16 パーティの夜 (雄治)
サムライの格好するならそれでもいいんだ。
胴着を捨てなきゃ良かったって思ったのは剣道を辞めてから初めてだ。
なんで女物の浴衣を着なきゃいけないんだ。それもこの帯は何だ。小学生用のぴよぴよ帯じゃないか。
助けてくれ。それにこの仕込み刀、刃はつぶしてあるから演劇用だろうが、本物と同じぐらいの重さがある。こんなもん振り回したら人殺しになっちまう!
俺は刀を竹刀に変えた。父さんが自分の練習用に持って来てたんだ。帯も父さんの寝巻きの帯を借りた。でもまぁ・・・。しかたない。ウォルターの手前、浴衣ぐらいは着ないと、せっかく贈ってもらったんだからなぁ。
というわけで覚悟を決めてる間に遅くなって体育館に行ったら、浴衣が珍しいらしくて巨大女たちがよってきた。そして浴衣をはぎとって持っていこうとする。最近ヨーロッパの方じゃ浴衣をネグリジェ代わりに着るのが流行ってるらしいが、いくら欲しくても着てるのを持っていかれたら俺が変態になっちまう。
かと言ってつきとばすわけにもいかないし、くそ、こういう時たいていはメサージェが助けてくれるのに、いないのかメサージェ、メサージェ、
「メサージェ!」
助けてくれ!
それなのに、また新しい女がよってきた。こりゃまたすごい。バニーガールの格好だ。よくもまぁこんなのを学校が許すな。足は網タイツ。胸は半分はみだしてるじゃないか。日本人じゃありえないぐらいのスタイルのいい女だ。こういうスタイルの良さを前面に押し出してるイケイケ女は苦手なんだよなぁ。
そしたらそのイケイケ女が聞き覚えのある声で言った。
「ちょっと! 何よ、あたしを呼んだでしょ!」
「え?」
メサージェ?
これ、メサージェ?
緑の目。ふわふわの金髪が今日はポニーテールじゃなくて肩にかかって、クリーム色の胸が桃のようにもりあがって谷間を作り、ウェストから・・・・・・・だめだ!
俺は目をそらした。
そらしている間にアリスンも来て何か言ったようだった。
俺はメサージェに連れて行かれ、巨大女たちからは逃げられたが、目の前にはもっと大変な物体がひかえている。メサージェから目をそらすと、他の売り子たちもみんなバニーで、そっちのウサギの耳や胸や足を見ると、別になんてことはない。メサージェはアメリカ人だからとんでもないんじゃなくて、メサージェだからとんでもないんだ。
やれやれ。見たらまずいことになりそうな気がする。でも見たい。男ってそういう生き物だからしょうがないよな、な!?
「それはそうと、あのカタナ、ウォルターからもらったやつ、どうしたの? どうしてこんな小枝をあわせたような棒持ってきたの? 気に入らなかったの?」
俺は質問に答えるふりをしながらメサージェの目を見るふりをしながら視界の下の方にあるものを感じ取ろうとした。
「いや、あんなカタナふりまわしたら人が死ぬ。これでいいんだ。このキモノも、本当は女物だけど、なんだろうな、ウォルターは、贈ったものを俺が使うと喜んでくれそうだったから、これだけはと思って着て来たんだ。ここじゃ誰もこれが女物だとは知らないだろうし」
「そうだったの・・・。ありがとうUG。嬉しい。ウォルターをがっかりさせないでくれてありがと」
俺が見ているふりをしていたメサージェの緑の目が潤むように輝いて、俺は他のところが気にならなくなってしまった。
ウォルターが喜ぶということが君にとってそんなに大切なのか。
「いや、別に。・・・君はウォルターがすごく好きなんだね」
「もちろん。兄妹だもの」
「兄妹か、そうだね」
だけど血はつながってないんだろ?
「どうしたの?」
「いや、別に」
そんなことを気にするなんて卑しいぞ俺。メサージェがウォルターと恋人同士だったとしても俺に何か言える筋合いか? 話を変えろ、今すぐ。
「それにしても仮装してない人もいるじゃないか。俺がこんな格好しなくてもよかったんじゃないか?」
「それが変なのよ。本当は絶対仮装しなきゃいけないはずなのに。なんだか夕方から人が入りだしちゃって。チケット買ってなかった人たちまで入れてくれって来ちゃって。フットボールの方から流れてきたみたいだけど、サンタローザが強すぎて面白くないのかな」
そして突然、悲鳴が聞こえた。
すさまじい音量の中でもはっきり聞こえる程の大勢の悲鳴が。
曲がブツッと止まった。
静まり返ったジムの中で、低いうめき声だけが響く。うめき声をあげているのはジェフリ-だ。巨漢のジェフリ-が床に倒れて転げている。
わけがわからないでいる俺の横で、メサージェがごくりと息をのんだのが分かった。俺はハッとしてメサージェを見て、なんだかやばいのが分かった。
この顔は、メサージェが覚悟した時の顔だ。ダウンタウンで自分を犠牲にして俺だけを逃がそうとしたときの顔。ピザを食べてた店で俺が馬鹿にされた時サミーに言い返したときの顔。校長室にどなりこんできた時の顔だ。
そうだ、自分を犠牲にして人を助ける時の顔だ。
今、誰を助けるつもりなんだ? 俺じゃない。
メサージェはスタンドの外に駆け出した。ライアンの方に。
「ウォルターはいないわよっ!」
ウォルター? メサージェが守りたいのはウォルターなのか?
「どうしたのよ。混ぜてほしいならそう言えば? 何に仮装する? ライアン・キング?」
しーん。誰も笑わない。そんな空気じゃない。
「パ-ティは終わりだ」
ライアンは言った。
「おまえたちは紳士協定をぶち破った」
紳士協定? 紳士って誰? そういう言い回し?
「俺たちから客を盗んだんだ」
盗んだ?
「何言ってんの! フットボ-ルの試合がつまらないのがいけないんでしょ。あたしたちのせいにしないで・・・」
「ふざけるな!」
ライアンが吠えた。圧倒的な威圧感。こいつ、いつ見ても、まともじゃねぇ。恥ずかしながら俺が一瞬すくんじまう。
さすがのメサージェも声が出ないようだった。
「サンタロ-ザチ-ムのクォ-タ-バックが突然来れなくなった。客の目当てのスタ-選手だ。おまえら奴に金やって来ないようにしたろうが」
「何を・・・」
と言いかけてメサ-ジェは言葉を止めた。キュッとメサージェのお尻がひきしまったのを見て、俺はメサージェの尻ばかり見ていたのだと気づいた。
いい、許す、俺。あの尻のせいだ。全ての責任はあの尻にある。
いやそうじゃなくて、ライアンの言葉を整理しよう。金をやって来ないようにした? どうして? 誰が?
「いくらなんでもクォ-タ-バックが来ないってのが知れ渡るのが早すぎたな。・・・メサ-ジェよ。俺は悪党だ。だがなぁ、悪党にも悪党なりの、ル-ルというものがある。おまえたちはそれを犯した」
ライアンはまるで子供に言い聞かせるようにゆっくりとそう言うと、五人の取り巻きたちをふりかえった。
「つぶせ」
のそっ、と巨漢のサミ-たちが動き出した。
レンタルの1キロスポットライトが倒されて激しい音をたてた。
客の悲鳴が響く。
「やめてライアン!」
これ・・・悪いのはどっちなんだろう。
どうもなんだか、ウォルターなんじゃないかという気がする。あのライアンって奴、筋は通す人間のような気がする。
だけど、メサージェが困ってる。
俺はメサージェとライアンの間に割り込んだ。
「UG! だめよ!」
だめって、俺用心棒なんじゃないの?
「ライアンは武器を持ってる!」
へ?
あ、そうか、ライアングループはナイフが好きだとか言ってたな。まだ暑いのにジャケットを着てるということは、下にナイフを隠してるってことか。
アメリカのナイフってなんであんなにごっついんだろうな。ゾッとしちまう。
「UG! いいから! 戻ってきて!」
「ライアン、客に罪は無いんだ。やめさせてくれ」
「おまえか・・・」
ライアンは特に表情も変えずに俺を見おろした。
まさに、見おろした。いやはや、こないだは座ってたからまだましだったが立ってると熊と兎だ。こいつ何食ってこんなにでかくなったんだろう。ピザとコーラだな。チェリー味の。
「暴力を振るう前に話をしてほしいんだ。誤解だったら、恥ずかしい思いをするのは君たちのほうだ」
「・・・UGよ。言ったはずだ。ウォルタ-を味方するな。それがウォルタ-のためだ」
「? どういう意味だ」
「・・・・・」
「・・・メサ-ジェに聞け。それから道化た用心棒気取りもよせ。カタナはガンにはかなわない」
ライアンはジャケットの下に手を入れた。
ガン? ガンって、なんだっけ。ガーン。
げっ・・・・・。
あたりからはもう悲鳴も上がらなかった。ただ息をのむ気配だけが津波のようにあふれた。ありがとう。みんな俺と同じだと知ると安心しました。
って感謝してる場合じゃない。現れたのはナイフどころか、銀色に光る拳銃だった。銀色。拳銃って黒ばっかりじゃないんだな。オートマチックって奴かな。あ、いやそりゃ種類の名前か。
メサージェにも以前向けられたな。これが初めてでなくてよかった。少しは慣れてる。うん。
体が恐怖にかたまらないようにつまらないことを考え続けている間に、ライアンは俺に銃口を向けようとした。
うわっ!
俺は反射的に左足を踏み込んで竹刀を左から右上に払っていた。
ライアンの銃を手からすっ飛ばした。
ゴオンッッ!
同時に、火薬の破裂する音がした。こんなにすさまじい音だとは知らなかった。テレビと違う。心臓がつぶれた。あ、心臓にあたった? 痛い。
それはともかく、竹刀の切っ先をライアンののどもとにつきつけた。
浴衣が着崩れてる気がする。女物の浴衣だもんな。日本人がこれを見たら、吉原に居残りになって女ものの着物を着ている遊び人の金さんがサムライの正体をあらわして悪者をやっつけている図、だろうな。
なんで俺はこんなくだらないことを考えているんだ。人は死ぬ前にソウマトウのように過去を思い出すというけれど、ソウマトウって誰だろう。昔を思い出してばかりいる奴?
ライアンは、ほんの一瞬だけピクリと眉をあげた。薄い眉を。
まぁ、竹刀でぶったたいても竹刀の方が折れるだけだしな。
俺は竹刀をひいた。さすがのライアンも大きな音のせいか落ち着いている。銃はどこへ行ったろう。あ、そこだけ人がいない。床に落ちてる。
それから、俺は自分の胸を見た。
血が出てない。手、足、腹、出てない。額? どうやって見よう。
「・・・UGよ。もしおまえが、弾丸はどこにあたったか探してるんだったら、あたったのは天井だ。あしたから雨もりがするな」
「えっ・・・」
やばい。恥ずかしい。
「あ、ありがとう。死んだかと思った」
「ありがとうだと?」
ライアンはわずかに笑った。熊も笑うんだ。
「お、おいライアン!」
しかしサミ-たちはそれが気に入らなかったらしい。ナイフを取り出そうとしたが、
「やめろや」
ライアンはゆっくりと転がった拳銃を拾った。そして、もはや俺には目もくれず、ゆっくりと外に出ていった。サミ-たちもあわてて、しかし不満そうに、あとに続いた。
ん? 終わったのか? もういいのか? あれで? なんで?
俺はあたりを見回した。そして、全員が俺を見ているのに気づいた。俺はもう一度心臓から血が出ていないかどうか確かめた。
「すごいUG!」
「さすが!」
「ありがとうUG!」
ドナルドダックやスパイダーマンが走ってきた。
なんだこいつら。
やめてくれ、とうずくまっていると、曲がはじまった。曲の担当はライオットだ。メサージェが合図を送ったのか。
スピーカーは一台だけ残ってる。
静かな曲だ。
― 生きてるってことは危険と暮らしてるってことさ。今日ここで大切な人と向かい合っていられる幸福を大切にしよう。
いいかげんなこと言ってる。
大切な人がいない俺はどうすりゃいいんだ。不幸か。でも俺以外はみんな幸福らしくてそれぞれの恋人たちの体に腕をまわして静かに立ってゆれている。
メサージェが俺の腕を取って歩き出した。またスタンドの裏に戻る。それからメサージェは俺を抱きしめた。
ひーっ、胸が巨大ではじける。だけど、三回目だ! いいかげんがんばれ俺。平常心平常心。つきはなすなよもったいない。
「よかった無事で」
メサージェが泣いているような気がした。
ん? と顔を見ようとしたとたん、メサージェは体をはなして俺の頬を叩いた。軽くペチッと。
「あんたね! どうしてそう危ないことするの! 暴力は嫌いって言ったの誰よ!」
「・・・だって、今のはしょうがないじゃないか」
「しょうがないってね! 死んだら命がなくなるんだよ!」
「まさか拳銃が出てくるとは思わなかったんだ。噂には聞いてたけど本当にアメリカの高校生って学校に拳銃持ってくるんだな。映画のようだ」
「そんなわけないでしょ! ライアンだけよ! 不法所持! ライアンがこれでひきさがるとは思えない。絶対にまだ何かしてくるはずよ。できるだけ早くお開きにしないと」
「でも、こっちに悪いところが無いんなら脅しに屈するのはよくないと思う」
「・・・・・」
メサ-ジェは胃のあたりをつかんだ。
なんか悩んでる。・・・そうか。やっぱり・・・。
メサージェは俺を見た。腹をくくった顔だ。本当のことを言ってくれる顔だ。
「あのね、違うの。これってライアンの言ってるのが本当なのよ。ウォルタ-がいけないの。何かしてサンタロ-ザのスタ-選手が来ないようにしたんだと思う。ライアンが怒るのも無理ないのよ」
俺は黙っていた。それだけで非難の意味は伝わるはずだ。メサージェは一瞬視線を落として、上げた。
「ル-ル違反したのはウォルタ-の方なの。でも、聞いてよUG。ウォルタ-はずるい人間なんかじゃない。ライアンに対してだけなのこんなふうにムキになるのは。ウォルタ-はどうしてもライアンに勝ちたいの」
「そうか、ドラッグを取り扱ってるライアンが許せないんだな?」
メサ-ジェは何故か動揺してるようだった。
「そうじゃない。そうじゃなくって、そう・・・ライアンに勝ちたいってのが間違ってるのかも。勝ちたいんじゃなくって、ウォルタ-はライアンになりたいの。ライアンにあこがれてるのよ」
・・・・・・・・・・へ?
「そうなのよ。ウォルタ-はライアンが大好きなの。ライアンを目標にしてきたから今のウォルタ-ができあがってるの。もともとはね、あの二人同じジュニア・ハイにいたのよ。それも同じクラス。七年前になるのかな。ウォルタ-は一人ぼっちだった。それに、お母さんがその、家を出てしまったことが結構スキャンダルになってて、ジュニア・ハイに入ったばかりの頃にはけっこう馬鹿にされたりからかわれたりしたらしくって」
あ、水晶取りのお母さんはメサージェのお母さんか。死んだのはウォルターのお父さんか。
「ウォルタ-の父さんは警備員で夜いないことが多かったみたい。だからウォルタ-はずっと一人ぼっちだった。友達作るのもヘタだったし。からかわれて殴りかかっていっても四五人相手にこてんぱんにやられてしまうだけ。ところがいっぺんだけ助けてくれたクラスメ-トがいてさ」
「それがライアン?」
「そう。ライアンは昔っから強かった。ウォルタ-の友達でもなんでもなかったし、もししたらいじめがうるさくて気に障っただけなのかもしれないけど、にかくいつもウォルタ-をからかってた連中をたった一人でやっつけてしまったんだって。それ以来その連中はすっかりおとなしくなっちゃって、ウォルタ-ももちろんいじめられなくなった。それ以来ライアンはウォルタ-のヒ-ロ-になったの。でもライアンは、ウォルターをことごとく無視した。フットボ-ルの選手だったからいつも応援に行ってたけど、ほとんど見てもくれなかった。当時もうライアンはいっぱしワルかったから、まじめでおとなしかったウォルタ-とはあわなかったんでしょうね。そして、父さんが死んじゃったのよ。最愛のお父さんだったのに。それから、ウォルタ-は心の支えを失って、自分がライアンになろうとしたのね。何もかも、ライアンの真似をしはじめた。ライアンに対抗しはじめた」
「・・・ドラッグの売買をやめさせようとしたのもそのためか?」
メサージェがひどく悲しそうな顔をした。どうしてこのタイミングでそんな顔するのかな。意味が分からない。メサージェの目が泳ぎ、それから何か言おうとした。でもその前に、俺は気づいた。
「そうか。わかったよ、なぜライアンが俺にウォルタ-の仲間になるのをやめろと言ったのか。ライアンはウォルタ-がムキになってるのは自分のせいだと知ってるんだな? しかしウォルタ-はケンカが強いわけじゃないから仲間がいないと何もできない。だから、仲間がいないほうがウォルタ-のためだと言ったんだ。このままだとライアン同様のワルになってしまうかもしれないから。そうだったのか。俺、バカだったな。」
「UG・・・」
「俺、ウォルタ-にそのことを言うよ」
「え?」
「ライアンはウォルタ-のことを心配してくれてるんだって言ってみる。ウォルタ-は喜んでライアンから解放されるかもしれない。いい友達になるかもしれないよ」
「・・・もう遅いのよ」
遅い? 何が?
「・・・ああ、でも分からない。今ならまだ間に合うのかも。警察に捕まる前に」
「・・・・・」
何のことだ?
メサージェは何か迷っているようだ。
とにかく誰かがあの二人の間に入って互いのすれ違いを正してやるべきだ。メサージェじゃ近すぎる。部外者の俺ぐらいでちょうどいいんだ。
俺は壁ぎわをそっと歩いて特別室に向かった。
そしてドアを開けた時、その時俺は、一度に頭に血がのぼっておかしくなってしまったんだと思う。
散らばるジャンクフード。広げた紙の上の白い粉・・・いや結晶。
二人の男子生徒。テーブルの上にはゴムチューブ。注射器。ゲタゲタ笑っている。男子生徒の反対側にはウォルターがいた。
ウォルターはつまらなそうに男子生徒を見ていた。
感じた。ウォルターはこいつらにドラッグを売っていたんだ。
考える前に俺はウォルターに殴りかかっていた。ウォルターは一発で床に倒れた。それから俺はラリッている男子生徒の一人の胸倉をつかんで持ち上げた。英語は出てこなかった。黙って持ち上げた。
怒りや悲しみとかそんなんじゃない。真っ暗だった。頭の中も心お真っ暗だった。
ガツンと、後頭部に衝撃があり、俺は前に倒れた。ラリッた男子生徒が笑ってる。ふりかえるとウォルターがパイプイスを持ち上げていた。それをまた俺にふりおろす。
俺はそれを腕でよけ背後に倒れた。特別室のドアを背で開け、ジムに倒れこんだ。
ウォルタ-の唇にうかんだ笑い。ドアの向こうでゲタゲタ笑っている男子生徒二人。
いつか見た光景。
どうしてだ、大助!
ウォルターがパイプイスをふりあげる。それにとびついたのはメサージェだった。
「やめてウォルタ-! どうしたのよ!」
「この野郎、俺に殴りかかってきやがった!パ-ルハ-バ-・アタックかぁ!」
メサージェはドアの中を見て目を見張った。
「ウォルター、あんた、なんてことを・・・」
「うるせぇっ!」
ウォルタ-はメサ-ジェに抱きつかれたまま、またもイスを持ち上げた。
「ウォルタ-! やめてよっ! あんたなんかUGが本気になったらかないやしないよっ」
ウォルタ-はニタッと笑った。
「メサ-ジェ。そうか、おまえが俺を止めるのは、UGの為じゃないんだよな。俺をケガさせないためだよな。そうだろ?」
「そんなのどうでも・・・」
「そうだな! こんな奴より俺の方が大事なんだろう!」
メサ-ジェは俺を見た。俺の額から血が流れ落ちているのがわかる。
でもそんなものの痛みは感じない。
だけどひどく痛い。
メサージェはギュッと目をつぶった。
そして目をあけて、言った。
「UG。ここから出てって。そして二度と戻って来ちゃだめだよ。あなたはこんなところにいる人じゃなかったの」
・・・どういうことだ?
そうか、メサージェは傷ついているんだな。ウォルターがドラッグに関わったことを知って、傷ついているんだ。俺に申し訳ないと思ってるんだ。でも、メサージェのせいじゃないのに。メサージェだって何も知らなかったんだから、同じだ。
俺は立ち上がると、メサ-ジェの腕を取った。
「行こう。俺たちはだまされてたんだ」
「・・・・・」
メサージェの目から涙があふれそうになった。顔色が真っ青だ。
なんだというんだ、この反応は。
ウォルタ-がブ-ッとふきだした。
「なぁに言ってんの! だまされてたアホはおまえだけよん。メサ-ジェは俺の仲間なの。俺の手足になってドラッグだって売ってくれてたんだからね」
あほか、こいつ。
俺はウォルタ-を見つめた。
「そんなことを誰が信じるんだ」
「うっわあ、かわいそ-ねUGちゃんたら。メサ-ジェに最初っから騙されてるの気づかなかったの? メサ-ジェは俺のためにおまえを騙してたんだよ」
本当にあほだこいつ。
俺はため息をついてメサージェを見た。メサージェは本当に真っ青だった。そして俺の視線を受け止めず、うつむいた。
冷たい電流が流れたような気がした。
ウォルターの言葉が本当なんだ。
「クククッ」
ウォルタ-は笑った。
「言っておくけどね、これはおまえが悪いんよUGちゃん。おまえはね、俺の父さんの仇なの。俺の父さんはYAMADA工場で警備員をしてて仕事中に死んだのにね、YAMADAはなぁんにもしてくれなかったよ。なぁんにもね。裁判に持ち込んだのに裏から手をまわして無効にした。復讐されて当然じゃないの?」
「ウォルタ-! 何言い出すの!」
「メサ-ジェは俺の妹なんかじゃないの。俺の女なんだよ。どうだわかったかい? わかったら出てけ! 二度と顔見せるんじゃねぇぞぉっ!」
ウォルタ-は俺の胸を押した。弱弱しい腕だったけれど、押してくれたのが今はありがたかった。
メサージェ。
メサージェは泣いていた。やっぱりきれいだった。ものすごくきれいだった。
「俺、君が好きだったよ」
自分の日本語が自分の耳に響いた。
好きだ。
胸が痛い。好きだからなのか悲しいからなのか。
日本語だからメサージェには分からない。傷ついた顔をした。何かひどいことを言われたと思ったんだろう。
俺はジムを出た。大音量の中誰も踊っていなかった。俺を避けるように道をあけた。そんなことはもうどうでもよかった。