10 彼の事情 (雄治)
メサージェの緑の目が傷ついたように潤んで、それから彼女が部屋を飛び出すのを俺はどうしようもなくて見送るだけだった。
テッドに謝らせたりしたらよけいうちが恨まれて父さんが困ったことになるから・・・。
「あなたが悪いんですよ」
母さんが父さんに言った。
「穏便にすませるなんてことはこの国じゃ通用しないの。つらくても白黒はっきりさせなきゃいけない時というのはあって今がその時なの。じゃなきゃ勇気をふりしぼってここの来てくれたあのお嬢さんに申し訳ないじゃない」
「うん? そうかい? しかしなぁ、子どものケンカに親が出るっていうのがどうも・・・」
「違うでしょ。この場合はね、親のケンカに子どもがふりまわされてるの。迷惑かけられてるのは雄治の方」
それから母さんは変な目で俺の方を向いた。
「私はあんたを誇りに思うわよ。愛してる。・・・抱きしめてほしい?」
「いらん」
気持ち悪い。
「それからね。あんたがさっき彼女に言ったの。あれ、単語だけしかいわなかったから命令形になってたわよ。『黙れ』って。それも、ものすごーく失礼な言い方の『黙れ』だったわよ。『死にやがれ二度と顔見せんなボケ』っていうぐらいの言い方」
「・・・・・え?」
嘘だと言ってくれ・・・。
「何してるの。さっさと追いかけて、僕は世界一の恩知らずです、どうぞ煮るなり焼くなり好きにしてくださいと言って土下座するのよ。僕は人を助けるけど、誰も僕を助けてくれない、なぁんて思いあがってたんでしょ?」
「・・・・・」
言い返したいけど、そんな余裕はない。
俺はメサージェを追った。
いてくれ!
三時間目が始まってる。中庭には黒ツグミしかいない。メサージェの三時間目の科目はなんだよ。メサージェは俺の科目全部把握して送ってくれたり世話してくれたりしたのに、俺は、甘えてばっかりで・・・。
こうなったらクラスを全部覗いてやる、と階段を駆け下りて、ジムの前のベンチに座っているメサージェを見つけた。
ほっとして。それから、困った。
どうしたらいいんだ。
メサージェは思いっきり怒った目で俺を見上げた。・・・ためらってる場合じゃない。俺は階段をおりて、メサージェの方に歩いた。
「ごめんなさい」
俺は頭を下げた。アメリカじゃ謝る時頭を下げないことは知ってるけど、俺はこれしか謝り方を知らない。
「俺は世界一の・・・」
恩知らずって英語で何て言うんだ? 煮る? ボイル?
「あ、え、と。・・・ごめんなさい。君は助けてくれたのに、俺は、礼の言い方が分かってなかったよ」
メサージェは自分の横をぱんぱんと叩いた。座れ、ということらしい。俺は急いで座った。横に座っていいということは、まだ許してくれるということだ。
「追いかけてこなかったら本当に殺してやるところだった」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさいって、そう簡単に人に謝るんじゃないのっ! 言っておくけど、まさかテッドに謝ろうなんて考えてないでしょうね! あんたんとこのパパならやらせそうだけど、あたし、絶対許さないから。もしそんなことしたらあんたの舌をひきちぎってやる」
「・・・・・」
日本だとこういう時お互いに謝れば終わるんだけど・・・。
「謝るのがかっこいいって思ってない? そういうのね、この国じゃ通用しないの。あたしもう決めたから。学校全部敵にまわしても戦うから」
「! だめだ! 君が一人ぼっちになってしまう」
「決めたの!」
「だって俺のために君まで・・・」
俺のために?
不覚にも、自分で言った言葉に涙が出そうになった。ヒヤリとして顔をそらした。まさか目に涙が浮かんだところを見られるわけにはいかない。
メサージェは気づかなかったようだった。俺の方をジロリとにらんで、
「それから、ミズ・ホランドの言ってた、日本で大勢にケガさせたって話聞かせて。絶対それって悪い尾ひれがついて広められるはずだから。本当のこと聞かせて。UGがそんなことするなんてよっぽどの理由があったはずよ」
涙が一瞬で乾いた。俺はコンクリートをにらんで歯をくいしばった。
思い出したくない。でも、そう、話さなければならない。メサージェには。
本当のことを。俺が本当に暴力で人を傷つけたことを。
「UG? どうしたの? 恐いよ、顔が」
「違うんだ。俺は暴力が恐いんだ。あの事件があってから、恐くてたまらないんだ。俺は、自分が強いと勘違いして友達を傷つけた」
メサージェの方は見られなかった。俺はコンクリートを相手に話をした。
日本にいる時、友達がいた。大助って名前だ。
小学校に上がる前から同じ剣道場に行ってて、小学校も中学校も同じ学校でクラブに入ってて、たぶん親より大助と一緒にいる時間の方が長いぐらいだった。あいつがいたからやれた。俺が主将で、大助が副将で、ずっと団体戦で優勝してきたんだ。個人戦で、あいつが先に負けたときなんかでも、俺のために必死になって応援してくれたよ。
だけど、高校が別になって、大会で会おうと俺たちは約束した。だけど、新人戦で大助はいなかった。剣道をやめたんだそうだ。信じられなかった。俺は大助の家まで行ってみた。・・・そしたら、あいつは髪の毛を茶色にして、剣道は嫌になったからサッカーをはじめると言った。俺は・・・カッとなって、約束が違うとあいつを責めて、ケンカになって、それから、しばらく大助のことを忘れてしまった。
・・・本当は、あいつは、腕を痛めて、剣道が出来なくなってたんだ。それも、新入生なのに上級生に勝っちまったもんだから、上級生からねたまれて、無理な練習をさせられて、それで、腕をだめにしたんだよ。俺はわかってやらなかった。次に見た時、そいつは耳にピアスをはめてたけど、俺は無視した。
「ちょっと待って」
メサージェが割って入った。
「どうしてその人は本当のことを言わなかったの?」
「言わないんだ」
「日本人はどうしてそういう時本当のことを言わないのよ」
「日本人がどうのってわけじゃない。大助は弱音を吐きたくなかったんだと思う。それと、練習で腕を痛めたんだから悪いのは自分だって思ったんだろう」
「そういうのって変よ!」
「変とか変じゃないとかは問題じゃないんだ。大助はそう考えて、黙ってた。それを良いとか悪いとか言わないでほしいんだ」
メサージェを傷つける言い方かもしれないが、俺は少しだけ怒っていて、謝る気にはならなかった。メサージェは何も言わなかった。
それからしばらくして大助のお母さんが俺の家にやってきて、信じられないことを言った。悪いともだちと遊んでいて、夜中にバイクで走り回ってるって。親の言うこともきかなくなって、お母さんに暴力をふるうこともあるって。で、お母さんは俺に、大助に悪い仲間と離れるよう忠告してくれって頼みに来たんだ。剣道をやめた本当の理由もそのとき聞いた。
会ってみて驚いたよ。大助だとは分からなかったぐらいだ。顔色がひどく悪くて、やせて、目つきがやけっぱちになってて、もう俺の言うことになんか耳を貸しやしなかった。問い詰めたら、あっさりとドラッグをやってるって認めたよ。自分の体を痛めつけてるだけなのに何が悪いんだって。
俺はある夜にそいつが出ていく後をつけた。廃ビルの中に、高校生ぐらいの奴が大勢集まっていて、酒を飲みすぎたような無茶な騒ぎ方をしていた。その中に大助はいた。俺は、木刀を持っていた。最初から無理やりにでも連れ帰るつもりで持って出ていたんだ。木刀一本あれば、俺は誰よりも強いと思っていたから。
そうなんだ、俺は強かった。大助が俺と帰るのを嫌がって暴れてさ。そこにいた連中は大助のために怒って、俺の友達に何すんだって、俺を止めようと向かってきたんだ。俺はカッときて、そうだ・・・俺が悪人扱いになってるのにカッときて、大助が、俺よりもそいつらを信頼してるのにカッときて、俺はそこいいた連中を何人か木刀で殴ってしまったんだ。木刀だよ。ただじゃすまない。骨が折れた奴もいる。可笑しな話なんだけど、警察を呼んだ奴がいて、事件になった。
・・・捕まったのはその連中だったよ。ドラッグのマ−ケットを作ってたんだな。大助も捕まって、ドラッグに犯されてるのがばれて施設に入った。なおったら少年院に入れられるのかもしれない。俺に向かって、殺してやるって言ってたよ。大助のお母さんは泣いてるし。
俺は、警察ではだいぶ怒られたけれど罪にはならなかった。連中、反省したところを見せれば罪が軽くなるということもあって、俺を起訴しなかったんだな。だけど、それは警察だけの話で、俺は二度と剣道の大会には出られなくなった。剣道を暴力に使ったんだからあたりまえのことだ。それから学校も自主退学した。父さんは、以前から話のあったカリフォルニアYAMADAの社長の話を受けてここに来た。俺は誰も俺のことを知らないこの学校に編入した。逃げてきたんだ。君が危なくなった時だって、俺は、ギリギリまで逃げ回るだけだった。君の言う通りだ。卑怯で情けない人間だって自分でも分かってる。俺はサムライじゃない。ただの気の弱い人間なんだよ。
英語がうまくしゃべれなくて、それだけ話すのにずいぶん時間がかかってしまった。
メサージェが何て思ったか、恐くてそっちが見れない。
メサージェは言った。
「UG、もうあたしたちと一緒にいないほうがいいよ」
全身に氷水をかけられたような気がして、思わずメサージェの方を見て、それが、俺の思ったような意味じゃないことを知った。
メサージェは目に涙を浮かべて、俺の手を取った。
「あたしたちと一緒にいると、ライアンとのトラブルにまきこまれてしまうもの。ごめん、あたしがまきこんでしまったんだよね。軽い考えで、本当にごめん。ごめんね」
俺はすごく安心して、思わず笑ってしまった。
「いや、俺、君たちの用心棒引き受けたの自分のためでもあるんだ。大助がドラッグでおかしくなったのを見てるだろ。ドラッグってものをこの世の中から無くしたいんだ。君たちがライアンと戦ってまでドラッグを無くそうとしてるの、すごいことだと思うよ。俺、君たちの役にたちたいんだ」
メサージェは青くなったように見えた。
俺に悪いと思ってるんだろうか。
「いいんだよ。本当に。ウォルターもあんなに喜んでくれてるんだし。俺、君たちを手伝ってドラッグを減らせれば、大助への罪滅ぼしになるんじゃないかって思うんだ。いいだろ? 手伝わせてくれよ」
メサージェはゆっくりと俺の手を離し、もちろんよ、と言った。