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最初で最後の

本当は簡単な話だった。はじめから。

世界で1番素敵な君だから、自分のものにしたいだなんて烏滸がましいと思っていたし、誰のものにもなって欲しくなかった。世界で1番綺麗な君だから、誰にも汚されたくなかったし、何があっても汚しちゃいけないと思っていた。君を想った時から、僕が知っている感情の殆どは君ありきで構成されている。それって最高に素敵だけど、最高に残酷だ。だって僕の全ては君でも、君の全ては僕じゃなかったから。それに気付かないほど、僕は馬鹿じゃなかったから。だから逃げた。弱虫な自分、醜い自分、情けない自分、身勝手な自分。それと、君の全てになることのできない自分から。そして仕舞い込んだ。心の奥の奥に、乱雑に打ち込んだパスワードで守って、開ける鍵の無い南京錠で塞ぎ込んで。そして自分さえも触れることのない、何処かもわからない遠い場所へ。


そうやって心に鍵をかけてから、一体どれくらいの時が経っただろう。どれくらいの人と出会っただろう。その鍵をかけた箱に君が触れてきたのは些細なきっかけだった。僕も君も、それは軽い気持ちだった。時間が解決してくれていると思っていた。まさか自分がこんなことになるなんて思わなかったし、君もそう思わなかったと思う。それに自分がこんなものを抱え込んでいたなんて知らなかった。いや、知っていたのかもしれないけれど。

 はじめて君を見た時の事は、今でも鮮明に思い出せる。新しい環境、晴れやかな気分。まだ少し余裕のある制服に身を包んだ僕は、新生活のはじまりに胸を高鳴らせながら、桃源郷への入り口を勢いよく開いた。その先に見えた眩しい薄桃色の景色の中、僕のちょうど対角線上に一輪の花が儚く、逞しく咲いていた。君は今までの人生で見たどんな花よりも綺麗で、魅惑的な香りのする花だった。誰でも触ることのできる場所にあるのに、何故か誰も手が届かない。そんな高貴で純潔な君の姿に、僕が惹かれるのは必然だった。


 無神論者の僕が神の存在を信じだしたのは、君が隣の席になった時だった。席替えをすると決まった瞬間、無意識に君の隣という権利を欲しがった時は驚いたが、叶ってしまったという事実に比べると些細な問題だった。改めて近くで見る君は、恐ろしいほどに綺麗だった。シンデレラが纏ったドレスのような肌、100カラットのダイヤモンドよりも輝く瞳、クレオパトラも思わず下唇を噛む美貌、そして聖書の言葉が全て戯言と感じられるほどの圧倒的な優しさ。星の数より魅力を持つ君に僕が恋をしてしまうことは、もはや必然だった。でも当時の僕は、この気持ちが恋だと気付けなかった。それにはまだ時間や余裕が足りなかった事もあるけれど、なにより僕が、自分が思っている以上に子どもだったから。


 君と仲良くなるのは、別に難しいことではなかった。コミュニケーション力に自信はある方で、話題提供を行うことや会話のノリを作る事は造作もない事だった。他の人と同じように会話し、同じように仲良くなった。いつも通り、自分の構築したコミュニケーションのテンプレートに沿って動いていく中で、ひとつだけ知らないことがあった。それは君の笑顔を見るたびに感じたことの無い高揚感に包まれるということ。はじめての感情にずっと調子が狂う。この感情はなんだろう。しかしその正体はおろか、それを探る方法さえも僕は知らなかった。ぼんやりとしているうちにあり得ない速度で時間は過ぎて行った。僕たちはその間も順調に、当たり前のように仲を深めていった。本当に色々なことがあった。学校帰りにも部活終わりにも休日にも遊び、思い出を重ねた。勉強が苦手な僕に、一生懸命色々なことを教えてくれた。特になんの用もなく2人で何時間も語り合ったこともある。家に帰ってからも欠かさず連絡を取り合っていた。電話で天使のような君の声を聞くたび、跳ね回る心臓を抑えるのに必死だった。君が関わると様子のおかしくなる自分自身に戸惑いながらも、めまぐるしく変化していく幸せな日々を楽しんでいた。


 こんなにも君が好きだって最初に自分で気付いたのはいつだっただろう。僕はいつの間にか君の虜になっていた。毎日どんな時でも君のことが頭から離れない。何をしても手につかず、ずっとぼんやりしている。僕の日常は少しずつ君に侵食されていった。普段の僕なら、この気持ちを隠したりなんかしない。僕は好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとハッキリ言えるし、それを相手に伝えたいし知って欲しいと思うタイプだからだ。そう思っていた。しかしどうも、あまりにも好きすぎると臆病になってしまうらしい。君の事となると、僕はみんなのよく知っている僕ではいられなかった。君が男の子と仲良くしている姿を見るだけで嫉妬が止まらないし、僕と2人でいる時は本当に時間が止まって欲しいと思っていた。それくらい君のことが大好きだった。






 なのに僕は諦めた。辞めた。逃げた。君の思いや都合は一才考えず、自分が傷付く事だけを恐れて。叶わぬ恋だと、高嶺の花だと、自分には不釣り合いだと、自分に言い聞かせて。君を失うのが怖かった。今の関係がなくなってしまう事、君の中での僕の立ち位置が変わってしまう事、そして、僕の中での君の存在の重さが変わってしまう事。「好きな女の子がいる時にやってはいけない事100選」みたいなタイトルの本があったとするなら、多分当時の僕は君にそのうちの200個くらいをぶつけていたんだろう。本当に最低だった。でもそうでもしないと自分を保てなかった。君のことが好き過ぎた。好きになり過ぎてしまった。まだ君に本気でぶつかってもいないのに、この気持ちを伝えてもいないのに。この恋は諦めようと、自分の手で終わらそうと。そう思ってしまうくらいに、君が僕のそばにいてくれるということが大切で、唯一無二だった。僕が君への想いを忘れようとして取った行動の全てで君をズタズタに切り裂いていただなんて、それに気付けるほど当時の僕は賢くなかった。


 でも君は、そんなことがあった後も僕のそばにいてくれた。こんなどうしようもない僕をずっと守ってくれた。誰にでも優しい君だから当たり前にやっていたことかもしれないけど、その当たり前の優しさが本当に心地良かった。君を失わずに済んだって。どこまでも人の心に寄り添えず、自分勝手で我儘な僕は本気でそう思っていた。ただそれとは裏腹に、僕の中で終わったことにしたはずの君への想いは日に日に膨らんでいくばかりだった。それに気付かないフリをする事は苦しかった。他に僕を支えてくれるもの、僕を必要としてくれる人を求めてしまった。それが君のことをどれだけ傷付けるのか考える事もなく。君のことを中途半端に都合よく頼ってしまっていた。そんな弱くて情けない僕のことを、君は最後まで守ってくれた。聖母のような無償の愛と、春のような暖かい笑顔で包んでくれた。それなのに、最後の最後まで僕は君のことを裏切り続けた。伝えたかった言葉や感情に強固な鍵を掛け、心の奥の奥にしまい込んだ。もうこれで終わりにしよう。本当にそう思った。これから物理的にも距離が開いてしまうからと自分に言い聞かせ、一方的な思いだけをぶつけて僕は君から離れた。そして、君も僕から離れた。お互いが、これからはじまる新しい生活に向かって。






 ほんのひとまわりだけ、僕は大きくなった。満開の桜を道の両脇に携えた西洋の街並みを思わせる広大なキャンパスは、わかりやすい髪色をして不慣れなスーツに身を包み門を跨ぐ僕に、新世界への門出を痛感させるには充分だった。新しい環境、新しい出会いに揉まれる中で、徐々に僕の中で君の大きさが変わってきたような気がした。目まぐるしく移る景色の中で、自分なりに幸せを求めて奔走した。何もかもが自己責任、初めて与えられた自由な環境の中で、少しずつ大人になれた気がした。僕は、自由の象徴は革命と大学生活だと思っている。解放のために抗い続けて、ようやく手に入れたこの自由という環境を自分なりに全力で楽しみ、色々な人と愛し争い合うことで、僕は君を少しずつ忘れることができた。そして君にも彼氏ができた。世界一綺麗な君に多少見劣りはするが、中身はさておき横に並んでも恥ずかしくないくらいのかっこいいやつだった。僕のいない環境で幸せそうな君を見るのは少しだけ悔しかったけど、どんな形でも君が幸せならそれで良いと思えた。


 僕たちは離れ離れにはなったけれど、親友としてまだ関係は続いていた。年に数度、大好きな街へ帰った時には思い出話や近況報告に花を咲かせ、近過ぎず遠過ぎず、親友という関係としての名前に相応しい距離感で仲良く過ごしていた。互いに満ち足りた目新しい生活の風景や、新しい環境での苦悩やストレスを報告し、充実を確認し合っていた。それくらいの距離感が丁度良かった。君もそう思っていたと思う。新しい生活の中で、これまで君に感じていた特別感は、別の特別感へと徐々に変わっていった。いや、変えなければならなかった。幸せな君を見るのは嬉しいし、そこに僕がいれないことはわかっている。だからそう割り切るしかなかったし、僕もそこに注力する程の熱意は心の奥底にしまい込んでいたから。それでいい、これがいいんだと思い込みながら、僕の革命の時間は終わろうとしていた。






 それは本当に暑い日だった。君とデートするのはいつぶりだろうか。ひょんなことから、人生の夏休みも終盤に来て、最大のビッグイベントが発生した。もしかしたらもう君と2人で会えるのは最後になるかもと思うと物想いに耽ってしまう。最後にこんな感情になったのはいつだったかと思いを巡らせながら、その感情がどんな名前のものだったのかも思い出せないまま、僕は君に会った。君はいつも通り綺麗で、思わず視線が釘付けになる。でもそのダイヤモンドの瞳に見つめられると、思わず目を逸らしてしまう。本当はずっと見ていたいのに。心地よい空間で、大人になった僕たちは上機嫌でマシンガンのように会話を交わした。相変わらずの居心地の良さだ。この雰囲気を持っている人間を僕は君しか知らない。そしていつも通り、僕が君を家まで送って帰る。今日もそれだけのはずだった。



 懐かしい匂いがした。僕たちの街を貫く川の側を歩く。4年前に目を瞑ってでも歩けるほど歩いた思い出の道を、4年前に死ぬほど好きだった君と2人で。いつもの場所で座り込む。どちらともなく話し始める。少し赤らんだ君の口から綴られる色っぽくて魅力的な言葉の前では、僕が長年研究してものにしたフロイド・メイウェザーばりのディフェンステクニックも意味を成さなかった。先程のマシンガン乱射では足りなかった思い出話に花を咲かせていると、会話の中で、自分の心の奥にしまい込んでガチガチに鍵を掛けた箱があることを思い出した。軽い気持ちだった。本当に軽い気持ちだった。伝えることで何かを変えようと思ってもいなかったし、変わるとも思っていなかった。それは君に対してでもあるけど、特に自分自身が何か変わってしまうと思っていなかった。


 5年間仕舞い込んだ言葉は、アルコールに乗せると案外すんなりと口から出てきた。よく考えればたった2文字の言葉を伝えるだけ。それが過去形なだけ。そう思った。口にしてから気付いた。本当にこれは過去の気持ちなのだろうか。いや今僕には彼女がいる。今僕は君のことをどう思っているんだろうか。多分僕は今の彼女のことが好きなんだと思う。なら今僕は君のことを本当に好きではないと言えるのだろうか。今のこの気持ちはなんなのか。この胸のときめきが、気持ちの揺らぎが、燃える炎が、嘘だというのか。そんな訳がない。大好きだ。大好きだった。そして今もまだ君が大好きだ。ずっと。誰よりも何よりも美しくて優しくて、色っぽくて面白くて、泣き虫でロマンチストで、素直で暖かくて。そんな素敵な君が大好きだ。そう思ってしまった。止められなかった。目の前が真っ白になった。昔のことを色々思い出した。幸せだったこと、困らせたこと、楽しかったこと、悲しかったこと、そして、傷付けたこと。気付いてしまった。僕はずっと君に恋をしていた。誰と付き合っても、誰を抱いても、満たされなかった。心の奥の奥で、何かが足りなかった。そしてそれが何かは自分でわかっていた。君だった。でもそれを失うように導いたのは他でもなく自分自身だった。情けなかった。悔しかった。人生で唯一の恋。最初で最後の恋を、僕は自分の手で勝手に終わらせていた。僕は物心ついてから、人生のモットーを「生まれ変わっても自分になりたいと思うような人生を歩む」としている。このままこの君への溢れ出しそうな気持ちを抑え込んでしまったら、僕は絶対に自分以外に転生したいと思ってしまうだろう。それくらい特別な感情だったし、それくらい僕にとって君は、唯一無二で絶対的な存在だった。このメガトン級の気持ちを前に、環境やお互いの状況を考慮する理性は当然のように撤退をはじめた。ふと見つめた君の表情は、相変わらず暴力的に優しかった。君がいつも僕に向ける無限の優しさ。それは僕が何よりも欲しかったもの。失いたくなかったもの。そして壊したくなかったもの。だからこそ困らせたくなかった。今更こんな気持ちを伝えることで、優しい君が頭を抱えることは目に見えているから。でも伝えたかった。伝えなければならなかった。こんな気持ちを1人で抱え切れるほど僕は強くない。どこまでも君に甘えてばかりの見栄っ張りでどうしようもない自分。なのに君が苦しい時にはそばに居てあげられない自分。こんな自分から変わりたいって、本気で思った。人生を賭けて君を幸せにしたいって、どんな犠牲を払ってでも君を幸せにするのは自分だって、そう思った。思ってしまった。だから伝えたんだ。今も君が好きだって。君の特別になりたいって。何があっても、どんな形でも、僕は君のことを幸せにするって。

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