時々、あの母親が笑いかけてくる。

かわいい、かわいいね、と本当に愛おしそうな顔で言われると、なんだかむずむずした。


しばらく、眠り続けたこともあった。

母親の近くにいた人間が、「赤ちゃんには眠り期があるんですよ」なんて言っていたので、たぶんその時だと思う。

勇者はほとんど暗くなって応答しないし、吾輩も眠気に抗うことができなかった。


よく眠った後は、頻繁に目覚めるようになった。

その頃には、吾輩はこの状況に慣れていたし、楽しんでいた。

赤子の感覚が少しわかるようになっていた。

夜中に何度も乳を求めて目が覚めた。

時々、乳ではなく、母の温もりを求めて泣いているときもあった。

慣れ親しんだ場所となんだか違う。いつもより、世界が少し寒いような気がして、泣いた。


時には、あまりにも泣きすぎて、母親を泣かしてしまった時もある。

本当に申し訳ない、吾輩もなぜ泣いているのかわからぬのだ。

何かきっかけはあったはずだが、何だったか忘れてしまい、泣かなければという思いだけが残る。

必死に抱っこして、半分泣きながらあやしている母親を見ていると、吾輩まで涙が出そうになった。

これからは、敬意をこめて母君と呼ぼう、そうしよう。

ある晩、母君が乳をあげている時に、赤子が腕で妨害しながら泣いているのを見て、付き添っていた人間が、当たり前のようにさらりと言った。


「この時期の赤ちゃんは、まだ生まれたことに気づいてないんですよ。自分の腕も認識できないし。自分の腕がお乳飲むの邪魔してるとか、わかってないんですよね」


生 ま れ た こ と に 気 づ い て な い ! ! !


これを聞いた時、勇者が「ほら、言ったでしょ?」というように吾輩の顔を見た。

(お互い光る球だが、このころには何となく何を考えているのか読み取れるようになっていた)


いやいや、普通に乳を吸い、呼吸し、嫌なことがあれば泣いているのに、まさか生まれたことに気づいていないとは思うまい!

ほら、母君も「え、生まれたこと……え?」って動揺しておるではないか。


どうやって乳を吸っているのか不思議だが、勇者曰く、反射でなんとか飲んでいるらしい。

唇や頬に当たったものを探す探索反射、唇や舌に物が触れると捕まえるようになる捕捉反射、唇や舌で補足したものを吸う吸啜反射。

付き添っていた人間からも同じような説明を受けた母君も、原子反射って、ただ指握ってかわいーってだけじゃないんだ、と呟いた。




生まれてからすぐは少し離れた視点だった映像が、時々赤子の近くからの視点も混ざるようになっていた。

勇者は、赤子の目が見えるようになってきた証だという。


おむつ替えをしている母君を眺めていることもあった。

おむつを替えるたびにうん○をして、一度に三回も交換させていた。

もうちょっとどうにかならんのか、と勇者に苦言を呈したが、「だって僕、まだ生まれたことに気づいてないし―」とイラつく返しをされる。

母君は驚きながらも、「一回で全部出てくれると嬉しいけど、難しいのか……」なんて言いながら、少しおぼつかないながらも、最初よりは慣れた手つきでおむつを交換してくれた。


そんななんだかバタバタした日々を過ごしていると、母君が小ぎれいな洋服に着替え、にこにこしながらフリフリのドレスを持ってきた。

念のため言っておくが、赤子は男の子である。


「赤ちゃんにはやっぱりフリフリ着せたかったんだよねー。男の子だけどごめん!ジェンダーレスってことで許して!」


そう言いながら着替え前のおむつを交換した。

赤子もフリフリドレスに驚いたのか、初めてうん○もおしっ○も母君にひっかけている。

どうにかならんのかー!と勇者に詰め寄ったのはお約束である。




フリフリの洋服に着替えさせられ、赤子を抱えた母君が歩き始めた。


「退院、おめでとうございます」


すれ違いざまにそう言ったのは、いつかの夜に、赤子が生まれてるの気づいてない発言をかました人間である。


「ありがとうございます」


 母君は笑顔で答えて、赤子が生まれてから滞在していた場所から出ていった。


「もうすぐお父さんに会えるよ」


 母君が今までにない笑顔で、吾輩に向かって言った。

 最近、映像が赤子の視点からしか見えなくなっていたので、赤子へ微笑みかけられたのが、吾輩に微笑みかけられた気がして、なんだか温かい気持ちになった。

 隣で勇者も、「お母さんの笑顔って安心するよねー」と言っている。

 その時、このままでいいのだろうか、とチクリと吾輩の心を何かが刺激した。

 吾輩はその疑問に気づかないふりをして、母君の顔を見続けた。


 お父さんこと父君は、建物の入り口で待っていた。そして吾輩の事を見るなり瞳を潤ませた。

 どうやら、母君の部屋まで入ることができなかったらしい。


「こんなに、ちっちゃいんだね……」


 母君から吾輩を受け取って、恐る恐る抱っこする父君は、緊張しながらも、母君と同じ愛おしさを感じさせる目で、吾輩を見つめていた。


 手続きを終えて、病院とやらを出てから、吾輩は車に乗せられ母君と父君の家に到着する。


「おうちについたよ」

「ようこそわが家へ」


 マンションの一室に、準備されたベビーベッドに寝かされながら、吾輩は考える。

 今朝、思い出してしまった疑問。このままでいいのか?吾輩は、勇者を倒さねばならぬのに、こんなにのんびりしていていいのだろうか。

 吾輩を覗き込む父君と母君を見ながら、吾輩は決意できずにいた。


 その晩、真夜中のミルクタイムに勇者に話しかけた。


「なあ、勇者」

「ん?なんだい?」

「吾輩は、おぬしを倒すためにここにやってきたのだ」

「うん、そうだったね」

「なのに、今はそれが正しいことだと思えぬ」

「へえ、そりゃどうして?」

「吾輩、赤子に吸い込まれてから、ずっとこの赤子を見てきたのだ。そして思った。こんなに愛されておる子をあの両親から奪ってよいわけがない。おぬしを倒すことは、赤子を殺すことと同義。それは、筋が通らぬ気がするのだ」

「君、魔王じゃなかったっけ?」

「吾輩は魔王である。だが、おぬしはともかく、この無垢な赤子を害することは魔王の仕事ではない。吾輩の美学に反するのだ」


勇者との、このへんてこな生活を失うのも惜しいだなんて、本人には言えない。

照れるではないか。


「ふーん、そっか……」


 勇者は何かを考えているようだ。沈黙が痛い。

 本当のことを伝えた方がいいのだろうか。だが、それでは吾輩の魔王としての存在意義の問題にもなってくる。

 辺りが暗くなってきた。赤子は眠りにつくようだ。


「そうだね、もう少しだけ待って。そしたら、いい方法があるかもしれないから」


 勇者はそう言って、眠りについた。

 いい方法、という言葉が吾輩の中を嵐のように通り過ぎていく。

 そんな方法があるならと、心を温める想いに、とてつもなく泣きたくなった。

 いつもの強烈な眠気の中、吾輩は初めての思いに戸惑っていた。




 それから数日、変わらない時を過ごした。

 病院の時よりも少し大変そうな母君。

 夕方の風呂の時間になると外から帰ってきて、慣れない手つきで風呂に入れてくれる父上。

 夜中も泣いてしまう赤子。

 勇者とも、変わらぬ日々を過ごしている。

 おむつ交換のタイミングでおしっ○を噴射しては勇者に怒り、父君にうっかり顔にお湯をかけられて二人でびっくりし、夜中に泣く赤子をあやす母君に感謝する。

 父君の太い腕や膝の上はすごく安心できて、眠くなかったはずなのにうとうとした。



 そして、その日は来た。


「お待たせしてごめんね」


 母君が吾輩を覗き込んだ。


「やっと決まったんだ」


 父君が笑顔で続けた。


「名前が決まったよ。名前は、――!」


 名前が発せられると同時に、視界が真っ白になった。

 隣の勇者がものすごい光を発しているのだ。


「ゆ、勇者!大丈夫か?!」


 光り続ける勇者の光の圧が強すぎて、直視できない。

 しばらくすると、光が徐々に落ち着いてきた。

 勇者の方を見ると、勇者が二つに増えていた。


「え、え?分裂したの?!」


 おろおろしていると、勇者の声が聞こえた。


「落ち着いて、分裂したわけじゃないから」


 よく見ると、二つの球の明るさが違う。元の勇者の明るさの球と、少し暗い球。

 勇者の声は、少し暗い球の方から聞こえてきた。


「これは分裂じゃなくて、分離だよ。僕もね、今思い出したんだけど……」


 勇者の説明によると、この世界の人の赤子の魂は、生まれてすぐは無垢で何色にも染まるため、悪いものが乗っ取りやすくなっているらしい。

 神様はそれを憐れんで、赤子の魂が悪いものをはじくだけの力をつけるまで、勇者のように亡くなった人の魂に子守りを頼むのだそうだ。

 それを承諾した魂は、生まれる前の赤子の元へ送られ、赤子の魂を覆う殻となる。


「赤子の殻になってる間は、意識がぼんやりして、あんまり難しいことが考えられなくなるんだよね」


 だから、常々のんびりしていたらしい。


「生きることへの未練とか、やり残したこととか、人それぞれ色々あるからねえ……」

「そういうことか……」


 赤子の魂を守る魂が、逆に赤子の魂を喰いつくしてしまうようなこともあったのかもしれない。

 恐ろしいことだ。


「さて、魔王」

「ん?なんだ?」

「君はこの間言っていたね。僕を倒したいと」

「……ああ、そうだな」

「今こそチャンスだと思うけど、どう?」


 勇者から言われて、吾輩は言葉を探す。

 答えは、ここ数日で既に出ている。だから、後は言葉にするだけである。

 勇者の隣の赤子の魂は、まだ何も声を発さないが、きっと吾輩の行いを観察しているであろう。

 赤子の身体と同じように。


「吾輩は、魔王の看板を下ろすことにした」

「え、どういうこと?」


 いぶかしむ勇者にわかるように、ゆっくりと説明する。


「吾輩は魔王。序列はまだない。序列が欲しくて、勇者、おぬしを倒すためにやってきた」

「そうだね」

「序列は欲しい。だが、吾輩は、おぬしを消滅させてまで序列が欲しいわけではない。だから、おぬしを倒さぬ」

「……それで、別の勇者を探すの?」

「いや、それもせぬ。次の勇者もおぬしと同じように気の良い奴であったら、また倒せぬ。であれば、労力の無駄というもの。吾輩はただの魔王でい続ける方がよいのだ」

「挑戦せずにそんなこと言うなんて、ガッツが足りないというか、何と言うか……」

「何とでも言うがよい」


 吾輩は、大変気分が良かった。

 隣に控える赤子の魂に恥じない自分でいられる。


「まあ、君の言うことはわかったよ。では、僕と一緒においで。ここは彼の居場所だからね。もう僕たちはいられない」


 勇者が赤子の方を振り返った。吾輩も赤子を見る。

 注目を浴びた赤子の魂は、少し驚いたようだったが、ふわりと一瞬上下した。

 まだ言葉を覚えていない赤子なりの感謝といったところか。

 吾輩はそう解釈した。

 勇者が赤子を見つめる。


「君の誕生に祝福を。遠くから見守っているよ。幸せにおなり」


 勇者は赤子にそう告げた。

 赤子の魂が、再び上下した。


「では、善は急げだ。行くよ、魔王。僕の隣に来て。もう少し近く、それでいい。じゃあ、またいつかどこかで。さようなら」


 勇者が赤子に告げると同時に、体がぐいっと上に引っ張られる。

 ぴょんぴょんと何度も上下する赤子がみるみるうちに小さくなり、次の瞬間、辺りが明るくなった。

 外の世界に脱出したのだ。

 少しの間、減速する。

 久しぶりに外で見る赤子は、生まれた時より少ししっかりして、そして目を開けていた。

 その澄んだ瞳にくぎ付けになる。


「幸せに、なるのだぞ……」


 吾輩は思わず呟いていた。赤子に伝わったかはわからないが、あの身体の奥で、光の球がふよふよと上下しているところを想像すると、なぜか泣きたくなった。

 上に引っ張り上げられる力がさらに強くなり、じっとこちらを見つめる赤子を残して、上へと加速する。

 父君と母君が赤子を囲んでいる様子もすぐに見えなくなり、気づいた時には空にいた。


「吾輩は、あの赤子が羨ましい」


 遠くに見える地上を見つめながら、吾輩の口から言葉がこぼれ出る。

 聞こえているのかいないのか、勇者は何も言わない。


「あのように愛情を注がれて、幸せを願われる存在になりたい。吾輩は、誰かの命を奪うより、誰かの命を祝い、祝われる者でありたい。だが、吾輩は魔王だ。吾輩の一生では叶わぬ願いであろう」


 そこでひと息置いて呼びかける。


「勇者よ」

「なんだい?」


 やはり勇者は聞こえていたらしい。

 

「そろそろ吾輩を離してくれ。おぬしはこのまま神の元へ帰るのだろう?吾輩は魔王。神に創造された者だが、善とはかけ離れておる。ましてや赤子の命を狙ったのだ。神は受け入れることはないであろう」

「……これからどうするの?」

「今までと変わらぬ。他の魔王たちと暮らすだけよ。あの世とやらを覗きに行ってみてもいいかもしれぬな。おぬしも以前おったのだろう?思い出したくないであろうが、おぬしをあの世に送ったことで友人の魔王は序列を得たと言っておった」

「そっか。うん、わかった。それならなおさら一緒に行こう。僕が行くのは君が言う『あの世』だから。ちょっと覗いていけばいい」

「だが、神がいるのではないか?」

「神のおわすところは、あの世の隣だから。大丈夫だよ。さあ、行こう」


 赤子の中にいた時より、さらにマイペースさを増した勇者は、吾輩を離すことはなく、空高く昇っていく。

 そうして、我輩と勇者は「あの世」の入り口へ辿り着いた。

 入り口は、白い雲の上に突然現れた扉だった。

 白い石でできた扉の前に、勇者と共に到達すると、ひとりでに扉が開く。


「さあ、入ろう」


 勇者に連れられたままその扉をくぐると、一面の花畑が現れた。

 青い空の下、ザーッと花畑を渡る風の音が耳を満たしていく。

 舞いあげられた花びらが、キラキラと幻想的に輝いた。


「綺麗なところであるな」

「まあね、あの世だから。綺麗じゃないと、来た甲斐がないでしょ?」

 

 隣の勇者を見ると、なんと人型をしていた。

 歳のころは20前後だろうか。

 明るい茶色の髪に、榛色の瞳。金で縁取られた美しい白の外套を纏った、整った顔の美男子が柔らかく笑っている。


「お、おおおおお主、いつの間に人になったのだ?!」


 驚きすぎて大声を上げた我輩に、声が大きすぎるよ、と勇者は軽く耳を塞いで笑っていた。


「あの世では、魂の形が表に出るんだよ。君だって、今は姿が変わっているよ?」


 勇者の言葉に、弾かれたように下を見る。

 そこには確かに、思ったよりも小さな手と、黒いズボンに黒い靴を履いた足が見えた。

 動かそうと思うと、思った通りに足が動く。


「わ、吾輩、お主を倒しておらぬのに受肉しておるぞ」

「受肉じゃなくて、姿を映してるだけね。このまま下界に降りたら、さっきと同じ光る球だよ」

「そうなのか」


 まだ自分の目が信じられないまま吾輩が勇者を見ると、勇者はグイッと吾輩の腕を引っ張った。

 悔しいことに、身長は勇者の方がだいぶ上である。

 力も弱いようで、引っ張られて止まることはできそうもない。

 気づけばできていた花畑の真ん中に細い道を、勇者に連れられて進んでいく。

 先を行く勇者は楽しそうだ。

 何度かどこに行くのか聞いてみたが、勇者は「着いてからね」としか言わない。

 諦めて勇者と一緒にしばらく進むと、花畑が開けた場所に着いた。


 白い石畳で舗装された広場の中央に、人が腰掛けるのにちょうど良いくらいの高さの壁で囲まれた泉がある。

 渾々と湧き出る水が、泉の壁を伝って流れ出し、地面に落ちる前にどこへともなく消えていった。

 勇者は迷うことなくその泉の側まで歩いていく。

 どうやら目的地はここらしい。


「この泉は鏡になるから、君の姿を映してみるといいよ」


 なるほど、鏡として連れてきてくれたのか。

 吾輩も自分の顔が少し気になっていたのだ。

 さすが勇者、よく気がきくものである。


 吾輩が池を覗き込もうとすると、勇者が静止する。

 早く見たい気持ちを抑えて勇者を見ると、勇者が泉の水面を右手の中指で3回叩いた。

 次の瞬間、泉の底から何かが浮かび上がり、余波で水がだばっと溢れる。

 そして、泉の中央に、それはそれは大きな鏡が姿を現した。


 流れ落ちていた水が落ち着き、鏡が見えるようになる。

 鏡に映った勇者の隣には、黒髪に赤目、勇者より長い先の尖った耳の情けない顔の幼子が映っていた。

 世間一般的には整った顔、と評されるだろうが、とにかく不安そうな顔をしている。

 念の為後ろを振り向くが、いるのは吾輩と勇者だけだった。


「これが、吾輩なのか」


 声が掠れた。

 初めて自分の姿形を認識した瞬間だった。5歳くらいの幼子の姿とは、予想外である。

 鏡の中の自分を見つめていると、体がずん、と重くなる。

 あまりにも情けない顔に、気持ちが落ち込んだせいかもしれない。


「どうやら、うまくいったみたいだね」


 隣では勇者がにこにこしている。

 吾輩の気も知らないで、とキッと睨みつけると、勇者は驚いた顔をした。


「どうしたの?まだ体に違和感がある?」

「違和感などない。だが、この情けない顔を見ると、吾輩自身の不安が顔に出ているようで気に食わないのだ」

「そっか、違和感ないならよかったよ。魂の固定がうまく行ったみたいだね」

「え?」


 魂の固定?

 勇者が言っていることがよくわからず、鏡の自分の顔を見て、手のひらへ視線を落として何度か指を開いたり閉じたりし、そしてまた勇者へ視線を戻す。


「固定したとは、どういうことだ」

「気づいてなかったのか。鏡を見たら体が少し重くなったでしょ?その時に固定したんだよ。じゃないと、そのうち本当に天に昇ってしまうからね」

「そうだったのか……」


 目の前の大きな鏡を見る。そこには、驚いたように目を見開いた、間抜けな顔の幼児が映っていた。

 勇者はそんな吾輩のことは気にせず続ける。


「この鏡は、魔王という、世界の浄化装置の魂を映すことで、その魂を評価し序列を与えるものだよ。この向こうには神がおわす天界に繋がって、神がその魂を評価してくれる」

「魔王が、世界の浄化装置……え、この向こうは天界なのか?!」

「そうだよ。きっと神も面白おかしく君のことをご覧になっていらっしゃるよ」

「なんと!」


 色々なことを言われて混乱したまま、鏡をまじまじと見るが、そこには神の姿は映らない。

 神がご覧になっている、という言葉を思い出し、あまりにも眺めすぎるのは不敬かもしれない、と思い立ち、鏡から目を逸らす。

 敬意を表して、胸に手を当て、ゆっくりと頭を下げた。


「神よ、吾輩は魔王。序列はまだない。この度勇者に連れられこの地へ参った。御身の眼差しが届く場に吾輩のような魔王を受け入れていただいたこと、感謝申し上げる」


 頭を下げていると、ちゃぷり、と泉の水がさざなみ立つ音がした。

 次の瞬間、猛烈なプレッシャーが下げた頭にかかる。そして時を置かずして、ふと消えた。


「魔王、頭を上げて大丈夫だよ。神は大変ご満足され、そしてこの場を立ち去られた」


 隣で勇者が呟いた。

 勇者自身も、少し驚いたような疲れたような声色をしている。

 頭を上げて隣を見ると、困った顔をした勇者が立っていた。


「僕は、僕の人生で初めて、神に頭を撫でられる人を見たよ」


 どう反応して良いかわからない、と言った顔で勇者はさらに呟く。

 神に頭を撫でられたと聞いた吾輩だって、どう反応したら良いかわからない。

 あのプレッシャーは神なりのなでなでであったか。


「さて、魔王。君の序列だ」


 勇者が鏡へ視線を向ける。

 吾輩もつられて鏡を見る。そこには鏡面にうっすらと「1」の字が浮かんでいた。


「君は、序列1位の魔王だ」


 色とりどりの花びらが一斉に舞い上がり、あたり一面に降り注ぐ。

 花びらそれぞれが淡く光を帯びて、花びら同士が触れるとキラキラと光が溢れた。

 まるで、祝うように。

 幻想的な光の中で、勇者が我輩を真っ直ぐ見つめる。吾輩も勇者に向き合い、視線を合わせた。


「魔王はね、魔を統べるものだ。人の悲しみや苦しみから生まれる澱みを浄化する。君は覚えていないだろうけど、君はとてもとても頑張ったんだ。君はその無垢な心で様々な人間に寄り添い、癒し、そして浄化した。だから、君は人が物語で語る魔王とは違う存在だよ」


 勇者が吾輩の両手を握った。


「僕はね、魔王。君の最期を看取るために神に遣わされた人間だ。だから勇者だった。僕は君の最期を知っているし、君の願いも知っている」

「願い」

「ああ、君の願いはこれまた純粋だった」


 勇者はその時のことを思い出すように、ふっと笑った。


「君は最期まで、人々の安寧を願い、そして、生まれ変わっても人に寄り添うことを願った」


 あれだけ大変な目にあったのにね、と勇者はまた笑う。


「だから、神が僕を遣わして、君の魂をこの場所へ連れてくることになった。ここは休息の地だ。魂に刻まれた役割から、下界では逃れる術はない。少しでも心身ともに休息を与えたかった神のご意向だ」


でもね、と勇者は続ける。


「君は色んなものを背負っていたから、君の魂は重すぎて、僕でもここまで引き上げることは叶わなかった。だから、君の記憶を減らして、魂を軽くする必要があった。君が最初にいた場所は、君の記憶のかけらを保管する記憶保管庫だ。周りにいた光は君の記憶のかけらだから、君となんとなくコミュニケーションできたはずだ。そこからは、君の部下だった序列二位の魔王に、僕のところまで連れてきてもらった」


 友人は序列二位だったのか。高位とは聞いていたが、本当に高位だった。

 今の吾輩の方が序列が高いと思うと、不思議な気分だ。

 勇者が手を離し、吾輩と目線を合わせる。


「君が記憶をなくすには結構時間がかかってね。だから、序列二位の彼と協力して、君の代わりを務めて、結構忙しかったよ。そして最後は、その彼にすぱっとやってもらってさ。まあ、なかなか怖い経験だったね、あれは」

「すぱっと……」

「もちろん、想像通りのことをやってもらったんだよ。なんせ、君を連れてくるには一度死なないといけないからね。え?よくある天使みたいな感じでふわーっと迎えにこれないのかって?いやいや、魂の状態だと君に見えないし、看取るためにまず人間にならないといけなかったんだよ。人間の方がすぱっと死ねるし」

「ま、魔王になることは考えなかったのか?」

「魔王って、そう簡単になれないんだよね。人と違って、本人が魔王を辞めたがらない限り、序列は死んでも変わらない。君みたいにね。だから入り込もうと思うと、魂同士の喧嘩で勝ち負けつける感じなんだよね。別にやりようがあるんだから、魂削ってまでする必要ないでしょ?」


 序列一位だった誰かさんの人気がすごくて、魔王の序列は本当に空かないんだよねー、それにすぱっと死ねないしと勇者は独りごちた。

 すぱっと死ねることが大事らしい。

 吾輩を看取るために死を受け入れるとは、本当に彼は勇者だと思う。

 吾輩は死ぬのは怖い。もう死んでるらしいけど。


「吾輩のために、すでに死んでおったとは。赤子の中でとどめを刺さなくてほっとしたわ」

「あれは二位くんのちょっとした悪戯だね。君がそんなことできないのをわかっているから、余興にしたみたいだけど」

「なんと!吾輩を見て大爆笑しておったのは見間違いではなかったか」

「それだけ君を信頼してたんだよ。彼、本当に忠義心が強くて、君が死ぬ直前は僕のことも近寄らせなくてすごく困ったから、本当に勇者vs魔王をしないといけなかったし、最後は号泣して暴れたからお城がなくなるかと思ったよ」

「あやつは、死ぬ前の吾輩のことを知っていたのか?」


 気になっていたことを聞いてみる。

 勇者は迷うことなくうなづいた。


「知っていたよ。君の右腕だったし、今後何もなければ、次に君が生まれ変わった時も側にいると思うよ」

「そうか」


 あのきざに前髪をかきあげる男を思い出す。ふと、顔をくしゃくしゃにして涙するあやつの顔が見えた気がした。

 これは、ほんの少し残っていた記憶だろうか。


「魂の状態だと、吾輩が見えないと言っていたが、あやつには吾輩が見えていた。何か神の加護でもあったのか?」

「魔王に神の加護って字面、人間界だと面白い感じだよね。でもそうだね、彼は君が間違いなくこちらへやってこれるよう、僕のところへ案内しなければならかったし、君がまた生まれ変わるまで、君の記憶を保管する役割を担っているからね。だから、見えてる。君は、自分のことを光る球だと思ってたみたいだけど、彼からは光る球のまわりに今の姿がやや透き通った感じで見えてたみたいだよ」


 だから、お城が破壊されなくて済んだんだけどね、と勇者は続けた。

 聞き捨てならないことが聞こえた。いまの姿が見えていただと?だとすると、あんな時やこんな時(赤子に吸い込まれた時のびっくり顔なんか)が全て見えていたというのか。

 そう言われると、大変恥ずかしい気持ちになってきた。


「さて、これからの君の暮らしを説明しないとね」


 勇者が話題を変えるように泉を見る。

 泉では、鏡が音もなく沈んでいくところだった。


「君はここで、少しの安寧を得る。神のおわす国の隣国、フィニマで、ゆっくりと過ごすといい。君の望む日々を与えよう。好きなことをし、好きなものに囲まれながら穏やかに過ごすのだよ。そして君が心癒され満たされた時に、次の輪廻で君は魔王に還る」


 音もなく鏡が泉に消えるのを見送って、勇者が我輩の方へ向き直る。


「さて、君は何を望む?」


 その瞳に、少しの愉快さをにじませながら、勇者は言った。


「我輩が望むのは……」




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