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17  手紙     (児玉青年)

 島谷社長のお宅にお邪魔して雄治君の帰りを待っていたんだけれど、まさか雄治君がこんな風に帰ってくるとは思わなかった。

 僕が客に来ていたせいかチェーンがかかっておらず、雄治君は自分で鍵を開けて入ってきたのだけれど、息をのむほどすさまじい格好だった。

 雄治君は浴衣を着せられていた。誰かに無理やり日本人の格好をさせられたのだろうか。しかしその浴衣はどう見ても女性のもので、それも十代の少女が着るような派手な牡丹柄だ。いやそこまではいい。しかしそのすそは乱れ、胸元ははだけ、髪は嵐が過ぎ去った後のようで、額からは血がながれて頬にこびりついている。ひざにも土がつき、足元に向けてまだ新しい血が流れていた。そして顔色は亡霊を見たか亡霊になったかのように真っ青だった。

 僕は息をのんだ。ある想像が頭のすみによぎりかかったが、あわてて打ち消した。

 が、隣に座っていた社長が珍しくもうろたえて、ごくりとのどをならしたのが分かった。社長はすうっと決意したように息を吸い、そして言われた。

 「レイプされたのか」

親だからこそはっきり聞かなければならないと思われたのだろう。雄治君は悲しそうな目を社長に向けた。社長は急いで言われた。

「なんだそれくらいのこと。アメリカではよくあることだ。誰にやられたんだ。いいか、こういうのは泣き寝入りしては犯人の思うつぼだぞ。警察に訴えよう。・・・YAMADAに・・・父さんに恨みを持つ人間のしわざだと思うか。い、いや、その前に病院。病院だ。母さん! この時間でも開いてる病院がないか調べてくれ!」

「は、はい! 肛門科かしら」

と、雄治君の目に力が戻ってきて、あわてて叫んだ。

「ち、違う! なんで俺が犯されなきゃならないんだ。こりゃ単に自転車で転げただけだよ! 浴衣は仮装大会で無理やり着せられたの! ロッカーに着替え置いといたけど忘れてそのまま帰ってきただけ!」

「な、なんだそうか」

三人ともほ-っと息をついた。

「あたりまえだろうが! どうしてうちの家族は人をゆっくり落ち込ませてくれないんだ!」

「あらあなた落ち込んでたの? そんな変なカッコして?」

「カッコは関係ねぇだろう!」

「そんな変なカッコしたら母さんなら落ち込むわぁ」

「落ち込めばいいだろ好きなだけ!」

「なぁに、あの緑の目のメサージェにふられたの?」

奥様は軽い気持ちで言われたんだと思う。だけど、雄治君は目に見えてこわばった。奥様もハッとして口をつぐんだ。

 いったいどういうふられ方をしたら男一人こんな絶望的な顔をするようになるんだろう。

 だけど待てよ。メサージェがふるってどういうことだ。どう考えたってあの娘は雄治君に好意を持っていただろう。

 さっきからその話を島谷夫婦にしてたんだ。僕の勘違いだったのか? 島谷夫婦をがっかりさせちまったのか?

 「あの子、お前のこと嫌いには見えなかったけど。お前の告白の仕方が・・・」

と奥様が言いかけたけれど、

「俺は最初から憎まれてたんだよ」

雄治君は視線を窓の外に向けた。頭の中を整理しようとしているようだった。

「メサージェは俺に復讐するために近づいてきたんだよ。なんだかお父さんがYAMADAのせいで死んだとか言ってた。よく分からないけど」

なんだって?

「待って。そんなはずないよ。確かにお父さんはYAMADAに勤めていて、仕事中に亡くなったんだけど、彼女がそれを恨んでいるって、それだけはない。誰が言ったの? メサージェ本人が言った?」

「そうじゃないけどお兄さんが言って、メサージェは否定しなかったよ」

「だけど僕は確かめたんだ。彼女はそんなこと夢にも思って無かったよ。疑ったこっちの方が恥ずかしいぐらいだった」

「じゃあ児玉さんも騙されたんだ。メサージェは人を騙すのがうまいから」

「お兄さんが嘘をついたんじゃないのかい?」

「ウォルターが言うのもメサージェが言うのも同じだよ。二人は血がつながってなくて恋人同士なんだってさ」

「それ、本人が言った?」

「違うけど、でも、否定しなかったし」

「待ってくれ」

それはおかしい。変だ。

「何があったか知らないけど、まずこれを読んでくれないか。今日届いたんだ。僕あてなんで開けて見せてもらったのは許してくれ」

「児玉さんあてのを俺が読むの?」

「うん。読んで欲しいんだ」

 手紙だ。手紙にはこう書いてあった。


 拝啓

 児玉さん。お元気ですか。僕は元気です。

 いきなり知らない人から手紙をもらって驚きました。読んでみて、もっと驚きました。なんで俺が雄治のことを怒ってることになってるのか。雄治というのは昔からそんなふうに思い込みのはげしい奴なんです。僕がドラッグでキマッて何か変なことを言ったのかもしれません。

ほんとのこと言うと、俺の方は、俺のせいで雄治が学校退学になったり剣道できなくなったり、雄治が俺のことをすごく恨んでいるだろうと思っていました。

僕は覚せい剤はほとんどやってなかったのですぐに病院は退院して、今は真面目に通信制の学校に行ってます。雄治を許してあげて欲しいって書いてあったけど、逆じゃないかと思います。雄治は俺のことを憎んでないでしょうか。

憎んでないなら、会いたいです。話がしたいです。俺がすっげえ馬鹿なことしたのに俺を助けにきてくれてありがとうと言いたいです。でも恥ずかしくって会えない。もう日本には帰ってこないんでしょうか。

雄治に、俺が後悔してるって伝えてください。許してくれるならもう一度一緒に剣道がしたい。

連絡を待っています。

かしこ

  早乙女大助より


読み終わった後、雄治君はもう一度最初から読み直して、それからもう一度読み直した。亡霊のようだった雄治君の頬に血の気が戻り、瞳に光がさしてきた。

 「・・・大助って、ほんっと字が下手なんだよ! 文章書くの最悪だし、なんだよ拝啓って、丁寧に書いたつもりだよ! がんばったな大助なりに。なんだよかしこって、はーっ、信じられねぇ!」

雄治君は立ち上がって部屋の中を二往復し、また戻ってきた。奥様がハンカチで顔を覆うのが分かった。

「俺剣道辞めることなかったじゃん。っていうか実は俺心ん中じゃやめてなかったし。日本に帰ってまたやるし。ったく、大助は!」

ひとしきり歓喜をごまかして一人で騒いだ挙句に、ようやく落ち着いてはーっと深いため息をつくと、雄治君は俺の方を見てくれた。目の色にものすごく親愛の情を感じて、気恥ずかしくなった。

 「ありがとう児玉さん。俺を許して欲しいって手紙書いてくれたんですね」

俺はあごを上げた。

 大切な大切な言葉を、禁じられた言葉を言わなければならない。雄治君とメサージェの間に起こった食い違いを、僕が解かなければ。

「メサージェちゃんが頼んでくれたのよ!」

奥様が言われた。

「ちょっ! それ僕の一番いい台詞のはずだったのに!」

「遅いわよ言うのが!」

「頼まれたのも手紙書いたのも僕なんですよ!」

「誰が言っても同じでしょ!」

「やめなさい」

社長が静かに言われた。優しい言い方だけれど骨の髄からシンとする響きがある。

「児玉君。どうしてメサージェさんが君に頼んだのか雄治に教えてやってくれるか」

「はい」

俺は雄治君に向き直った。

 伝えられるだろうか。あの時の彼女の必死な姿を。雄治君のことを思って必死な姿を。

「メサージェさんには以前、彼女のお父さんがYAMADAにつとめていて、葬儀に行った関係で顔見知りになっていたんだ。話をしたわけじゃなくて、名刺を渡しただけだったんだけど、こないだ社長と奥様が学校に呼ばれた時、僕を見て、見覚えがあると思ったらしいんだ。それで、君のことで誰か日本人に頼みごとをしなければならないと決めた時に僕のことを思い出してくれたんだ。それで寮に来て僕に、大助君に手紙を出すように頼んだ。これがその手紙だよ」

僕はメサージェの書いた手紙を見せた。

 こんなに優しい手紙を僕は知らない。


 始めまして 

 僕はUGの友達の児玉というものです。

僕はUGが日本でおこしたという暴力事件のことを知っています。UGは君が自分を恨んでいるだろうから申しわけなくて日本に帰れないと思ってます。

 だけど、UGを恨むのは間違ってる。UGは君のことを本当に心配していたんだ。UGのこと許してほしい。お願いします。UGを助けてあげてください。


 雄治君は一度しか読まなかった。一度しか読むことができなかった。雄治君の頬を涙が流れた。涙は血に混じって桃色になり、あごから落ちていった。

 「君のことが嫌いの反対だから君が困っているのにほうっておくことはできないって言ってたよ。・・・君に何か隠し事をしているとも言ってたよ。それがとてもつらいって。それを知られて君に嫌われるのがつらいって言ってたよ」

「・・・・・・」

「よく考えて欲しいんだ。君を恨んでいる人間が君を助けようとするだろうか」

「メサージェは、いつも、俺を助けてくれた」

「うん」

雄治君は歯をくいしばった。

「でも、メサージェのやっていたことは許されないことなんだ」

「・・・彼女は何をしてたの?」

 その時、外で激しい車のブレーキの音がした。それから車のドアが開いて閉まる音。階段を駆け上がってくる音。ドアのチャイムが続けざまに鳴らされた時には雄治君はドアの前に立って外を見、それから急いでドアを開けた。

 知らない女の子だ。雄治君の友達だろうか。

「助けて!」

女の子は雄治君にしがみつくように言った。

「メサージェを助けて! あの子を止めて!」

「メサージェがどうしたんだ?」

おっ、雄治君はずいぶん英語が上達したな。

「ライアンが、テッドたちと一緒に戻ってきてウォルターをジムに閉じ込めたの! それでサムライを連れて来いって。でもメサージェは自分が助けに行くつもり。お願い! 止めて! 止められるのはあなただけなの!」

「ウォルターがそんなに大切なら俺が止めても無駄だろう」

「馬鹿! あんたどうしてウォルターの言うことなんか間に受けたの! メサージェにはそりゃウォルターが大切よ。家に戻ってきてもらおうって、あんないい子があんなワルの仲間になって、ドラッグ売るのだって手伝ったわよ。だけどそれは、家族だからよ。兄妹だからよ。メサージェはウォルターだけじゃなくあんたも守るつもりよ。あんたのことが好きだからよ」

「まさか・・・」

「本当だ」

僕はここだと思って割って入った。

「彼女は、ローマ字で「AISITERU」って書いてやったら持って行ったよ。日本語を他の誰に使うと思う?」

「愛してる?」

雄治君は怒ったように僕を見た。

「どうしてそれ、好きだ、って方で書いてくれなかったの」

は?

 雄治君は帯をしめなおした。その間に社長が竹刀を持ってきた。

「30分たっても連絡が無かったら先生に連絡して、学校に迎えに行くよ。行きなさい。自分の力を過信せず、冷静さを失わず、状況を読み取り、おまえの大切な友達を助けるんだよ」

雄治君はうなづいた。そして女の子と一緒に出て行った。


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