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詩篇F:かつて名を持っていたものへ
記録形式:筆跡不明の紙片(詩的断章)/発見日不明/保管中
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かつて私は名を持っていた。
呼ばれたとき、振り返るものがあった。
けれど今、私を呼ぶ声は
地の底からも 天の高みからも
形を持たずに届いてくる。
誰かが歌っている。
それが私の喉から漏れている。
私はその歌を知らない。
でも、意味は知っている。
私は一度、世界の縁に立った。
そこで“外側のもの”に名を与えた。
名づけることで、それはこちらに来た。
私の中に、すでにいたように。
今、私は自分の名を思い出せない。
それなのに、私が“誰かの名”として使われている。
やがて私が、私を指さなくなるのだ。
忘れられることは消えることではない。
忘れたときに、在るのだ。
——それでも、あなたにだけは残っていてほしい。
声ではなく、形ではなく。
思い出すことさえできないまま、
“わたし”のままであったことを。
(以下、詩文の断絶/紙片の縁に“F”の一文字)