12 日本人の英語は変 (エドウィン・サーン)
夕闇が迫る頃、カリフォルニアYAMADA現地採用者の組合長エドウィン・サーンは、島谷栄治宅の前に車を止め、玄関を見上げた。玄関まで階段を上るようになっているその階段の両側に、五十本程の立て札が立っている。
日本に帰れ。
不当解雇を許さない。
我々はリストラに応じない。
おまえの母さんでべそ。
数が増えすぎて立てる所が無くなったので、自然と休止になった。
なぜ撤去させないのだろう。
この状態の玄関の写真は何度も町の新聞に載った。テレビ局が来て撮影しながらキャスターが紹介したこともあった。
これは正義の戦いなのだ。
なのに、墓標のようなこの立て札を見ていると、こちらのほうがひどいことをしているような気がしてくる。
エドウィンは首を振った。
そんな弱気でどうする。今から戦いに出向くんじゃないか。まずくやったらYAMADAの仲間たちを守れなくなるんだぞ。俺はみんなの生活を守らなければならないんだ。
エドウィンはぐっと歯をくいしばって顔をあげ、奇妙なものを見つけた。
島谷栄治宅の向かって左側は数十本のどんぐりが生えた空き地になっているが、その中で少年が一人、向こうを向いて棒を振っている。
エドウィンはその少年が何故棒を振るのかがわからなかった。それなのにその後ろ姿から伝わる気配に目が離せなくなった。
棒が頭上に振り上げられ、足の踏み込みと同時に前に振り下ろされる。それは必ず一定の位置で止められる。
ピタリ、ピタリ、と止められる。
あんな棒をあんな勢いで振っては腕がもぎとられていかないだろうか。エドウィンは心配になり、それから気づいた。
ああ、あれがサムライか。
噂の、島谷栄治の息子、島谷雄治。
テッドをジュードーで投げ飛ばした少年。・・・テッドが蹴ったらしいとミスター・ブラウンが言った。島谷雄治だけでなくその友人の女の子も蹴ったらしいと。
テッドは私の為にやったのだ。とがめることはできない。
しかし島谷栄治がこのチャンスにとびつかないわけはない。この件を組合との交渉に持ち出そうとするだろう。私個人に取引をもちかけてくるかもしれない。テッドを訴えない変わりに・・・などと。そんなことは許されない。テッドだとて投げとばされているんだ。ジュードーを使うなんざ卑怯じゃないか。こちらが先に怒って出れば、日本人はうまくいけば謝るし、謝らなくとも、言い合いになって決裂すれば、どちらが悪いかがうやむやになって対等にできる。
サムライ少年がよろめいた。ひざに手を置いて肩を上下させている。そうだろう。あんなことが続くはずが無い。
しかしサムライ少年はぐっとあごを上げると、また棒を振りはじめた。きりがないようだ。
エドウィンは入り口のチャイムを鳴らした。
陽子夫人がコーヒーを目の前に置いた。
エドウィンは礼を言ったがコーヒーを飲む気は無かった。島谷栄治は突然の訪問にも特に驚いた風はなく、かといって歓迎するでもなく、ソファにエドウィンを招いた。
居間には大きなガラス戸があり、その向こうのドングリ林で棒を振る雄治の姿がよく見える。
「ありゃなんですか」
「ああ、素振りといって、剣道の練習です。雄治は剣道はやめると言うのですが、迷いもあるようだし、悩みもあるようだしで、六千回振れと言ったのです」
六千回! あれを!
よく見ればもうよほど疲れているのか棒の方に体がもっていかれそうになっている。肩の上下のしかたも激しい。
虐待じゃないのか!
だいいち、組合長の俺に貸しを作るチャンスを作ったというので大喜びでこづかいでもやってるだろうと思ったのに、いったいどうなっているんだ。
「中途半端な考えでいるから、未熟な武術をひけらかしてよけいな争いの種をまいたのです」
エドウィンはギクリとした。島谷栄治の出方を待ったがそれ以上何も言わない。
それで? ご用件は? という顔でこちらを見ている。エドウィンは気を飲まれてしまった。
くそっ! 何をやってるんだ。ここでひるんだら俺たちの生活はどうなる。
エドウィンは、島谷英治をにらみつけた。しかしにらみつけたその視線は、島谷英治の黒い瞳に際限なく吸い込まれていくだけだ。
やりにくいったらねぇや。
エドウィンは額の汗をふいた。
「今日学校で互いの息子が何やらケンカをしたようじゃないですか。俺はね、子どものケンカを会社に持ち込まないようにしましょうってことを言いに来たんですよ。関係ねぇことですからね。そうでしょう?」
「もちろんです」
あっさりとうけあわれて、エドウィンはぱくんと口を閉じた。
沈黙が続く。
カララン、と乾いた音がした。顔を上げると雄治が木刀を取り落としてうずくまっていた。
すると、離れて控えていた陽子夫人が立ち上がった。もうやめてお休みなさいと言いに行くのだろうと思ったが、陽子夫人は水を満たしたピッチャーを持ちあげて玄関に向かった。その顔つきで、ばてている雄治に水をぶっかけるつもりなのだと分かった。
「やめろ!」
エドウィンは思わず叫んだ。
「何てことをするんだ! いくら自分の子どもと言ったって、虐待だぞ! この国じゃそんなことは許されん! そんな冷酷な人間を社長に持つのは我慢できん!」
「よいのじゃ!」
陽子夫人が振り返って言った。
「わらわのこの冷たい目覚めの泉により愚かな息子も滅びの国から甦るであろう」
・・・・・は?
「われらの愚かな息子には運命が与える大いなる罰が必要なのじゃ」
罰与えたのはあんたらだろう。
「さもなくばわれらの愚かな息子は永遠に罪の意識の淵に沈みもがき苦しみながら生きるのじゃ」
「・・・・・」
「どうなさいました?」
と言ったのは島谷栄治だ。
「いや・・・。あのう、奥様はどちらで英語を学んだんですかい」
「ああ! 流暢に話すでしょう。あれは英文学部の卒業でしてね。卒論はシェイクスピアだったんですよ」
シェイクスピア・・・。
外国語を勉強しなきゃならんはめになったら、絶対にその国の名作古典じゃなくて、今現在の低俗小説で勉強することにしよう。
そして、エドウィンは気づいた。そんなことより重要なことに。
罰って言ったか?
罰?
争いの種をまいたって言ったな。つまりテッドの奴とけんかしたから罰を与えたってのか?
エドウィンは無意識に飲むまいと思っていたコーヒーに口をつけた。そして自分の息子テッドのことを考えた。
テッドには相手に勝つことしか教えてなかった。より多く相手を傷つけたほうが勝つのだ。それは人類全体の真実って奴じゃないのか。どんなに山奥に行っても同じなんじゃないのか。
日本じゃ違うっていうのか。
「どうなさいました?」
しょんぼりしてしまったエドウィンに驚いて島谷英治がまた声をかけた。
「シェイクスピアはお嫌いでしたか」
そのとたん、外でギャアッと悲鳴があがった。目をやるとずぶぬれになったサムライ少年が母親に文句を言っている。母親は腰に手を置いてせせら笑っている。
なんだ、親子で言い合いができる関係なんじゃないか。なのにどうしてあの息子はこの罰は理不尽だと言わないんだ?
少年はしっしっ、と母親に向かって追い払う手つきをした。親に向かって失礼な奴だ。やはり性格がねじまがっているのか。とエドウィンが何やら安心しかけた次の瞬間、少年は木刀を取り上げ、また素振りをはじめたのだ。
分からん・・・。日本人は分からん・・・。
「具合でも悪いんですか?」
島谷栄治が聞いた。
「いや、もう用は終わったよ。じゃあこれで・・・」
「ああ、ちょっと待ってください。あなたに相談があるんですよ」
─ ふん、なんでぇやっぱりそう来たか。
エドウィンは、なぜかがっかりした気持ちでもう一度腰をおろした。島谷英治は淡々と話し出した。
「カリフォルニアYAMADAで独自のデザインの車を作ろうと考えてるんです」
「ああ?」
どういう意味だ。
「この工場はYAMADAの車を作るための工場だろ?」
「もちろんです。しかし日本で走る車と同じデザインのものを作る必要はまったくありません。日本の町並みに似合う車というのはこの国の町並みにあわないんです。そう思いませんか? 私たちはUS内だけで販売する車を作りたいんですよ。いや、USだけじゃない。世界各国に支社のあるYAMADAです。それぞれその国にあったデザインと仕様を持つ車を作りたい。YAMADAの新しい展開としてこのプロジェクトが立ち上がったのです。その第一号がカリフォルニアYAMADAです。企画、デザイン、工程、検査、販売、宣伝、かなりなスタッフが必要です。そしてそれは、この国の人間でなければできないことです」
エドウィンはまじまじと社長の顔を見た。ぼそっとした、この世におもしろいことなど何もない、といった顔をしたこの男を。
「つまり?」
「我々は人員を整理などしている場合ではないということですよ。ただしこの企画が軌道に乗るまで・・・そう、最低でも二年、契約以上の賃上げは無理です。ですからストは無意味だしそんな無駄な時間をくっている場合ではないのです。カリフォルニア工場は工員全員が動かすのです。私でもなければ、あなたでもない。全員がね」
「・・・誰も、職を失わないということか?」
「そう」
「最初からそのつもりでカリフォルニアに来たのか?」
「そう。金儲けの為に、来たんですよ」
エドウィンは、ほんのちょっとの間黙っていたが、やがてニヤリと笑った。
「あんた、なかなかおもしろい男だね」
「みなさんそうおっしゃいます」
ガチャリ、とドアが開いて、水びたしになった雄治が入ってきた。地雷でも踏んだかのような格好だ。居間に客が来ているのには気づかずにバスル−ムへ体をひきずっていった。
「あの薄汚いのが私の息子です」
島谷英治は言った。
「できの悪い息子で、日本にいる時他人にケガをさせましてね。新聞やテレビでも報道される事件でした。その後、インターネットでずいぶん攻撃されたんですよ。そういう人間に剣道をやる資格はないと」
エドウィンは黙っていた。日本にいる知り合いからその話を聞いて工場中に広めたのはエドウィンだった。そしてYAMADAに勤める夫を持つ学校の事務官ミセス・ホランドから、スノラ・ハイスクールにも広めさせるつもりだった。いや、もう相当に広まっているだろう。そうやって、雄治がスノラ・ハイスクールにいられないようにすれば、家族で日本に戻るだろうと計画したのだ。
いや違う。そんなことで日本に戻れるような日本企業じゃないのは分かっていた。嫌がらせだった。ただの嫌がらせだった。どんな手を使っても勝つ、それが正しいことだと思っていた。
「息子は、私がここの会社に来るようになったのは自分のせいだと誤解しているんです。ただ、過保護だと思われるでしょうが、家族を連れてきたのは確かに息子の居場所を作りたかったからなのです。息子は私のことを思って苦しんでいます。私の仕事のために息子が居場所をなくすならば、それは私の苦しみです」
「・・・・・」
エドウィンは言葉を持たなかった。島谷英治が、エドウィンのしたことを知っていることはあきらかだった。
エドウィンは亡霊のように立ち上がり、別れの挨拶もそこそこに帰っていった。
「なんということじゃ! 現れたかと思えばもう去ってしまうとは。別れは甘い悲しみじゃ。さようなら、大切な人よ。そなたに千回のさようならを言おう」
陽子夫人の挨拶はあまりそこそこではなかった。
次の朝、学校に行くために玄関を出ていこうとした雄治は、風景がいつもと違っていることに気づいた。何が違うのかわからなかったが、しばらく歩いて家をふりかえった時に気がついた。
[GO HOME]の立て札がすべて取り払われていたのだ。