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恋と就職活動

 S大学のキャンパスへ向かう通学路の脇に、彼岸花が咲いて秋らしくなった。私は休むことなく、大学に通い、真面目に講義を受け、ゼミにも積極的に参加した。ゼミの授業では、夏休み中に調査した商店経営に関するレポートを発表し、ゼミの仲間や川北教授からほめられた。熱心に調査したのと、倉田常務にレポートを添削して貰ったのが良かったらしい。

「周さんのレポートには各種商店に足を運び、商店内での流れを正しく観察し、当人が感じた客観的な批評が上手に書き込まれています。そして時代の流行に対する着眼点も素晴らしく表現されていて、私も参考になりました」

 川北教授は私のレポートの他に、ゼミのリーダー、浜口明夫のレポートについても、高い評価をした。

「浜口君のレポートは、これからの商店経営の在り方の一つに、フランチャイズ方式があることをテーマに、その理由を、事細かに語つています。その視点設定の巧みさは、時代の流れを敏感にとらえ、実に良いレポートだと思います」

 私は日本に来て、学業で褒められたのは初めてで、赤面する程、嬉しかった。ゼミの川北教授に、存在感を認められたのが、何よりも嬉しかった。ゼミの時間が終わって教室から出ると、杉本直美や細井真理や中田珠理や柳英美といったゼミの女子仲間から、喫茶店に行こうと誘われた。彼女たちは就職のことなどで、少し悩み始めていた。喫茶店に入るや杉本直美が口火を切った。

「珠理ちゃんが、就職活動を始めたというので、皆もどうしているのかと思って、お茶に誘ったの」

 その話を聞いて細井真理が、びっくりした顔をした。

「まあ、もう珠理ちゃん、就活を始めたの?」

「うん。クラスの仲間が、優良企業に就職することを目指しているので、私も彼女たちと一緒に、企業説明会に出かけたりしているの。勉強になるわよ」

 その話を耳にして、私や真理は、ちょっと慌てた。まだ大学3年生なので、就職のことなど真剣に考えていなかったが、中田珠理の話を聞くと、心配になって来た。企業説明会に出席した経験のある中田珠理は、尚も喋った。

「今は不況が続いていて、どの企業も、新卒生の採用を少なくしているの。だから早くから優良企業の採用担当者と顔馴染みになっておくことが、優位なんですって。先輩たちも、そう言っていたわ」

「そりゃあ大変だわ。私も直ぐに就活をしないと」

 真理は、そう言って私の顔を見た。杉本直美も同調して、こう言った。

「そうだわね。それには就活スーツが必要だわね。スーツだけでは無いわ。カバンも靴もYシャツも必要ね」

 直美は服装の事が、とても気になるみたいだった。確かに就職面接時の服装は自分が何者であるかを示すものであるから、品格のあるものを選ばねばならない事は当然だった。チャラチャラした服装を選び、下品に見られたならば、当然の事、不採用にされてしまう。私も就活スーツを準備しなければならないと思い、つい、ぼやいてしまった。

「お金がかかるのね」

 すると珠理は笑った。

「でも愛ちゃん。説明会に行っただけで、交通費と食事代ということで、1万円いただくこともあるので、下手なアルバイトより、お金をもらえることもあるわよ」

「本当?」

「本当よ」

 珠理は得意になって話した。柳英美は、その話を聞いて、目を輝かせた。

「愛ちゃん。私たち、就活、始めましょう」

 一同は喫茶店で中田珠理から話を聞いて、刺激を受け、就職について真剣に考えるようになった。その為には先ず、大学の成績や資格試験で、高得点をもらうことが重要だった。私は1にも2にも、勉強であると思った。私は貿易会社への入社を考えた。倉田常務に頼んで、『日輪商事』に就職出来ないものかと、考えたりした。星野英司の勤める『三星物産』にも興味があったが、S大学では採用してくれる筈が無かった。それでも筆記試験で良い成績が取れれば、どこかの会社に採用してもらえると考え、基礎勉強にも力を入れて勉強するよう努力した。


         〇

 10月になった。私は、ここしばらくの間、倉田常務と御無沙汰だった。その理由は、倉田常務が『日輪商事』の人やお客と中国へ出張していたからだった。倉田常務は60歳を過ぎているというのに、エネルギッシュで、40年近い仕事の経験を活かし、仲間と立ち上げた『スマイル・ワークス』を大きくしようと、夢を膨らませ、仕事に熱心だった。彼は来年、『北京オリンピック』を迎える中国との商売で、利益を得る事が会社拡大の道だと考えていた。また日本政府も中国との友好を取り戻そうと、10月8日、安倍晋三首相が北京に訪問し、胡錦涛国家主席と首脳会談を行った。私は、その中国から倉田常務が帰国するや、直ぐにメールを送った。

 *お帰りなさい。

 すごく寒くなりましたね。

 風邪をひかないよう気を付けて下さい。

 新しい翻訳は、後、少しで完成します。

 今度は何時、会えますか?*

 すると倉田常務から返信のメールが入った。

 *中国から日本に帰ったら、余りにも寒いので

 驚きました。

 お元気そうですね。

 私は忙しさが続いていて、会えるのは

 再来週になります。問題ありますか?*

 倉田常務は、とても忙しそうだった。仕事が最優先の雰囲気だった。私は直ぐにでも会いたかったが、我慢することにした。

 *問題ありません。

 日時については、来週、連絡して下さい。

 早く会いたいです。

 愛しています*

 私は熱愛ぶりを示すメールを送ったが、倉田常務は冷静だった。斉田医師と異なり、時々、制御心が働いた。それに較べ、斉田医師は頻繁に会いたがった。我慢出来なくなると、直ぐに会ってくれと言って来た。私が都合が悪いと断ったりすると、『快風』に押しかけて来ると、私を脅かした。彼には若干、暴力的なところがあったが、気前が良いので、拒否することが出来なかった。前にも説明した通り、斉田医師は、性行為の時も、医師的態度をとった。まず目の中を観察し、舌を確認し、胸をポンポンして、それから次の行為に移った。今日も同じ流れだった。顔の検査を終えてから、胸に触れた。乳房を優しく撫で回してから、乳首をつまみ、弄んだ。わずかに痛みを伴う刺激が、私を興奮させた。

「痛い!」

 私が、そう声を上げると、彼は乳首を口に含み、舌でペロペロ愛撫し、痛みを和らげさせた。それから、彼のぬるりとした舌は、更に胸から下に降りて、私のくねらせている身体に沿って、下へ下へと移って行った。そして、お臍の窪みに至り、そこを頻りに舐め始めた。

「あ、あんっ、止めて!」

 鳥肌が立つような快感に私は身を震わせた。探求する斉田医師の舌は、更に下へ下へと進む。陰毛が舌で掻き分けられ、割れ目に舌が入つて来るのが分かった。ああ、どうしよう。斉田医師の長い舌が、ナメクジのように鍵穴に入って来て、中で動き回る。たまらない。私の股間は、その為に、ドロドロにされてしまった。私は揺らめく光の中で動揺した。私の体内には、別の生き物が棲息しているのでしょうか。私は斉田医師のあやつるナメクジの求めに身体が反応して、完全に斉田医師の患者になってしまっていた。恥ずかしい程に愛液がどんどん溢れ出し、止まらない。それを見計らって斉田医師は、自分の手にした太く硬い注射器を、私の奥深くにブスリと刺して、そのまま身を沈めた。それと同時に私の鍵穴の奥は、更に熱さを増した。斉田医師は、あらゆる技巧を繰り返しながら、私の肉体に惑溺して、ついには最高に達して果てた。

「美しい悪魔」

 行為が終わってから、斉田医師は、そう呟いた。彼の言う通り、私は悪魔なのでしょうか。この世は綺麗ごとだけでは生きて行けません。嘘と媚びを巧みに使いながら、しぶとく生きて行くしか、異邦人の私には生きる方法が無いのです。ですから私は、何と言われようと、耐え忍び、未来に期待し、懸命に生きるしかないと思った。


         〇

 秋が深まった。私はやっとのことで、中国から帰国した倉田常務に会う約束が出来た。その日は、喫茶店『トマト』で合流することにした。私が店に入って行くと、既に倉田常務が、片隅の席で、生真面目な顔をして、文庫本を読んでいた。

「お久しぶり。元気そうね」

 私が、そう声をかけると、背広姿の倉田常務は、文庫本を閉じ、柔和な表情で、私に答えた。

「そうでもないんだ。年齢には勝てなくてね」

「そんな風には見えないわ」

「髪、少し長くなったね。そのジーパン中々、良いよ」

 毎回、同じような会話からスタートする。私は倉田常務が出張に出かけていた北京や天津が、どうなっているのか知りたかった。日本に留学している私には、中国の現実が、どうなっているのか分からなかったから、中国の変貌に、とても興味があった。私は軽い気持ちで訊いた。

「中国は変わったかしら?」

「まだ余り変わっていないね。政府が北京オリンピックに向け、率先して変わろうとしているが、どうなるかな」

「オリンピックの準備って大変なんでしょう?」

「そうだね。猛スピードで追い込み工事を進めているよ。道路整備は問題ないみたいだが、ホテルなどが、今から建設を始めるところで、間に合うのだろうか心配だ。地方からいろんな人たちが、北京に集まって来ている。工事労働者の他に、商人も続々と入って来ている。そればかりか、香港人、台湾人、韓国人、日本人、ロシア人、ヨーロッパ人、アメリカ人などが、押し寄せて来ている。まさに蜜に集まる蜂の群れのようにざわめいている」

 私は建設ラッシュで活気に溢れている北京や天津のことを想像した。好景気の為、地方から北京への観光客も増えているに違いない。

「北京の繁栄ぶりが、目に浮かぶようだわ」

「しかし、そんな機会を狙って、悪人が跋扈するから困る。盗み、恐喝、売春などなど。兎に角、都会には流れ者が多い」

「そうかもね」

「それに今まで、反日運動をしていたのに、今では日本の素晴らしさを真似して、いろんな物を取り入れている。また胡錦涛主席と安倍晋三首相が友好を深める約束をしたことから、中国の人たちは私たち日本人を温かく歓迎してくれる。その豹変ぶりには驚かされたよ。天安門事件のような暴動をうまく鎮静化させる為に、反日運動を燃え上がらせておいて、北京オリンピックで世界の注目を浴びねばならぬ時は、日本人を歓迎し、オリンピックを成功させようとする。そのやり方は小狡く汚いが、利口だ」

 珍しく倉田常務が中国を批判し、興奮し始めたので私は、話題をそらせ、早く、『エミール』に行こうと誘った。『エミール』に行くと、何時もの受付のオバさんが、倉田常務を誘惑しようと声をかけるが、倉田常務は、そのうちにと適当にあしらい、部屋の鍵を受取った。部屋に入るや、互いに衣服を脱いで、裸になり、2人でバスルームに入つた。それからは何時もの流れ。シャワーを浴び、身を清めて、バスタオルで身体を良く拭き、ベットに潜り込む。その後は私のリード。北京女性に精力を吸い取られて自信なさそうな彼を私は、ちょっと好色な甘い言葉で盛り上げる。すると彼は私につられて元気になり、逆に私を夢の世界へと誘う。彼はロマンチストだった。彼は私の愛器の淵を指でなぞりながら、愛の言葉を囁いた。

「何て素晴らしいのだろう。このなだらかに続く丘陵。風に揺れてそよぐ、柳の枝。水辺に濡れて咲き開く百合の花。背後から照らす黄金色の満月。そこに置かれた竪琴は誰が奏でるのか。竪琴はひかれるのを静かに待っている。私は、その竪琴を奏でる」

 私は、倉田常務の言葉にうっとりし、彼と共に愛を奏でた。2人の世界。私たちは、その時間をたっぷり堪能し、満足した。私は彼の排出したものを優しく始末し、先にバスルームに入り、シャワーで愛を流した。そこへ倉田常務が入って来た。彼の萎えてしまった性器は、まるで細い胡瓜のようなので見ていられなかった。私は急いでバスルームから出ると、身体を良く拭き、ブラジャーをつけ、パンティをはき、Tシャツを着て、ジーパンをはいた。その後、倉田常務がバスルームから出て来て着替えを始めた。私は倉田常務がズボンをはき、Yシャツを着て、鏡に向かってネキタイを締めているのを、近くに行って覗き込み、そっと言ってやった。

「まだまだ元気じゃあない。私、これから10年、倉田さんと付き合うわよ」

 すると彼は、鏡の中から、私を見詰めて、こう答えた。

「10年後には、私はこの世にいないかも」

 私は唖然とした。

「そんなこと言わないで。私、ずっと貴男の側にいたいから・・・」

 私は背後から倉田常務にしがみ付いた。


         〇

 いつの間にか冬が近づいていた。私は中田珠理の影響を受け、就職したい会社の採用担当者に履歴書などを送り、面接に応じて貰ったりした。しかし何処の会社も新規採用人数を絞っていて、外国人の採用には、躊躇するところがあった。2日前に面接した神田の『富岡産業』では、5名採用予定なのに応募者が30名近いとのことだった。来年の採用の5名は既に決まっていて、再来年も5名採用したいとの計画でいるとの説明だった。『富岡産業』では中国との貿易も増しており、1名、中国人を採用しても良いかなと富岡社長が語ってくれた。面接には富岡社長の他、山田専務と望月総務部長と夏目総務課長が出席し、中国の事やゼミのことを訊かれた。私は緊張しながらも、各質問に答えた。面接が終わってから総務課長の夏目京助が、面接の部屋から出て来て、私に言った。

「後日、私から貴女に連絡します。来年、1次試験をします。その後、最終面接になります」

「よろしく、お願いします」

 私は深々とお辞儀をした。夏目課長は、待っていた、次の学生の名を呼び面接室に入った。私は、面接室の外に控えていた女子社員から交通費として、5千円いただいた。『富岡産業』の面接を終えて、私はマンションに帰りながら、『富岡産業』に就職出来たら良いなと思った。富岡社長は仕事には厳しいが、温厚そうに見えた。夏目課長も優しかった。私は、『富岡産業』の他に大学の就職課で、求人情報や会社説明会の予定などを調べ、仲間と相談しながら、いろいろとチャレンジしてみることにした。そんな或る日、『富岡産業』の夏目課長から携帯電話に連絡が入ったので、私は驚いた。花の金曜日だった。

「2,3確認したいことがありますので、今日、お会い出来ますか?」

「はい。大丈夫です」

「では6時、秋葉原の『ワシントンホテル』のロビーに来ていただけますか?」

「はい」

 何故、秋葉原の『ワシントンホテル』なのか、私には分からなかった。私の住む角筈のマンションの近くにも、『ワシントンホテル』があるので、いかがわしいホテルでないことは分かっていた。その為、私は素直に了承した。そして夕方6時、約束の秋葉原にある『ワシントンホテル』のロビーに行くと、既に夏目課長が先に来て、私を待っていた。彼は私を発見するや、明るい顔で声をかけて来た。

「やあ、済みませんね。会社では社員の目が光っているので、余分な事を話せませんでしたから。食事でもしながら話しましょう」

「はい」

 私は夏目課長の指示に従った。ホテルの3階にあるレストラン『ボンサールテ』で、イタリアン料理を食べたり、ビールを飲みながら話した。

「この間の面接の結果は良かったですよ。ただ大学のレベルが、いまいちなので、他の応募者に較べて、ちょっと不利です」

「すると来年の採用試験は受けられないのでしょうか」

「いいえ。それでアドバイスですが、来年になってでも良いですから、何かの資格を取って下さい。そうすれば高い評価が得られます」

「そうですか。何かの資格を取るよう努力しますので、よろしくお願いします」

 私は夏目課長のアドバイスを有難く受け取った。中田珠理ではないが、採用担当者と顔馴染みになっておけば、採用に有利であることは確かだ。更に彼に確認されたことは、日本人の保証人がいるかということだった。私の頭に芳美姉の夫、大山社長と『スマイル・ワークス』の倉田常務の顔が浮かんだ。2人とも協力してくれるに違いないと思った。

「はい、おります」

「それは良かった。日本人の保証人がおらず、不採用になった人もいるから・・・」

 食事をしながらの夏目課長の質問やアドバイスは、そんな程度だった。食事は8時に終了した。私は、その後、何処かに誘われるのではないかと覚悟していたが、彼は私を誘わなかった。『ワシントンホテル』を出て、JRの改札口で別れた。恨めしそうな顔をして改札口で手を振って見送る夏目課長を見て、私は『富岡産業』に採用されることを期待した。私は秋葉原から総武線の電車に乗り、新宿に向かいながら、今日の夏目課長の呼び出しは何であったのか考えたりした。もしかして、男好きのする私を、食事の後、何処かに誘おうとしたのに、勇気が無くて、誘えなかったのかもしれない。もしそうであったなら、東京にもそんな男もいるのだと、夏目課長の事を可哀想にと思った。


         〇

 11月もあと残り数日。時は驚く程、早く過ぎて行く。何故、こんなに時は早く進むのか。神様から与えられた自分の命は一つであり、その命の時間と空間は、限られていて、とても大切なものだと思う。現在という、この一瞬の集まりは、一度しかない一瞬の積み重ねであり、とても貴重で価値のあるものだと思う。従って、これらの一瞬一瞬を、疎かにしてはならない。愛していると囁いてくれる男のことを疑ってはならない。私は半月以上も連絡の無い倉田常務のことが、とても気になり、直ぐにでも会って、その温もりに触れてみたくなった。そこで思いつくまま、倉田常務にメールを送った。

 *今日の3時半、いつもの所で、

 お会いしたいのですが

 大丈夫ですか?

 お願いです。

 会って下さい*

 すると直ぐに倉田常務から返信メールが入って来た。

 *ごめん。

 午後、先約があるので、そちらへ行けません。

 取引先の社長との重要な打ち合わせです。

 6時過ぎでないと、そちらへ行けません*

 倉田常務からの返事は取引先の社長との重要な打ち合わせがあり、無理とのことでした。大事な仕事であるのなら、仕方ないと私は諦め、明日にしてもらうことにした。

 *分かりました。

 明日は如何でしょうか*

 その問いに対して、彼の返事は早かった。つれないというか、慌てている風の返信だった。

 *明日は義兄が亡くなり、

 その通夜に行きます。

 今週は無理です。

 来週にしましょう*

 私は人が亡くなった話を聞き、尚更、倉田常務と会いたくなった。私は倉田常務に、こうメールした。

 *分かりました。

 なら今日の6時でOK。OKです。

 今日、会いたいです。

 何時もの所で待っています*

 数分後、倉田常務から了解のメールガ届いたので、私は安心した。人の命には限りがある。人間、誰もが死から免れることが出来ない。倉田常務だって、私より40歳も年上。何時、亡くなってもおかしくはない。私は待合せ時刻まで、時間があるので、『紀伊国屋書店』に行き、立読みして時間をつぶしてから、喫茶店『トマト』に行き、コーヒーを飲みながら貿易の勉強をすることにした。『紀伊国屋書店』で、1時間程、時を過ごてし、そこから喫茶店に向かう。雨が降りそうな雲行きあるが、直ぐに降りそうにない。1時間ちょっと待つと、倉田常務が『トマト』に姿を現した。

「ごめん、ごめん。中央線が人身事故で遅れちゃって」

「大変だったわね。お疲れ様」

 私は倉田常務の顔をしばらくぶりに見て、元気そうなので、ほっとした。倉田常務は取引先の社長との打合せがうまくいったらしくて、張り切っていた。

「寒いから焼肉でも食べよう」

 私は倉田常務の意見に従い、焼肉レストラン『叙々苑』に入り、奥の席に座らせてもらた。倉田常務は焼肉の他、ユッケや蟹雑炊、野菜サラダなど、盛り沢山の花会席を註文してくれた。私たち2人はビールとレモンサワーでグラスをガチンコしてから、食事を開始した。焼肉はカルビ、ロース、上ミノ、ハーツ、豚トロ、海老など沢山あり、私が焼いてあげた。私は焼いたり、食べたりしながら、倉田常務と話した。

「お母さん、もう少しで、ビザが取れそうなの。取れたら私に会いに来るって。お母さんが日本に来たら、会ってもらえる?」

「ああ、いいよ」

「ありがとう。そしたら、その時、お母さんにも、こんなに美味しい物を食べさせてあげたい。お母さん、100元以上の食事をしたことが無いから」

 倉田常務は、私の母の話を聞いて、泣きそうな顔になった。やがて私たちは満腹になり、『エミール』に移動した。そこで、まず翻訳の打合せを済ませ、その後、愛し合った。交わされる甘い囁きや行為の肌触りは、私たちを愛の奥深い境地へといざなってくれた。私は仕合せだった。年齢の差はあっても、注いでくれる愛は、確かだった。愛の交流が終わり、『エミール』から外に出ると、雨がぱらつき始めて、木枯らしが嫉妬するかのように、私に冷たく当たった。


         〇

 12月初めの金曜日、『川北ゼミ』の忘年会が行われた。浜口明夫リーダーと水野良子サブ・リーダーのお陰で、『川北ゼミ』メンバーの結束は固かった。欠席者が1人いただけで、にぎやかな忘年会となった。登戸の居酒屋で沢山の料理を食べながら、皆で楽しくビールやジュース類を飲んだ。女子学生の半分以上が、アルコール類は駄目だった。私と親しい真理や真紀や英美たち数人が、ビールを飲んだ。しかし男子は、浜口明夫をはじめ工藤正雄も小沢直哉も阿倍修二も永井幸夫も神谷雄太も、皆、ビールを飲んだ。女子学生の前で、酒が強い事を誇示しようと、男子学生の誰もが競って、ビールを飲んだ。そのうちイッキイッキが始った。飲めなくても、皆に囃し立てられ、男子学生たちは、夢中になって飲んだ。私は工藤正雄のことが心配になった。しかし体格の良い正雄は、顔を赤らめているが酔ったような態度を示さなかった。直哉の方が、フラフラになり、言語もおぼつかなくなっていた。お酒を飲んで、飲食をして、ゼミの仲間との交流を深めるノミニケーションを通り越して、心配だった。その直哉のことを心配する筈の真理は、これまた酒に酔って、男子学生に対し、暴言を吐いたりして、水野良子を困らせた。でも川北教授のもとで、一緒に商店経営を研究する仲間との忘年会は、仲間の人柄も分かり、仲間同士の意思疎通も円滑に行われ、楽しかった。そんな飲み会の最中、神谷雄太が小さな声で、私に囁いた。

「この後、2人で飲みに行かないか?」

 私は、どう答えたら良いのか分からず、2人の間に少しばかり沈黙が続いた。すると彼は、お酒の所為でもあったのでしょう、私に迫った。

「いいだろう。ちょっとの時間だけ」

 彼は私の手を握って来た。私は慌てた。川北教授が、私たちに、チラリと視線を向けて来たので、神谷雄太に言ってやった。

「駄目よ。川北先生が見ているわよ」

「ええっ」

 雄太はびっくりして、川北教授の方に視線を向けた。そして、川村教授と自分の視線がぶつかり、自分の目論見を見抜かれるのを恐れ、雄太は私の隣りの席から離れて、フラフラになっている小沢直哉のいる方へ移動した。私は雄太が去って一安心した。柳英美が、中田珠理と水野良子のいる前で、私に訊ねた。

「神谷君。愛ちゃんの所に来て、何を言って帰ったの?」

「いえ、何も」

「隠したつて駄目よ。神谷君、愛ちゃんに気があるみたいね。何か口説かれたの」

「この後、2人で飲みに行かないかって。でも断ったわ」

「正解ね。彼は女癖が悪いらしいわよ」

「愛ちゃんには工藤君がお似合いよ」

 中田珠理が、そう言うと、水野良子も頷いた。そんな私たちのやりとりを、聞こえもしないのに、遠くから川北教授が見ていた。その視線が珠理でも無く、良子でも無く、英美でも無く、私に向けられていることを私は意識した。私は川北教授の方を見ないようにしているのに、川北教授の視線が何時も自分の方に向けられているような気がしてならなかった。ゼミの忘年会が終わると、神谷雄太のことが怖いので、私は酔っぱらっている真理を残して、柳英美と急いで、登戸駅に行き、新宿行きの電車に乗り、新宿に帰った。


         〇

 斉田医師は、私の誕生日のことを、明確に記憶していた。患者のカルテを見ているので、患者の誕生日を知ることが出来るが、それを外部に漏らすことは、守秘義務を逸脱した医師法に反する行為であるが、私には許せた。彼は数日前から池袋の『メトロポリタン・ホテル』のレストランを予約し、私の誕生日を祝ってくれた。私はホテルのロビーで斉田医師と合流し、2階の中華料理店『桂林』に連れて行かれた。そこで私は北京ダックやフカヒレの料理をご馳走になった。その上、シャネルの時計をプレゼントしてもらった。高給取りとはいえ、余りにも気前が良すぎた。私は、ちょっと悩んだ。こんなに高価なプレゼントを戴いて良いのでしょうか。彼は奥様にも、こんな高価な誕生日プレゼントをしているのでしょうか。私は、ふと斉田医師の奥様が、どんな人か知りたくなった。私は、ためらうことなく訊いた。

「奥さんとは恋愛?」

 私の質問に対し、斉田医師は躊躇なく答えた。

「まあ、そんなものかな。医者と女性看護師の職場結婚だよ」

「先生が好きになったの?」

「あいつの方だ。病院には女性看護師が沢山いるから、選り取り見取りだよ」

「でも、その中から選ばれたのだから、素敵な奥さんよね」

「ところが、とんでもないんだ。子供の教育に夢中で、私のことなど、そっちのけだ」

「なら別れたら」

 私の言葉に、斉田医師はギクッとした。斉田医師は私が奥様と別れて欲しいと願っているのだと受け取ったらしい。彼は顔を引きつらせて私に訊いた。

「愛ちゃんは、私が離婚することを願っているのか?」

「はい」

「冗談だろう。君は私の家庭を崩壊させるつもりか?」

 私はその返事をしなかった。斉田医師を奥様と離婚させて、私が後釜に収まろうなどとは思わない。私のしていることは、斉田医師との火遊び。お医者さんごっこに過ぎない。彼との結婚など、全く考えていない。私は愛が欲しいだけなのだ。私は愛情乞食。瑞々しい若いエネルギーを発散させる為に、セックスが必要なのだ。相手が結婚していようが、いまいが関係ない。私は、満腹になると斉田医師に言った。

「そう難しく考えないで、そろそろ次の所へ行きましょう」

 私はそう言って、次の所へ移動する誘いの言葉を投げかけ、そこでプレゼントのお礼に抱かれることにした。私たちは『メトロポリタン・ホテル』を出て、直ぐ近くにある『マリンブルー』に移動した。ホテルの部屋に入ってからの斉田医師の行為は、何時もの医師的診察からスタートした。卑猥な男と淫乱な女の戯れ。今まで、何度も繰り返して来たプレイ。彼が何をして、次に何をしようとしているのか、私には直ぐに分かった。次にやられる期待で、私の身体は熱く燃えた。彼は私の予想通りの愛技を熱心に尽くした。彼は前戯を終えると私の股間を大きく広げ、その谷間の奥の湧水をすすった。

「あうんっ」

 快感が私の裸身を貫く。彼の舌が、裂け目の奥を舐め回す。たまらない。愛液が裂け目から雫を垂らすが如く、分泌されているのが、自分でも分かった。

「ああっ、駄目っ」

 私の叫び声に合せ、斉田医師も吠えた。それは夜の山奥で生き物たちが呼び交わし、咬み合うのに似ていた。その嵐のような行為が終わってから、斉田医師が私に言った。

「君は純真に見えるが悪女だ」

 その言葉に私は笑ったまま、反論をしなかった。前にも斉田医師から、同じような事を言われたような気がした。もしかしたら、私は本当に悪女なのかも知れない。


         〇

 倉田常務が私の誕生日を忘れているのには、ちょっとショックだった。仕事で多忙な彼のことを思うと仕方ないと思った。しかし私は、倉田常務の誕生日を忘れていなかった。私は琳美との朝食を済ませてから倉田常務にメールを送った。

 *おはようございます。

 誕生日、おめでとうございます。

 愛しています。とても。

 会いたいです*

 すると倉田常務から短い返信があった。

 *ありがとう。

 何時、会いましょうか?*

 私は折り返しのメールを送った。

 *火曜日なら大丈夫です。

 午後3時頃、大丈夫ですか?*

 そう返信したが、直ぐに返信が無かった。2時間程して断りのメールが入った。

 *ごめん。

 火曜日は午後3時からお客様との打合せです。

 木曜日の午後は如何ですか?*

 私は木曜日の午後、可憐や真理たちと、下北沢の喫茶店でお茶会をすることになっていたが、倉田常務に時間を合わせるしか仕方なかった。

 *木曜日、大丈夫です。

 とても楽しみにしています*

 倉田常務は私が彼のスケジュールに合せ返信したので、ほっとしたらしい。喜びのメールが中国語で届いた。

 *謝々。

 星期四、下午3天半。

 期待甜蜜的愛*

 私は微笑んだ。そして数日が経過して、約束の木曜日になった。私は約束の時間、喫茶店『トマト』に行って、彼が現れるのを待った。しかし、彼は現れなかった。私は彼にメールした。

 *どうしたの?

 私は、3時から待っているのよ*

 すると彼から,詫びのメールが送られて来た。

 *ごめん、ごめん。

 打合せが長引き、今、向かっている途中です。

 歌舞伎町の交番近くにいて下さい。

 駅に着いたら、そちらへ向かいます*

 私は、そのメールを読んで立腹したが、目を閉じて我慢した。落ち着こうと、水を一杯、お代わりをして、それを飲み干し、席を立った。店のウエイトレスは私が何時もの男と一緒でなく不機嫌で店を出て行くのを察知し、心配そうな顔で、私を見送った。私が師走の風の寒さに耐えて約束の交番近くまで行くと、カシミアの黒いオーバーコートを着た倉田常務が、重たそうな黒い皮カバンを手に持って、私を待っていた。私は、彼を見るなり皮肉を言ってやった。

「忙しそうね。もう会えないかと思った」

 私の言葉を聞いて、倉田常務が笑って答えた。

「互いが元気なら、何時だって会えるさ」

「でも、会いたい時に会ってもらえないから、私、嫌われたのかと思ったわ」

 何と不思議な事に私の瞳から、大粒の涙が溢れ出た。どうしたのかしら、私としたことが。私のその涙を見て、倉田常務は慌てた。待ち合わせ場所になっている広場の人前で、私に泣かれたら困ると思ったのでしょう、私から逃げるように交番の裏手の階段を駆け上った。私は涙をこらえ、彼を追いかけた。そして『エミール』に駆け込んだ。部屋に入ると、倉田常務は、私をじっと見詰め、背広のポケットからハンカチを取り出し、私の涙を拭き取ろうとした。私は、そんな彼の態度に、感情的になり、ドッと大粒の涙が溢れ出て、どうしようもなく、彼に抱きついた。私たちは激しく抱き合った。シャワーも浴びず、真裸になり、そのまま互いの空洞を埋め尽くす行為に入った。相手が愛しくてならなかった。倉田常務も仕事のことで悩みが尽きないのか、何時もより攻撃的だった。何、何、何。わぁ、すごい。まるで道路の突貫工事みたい。その彼の私への情熱的行為は、部屋中のあらゆるものを揺るがせる程の激しい行為だった。私は、それを感じて叫んだ。

「ああっ、私をいじめて、もっと、もっと、もっと、もっと・・・」

 私の声に倉田常務は一層、興奮して全精力を振り絞って、私を攻め立てた。彼は信じられぬ程の攻撃力と興奮度を持続させた。倒錯した性愛のゲーム。濃厚な触れ合い。娘と老人の絡み合い。私たちは欲望をありったけ貪り合い、一緒に果てた。総てが終わってから、私は、バスルームに入り、ホッとした。そして衣服を身に付けて、一休みしてた。その後、背広姿に戻った倉田常務を見詰めて、自分のバックの中から小さな包みを取り出して言った。

「倉田さんにプレゼント」

 私はリボン付の小さな包みを倉田常務に差し出した。

「ありがとう」

 倉田常務は私の目の前で、プレゼントの包みを開けた。中からバーバリーのキーホルダーが出て来ると、彼は目を丸くした。彼は胸ポケットから以前、プレゼントしたことのあるバーバリーの名刺入れを見せて、私に礼を言った。

「これと同じメーカーだね。沢山の鍵がかけられそうだね。私からも、愛ちゃんにプレゼントがあるんだ」

 倉田常務は、そう言って私にポリ袋に入った小箱を渡した。小箱を開けて見ると、小さな鳥篭に嵌め込んである可愛い置時計が出て来た。倉田常務は、笑って言った。

「時間を大切にして欲しい」

「はい」

 私は素直に答えた。時は金なり。私たちに残されている時間が、そう長くないことを暗示しているのでしょうか。それにしても、斉田医師や倉田常務から、そろって時計のプレゼントとはどういうことなのでしょう。


         〇

 大学の冬休みは毎年のことながら、私にとって、短くて、慌ただしかった。師走ということもあってか、普段、しきりに連絡して来る斉田医師からはクリスマス近くなのに連絡が入らなかった。多分、病院内の医師仲間や付き合っている女性看護師との忘年会で、私の相手などしていられない状況なのに違い無かった。ところが、今年は珍しく工藤正雄からクリスマス・イヴにレストランを予約しているので付き合って欲しいという連絡が入った。何時も感じる事であるが、彼は実に誠実で、生真面目で、大きな体格に似合わぬ繊細な性格の持ち主だった。それ故に、彼から誘われると、ちょっと緊張した。私は当日、芳美姉の家でのクリスマス・イヴの食事を断り、何時もよりきちんとしたジャケット姿の服装で、待合せ場所の原宿駅へ行った。原宿駅で正雄と合流すると、正雄が私を予約しているレストランに案内した。そのレストランは表参道にあるフランス料理のレストラン『ビラ』だった。白い洋風の建物が素敵だった。レストランに入り、ボーイに予約席に通されて、席に座ると、正雄が、ちょっと照れた顔をして私に言った。

「去年はアルバイトでクリスマス・イヴに食事、出来なかったから」

「ありがとう。その前の年は、渋谷で御馳走になったわね。あの時のネックレスよ」

 私は2年前に正雄からプレゼントしてもらった胸に飾ってあるハート型のドルチェの金のネックレスを彼に示した。彼は私の胸の谷間に光るネックレスを見て、赤面した。

「この時計もそうよ」

 私は貰ったプレゼントを大切にしていることを正雄に伝えた。この心遣いは、紅蘭ママから教えて貰ったことで、秘密の手帳に、そのプレゼントの提供者の一覧表を作成していた。このことは男と付き合う時の女の流儀であって、何も正雄に限ったことでは無い。プレゼントして貰った男と会う時は、必ず、そのプレゼントを身に付けて行く。時には別の男から貰った物を付けて行く時もあるが、ひとつだけでも会う男から貰った物を身に付けて行くのが良い。ずるい考えかもしれないが、ちょっとした気遣いで、男は喜ぶ。しかし正雄は、そんな私の気遣いなど、上の空で、とても緊張している様子だった。正雄はボーイがワインを運んで来るのを、今か今かと待っていた。しばらくするとボーイがワインを運んで来たので、私たちは、ボーイが注いでくれたワインで乾杯した。すると正雄の緊張もほぐれた。私はテーブルにワイングラスを置き、ボーイに椅子を少し引いてもらい席に着いた時にはどうすれば良いのか戸惑ったが、椅子にゆったり座り、アペリティフの味見を終えると、気持ちが大きくなった。

「クウ君って、いろんな所を知っているのね。彼女と来たことがあるの?」

「何、言っているんだ。そんな人いないよ」

「嘘」

「俺に付き合ってくれるのは君だけだ。この店は先輩に教えて貰った」

「そう。すごい所を知っている先輩ね」

「うん。俺の従兄で、テレビ局に勤めている。仕事で、この店に来たりしているらしい」

 私は正雄の従兄がテレビ放送会社に勤務していると聞いて、どんな会社なのか興味を持った。少女のような好奇心で、正雄に質問した。

「テレビの仕事って、面白そうね。私の出来る仕事、あるかしら?」

「どうだろう。経理の仕事か企画の仕事なら、出来そうだな」

「アナウンサーは駄目かしら?」

「容姿はまあまあだけど、日本語が綺麗でないと」

「日本語のことは良いにしても、容姿がまあまあだなんて何よ」

 容姿に自信のある私はちょっと憤慨して見せた。すると私に睨まれた正雄は、困惑して言い直した。

「ごめん。君はまあまあじゃない。超美人だ。とても綺麗だよ」

 正雄は、そう言って私の顔を覗き込んだ。

「何よ。恥ずかしいから、正面から、そんなに私の顔を見ないでよ」

 私にそう言われると、正雄は何か言いたそうであったが、周囲のテーブル席の人たちを気にして言うのを止めた。私たちの会話は続かなくなった。運ばれて来る料理を黙っていただいた。コース料理も終わりになり、最後のメロンを、食べ終わると、正雄は私に小さなプレゼントの包みを渡した。

「クリスマス・プレゼント。イヤリングをだけど、気に入ってもらえるか、どうか。家に帰ってから見てくれ」

「ありがとう。私からは面接の時のネキタイ。家に帰ってから付けて見て」

「うん。ありがとう。じゃあ、帰ろうか。俺、新宿まで送るよ」

「大丈夫」

「結構、飲んでるみたいだし」

「大丈夫」

「そう。じゃあ俺、千代田線で帰るから・・」

 正雄は冷淡だった。私を欲しいと思って、今夜、食事に誘ったのではないのか。ちょっと送ろうかと言っただけで、次の段階に私を誘おうとしなかった。私たちはレストラン『ビラ』を出てから、欅並木を歩き表参道の駅で別れた。私は彼と別れてから、愕然として首を左右に振った。正雄は私に対し、性欲というものが起こらなかったのでしょうか。起こっても、ひたすら我慢していたのでしょうか。それとも古風な日本人男性、工藤正雄にとって、私は受け入れることの出来ない可哀想な異邦人だったのでしょうか。そんなことを考える私には酔いが回っていた。私は酔いながら、倉田常務にメールを送った。

 *メリークリスマス。

 シャンパン飲みましたか?

 私はワインを飲みました。

 私は、それだけで充分。

 おやすみなさい*

 すると倉田常務から、直ぐに返信が届いた。

 *聖誕快楽。

  約会快楽。

  前途美好*

 私は、そのメールを読んで、彼が今、何処で誰と何をしているか気になった。家族でクリスマス・イヴを祝って、食事でもしているのでしょうか、。それとも恋人とホテルで飲んでいるのでしょうか。欲張りな私は、工藤正雄と表参道で食事を済ませて来たばかりなのに、何時も優しくしてくれる倉田常務のことを考えた。そして木曜日の昼、彼と会うことにした。


         〇

 木曜日の午後は冬晴れで、風がちょっと冷たかった。私は白いセーターにバーバリーのスカートをはいて、ピンクの半コートを羽織って出かけた。倉田常務は私の姿を見て、一緒に歩くのが恥ずかしそうだった。遅いランチを食べようと、私のお勧めの火鍋の店に案内したが、夕方5時にならないとオープンしないということだった。そこで、何度か利用している近くの焼肉レストラン『叙々苑』でランチを御馳走になった。私は空腹だったので、夢中になって食べた。御飯を余り食べず、肉と野菜とスープをいただいた。そんな私を見て、倉田常務が首を傾げた。

「御飯、どうして食べないの?」

「少しでも若く見られたいの。ダイエットや美容に励み、おしゃれするの。倉田さんに気に入られたいから」

「私は、豊満な女性の方が好きだよ」

「でも私の身体、嫌いではないでしょう。私、綺麗になるのが楽しみになっているの」

 私たちは、そんな滑稽な話をしたり、相手の喜ぶ表情に見惚れたりしながら、美味しい物を沢山いただき、満足した。そしてその後、何時もの『エミール』に行って、プレゼントを交換し、一年を振り返った。倉田常務は私の協力もあって、『日輪商事』との取引が増え、業績が好調だったと話した。私は大学3年生になり、ゼミで商店経営の勉強を進めていて、将来、自分の商店を持ちたいと希望するようになったと話した。そして、これから日本の企業に就職し、いろんな知識や技能を身に付けなければならないとも話した。

「来年の前半は、就職活動しなければならないので、大変なの」

「そうだよな。頑張らないと」

「そうなの。就職難が去年から続いているから大変なの」

 事実、私は来年の就職のことが気になっていた。大学を卒業したけれど、就職が出来なかったでは済まされない。私は中国にいる家族の期待を背負って、日本に留学しているのですから、是が非でも、何処かの企業に就職し、給料をいただいて、その一部を中国に送金して上げなければならなかった。倉田常務も私の就職の事を気にしてくれていた。

「リクルート・スーツはあるの?」

「今、持っているのは、襟が大きく、1ッボタンで、ちょっと派手な感じなの。だからもっと大人しそうな2ッボタンのが欲しいの」

「それなら、大人しいスーツを直ぐに準備した方が良いよ」

「なら、帰りに見てくれる?」

 私は倉田常務に、ちょっと甘える顔をした。するとお人好しの倉田常務は、私の肩に手をやり、ポンと叩いて言った。

「思いついたら即実行!」

「嬉しい」

 私は感激して倉田常務の胸に跳び込んだ。それから激しい愛し合いが始まった。互いが互いの好みの愛技を知っているから、要求もきつい。倉田常務は老体に鞭打ち、汗びっしょりになって、私を歓ばせようと夢中になって対応した。まるで敵国に攻め入るかのように暴力に近い無慈悲な力で、熱くみなぎる珍鉾を、私に突き立てて来た。その激しい差し込みに私は2度も絶頂に達してしまった。ことが終わってから、私はバスルームに入り、もっと愛されたいと思った。倉田常務に、一緒に風呂に入ろうと言うと、彼は素直に同意した。私はヘアーキャップを被りバスタブに浸かった。私の艶めかしい姿に、倉田常務は、風呂の中で、再チャレンジしようとしたが、最早、その力は無かった。湯水の中で私のマンホールに指を突っ込んでみたものの、それ以上、燃え上がらず、ゆったりとお湯に浸かって、身を清めて、私より先にバスルームから出た。ちょっと残念。私は彼に続いてバスルームから出て、バスタオルで身体を拭き、帰り支度をした。2人でサッパリして『エミール』を出ると、外はまだ明るかった。私はリクルート・スーツを見る為、倉田常務に付き合ってもらった。倉田常務は長年勤めた『帝国機械』で、社員の採用に立会った経験が豊富で、リクルート・スーツの良否についても、彼なりの意見を持っていた。幾つかアドバイスをしてくれたが、最終選択については私に任せてくれた。恰幅の良い老紳士とピンクの半コートとピンクのバックを手にした私の姿は、洋服店の女性店員たちには奇異に見えたらしいが、私たちは気にしなかった。父親と娘との買い物と思えば、何の不思議も無い。私は倉田常務の可愛い娘なのだ。倉田常務は、私が選んだリクルート・スーツの代金を、カウンターに行って、現金で支払ってくれた。

「これもクリスマス・プレゼントだよ」

「本当!」

「本当だよ。優良企業に就職してもらいたいからね」

 倉田常務が笑って言った。私は私の就職の事を真剣になって心配してくれている倉田常務に心から感謝した。


         〇

 年末は相変わらず、大晦日直前まで、『快風』のアルバイトで忙しかった。店長の謝月亮をはじめ桃園や梨里や香薇と交替で、疲れきった男たちの身体をほぐし、体内に鬱積しているものを放出してやった。私たちの頑張りで、大山社長と芳美姉の収入は笑いが止まらなかった。その御礼もあって、12月31日は、『快風』を休みにして、例年同様、私たちは芳美姉のマンションに招待された。そこで忘年会兼年越しのパーティが行われた。そして新年、平成20年(2008年)になるや、御節料理をいただき、ボーナス代わりのお年玉をいただいた。日本語学校時代の劉長虹も黄月麗も、まだ『快風』の池袋店で働いていて、大山社長から、お年玉をいただくと、私たちと一緒に明治神宮に初詣に出かけた。それから何時ものように若い仲間で、カラオケ館に行った。琳美も一緒だった。久しぶりに会った池袋店の黄月麗が琳美に言った。

「琳ちゃん。今年は大学受験で大変なんじゃあないの?」

「大学入試は来年の初めだから、まだ余裕よ。出来れば今年中に推薦入学許可をもらえれば良いんだけど・・・」

「そうよね。そうすれば安心よね。頑張ってね」

「ありがとう」

 琳美は、この4月で高校3年生になるが、その身体つきは、もう少女では無かった。早川新治というボーイフレンドもいて、もう立派な女だった。自分の若さと美しさと女であることを知りたくて仕方ない年齢だった。しかし、高校を卒業するまでは、男との深い付き合いは駄目よと母親からきつく言われていたので、かろうじて、それを守っている風を装っていた。そんな琳美のことを気にせず、今度は、劉長虹が琳美に訊いた。

「ボーイフレンドはどうなっているの?」

 長虹に訊かれて琳美は戸惑った。どう答えれば良いのか分からず、私の顔を見た。私に救いを求めている視線だった。私は、それを無視する訳にも行かず、笑ってアドバイスした。

「ありのままを話せば良いんじゃあない」

「話して良いの。ママに話したりしない?」

「大丈夫よ」

 私の言葉に桃園や梨里も頷いたので、琳美も安心した。すると琳美は嬉々として喋った。

「なら、話すわ。ボーイフレンドは今のところ2人」

 私は、それを聞いて、びっくりした。早川少年、1人ではなかったのか。琳美は私たちを見て微笑み、自信満々に答えた。

「私って、男の子にもてるみたい。髪がサラサラして背が高く、胸もお尻もそこそこの大きさで、良い身体つきをしているからかしら」

「まあっ、琳ちゃんたら」

「そうかもね。愛ちゃんに似ているものね」

 長虹の言葉に月齢や桃園や梨里や香薇が頷いた。私は琳美と一緒に長虹たちにからかわれ苦笑した。更に梨里が言った。

「そうね。二股かけられるところも愛ちゃんに似ているわね」

「何,言ってるの」

 私は普段、余り口をきかない梨里に指摘され、梨里の頭を軽く叩いた。そんな私の気まずい顔を見て、琳美が言い訳をした。

「そんなんじゃあないの。1人はクラスメイト。もう1人は塾の友達。2人とも勉強仲間よ」

「うん、分かった。なら愛ちゃんのお友達は?」

「愛ちゃんのお友達は・・・」

「琳ちゃん、駄目よ。余分な事は言わないの」

 私は琳美を睨みつけた。琳美は私の厳しい顔を見て、思わず身を引いた。私と琳美はちょっと気まずくなった。そんな私たちのことなど気に留めず、長虹や桃園たちはカラオケを唄い、楽しんだ。琳美も私のことを気にしながら、幾つか日本の歌を唄った。私は皆に歌を勧められたが、1曲唄っただけで止めた。二股かけていると言われ、何故か居心地が悪かった。それは皆が言っていることが、そのまま事実であったからかも知れない。自業自得とはこういうことか。


         〇

 正月休みが終わり、大学の授業が始まった。日本経済はアメリカの低所得者層向けサブプライム貸付の損失の影響を受け、株価が急落し、明るい新年とは言えなかった。そんな中、倉田常務は正月初めから、『日輪商事』の人たちと中国へ商談に出かけていて、私と付き合う時間など無かった。こういった時、工藤正雄とデートでもしたいのだが、こちらから生真面目な彼を誘う訳には行かなかった。つまるところ、私の相手になるのは斉田医師だった。私はメールで斉田医師を誘い、新大久保駅で待合せした。改札口に現れた、斉田医師がキョロキョロしているので、私から声をかけた。

「お久しぶりです」

「1ヶ月ぶりかな」

「そうですね」

「長いような短いような間だったね」

 私たちは、そんな会話をしてから前にも入ったことのある焼肉店『吉林坊』で、ビールを飲みながら、美味しい焼肉を食べた。斉田医師は、その職業柄、人を観察するのが好きだった。私や他の女性がトイレに行く為、立上がった時など、その女性の身体を舐めるような視線で見詰めた。私は私でそのように男たちから視線を投げかけられることが、不愉快でなくなって来ていた。むしろ、それに快感を覚えたりした。私はカルビ、ハラミ、ホルモンなどをたらふくいただき、満腹になると、斉田医師が他の女に視線を送るのが気になって仕方なかった。ちょっとほろ酔い気分になった私は斉田医師にもたれかかり、甘い声で囁いてみた。

「もう、お腹がいっぱい。診察に行きましょうか?」

「うん。そうだね」

 私たちは『吉林坊』から出て、駅前通りを越え、細道に入った。私たちは、早く診察ゴッコがしたくて、暗がりにあるラブホテル『ハレルヤ』に入った。部屋に入ると、酔っぱらっている私は着ていたものを乱雑に脱ぐと、ベットの上に散らかした。斉田医師が、驚いた顔をしたので、私は目を細めて笑った。アルコールの所為か、シャワーを浴びる気にもなれず、彼を求めた。斉田医師のやることは、何時もと同じだった。

「さあ、目を開けて」

 私は目を開け彼のするがままに従った。彼は私の唇を吸いながら、私の胸を撫で回した。続いて彼の唇は私の乳房に当てられた。口から唾液をいっぱい溢れさせ、私の乳首をしゃぶった。その愛技を受けて、私は興奮した。

「あうんっ」

 私は彼の頭を抱かえ込んだ。彼は赤ちゃんになったみたいに私の左右の乳首を交互に吸って弄んだ。快感が鳥肌を立てる程に、ぞくぞくと私の身体中を駆け巡った。何という手練手管。彼は医師であると同時に愛の技巧師でもあった。私の肉体は彼のテクニックにより、たちまち、とろけそうになった。彼の舌先が下腹部を通過して私の股間に接近して来ると、私の割れ目は、既に愛の雫に濡れて、侵入物を受け入れる態勢になっていた。斉田医師は、その部分を良く確かめると、呟いた。

「命の源泉はここより湧き出ずる」

 セックスに理屈など不要なのに、彼は本質論をもって、挑んで来た。強引な彼の太い注射。小刻みな動きから始まり、ガタガタと揺れの激しさを増す攻撃。入れたり出したりの繰り返し。非人情的乱暴の極み。それは暴力的行為なのに何故か許せる。私は襲われているのに、襲う男への愛しさを感じ、その苦痛に酔いしれた。もっと激しく、もっと激しくと要求した。斉田医師は汗びっしょりになって、私の上で暴れ狂った。そしてついには、私の上で果てた。その間、私も2度程、気を失っていた。ことが終わってから、私はこんなことをしている自分の品行を考えた。自分は何故、こんなことをしているのか。犬や猫でもあるまいし、ちょっとふしだら過ぎてはいないだろうか。琳美に男と深い遊びをしては駄目よと指導していながら、自分は何をやっているのか。中国にいる家族は私のことを信頼し期待しているというのに、好き勝手なことをしている。家族の信頼を裏切ってはならない。私は誠実に生きなければならない。そう思うと、急に斉田医師の事が、汚らわしい野獣のように見えて来た。天井を見詰め、溜息をつく私を見て、斉田医師がキョトンとした顔をして訊いた。

「どうしたの?」

「何でもない」

 私は、そう答えて慌てて帰り仕度をした。余分な事を考えすぎて、自分の気持ちを修正することが出来なかった。


         〇

 大学では仲間たちと就職先の話をすることが多くなった。期末試験で好成績を取ることも重要であったが、企業説明会に参加することも大切だった。私は大学の就職案内コーナーに行き、募集企業の内容及び応募書類提出日などを確認し、クラスの仲間やゼミの仲間と、どの会社に応募しようかなどを相談した。しかし誰も自分の事に夢中で、明確なアドバイスをしてくれる人はいなかった。大山社長や芳美姉に相談しても、不明確だった。斉田医師も一般企業のことについては無知だった。結局、相談出来るのは、『商店経営』のゼミの川北教授か『スマイル・ワークス』の倉田常務ということになった。しかし、倉田常務は、ここのところ海外出張など多忙で、私の就職の相談に乗ってくれるような時間が無かった。そこで私は細井真理と一緒に、川北教授に相談することにした。真理の希望は百貨店に就職することだった。私の希望は貿易会社に就職することだった。川北教授と相談する場所については、真理が川北教授と交渉して、代々木上原の喫茶店『茶望留』と決めた。川北教授が千代田線に乗り換える駅なので、3人にとって都合が良い場所だった。その相談の日、川北教授は私たちより、30分遅れて、4時に『茶望留』に現れた。入って来るなり、川北教授は私たちに訊ねた。

「今日は2人そろって、どんな相談かな?」

 真理は相談の目的を川北教授に話していなかったようだ。そこで私が、直ぐに答えた。

「就職の相談です」

 すると川北教授は、運ばれて来たホットコーヒーに砂糖を入れ、掻き回しながら言った。

「そう。就職の相談。大学の就職センターの指導を受けているんだろう。資料はもらったりしているのかな?」

「はい。でも何故か不安で」

「不安なのは誰も同じさ。本格的な就職活動は4月以降だから、まずは期末試験を頑張るんだね。その成績が履歴書と一緒について回るから・・」

 言われてみれば、その通りだ。そう言えば『富岡産業』の面接の時も、夏目課長から、何かの資格を取るようにとアドバイスを受けた。採用する側にとっては、学校の成績と資格が採用の重要項目なのだ。唖然とする私たちに向かって川北教授が質問した。

「細井さんは、どんな会社に勤めたいの?」

「百貨店に勤めたいです」

「分かりました。百貨店関係の知人に相談してみます。接客業ですから、これからは、それに相応しい会話が出来るよう、日頃から訓練して下さい」

 川北教授の真理に対する回答は、真理を安心させる具体的アドバイスだった。そして私に対しては、こんな風だった。

「周さんは、どんな会社に勤めたいと思っているの?」

「貿易会社に就職したいと考えています」

「貿易会社ですか。そうですね。私も知人に当たってみますが、まずは英語の成績が良くないと難しいですよ」

「私、英語の成績、余り良くないんです」

「まだ時間があります。一生懸命に勉強すれば大丈夫ですよ」

 川北教授は、私の希望を聞いて、ちょっと自信無さそうだった。私が、川北教授の表情を見て、心配そうな顔をすると、川北教授は、私を励ますように言った。

「最近、中国貿易も増えていますから、大丈夫でしょう。そうそう、六本木に留学生の就職斡旋センターがあります。そこに書類を提出して、紹介してもらうと良いですよ」

 川北教授は、私たち2人に、あれやこれや、相談されてか、普段に無く、落着きを失っている風だった。川北教授は赤い顔をして、頭を掻きながら、私たちに伝えた。

「兎に角、2人のゼミの成績は良くしておくから安心したまえ」

 川北教授は、そう言ってから、時計を見た。私たちは、これ以上、川北教授を引留める訳にも行かず、『茶望留』を出た。川北教授とは代々木上原駅ホームで別れた。私は真理と一緒に新宿に出て、再び喫茶店に入り、少しばかり話をして別れた。


         〇

 1月末、私は倉田常務と会う約束の了解を、やっとのことで得ることが出来た。倉田常務は現在、成約している案件が進んでいて、休む暇も無いらしい。定年退職した人なのに、国内や海外との仕事があるというのが不思議でならなかった。倉田常務は久しぶりに会うので、昼食を一緒に食べようと約束してくれた。その約束の日は寒気が日本列島を覆っていて、風が頬を刺すような寒い日だった。晴天であるのに厳しい寒さだった。私は川北教授のアドバイスに従い、六本木にある『日本留学生就職斡旋センター』に午前中に出かけ、書類を提出した。そこで、いろんなことを訊かれたり、2,3質問などしているうちに、時間がかかってしまい、倉田常務との待合せ時間より、15分も遅れてしまった。でも倉田常務は新宿駅東口の交番脇で私を待っていてくれた。寒い中、待たせてしまって、申し訳ないと思った。

「ごめんなさい。遅れてしまって、ごめんなさい」

 私が、そう言って心から詫びた。なのに倉田常務は寒さが相当、厳しかった所為か、何時もと違って、とても不機嫌だった。

「私だから良いけれど、日本の会社に就職したら、遅刻など許されないよ」

「はい」

 会って早々、倉田常務に注意され、私はべそをかいたが、倉田常務には通じなかった。彼は表面上は優しい紳士だが、芯の強い人であり、他の男たちと違って柔和でいながら現前とした魅力があった。午後1時半過ぎ、私たちは『伊勢丹』近くのシャブシャブの店『沙粋饌』に入った。牛肉と豚肉の高級シャブシャブを註文し、スタミナをつけた。シャブシャブを食べているうちにワインの所為もあって、カチカチだった身体が温まった。2人とも不機嫌だった気分も回復し、互いの今年の抱負などを語り合った。私は優良商社に就職したいと語った。彼は事業を拡大したいと語った。美味しい食事を終え、満腹になると、倉田常務は、互いの幸運を祈願する為、花園神社に立寄りたいと言った。私もそれに同意し、2人で花園神社に行って、参拝祈願した。2人でおみくじを引いた。私が引いたのは〈小吉〉で、こう書かれていた。

●運命のカギ

暗くて見えない道も、月が射し始め、明るくなる如く幸運が次第に加わる運ですが、焦らず、騒がず、静かに身を守って、進むべき時に進めば、何事も成就します。

●願望

焦らず、騒がず、ゆるゆると進めば良し。

●商売

遅いが利あり。

●学問

困難なり。勉学せよ。

●恋愛

良い。父母に告げよ。

 兎に角、焦らず、騒がず、勉学すれば必ず報われるとのお告げだった。倉田常務が引いたのは〈中吉〉だった。内容を読ませてもらった。

●運命のカギ

思うに任すようで、心に任せぬことあり。思わぬ幸福があるようで、良く気を付けないと、後で損をすることあり。ことに女難に気を付けよ。

●願望

思い通りですが、油断するな。

●商売

売買共に利益あり。

●学問

怠ると危うし。

●恋愛

余り深入りするな。

 〈中吉〉に相応しいラッキーなお告げだが、油断をしてはならないという注意書があった。特に女難には気を付けろとは、私のことを言っているのかしら。私は、このお告げを倉田常務がどのように受け取るか心配になった。だが、倉田常務はおみくじの内容など余り気にしなかった。

「まあ、2人とも〈凶〉が出なくて良かった。私たち2人の未来はうまく行きそうだね」

 倉田常務は、そう言って笑った。私たちは花園神社の参拝を終え、歌舞伎町に移動し、何時もの『エミール』へ行った。そして就職の相談をした後、互いの変わらぬ愛を確かめ合った。久しぶりに会った倉田常務は優しかった。彼に抱かれていると、幼い時、祖父、葉啓海に抱かれて眠った時のことが思い出された。今日の倉田常務が引いたおみくじではないが、私は倉田常務にとって、人生を狂わせるような悪女なのかしら。それとも倉田常務には彼を虜にしようとしている悪女がいるのかしら。そんな別の女のことを考えると、私の悋気は、激しい情念となって、燃え盛った。


         〇

 私は花園神社で引いたおみくじの事を気にしていた。学問、困難なり。勉学せよの文言が頭から離れなかった。そんな私が、マンションに帰ってから英語の勉強を始めると、琳美が私をからかった。

「珍しいわね。愛ちゃんが英語の勉強なんて。アメリカ人の彼氏でも出来たの?」

「何を言っているのよ。就職の為の勉強よ」

「就職試験でも英語が出るの?」

「そうよ。貿易会社志望だから・・」

 実のところ私は英語に自信を持っていたのですが、日本での英語は苦手だった。中国にいる時、英語会話の勉強をしていて、片言を話せるのですが、読み書きの勉強が足りなかった。英語の読み書きを熱心に学習しておけば良かったのに、何故か日本に憧れ、英語の読み書きの勉強を疎かにして来たことは悔やまれた。とは思っても後悔先に立たず。今から勉強するしかない。私は大学の教材は勿論のこと、ビジネス英語の本を買って猛勉強した。また期末試験の勉強も、教科書とノートを睨みつけながら復習を重ね、頭の中に叩き込んだ。従って期末試験が始まると、毎日が楽しみでならなかった。クラスの仲間はアタフタしていたが、私は違った。

「愛ちゃん、自信ありそうね。私、就職のことばかり気にしていて、夏休み以降、余り授業に出ていなかったから、思うように解答を書けなかったわ」

 細井真理は情けない顔をして言った。それに対し、私は、どう答えたら良いのか分からなかった。すると可憐が真理に言った。

「そうよね。今の時代、大学3年から就職活動を始めているけど、問題よね。4年間、しっかり勉強しなければならないのに、大学生活の半分が就活だなんて、おかしいよね」

 すると純子も、それに同調して喋った。

「そうよ、そうよ。採用する企業側も大学側もおかしいわね。まだ中途半端な大学生を、4年生になる前から、ふるいにかけるなんて、全く間違っているわ」

 私は仲間たちの言うことが真実で、日本社会が間違っていると思った。日本の新入社員採用の社会構造は、正常とは思えなかった。その為、4年間、みっちり勉強した優秀な大学生でも、志望企業に入社出来ないという不合理なことが起こっていた。そして希望の叶わなかった大学生は、日本企業への就職を断念し、外国に出て行くか、大学院に進むといった進路を選んだ。だからといって、私には日本人の大学生のように外国に行ったり、大学院に進むような余裕など無かった。大学を卒業したら、直ちに日本企業に就職し、そこで働き、給料を戴き、貧しいながらも、私を日本に留学させてくれた家族や親戚に恩返しをしなければならなかった。鄧小平の思想を引継いだ胡錦涛主席が、日本に学び、中国を経済発展させ、今や日本を追い抜き、世界第二位の経済大国になったなどと言われているが、全体的国民生活はまだまだ貧困から脱しきれず、一部の富裕層を除き、日本のような豊かさが無いのが実状だった。だから、芳美姉のように、日本で頑張り、日本で稼いだお金を中国に送金するのが、両親や家族への私の恩返しだった。従って私は、何が何でも、日本の企業に就職しなければならなかった。私は仲間にぼやいた。

「私の場合、外国人ということで、書類提出の段階で、ふるいにかけられ、不採用になるのでたまらないわ」

「でも愛ちゃんのように、大学での成績が良ければ、何処かの会社が採用してくれるわよ。私は大会社は諦めているわ。小さいこれから伸びると思われるベンチャー企業を狙っているの」

 私を励ます純子は、どうも平林光男の父が経営する会社に入社する画策をしているらしかった。それに対し、真理は、こう語った。

「私は付き合っている繊維会社の部長に、採用のお願いをしているの。4月になったら、人事部長に会わせてくれるって言っているから、楽しみなの」

「それって、まずいんじゃあないの?」

「何、言ってるのよ。この世は、ずうずうしく行かなくちゃあ得るものも得られないわ」

 真理は楽天的だった。時々、癪に障ることもあるが、根本的には気ままな考えの持ち主だった。それに較べ、可憐はただひたすら税理士試験に向けての勉強に専念し、就職のことなど2の次だった。私は日本を本拠とする日本人学生たちを羨ましく思った。


         〇

 期末試験が終わるや、私の頭の中は就職活動の事でいっぱいになった。何としても日本企業に就職したかった。私にとって頼りになるのは川北教授と倉田常務だった。川北教授は知人に当たつてみると言っていた、その知人の関係する会社が、どんな会社か分からなかった。倉田常務は『日輪商事』や『三星物産』や『長谷川産業』などの有名商社との交流があり、頼りになりそうだった。私はそこで倉田常務にメールした。

 *今日はバレンタインデー。

 チョコレートを上げたいけど

 何時、会えますか?*

 すると倉田常務は有明の国際展示場の展示会場に出かけていて、こんな返信を送って来た。

 *私は今週いっぱい展示会で駄目です。

 それに糖尿病になると困るので、

 チョコレーットでないものが欲しいです*

 倉田常務は私に会いたいなどと思っていないみたいだった。私は倉田常務の為に買ったチョコレートのやり場に困った。これからデートする工藤正雄へのチョコレートはあるし、誰に上げようかなと考えた。下北沢の喫茶店『ピッコロ』で、そんな思案をしているところへ工藤正雄が現れた。

「お待たせ。随分、待たせたかな?」

「いえ、私も先程、来たばかしよ」

「そうか。安心した」

 正雄は、そう言って私の向かいの椅子に腰を降ろし、コーヒーを註文した。こうして2人で会うのは久しぶりだった。私は先ず、チョコレートを渡した。

「はい。チョコレート」

「有難う。何時も気を使ってくれて有難う」

「どう致しまして」

 私は、そう答えて就職の話をした。自分の希望は貿易会社に入社する事だと話した。すると、正雄は、私の顔を覗き込んで訊いた。

「期待出来そうな会社あったの?」

 その質問に対し、私は正直に答えた。

「それが中々、難しいの。有名商社は、うちの大学を受け入れてくれないわ」

「そうかもな。でも君は中国語が話せるのだから、中国との友好商社に応募すれば、良いんじゃあないかな」

 正雄の言うことは、例年なら当たり前のことだった。しかし、現実は厳しかった。中国との友好商社は毒入りギョーザ事件で大打撃を受けていた。今年、北京でオリンピックが開催されるというのに、中国の信用はガタ落ちで、日中関係は悪化し、友好商社の新規採用は見送られるという状況になっていた。

「うん。そっちの会社も当たってみたわ。でも毒入りギョーゼ事件で採用中止。クウ君の就職はどんな状況?」

「取敢えず1次試験を済ませ、4年になってから2次試験と面接をすることになっている」

「どんな会社なの?」

「最近はやりのホームセンターさ。神谷も一緒だ」

「神谷君も」

 私は彼の名前を聞いて、しかめっ面をした。女癖の悪い神谷雄太と正雄が、同じ会社に勤めるなんて嫌だった。私は正雄に意見した。

「神谷君と一緒の会社なんて、止めた方が良いわよ。彼、評判悪いから」

「彼は直情的だからな。女の子には評判が悪いんだ。俺にも君と付き合っているのかなんて、訊いて来たよ」

「それで、どう返事したの?」

「付き合っているって答えたよ。納得したんじゃあないかな。神谷からのアプローチなど無いだろう」

 確かに今年になってから神谷雄太から誘いの声はかかって来ていない。しかし、時々、恨めしそうな視線を私に浴びせて来ることは続いていた。

「兎に角、神谷君のこと、気持ち悪いの。頭に入れておいて」

「うん、分かった」

 それからの正雄との会話は何故か歯切れが悪く、すっきりしなかった。バレンタインデーのチョコレートを上げたというのに、彼は私の気持ちが分かっていないのでしょうか。浮き浮きした気分になり、私に甘い言葉を一つでも囁いて欲しかったのに、彼の態度は、何時もと変わらぬ真面目そのものだった。私は、そんな正雄を見て笑った。彼もまた私を見て笑った。


         〇

 私はクラスの仲間の就活状況を耳にするたびに精神的に追い詰められた。細井真理や中田珠理や柳英美たち、ゼミの仲間たちの動きにも負けていられなかった。私は大学の就職センターに募集が来ているいろんな会社に応募した。そして、1次試験で失格するたびに落込み、倉田常務に無理を言った。

 *今日の3時に会えますか。

 会いたいの*

 すると倉田常務は仕事中なので、そんなに早く会うことは出来ないとメールして来た。それでも私は執拗にお願いした。

 *なら3時半に会って下さい。

 何時もの所で待っています*

 倉田常務は仕方なく、3時半の待合せに同意した。私は品川にある商社での面接を終えてから、新宿の待合せ場所に行った。新宿駅東口から少し離れた果物屋の脇で待っていると、定刻に倉田常務がやって来た。彼はリクルート・スーツの私を発見すると微笑した。私たちは待合せ場所から新宿モア4番街を通り通り抜け、喫茶店『トマト』に入り、コーヒーを飲みながら会話した。

「今日、1次面接を30分程して来たの。駄目かもしれないわ。とても不安なの。聞いてくれますか。答えられない質問があったの」

「どんな質問をされたの?」

 倉田常務に訊かれて、私は今日、面接して来た会社の担当者からの3つの質問のうち、1つだけ全く答えられなかったことを話した。それはマレーシア駐在の話だった。日本で生活したいのに、マレーシア駐在とは、気が進まなかった。

「マレーシアに勤務することが出来るかって、質問されたの」

 そんな悩みを訴えると、倉田常務は笑って私の相手をしてくれた。

「1つくらい答えられないことがあっても、問題無いよ。面接者は面接時間内の3つの質問の答え方だけで、君を判断しないよ。大学での成績や面接の会話の中で、君の全体的なものを把握し、それから採用するか否かを決めるのだから」

「そうかしら。でも自信ないな」

「今迄、頑張って来た自分に自信を持つんだ。何社も何社も応募し、その中で自分を高めていくと良い。1社だけで、へこたれていちゃあ駄目だよ。君なら絶対、採用してくれる会社がある」

 倉田常務は、こう言って、私を励ましてくれた。でも私は心配だった。もし日本の会社に就職出来なかったら、私は学生ビザが切れ、中国へ戻らなければならない。だから、私は必死だった。私は倉田常務にすがった。

「私、大学を卒業してからも、日本で暮らしたいの。就職先が決まらなかったら『スマイル・ワークス』で私を採用してくれる?」

「就職先が見つからないなんてことはないよ。今から、そんなことを考えちゃあ駄目だよ」

「でも、万が一ということもあるから、その時は採用してくれる?」

「給料を払わなくても良いのなら、OKだよ」

「OKよ。お金はアルバイトして稼ぐから。就業ビザが取得出来れば、それで良いの」

「分かった。だから大船に乗ったつもりで、安心して、就職活動に励むんだ」

「ありがとう」

 私は嬉しくなって、人目もはばからず、倉田常務の手を、グッと握り締めた。倉田常務は私の突然の行為に、周囲を気にして赤面した。

「出ようか」

 私たちは喫茶店『トマト』を出て、『エミール』に行った。相変わらす、あの受付のオバさんが、倉田常務にウィンクした。倉田常務と彼女の関係はどうなっているのか。気になったが倉田常務に確かめようとは思わなかった。自分の方が、倉田常務の心を射止めているのだという余裕があった。部屋に入り、オーバーコートなどを、クローゼットに収納してから、私たちは真裸になった。そして、そのまま一緒にバスルームに入り、身体を温め、ためらうことなく合体した。私たちは互いに互いと触れ合うことによって、互いの愛が色褪せず、長続きするよう願った。彼は私のパトロンでは無いが、私に翻訳や通訳などの仕事を提供し、私の夢の実現を支援してくれている父親のように優しい存在だった。私は私で、彼の恋人にはなれないけれど、高齢になって衰えていく彼を愛情で包んで上げる愛人になろうと努力した。私たちのこの繋がりは、一般男女の恋沙汰とは少し違っていて、世間の人たちには到底、理解してもらえるものでは無かった。ある者は援助交際、ある者は不倫行為などと呼ぶに違いなかったが、私たちには、そんな考えは問題外だった。信じてもらえないかも知れないが、私たちにとって、この関係は、とても不可思議で崇高なものだった。年齢を度外視した精神性のこもったものであり、他者によって、消去出来るものでは無かった。奇妙というより、表現のしようのない関係だった。


         〇

 3月になると、私の就職活動は激しさを増した。日本で私が成功することを願っている中国の家族のことを思うと、へこたれてはいられなかった。そう思っているところへ、『富岡産業』の採用窓口担当の夏目京助課長から、携帯電話に連絡が入った。

「そろそろ応募資料を提出していただかないといけないので、一度、お会いしますか?」

 未だ採用の可能性を1社も掴んでいない私は、その夏目課長の連絡に跳び付いた。私は藁でも掴む思いで、去年、会社訪問し面接した後、就職についてアドバイスを受けたことのある夏目課長と、秋葉原の『ワシントンホテル』で会った。夕方5時半過ぎ、前回と同じ、3階の『ボンサルーテ』で食事をしながら、夏目課長に、意見を訊いた。

「夏目さんに言われて、私は大学の後期試験、頑張りました。成績も思った以上に良かったです。あと、何に頑張れば採用していただけるでしょうか?」

「前回も、お話したと思いますが、面接の結果は良かったですよ。考えもはっきりしているし、笑顔も好感度を与え、合格です。しかし、学校のレベルが他の応募者より低いので、社長や役員が、どう考えるかです。最終提出の学校での成績が高まれば、うまく行く可能性があります」

「すると、ちょっと厳しいということですね」

「そうですが、兎に角、応募資料を人事課の私宛てに送付して下さい」

「はい」

「それと、私がアドバイスした資格試験は取得されましたか?」

「はい。マイクロソフト・オフィススペシャリスト試験に合格しました。これから他の資格試験にチャレンジしようと思っています。でも卒業までに合格するのは難しいと思います」

 私の答えに、夏目課長はちょっと渋い顔をした。英語検定のようなもっと『富岡産業』に貢献するような資格を取得しないと駄目なのでしょうか。私は夏目課長に懇願した。

「何か採用される為に良い方法はないでしょうか?」

「無いとは言えません。入社試験で高成績を取る事です」

「どんな問題が出るのですか」

「ビジネス用語や新聞ニュースについての問題です。後は応募者たちとの討論会です。いずれにせよ、今月末までに応募資料を私に提出して下さい」

「分かりました。よろしくお願いします」

「任せて下さい」

 夏目課長は、そう答えて私を見詰めた。私も夏目課長のことを見詰め返した。中田珠理の言葉が、脳裏に浮かんだ。

「採用担当者と顔なじみになっておくことが優位なんだって」

 私は、食事をしながらの打合せが終わったので、トイレに行くふりをして、食事の精算をしようとしてレジ係の所へ行った。すると、既に、夏目課長のサインをいただいているとのことだった。私は、これでは、まずいと思い、席に戻ってから、夏目課長に礼を言った。

「夏目さん。今日は申し訳ありません。こちらから、声をかけなければいけなかったのに、連絡をいただいた上に、ご馳走にまでなって、本当にありがとう御座います。感謝いっぱいです」

「なあに良いのです。私は採用の窓口ですから」

 私は、このまま別れてしまうのは失礼のような気がして思い切って夏目課長に誘いをかけてみた。

「これから、お礼にカラオケにでも行きませんか?」

「カラオケ?私は歌を2,3曲しか知りませんよ」

「良いんです。私も唄いますし、夏目さんの歌を是非、聞かせて欲しいんです」

「じゃあ、行きますか」

 私たちは『ワシントンホテル』を出て、秋葉原から地下鉄で上野広小路に行き、近くにあるカラオケ店に入った。狭い部屋の中で、私たちはカラオケを唄った。夏目課長は2,3曲しか知らないと言っていたのに、結構、歌を知っていた。私はカラオケが下手だった。夏目課長も下手だった。2人ともほろ酔い気分だったので開放的になっていた。夏目課長が『忘れていいの』というデュエット曲を申し込んで、私に一緒に歌ってくれと言った。私は知らない歌だったが、画面の字を曲に合わせて読んで、何とかデュエットすることが出来た。ところがデュエット曲を唄っている途中、不意に夏目課長の左の手が、私の胸に触れて、ブラウスのボタンを外した。そして広がった胸の隙間から手を突っ込み、胸をまさぐった。カラオケの画面も同じようなことを始めていた。それから夏目課長は、画面に従わず、私にキッスして来た。もうカラオケどころでは無かった。彼は私の唇を吸ったまま、私のジャケットとブラウスを脱がせた。更に私の背中に手を回し、ブラジャーのホックを外した。私の乳房が露わになると彼は、キッスをそこに移動した。カラオケの画面は、次の曲を要求している。そんなこと知ったことでは無い。

「ああ・・・」

 私が声を上げると、彼は立ったまま私のスカートのホックを外し、ファスナーを下げた。私の穿いていたスカートはあっけなく、バサッと音を立てて落ちた。

「ああっ、夏目さん、駄目!」

 私は、そう言いながらも、抵抗しなかった。後は夏目課長のマイクの為すがままだった。カラオケ・ルームでこんなことになろうとは、全く計画外の出来事だった。『富岡産業』に採用してもらう為には仕方ないことかもしれなかった。


         〇

 私は就職先が見つからない時のことも考え、玉の輿に乗ることも考えていた。それはずるい考えかもしれないが、万一、就職先が無かった時の布石だった。そのターゲットは斉田医師だった。日本で医師という職業はハイレベルであり、身分は勿論のこと収入も高所得で、社会的にも羨望視されている仕事だった。その妻になることは、安定した未来を約束されたも同然だった。斉田医師は毛深くて野獣的なところがあったが、セックス・テクニックは抜群で、彼からメールが入ると、私は直ぐに、その要求に応じた。新大久保で待合せして、何時もの店で、焼き肉を食べ、今回も『ハレルヤ』に行くことになった。『ハレルヤ』の部屋に入ると、斉田医師は何時もの診察態度だった。私をベットに腰掛けさせて、上半身を裸にして、診察を開始した。目を検査した後、目を瞑らせ、キッスし、顔の検査を終えてから、胸から下腹部に向かって、卑猥な愛撫を繰り返した。その為、私の身体はたちまちにして、メロメロになった。それを見計らって斉田医師は、鉄火のように燃えているものを、私の股間の穴に突っ込んで来た。

「ああっ」

 私がたまらなくなって叫ぶと、斉田医師が私をいじめた。

「気持ち良いかい?気持ち良いかい?」

 斉田医師の腰の動きは同じ質問をする度に、激しさを増した。私は抜き差しされる快感に狂いそうだった。

「どうだ。どうだ。気持ち良いか?」

「ああ、良いわよ。良い、良い。来て,来て、早く来て!」

 私は彼の愛の放出を求めた。斉田医師は、その求めに応じて叫んだ。

「なら、行くぞ。行くぞ。どうだ。どうだ!」

「ああっ」

 斉田医師の放った射精の脈動がコンドームを介して、私に伝わって来た。私は悦楽に酔った。そのまましばらくして、斉田医師がゆつくりと鉄火棒を抜いてから、嫌らしく私に訊いた。

「気持ち良かったかい?」

「はい」

 私は彼の質問に対し、素直に答えた。彼に攻められ愛器が痙攣し、快感がまるで電気が走り抜けるように全身に伝わり、しびれるような感覚を味わった。私は彼の結婚生活がどのようなものなのか分からなかった。しかし、彼と結婚すれば、たった今、味わったと同じ快楽が毎夜のように、確実に得られるのだと想像した。何とかして、彼の妻と入れ替わることが出来ないか。私は自分で理解出来ない悪質な心を、自分が持っていることに嫌悪感を抱いた。でもこれが私の本性かも知れなかった。私は斉田医師の毛もくじゃらな胸に手をやり、囁いた。

「前にもお願いしたと思うけど、奥さんと別れて、私を奥さんにしてくれない?」

「冗談だろう」

「前にも、そう言ったわね。確かに前は冗談だったけど、今は本気よ」

 すると斉田医師の心臓が、ドキリと鳴り、その顔から血の気が引いた。

「そう言われても、私には子供がいる。家庭を崩壊させる訳にはいかない」

「子供は、私が面倒をみますから」

「しかし」

「奥さんと気持ちが噛み合わず、セックスレスなんでしょう。別れる理由は充分にあるわ」

「でも病院の仲間に祝福され、親戚からも理想的夫婦と言われているんだから」

「じゃあ、私はどうなるの」

 私は斉田医師を睨みつけた。困惑する彼を見て、私は無理を言っている罪の意識に苛まれながらも、引き下がる訳には行かなかった。そう思うと悲しくて悲しくて、涙がボロボロ溢れ出た。斉田医師は、そんな私を見て困惑して言った。

「君をそんな気持ちにさせてしまったことは申し訳ない。しかし、結婚している私は、世間の常識からいって離婚することは出来ない」

「常識が何よ。生きて行く為に重要なのは人と人との繋がりよ」

 泣きすがる私を見て、斉田医師は、もう言い返す力を失っていた。彼は立ち上がりバスルームに入り、戻って来て、服装を整えると私に言った。

「兎に角、一度、ここから出よう」

 私は彼の指示に従い、身支度を済ませると、彼に腕を引かれて、『ハレルヤ』を出た。そして喫茶店に入り、冷静になって話合った。


          〇

 梅の花が咲き終わり、桜の枝の蕾が目立ち始める3月半ばの春休み中、工藤正雄から、『ピッコロ』で会おうというメールが入った。私はブルーのジーパンに白いYシャツを着た上にベージュのトレンチコートを引っ掛け、下北沢の『ピッコロ』へ行った。紺のブレザー姿の正雄は、何時もの片隅の席に座って、私を待っていた。

「お待たせ」

「久しぶり。はい、これ」

 生真面目で律儀な正雄はぶっきらぼうで情緒的なところが無かった。私は、彼が差し出した小さな紙袋が、ホワイトチョコだと分かっていたので、素直に頷き、その紙袋を受取った。

「ありがとう」

「就職先、見つかった?}

 私は、そう訊かれて戸惑った。まだ何処からも内定に近い通知を得られていない。

「まだなの。これから、もっと活動して、就職先を見付けないといけないの。クウ君の方は?」

「まあ、一応、目星をつけたけど、これからいろいろと条件を聞いてみて、変わるかもしれない」

「神谷君と同じ会社?」

「うん。同じ会社さ」

「神谷君と同じ会社、止めた方が良いわよ」

「どうして?」

「同じ会社で、昇格をめぐって張り合うことになるのよ}

 私が、そう言うと、正雄は苦笑した。正雄は世の中の厳しさを知らぬボンボンだった。

「何、言っているんだ。俺と神谷はゼミの親友だよ。会社に入って競いごとなんかしないよ」

「そうだと良いんだけれど」

 こんなであるから、正雄との会話は少しも弾まず、堅苦しかった。周囲を見回すと、皆、楽しそうに会話していた。そんな人たちが羨ましかった。正雄はコーヒーを飲みながら、ちょっとしょげている私を元気づけようとした。

「いずれにせよ、今が俺たちの将来を決める大事な時期だ。狭い範囲に閉じこもらず、希望する仕事の範囲を広げてみたら、良いんじゃあないかな。何も商社でなくても」

「そうね。クウ君の言う通り、少し範囲を広げてみるわ」

 言われてみれば確かに就職先を商社にしぼりすぎていた。一般企業にも、貿易部門があるかもしれない。私は来週から一般企業にも当たってみることにした。私は正雄のアドバイスに感謝した。

「今日はホワイトチョコをいただいた上に、就職のアドバイスまでしていただき、ありがとう。これから、私がおごるから、食事でもしない?」

「うん。それが、時間が無いんだ。まだギリチョコを渡さないといけないから」

「まあっ」

 私は唖然とした。彼はイキイキした声で平然と言った。

「これから、渋谷に行くので、ごめん」

「分かった。じゃあ、早く行ったら。コーヒー代、私が払いますから」

「悪いな。じゃあ」

「ところで誰と?」

「ああ、シバ・・・」

 正雄は、そこまで言って慌てて口をつぐんだ。彼の顔色が変わるのが分かった。私は、それ以上、追求してはいけないと思った。彼は私に向かって手を合わせて詫びた。

「悪いな」

 明らかに焦っているのが分かった。彼は黒いリュックサックを肩に引っ掛けると、店の入り口から出て行った。私は1人、取り残された。私は今頃になって、正雄の周りに自分以外の女性がいることに気づいた。私は1人になって、いろいろ考えた。正雄が会いに行った相手が誰か把握しようと想像を巡らせた。その未知の相手のことを考えると、苛立ちのようなものが交錯し、心がざわつき落着かなかった。正雄が、しまったと言っていたが、一体、どんな女性なのか知りたかった。分からぬ相手への羨望と敵愾心は、私を抑えきれぬ嫉妬心へと突き進ませた。

「何よ。私を呼び出したりして、直ぐに帰っちゃうなんて・・・」

 私は急に怒りを覚え、2人分のコーヒー代の書かれたプライスシートを手にして立上がり、レジに行って精算を済ませた。それから『ピッコロ』を出たが、外に出ても私の苛立ちは治まらなかった。私は正雄にふられたのかしら。そんなこと受け入れられない。でも駄目だったらどうしよう。平気、平気。私には言い寄って来る男たちが、いっぱいいるのだから・・・。


         〇

 私は悪い女なのでしょうか。男を弄び、夢中にさせ、溺れさせ、骨抜きにする。たとえ自分が好きな男にふられても、自分が男好きのする女であると分かっていて、自分から他の男に近づく。私と出会った男たちは、私を何とかしようとする。それを良い事に、私は彼らを深入りさせてしまう。そんな私と同じような女が、工藤正雄の前に現れたのでしょうか。正雄のことは静観するしか方法がなかった。それより斉田医師をどうするかだ。彼は、もう、どうにもならない状態の中でもがいている。ちょっと可哀想だが、不倫という罪、強奪という罪を犯してでも、私は彼を虜にして生きざるを得ない。自分の欲望、自分の都合、自分の生活に振り回されて、相手の事など思いやる余裕など今の私には無い。身一つで異国で生きて行かなければならないのだから、仕方ない。真っ当な生き方など期待する方が無理だ。だが、そんな私の生き方に疑問を持つ女子大生が、私のクラスにいた。それは私や可憐たちと別のグループのメンバーだった。その1人、吉原美智子が、私に会いたいと言って来た。春休み中なので、わたしは就職のことか、遊びの相談ではないかと想像して、彼女の指定する原宿の喫茶店『クリスティ』に行った。ちょっと約束の時間から遅れてしまったので謝った。

「御免なさい、遅れちゃって」

 すると彼女は笑って言った。

「気にしないで。座って。何にする?」

「アメリカン」

 私が小さな声で答えるとウエイトレスが、私を見詰めて笑った。その後、私は少し緊張して美智子に言った。

「ミッちゃん。良い店、知ってるのね」

「この辺は高校生の頃から来ていたから.お馴染みなの。ところで、どう、就職の方?」

「全然、駄目なの。ミッちゃんは?」

「私は、今のところ、何処にも採用してもらえないと思うので、実家の花屋の手伝いでもしようかと思っているの」

「羨ましいわ。家に仕事があるなんて」

 私は実家で事業をしている美智子は気軽で良いなと思った。それから美智子はテレビで観る北京オリンピックを迎える中国の盛況ぶりなどを、褒めたりした。私は、それに対し、適当な相槌を打ちながら彼女の話を、ひたすら拝聴した。会話が進んで来ると、彼女は恋愛の話を始めた。

「愛ちゃん。あなた工藤君のこと、どう考えているの。遊びなの。本気なの?」

「ミッちゃんは何故、そんな訊き方するの?」

「だって可憐ちゃんたちに聞いたら、工藤君が、貴女のこと好きだって言うから」

「そんなの分からないわ」

 予想外の質問に、私はどう答えたら良いのか分からなかった。すると美智子は、ちょっときつい顔になって、私に言った。

「実は工藤君のこと、美雪ちゃんも好きなのよ」

「美雪ちゃんが・・・」

「そうなの。だから貴女には工藤君を悪い道に誘惑しないで欲しいの」

「誘惑?」

「そう。中国人の貴女が工藤君に相手にしてもらいたい気持ちは分からないでもないけど、彼の恋人は清潔で純粋な日本人でないと駄目なの」

「どうして?」

 私は美智子の話が、一方的であり、その理解に苦しんだ。何を根拠に、私と工藤正雄の付合いを断ち切ろうとするのか。美智子と柴田美雪が親友だからとはいえ、私に工藤正雄を誘惑することを止めさせ、引下がれとは、余りにも強引過ぎる意見ではないでしょうか。私はふくれっ面をした。その私の顔を見て美智子は責めるような口調で言った。

「こんなこと言いたくないんだけれど、貴女は男性経験があり過ぎよ。真理ちゃんと一緒に、年上の男性たちと付合っていると、もっぱらの噂よ」

「そ、そんな」

「クラスの中には、貴女たちが、売春をしているって言う男子もいるのよ」

「誰が、そんなことを」

 私は美智子の発した言葉に、突然、心臓を銃弾でぶち抜かれて、胸に大きな穴を開けられたような衝撃を受けた。その衝撃は工藤正雄を得ようとする恋敵が現れたという事では無く、私や真理に対する中傷だったからだ。それは私と真理が薄汚くみっともない罪悪的な行為をやっているという侮蔑の言葉だったからだ。この指摘は全く根拠のないことではなかったが、売春では無かった。私は美智子に食って掛かった。

「誰?そんなことを言う男子って!」

「誰が言ってたなんて、言えないわ。でも学校の帰りに歌舞伎町に遊びに行ったら、偶然、貴女を見たんですって。それも老紳士と、ホテルに入るのを」

 美智子はいやらしく笑った。私は弁明の余地は無かった。しかし、認める訳には行かなかった。

「人違いよ。私では無いわ」

「かも知れないわね。でも美雪ちゃんは工藤君を真剣に愛しているの。だから、遊びだったら、工藤君に手出ししないで欲しいの」

「工藤君には確認したの?」

「確認しなくても、彼は誠実で純真だから、美雪ちゃんとお似合いなの」

 私は、美智子が、私に会いたいと言って来た目的が何であったか、この時になって知った。そして工藤正雄のギリチョコの相手が、柴田美雪であったことも分かった。正雄が『ピッコロ』で、しまったと言って口をつぐんだのは、私の勘違いで、彼は柴田と言いそうになったのだ。私は、美智子に言ってやった。

「こういうことは第3者が決める事で無いの。工藤君が決めることよ。不愉快だわ。私、帰る」

 私は、そう言って立上がると、テーブルの上に五百円玉を置いて、『クリスティ』から立去った。私にとって美智子の発言は、私や真理に対する侮辱でありショックだった。だが半分程度は、そう勘違いされても仕方ない事だと思った。日本に留学している私の生き方が、普通でないことは確かだ。


         〇

 私は大学卒業後の人生計画を就職と結婚の二股で考えていた。一番の理想は日本の貿易会社に就職して、世界を飛び回る事だった。私は貿易に関与する数社に応募してみた。しかし、中々、思うように行かなかった。書類選考で失格になることが多かった。どうすれば良いのか。結局、日本のいろんな業界に詳しい倉田常務に現状を報告し、就職への活路を見つけ出すしか方法が無かった。私が会いたいと連絡すると、韓国から戻ったばかりの倉田常務は、時間を割いて、私に会ってくれた。蟹料理を食べながら、彼は私の現況を確認した。

「大学の就職課に来ている会社への応募は出しているの?」

「はい。出してはいますが、どこの会社も、中国人の私を採用しようとは思わず、直ぐ、書類が返却されて来てるの。ただ時間の無駄という気がして、嫌になっちゃう」

「去年もそうだったが、今年は去年以上に採用を見送る会社が増えている。私の前の会社の部下の息子も、就職活動を始め、お先が真っ暗らしい。私の所に、何とか相談に乗って欲しいと言って来ている」

「それで、どうしたの?」

「一応、履歴書等、預かっている。『スマイル・ワークス』で使えるか検討中だ」

「まあ、そうなの。なら私も、お願い出来ない」

 私が、そう言うと倉田常務は困った顔をした。倉田常務は更に、私の今後の訪問会社や面接時の細かな事について相談に乗り、アドバイスをしてくれた。明日、『日輪商事』の面接に行くと話すと、『日輪商事』の歴史と事業部構成、取扱い商品などについて、教えてくれた。私は『日輪商事』に何とか採用して貰えないかと倉田常務にお願いした。そんな相談をして、蟹料理で、満足してから、私たちは靖国通りを渡り、近くのラブホテル『オアシス』に入った。何時もの『エミール』より、明るくて設備も整っていて良い雰囲気。大きな円形のジエットバスを見て、私たちは嬉しくなって2人でバスタブに浸かった。私はお湯に浸かりながら、母親が日本式温泉が好きで、体重が75kgと肥っていて、父親が風呂嫌いで、体重が60kg足らずだなどと、両親の話をしたりした。バスタブで身体を十分に温めてから、私たちは、ベットの布団に潜り込んだ。天井を見詰めながら私は倉田常務に言った。

「私、就職活動で大変だから、月末に両親に来てもらうことにしたの」

「良くビザがOKになったね」

「最近、日本からの召喚状が無くても、親戚に会うという理由で、個人でも、来日出来るようになったの」

「それは知らなかった」

 倉田常務は、そう言うと、私の股間に手を入れて来た。私は、その優しい愛撫とテクニックに、これから訪れるであろう悦楽の妄想の中に自分を溶け込ませた。すると私は、直ぐに気持ちが良くなり、彼の求めに逆らえなくなった。私は、たまらなくなり、倉田常務にすがりついた。そんな私の濡れた瞳を見て、倉田常務が中国語で囁いた。

「我愛你。你愛我嗎?」

「我愛你、我愛你!」

 久しぶりの出会いに私たちは燃えた。中国語と日本語で愛の言葉を発し合った。倉田常務は、韓国に出張し、韓国料理を食べて来た為か、それとも今日、蟹料理を食べた為か、スタミナ抜群だった。私の求めに応じて燃える武器を振り回し、私の上になったり、下になったり、斜めになったり、折り重なったり、背中になったり、夢中になって活動した。その為、私の受け口はグチャグチャになった。

「ああっ、身体がメチャメチャにされ、乗っ取られそう」

 私は余りにもの快感に失神した。それと同時に倉田常務も私の上でバタンキュー。そのまま横倒しとなり、私の横で、仰向けになり、私の手を握りしめた。私たち2人は、そのまま仰向けに並んで、手を握り合い眠りについた。私は瞑目し考えた。この人は何で、こんなに優しくしてくれるのでしょう。大学生時代、田舎から上京し、貧しくて苦労したから、同じような私の境遇に同情してというのは分かるが、それ以上に親身になってくれるのが分からない。性欲に牽引されのことなのか。

「私には、娘がいない。だから君を娘のように思っている」

 私には、そんな理由など理解出来ない。セックスフレンドが娘だなんてことはあり得ない。私たちは30分程、眠ってから、ベットから出て、服装を整え、『オアシス』から外に出た。自動ドアが開き外に出た途端、春風が私たちをからかうように頬に触れた。街は黄昏。私たちは歌舞伎町から新宿駅へ向かった。私は吉原美智子の言葉を思い出し、倉田常務と少し離れて歩いた。新宿のコンコースで倉田常務と別れた。彼は小田急線の急行に乗って帰るという。私は琳美が待っている角筈のマンションへと急いだ。両親が日本にやって来るので、いろいろ準備しなければならないことがあった。それに明日の『日輪商事』の面接に対する予習も必要だった。


         〇

 翌日、私は六本木にある『日輪商事』の面接に出かけた。高層ビルの一階にある受付に行き、受付嬢に目的を告げ、側にいた女性社員に案内され、エレベーターに乗って会議室に入つた。そこには面接者が15人程、椅子に座って面接が始るのを待っていた。半月程前の筆記試験で、見かけた大学生たちが、数人いた。私は前回の筆記試験で何とか1次面接にまで漕ぎ着けたが、面接人数は今日と明日で60人いるらしい。その中で、採用されるのは15人だという。9時になると面接が始まり、女性社員に呼ばれた者が隣りの面接室に入つて行った。その間、私たち順番待ちの者は、男子社員が会議室のスクリーンにプロジェクターで映し出し説明する会社案内の映像を眺めた。その内容は、倉田常務から教えて貰った『日輪商事』の事業内容、そのものだった。1時間程して、私は女性社員に名を呼ばれ、面接室に入った。『日輪商事』の一次面接は、『富岡産業』の時のように、社長や専務は出席していなかった。中央に山口総務部長、その脇に和田産業資材部長、川端産業機械部長、河原電子材料部長が並び、人事課の谷村課長と小山係長が入口側に控えて、座っていた。私が深く頭を下げ、6人の面接者の前の椅子の所に向かうと、小山係長が私に言った。

「自分の名前を言って、椅子に座って下さい」

「はい。S大学の周愛玲です」

「では、座って自己紹介をして下さい」

 私は、そう言われ、履歴書に書いてある履歴を話し、来春卒業の見込みであると説明した。私が中国人であるということだからでしょうか、皆、興味深い目で私を観察した。山口総務部長が、まず質問した。

「貴女の長所と短所を言って下さい」

 履歴書に記載しているのに、お決まりの質問をして来たので、履歴書と同じ答えをした。

「私は社交的だと思っています。日本に留学して沢山のお友達がいるということで、それを感じています。もう一つ上げれば、チャレンジ精神が豊富だということです。ある意味では、そのチャレンジ精神の粘り強さが、短所になることもあるかも知れません。私の短所は心配性なところがあり、細かなことまで気にしてしまう性格で、ものごとに時間がかかってしまう欠点があるかも知れません」

 私は、自分の長所と短所を喋ったが、それが当たっているかどうかは、本人に分かる筈が無いと何時も思っていた。それは他人が評価するのが答えであると思う。続いて和田資材部長が私に質問した。

「貴女が我社への入社を志望された理由は何ですか?」

「はい。私は、先程の長所の質問に上げませんでしたが、3か国語、中国語、日本語、英語を話せるという武器を持っています。従って私は御社のされている輸出入の仕事に貢献出来ると思い、応募しました」

「成程。では、海外出張も可能ですか?」

「はい。喜んで出張致します」

「それは頼もしい」

 部長たちは顔を見合わせて笑った。次に川端機械部長が質問した。

「周さん。貴女が私たちに自己PR出来る体験談がありますか?」

「はい、あります」

「それは何ですか?」

「御社が千葉の会社に販売された中国機械メーカーの技術者が来日した時、私が通訳をしてあげたことです」

「えっ。本当ですか?」

「はい」

「千葉の会社って、何という会社ですか?」

「はい。『八千代プラ』です。森岡さんが担当されておりました」

「森岡君が天津から輸入した『八千代プラ』に入れたあの機械の・・・」

 川端機械部長は目を丸くして驚いた。私は『八千代プラ』の仕事で、自分が活躍したことを、洗いざらい話した。続いて河原電子材料部長が質問した。

「学生生活は楽しいですか?」

「はい。私は『商店経営』のゼミに入つています。そこでゼミ仲間と百貨店をはじめとするいろんな商店を見て回ったりして、学生生活を楽しんでいます。と同時にそれら商店に商品を納めている商社の力を痛感し、商社に入社したいという意欲に燃えています」

 私は調子の良いことを喋り、20分程で、面接を終えた。それから再び会議室に戻り、プロジェクターでの会社説明を聞いて、午前の面接が終わるのを待った。その間、女性社員から、交通費をいただいたりした。午前中の面接が終わると、私たち大学生は、会議室で幕の内弁当の昼食をいただき解散となった。私が大学生たちと、エレベーターで1階に降り、ビルの入口から出ようとすると、前方から、中道係長が昼食を終えて戻って来るのに出くわした。お互いにビックリした。

「おやっ、今日は何?」

「一次面接」

「うちの会社に応募したの?」

「はい。一緒に仕事がしたくって」

「そう。採用されると良いね」

「はい。人事の人にお願いしておいて下さい」

 私に、そう言われて、中道係長は一瞬、ドキッとしたみたいだったが、直ぐに笑った。

「うん。森岡課長から、お願いしてもらうよ」

 中道係長は、そう答えてビルの中に入って行った。行き交う『日輪商事』の人たちは、皆、生き生きとしていた。私は『日輪商事』に採用されることを期待した。


         〇

 3月後半、父、周志良と母、葉紅梅が来日した。2人は私の就職のことが気になって、私の身の回りの事の面倒を見る為に来日したという。この計らいは多分、芳美姉の画策したことに違いなかった。芳美姉は私のことを可愛く思っている反面、私の男関係を心配していた。だから大事な就職活動の期間に、私が男たちとの時間を作らぬよう私の両親を中国から日本に呼び寄せたのだ。その為、琳美は芳美姉のマンションに戻って寝食をすることになった。私は少女の頃に戻り、母や父の料理を美味しくいただく毎日を迎えることになった。このことは、私の気分を落着かせてくれたが、今までのような男たちとの行動は出来なかった。両親は初めて訪れた日本という国に触れて、目を丸くした。街の綺麗さ、日本人の親切な対応。スイカというカードを使えば、どの電車にも、どのバスにも乗れる。トイレはウオシュレット付きなどなど、驚くことばかり。芳美姉や私の説明以上に日本が素晴らしい国であると感心した。周囲を海で囲まれた日本という島国は、中国のテレビで見聞きし、想像していた以上の国だと、両親は実感したらしい。両親は私が日本に来て、中国の自分たちの生活と全く違う新しい世界に住めるという甘美な夢を描いて留学したことを納得した。その上、芳美姉や大山社長に歓迎され、毎日が楽しくて仕方ないみたいだった。お金も無いのに、百貨店や電気店やカメラ店に夫婦で出かけた。また芳美姉に教えてもらい、新宿や新大久保にある中国人や韓国人の経営する食料品店に行き、沢山、食料を買い込んで来た。私は、そのたびに、母に、その代金を支払わなければならず大変だった。でも両親が自分の側にいると、未来への不安は薄らいだ。私は『富岡産業』への応募資料をまとめた。字を書くのが下手なので、パソコンで書類を作成した。果たして私は『富岡産業』に採用してもらえるのか。私は採用担当の夏目課長と、あんなことがあったので、採用してもらえることに期待を抱いた。夏目課長とカラオケ・ルームで約束したことは、採用に有利に働くに違いなかった。また『日輪商事』の面接結果も、そんなに悪かったとは思えない。倉田常務の口利きが功を奏すれば、自分の希望するセクションでなくても、採用してもらえるかもしれない。私は日本企業の社員として働くことを夢に描いた。日本企業に就職しての生活とは、どんなものになるのでしょうか。多分、規律正しく、チームワークを大切にしないと、はじき出されてしまうような気がする。私は中国の『瀋陽増富油墨有限公司』に勤務して、失配したことを思い出した。あの時のような失敗は二度と繰返してはならない。そう言えば、あの時、私と親しかった金蘭々は、今、どうしているかしら。彼女も日本で生活してみたいと言っていたが、どうなっているかしら。私は、会社勤めした時のいろんなことを回想し、今が正念場だと思った。これからの1年間で、私の人生の方向が決まるのかと思うと、真剣にならざるを得なかった。何が何でも、日本企業に就職して、私の留学に応援してくれた家族や親戚の人たちに恩返しをしなければならないと思った。日本企業の給料は中国の給料の5倍以上もらえるので、自分の生活費を切り詰めれば、その一割を中国に送金することが可能だった。このことは芳美姉の実績からも実現可能なことだと、家族の者たちは期待していた。私は、その期待を裏切ってはならない。身を削っても、それを実行しなければならない。それは家族の為に生きなければならない私の使命感になっていた。私は『日輪商事』または『富岡産業』に、何としても入社したいと希望した。


         〇

 3月末、桜の花が咲いて、まさに春爛漫。芳美姉の呼びかけで、私たちは大山社長以下10名程で、『新宿御苑』の花見に出かけた。新宿駅南口から坂を下って行って、新宿門から御苑内に入ると、驚くほどの花見客がいて、その人たちの頭上に、何種類もの桜の花が、その美しさを競って咲き誇っていた。私の両親は初めて見る日本の桜の馥郁たる香りを嗅ぎながら桜の美しさに感動した。私は琳美たちと一緒に満開の花の下で、沢山の写真を撮ったりした。新宿門から御苑内に入った私たちは中央門方面へ歩き、あちこちの桜を見て回った。休日とあって、沢山の人たちが満開の桜の花を観ようと集まって来ていた。若い男女のカップルや老夫婦、子供連れの夫婦、大学生や高校生、その他、中国人やインド人、タイ人、欧米人などの外国人も沢山いて、両親だけで無く、私も驚いた。それにしても,『新宿御苑』にこんなに沢山の種類の桜の木があるとは予想外だった。進んで行く途中、薔薇園があったので、そこの所で、集合写真を撮った。更に私たちは、そこから池の畔を通り、千駄ヶ谷休憩所で一休みした。琳美と私は、そこでストラップなどを買った。浅草同様、『新宿御苑』の花見客も春の歓びに満ち溢れて、笑顔いっぱいだった。やがて私たちは、昼食を食べることにした。私たちは春うららの桜の花の下に、桃園や梨里たちとレジャーシートを敷き、芳美姉たちが持参したおにぎりや焼鳥、刺身、春巻き、裂きイカ、オシンコなどを食べながら、酒やビールやジュースを飲み、桜の花を観賞した。肩に降りかかる桜の花の香りは、鼻孔に沁み込み、私たちに、この日の喜びを深く記憶させようと懸命だった。1時間以上、その場で過ごしてから、私たちは日本庭園近くの『台湾閣』を眺めたりした。その後、『楽羽亭』の脇を通つて、新宿門から外に出て帰ることにした。新宿門から新宿駅までの歩道は、花見帰りの人たちの行列で混雑し、ゾロゾロ歩きとなった。私の両親は、何故、日本人が桜の花を愛でるのか、何となく理解したみたいだった。また芳美姉が経営するマッサージ店『快風』の謝月亮ママや桃園、梨里、香薇などと一緒に、中国語で喋り合い、外から見る共産主義国、中国と民主主義国、日本の相違点を直接、実感し、日本で生活することに対し、抵抗を感じる様子が、全く無かった。両親にとって、初めての異国での生活は、快適そのものみたいだった。スクスク成長する春麗姉の娘、麗琴のことも気になっているようだが、日本での私の就職支援に加担することの方を優先すべきだと、日本にやって来た2人は、私にとっては、嬉しいような、嬉しく無いような複雑な存在だった。2人は就職で悩む私を和ませてくれたが、反面、今まで自由に暮らして来た私にとって、自由が奪われ、ちょっと重荷でもあった。大学3年生最後の春休みは、こうして、慌ただしく過ぎて行った。


     ( 夢幻の月日⑦に続く )

 

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