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決別と狂気に

 正直僕は、どちらかといえばモテるタイプの人間だ。だからこれまで女性関係で思うようにならなかったことは少ない。君を攻略するとなるとこれまでのようなイージーゲームじゃないなんてわかっていたけれど、この本気の恋心を前に、結果がどうなるなんて事、考えもしなかった。自信とエゴだけが先行していたんだ。


「絶対に幸せにするから、付き合って欲しい。」

そんな僕を横目に見ながら、涙声で君は呟く。

「これまで私のこと散々傷付けておいて、今更そんなこと言っちゃうあなただもんね。」


「卑怯だよ。」


 自分のこれまでの目に余るほどの愚行を次々に並べられ、改めて僕は気付くことができた。これまでの自分の曖昧な気持ちや行為が、どれだけ君のことを傷付けていたのかを。どれだけ君が僕のことを守ってくれていたのかを。悔しかった。どこまでも考え足らずで愚かな自分が。君のことを全く守ることのできない自分が。同時に思った。こんな自分を変えられるのは今しかない。僕は君でしか変われない。変わりたい。君の隣を歩いて良いような、綺麗な人間になりたい。

「これからの僕のことを見ていて欲しい。絶対にに君に相応しい男になるから。」

物憂げな瞳の君から紡ぎ出される、泣いているのか笑っているのかわからない声が脳に突き刺さる。

「信じられない。」


 少しの沈黙の間は、けたたましい蝉の鳴き声が規則的なリズムで埋めてくれていた。脳内で広辞苑の索引を素早くめくる僕の手を、君がため息混じりの声でグッと掴む。

「わかった。じゃあ信じさせて。」

穴が開くほど見つめられ、動けない僕に、君はとめどなく言葉を紡ぐ。

「変わるっていうんなら、変わって見せてよ。行動で示すタイプなんでしょ?私、あなたのことこれからずっと見ていてあげるから。」

僕はこれまでどこまでも、いつまでも君の優しさに甘えてきた。だからこそ、それを今回で最後にしたい。

「変わるよ。変わってみせる。」

「ふーん。」

ニヤニヤしながら、君は指で夏の大三角をなぞる。

「まあ期待なんてしてないから大丈夫だよ。」

「何でそんなこと言うの?」

「これまで何度も裏切ってきたのは誰?」

僕は口を噤む事しかできなかった。余裕たっぷりの表情で君は僕を見て微笑んでいる。その時誓ったんだ。絶対に君を見返してやる。大好きで大好きでたまらない君のことを、僕は絶対に幸せにする。そのために僕は、まずは君に認められるような男になるんだ。




 生まれ育った最愛の街から、君のいない僕の第二の故郷に帰る時が来た。この恋を前に、僕には最大の問題がふたつ、立ち塞がっていた。それは、僕に今彼女がいるということと、君にも彼氏がいるということだ。僕はこれまで女性関係にはかなりだらしなく生きてきて、そのせいで大変な思いをしたことが何度もある。そんな中、今の彼女は付き合いも長く続いており、こうなる前は結婚しようとすら思っている程、僕に合う人だった。彼女は本当に優しい。わがままでだらしなくてどうしようもない僕のことを、本気で愛してくれている、本当にいい彼女だ。君も彼氏と長い付き合いで、しかも君にとって彼は初めての彼氏。少し頭は悪いそうだけど、イケメンで良いやつではあるとよく話を聞いている。僕の恋に彼は障壁だし、それを取り除く事は僕にはできない。自分にできる事をひとつずつ、愚直に積み重ねるしかなかった。


 だからこそ、早々に別れなければいけなかった。彼女の事が、僕は世界で一番じゃなくなってしまったから。それに、今世界で一番好きな君に認められるためには、僕は君以外の全てを捨てて、君にぶつかっていく必要があるから。綺麗事かもしれないけれど、僕は彼女のためにも、君のためにも、そして何より自分を変えるためにも、この別れを選択しなければならなかった。というか、そう思う事で、残酷で身勝手な判断をする自分を正当化したかった。

 

 別れを告げた時、彼女は泣いていた。これまで何度もガールフレンドという存在との別れを経験してきたが、こんな感情になるのははじめてだった。信じられないくらい悲しくて、自己嫌悪に陥った。その理由を探した時、僕はちゃんと彼女の事を愛していた事に気付いた。その一方で、これは愛ではあるけれど恋ではなかった事にも気付いた。僕がこれまで彼女に感じていた恋心は、本物の恋心じゃなかった。なぜなら僕はずっと君に恋していたから。そんな状況の全部が悲しかった。僕は彼女の全部を否定しながら、自分のこれまでの全部も否定してしまった。涙が止まらなかった。そして、優しい彼女の前でそんな不純な涙を流してしまう自分自身を変えたいと心から思った。



 自分でも本当に最低だと思うけど、この革命が発生した事を最初に告げたのは君だった。君は見た事がないくらい驚いていた。まさか僕がそこまで本気だとは思っていなかったようだ。これまでのように口だけの自分ではない事を示す事ができて良かったと思ってしまう自分が嫌だったが、君のためなら何でも捨てるという判断を実際に下せた自分が少しだけ誇らしかった。でも勿論わかっている。まだまだこんなものじゃ足りないってことくらい。僕が持っている物で君が欲しい物は全部あげるし、君が少しでも怪訝な表情を浮かべそうなものは全部投げ捨ててやる。僕の中で何かが振り切れた瞬間だった。


 

 もう、このオーバーヒートを始めた歯車を調整する気なんて更々無くなってしまった。このまま君のために狂ってしまいたい。暴れ回って、何もかも壊れて仕舞えば良い。それで最後に僕と君だけが残って、それでいいじゃないか。そう思っていた。そして何より、そんな様子のおかしい僕のアクセルをベタ踏みするのは君だった。結構ワガママだって事は知っていたけれど、君は僕のそこそこ大事にしていた物をどんどん奪っていった。というか僕はもう君さえいれば何でも良かったから、君が少しでも嫌な顔をしたものは何でも次々に捨てていった。後先なんて考えられなかったし、もし考えていたとしても、その一瞬君が笑顔になることの方が幸せだったから、結果は同じだったと思う。タバコすらも辞める事ができた。長い事付き合っていた愛人だったけれど、君に対するこの狂気的な恋心の前ではただの紙クズだった。



 そんな僕だったから、僕を見る君の目も流石に変わってきた。だけど僕は、自分のことで君を縛りたくなかった。これまで散々傷付け、失望させてきたからこそ、こんなものじゃ足りないと思っていた。真っ新になった時に、もう一度僕のことをちゃんと見て、ちゃんと好きになって欲しかった。そんな日々を送る中で、遂に一歩だけ前に進む事ができた。



 

 もう日課になってしまっている君からの電話が、今日は少しだけ早い時間にかかってきた。高揚感に包まれながら、なんだろうと思いスマートフォンに耳を当てる。


「私も彼氏と別れたよ」


耳を疑った。心臓がドラムロールを奏でる。慌てるな。落ち着くんだ。

「だけど、私はまだあなたを信用しきれてない。まだ変わっていくあなたのことを見ていたい。」

高鳴る鼓動を抑えながら、震える声を殺しながら、念のため聞いておく。

「それって俺のせい?」

「あたりまえでしょ?」

間髪入れずに飛んでくる期待通りの言葉に陶酔しながら、僕は改めて覚悟を口にする。

「これからもっと頑張るから。まだまだこんなもんじゃない。見ていて欲しい。そしていつか信じて欲しい。」

「ふーん。ありがとう。」

声色でニヤニヤしているのがわかる。日課の電話は適当にこなしているわけじゃないから。そして僕のやるべき事、考えるべき事はもうたったひとつに定まった。君に信じてもらうために、君に恋してもらうために、僕はもっともっと全身全霊を注ぎ、全てを投げ打って、君を全力で愛する。これだけだ。これしかできないし、これがベストだ。


 


 この時は、自分が選ばれる事だけを考えていた。君に最も似合う男は僕だって信じていたし、他のことを考える余地なんてなかった。今思えばこの時の僕にはまだまだ余裕があった。それが曇るなんて微塵も思わなかったし、そうしろなんて無茶な話だった。世の中には恋だけではどうしようもない事があるって、初恋の僕にはまだわからなかった。

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