奪わないで下さい
……………………。
………………。
試合前の大事な儀式。控室の隅で座り込み、ただ目を閉じて精神の統一を図る。
努力はしてきた。コーチからも医者からも止められるほどの減量。これ以上は女性としての機能に問題が生じるからやめなさいって……。
それでも私はやめられなかった。
大好きだから。
…………。
……勝つ。
勝ちたい。
勝たなきゃいけない。
……。
…………集中できないや。
………………集中。
…………集中を……。
…………。
…………?
……小さな足音。前に人がきた気配。
そっと目を開くと、強く偉大な先輩の……見たくなかった焦燥した姿。準決勝で着た胴着のまま。酷い顔をしている凜々しかった先輩が膝をついて座り込んだ。
「おね……が……い……」
手を取られた。私よりも、よっぽど小さな手。軽量級らしからぬ、襟を握ると離さない憧れだった先輩の手が震えていた。
「絶対に……勝って……」
嗚咽混じりの声。数年前まで最軽量級の絶対王者と言われてきたベテラン選手。同じ道場で戦ってきた先輩。
先輩は準決勝で自身を破った私の手を取り、縋るように見詰めている。三階級も落として、わざわざ主戦場を移してきたのに。
……そんななのにお願いをされてしまった。
「……もう……残ってないの……」
……残ってない。私しか残ってない。
産まれたときから女で、女子選手として戦ってきたのは……。
私たちからすると男性に見える選手たちが参加可能になって、すぐだった。本当に時間はかからなかった。
まずは中重量級だった。何年間も男性として男と戦ってきた人たちが突然のカミングアウト。実は女性の心を持っている、性別を間違えて産まれてきた一人の人間なんです……って。そんな人たちが女子の競技に雪崩れ込んできた。
私もそんな人たちに自分の階級を食われた一人だった。圧倒的な筋力の差。勝てるわけがなかった。だから階級を落とした。まだ力の差がマシって思える軽量級へ。『彼女たち』の流入が比較的少ない階級へ。
……逃げた。
「全力で行きます。勝ちたいと思ってます……けど……」
私たちの中の最後の砦。最軽量級。
この砦が真っ先に陥落したのは打撃系競技だった。ボクシングなんて私たちのほとんどが引退してしまった。
「自信は……」
つい先日には最後の砦だけは……と。柔道と同じく、彼女たちから守り続けていたレスリングまで奪われたから。
本当に最後の要。
「……実は……ね?」
俯いてしまった私の手が力強く握られた。
「……準決勝で負けちゃったけどさ。負けた相手があいつらじゃなくて良かったとか思ってる。あいつらに負けた子に話聞くとね。悔しいとか悔しくないとかの世界じゃなくて、なんかもういいや……って。諦めの境地みたいな感じなんだって。でも、私は今回、負けて悔しかったんだ」
顔を上げると、強く睨まれた。
……その目は『負けた相手があんたで良かった』って語っていた。
『次は負けないよ』とも。
やらなきゃいけない。やるしかない。
奪われるわけにはいかない。
「……はい。先輩が守り続けてた最軽量級、今回は私が守るのでリベンジ待ってますね」
「……よろしく」
先輩はちょっと気まずそうに笑いながらそう言って。
私もそうだったように……。
先輩が希望の光だったように。
……さぁ。今度は私が……。
全ての私たちの希望になれるように……。
この階級だけは!
奪われてなるものか!!