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ミアとその周りの人々

青い目の天使

作者: 佐月依子

 朝日が昇って数時間。街が、慌ただしくその日を営み始める。郵便配達員であるロイ・コルトナー――僕の仕事が始まる時間だ。


 十六の頃から働きだして、あっという間に五年が過ぎた。最初はミスばかりで、朝の配達を終えるのに昼までかかっていたような有様だった。けれど、今ではもう慣れたもので、行く先々で顔なじみと世間話をするくらいの余裕がある。

 そして、この秋から、僕はこの「余裕」を作るために全力をあげるようになった。

 なぜか。理由は単純だ。この街一番のドレス工房であるキールソンの店に、天使が舞い降りたからである。金髪碧眼色白の、それはそれは可愛らしい天使だ。

 正気を疑うのはやめてほしい。僕も、言い回しが気障ったらしかったと思う。まあ要するに、秋からお針子見習いとして住み込みはじめたミア・クレマンに、一目惚れしてしまったというだけの話だ。

 同僚、と言っても先輩ばかりだが、彼・彼女らには散々笑われ、呆れられ、しまいには憐みの目を向けられた。  

 高嶺の花だ、お前じゃ無理だ。あきらめた方が身のためだ、などなど、ありがたいお言葉もたくさん頂戴した。

 確かに、彼女は美人で、僕の容姿は平凡だ。だけど、彼女だけはやめておけと言われる理由は、実はそれだけではない。

 ミアは、少し前まで隣街にある商家のお屋敷に住んでいた。母親がそこの使用人だったからだ。

 そして、そのお屋敷には、ミアと同い年の跡取り息子が住んでいる。

 ここまで言えば、大体察してもらえただろうか。

 おまけに、これは郵便局員しか知らないことだが、ミアとその跡取り息子――名をエリオットという――は、手紙のやり取りをしているのである。

 きっと二人はただならぬ仲なのだろう、お前の入る隙はない、というのが、同僚たちの言い分である。

 でも僕は、当人たちの口からきいたわけでもないし、何よりミアの様子から、そんな艶めいた関係ではないのではないかと考えている。

 ……希望的観測とも言うかもしれないが。


 キールソンの店では、見習いを含め十人近いお針子が住み込みで働いている。そして、朝の忙しい時間、郵便を受け取るのは、一番下っ端の仕事であるらしい。


「おはよう、ミア」


「ロイさん! おはようございます」


 店の前の花に水をやっていたミアに、声をかける。笑顔が眩しい。

 キールソンの店を回るのは、一番最後にしている。時間には余裕があるので、水やりが終わるのを待ちながら、いくつか会話を交わす。これが毎日のことになって久しい。ほら、状況はそれほど悪くない。


「ミア、調子はどう?」


 この一言だけでも、ただ会話のきっかけを作る一言ではなく、よく話に上る彼女の仕事についての問いかけであることが通じる。毎日コツコツと、涙ぐましい努力を重ねた結果だ。


「それが、今回は苦戦していて。納期までもう一週間ないんですよ! 寝る暇がありません」


「刺繍の量がすごいんだって?」


「そうなんです。ここ数日かかりっきりですけど、終わる気配が見えなくて……」


「お疲れ様」


 話しながらも、彼女はくるくるとよく動く。水やりを終えて、エプロンで手を拭うのを待ってから、郵便物を手渡した。


「はい、今日の分」


「ありがとうございます……あ」


 ざっと確認していた彼女の手が、見慣れた封筒で止まった。質のよさそうな紙に、イニシャルのEを模した特徴的な印の封蝋。差出人は、エリオット・ブライス。

 じゃあ、僕はこれで。そう、いつもの一言でその場を離れようとした僕を、ミアが呼び止めた。


「あの、……この封蝋、何色に見えます?」


「え、色?」


 思いがけない質問に、素っ頓狂な声が出てしまった。

 しかし目の前のミアは、真剣な表情をしている。

 ごまかすように咳ばらいをして、封蝋をじっと見つめる。


「黒、だと思うけど……?」


 どこからどう見ても黒だ。

 そこで、はたと気がついた。


「いつもは、赤だったような……?」


 ミアがこくこくと何度もうなずく。少しばかり泣きそうな表情で、訴えるように言った。


「黒い封蝋は、緊急のときに使う取り決めなんです。ペーパーナイフ、持ってませんか?」


 部屋に戻る時間も惜しいのだろう。僕はカバンの中からペーパーナイフを取り出して、ミアに渡した。

 焦っていたためいびつになった切り口から無理やり中身を取り出して、ミアの目が慌ただしく紙の上を動く。

 震えた手から、ペーパーナイフが滑り落ちた。


「あ、ごめんなさい、ナイフ……」


「いいよ、それより、なんだって?」


 ミアの尋常でない様子から、心配が口をついて出た。


「母が、倒れたそうです」


「大変じゃないか!」


 驚いて、一瞬僕も慌てかけたけれど、すっかり落ち着きを失っているミアを前に、なんとか冷静さを取り戻した。


「ミア、まずはキールソンさんに話して、休みをもらうんだ。隣街まで、一人で行ったことは?」


「ない、です」


「僕は何度か行ったことがあるから、一緒に行こう」


 僕の提案に、彼女は目を丸くした。


「え、でも、お仕事は?」


「今日の配達は朝だけなんだ。それももう終わった」


「いいんですか?」


「もちろん。支度ができたら、ここで待ってて」


 そう言いおいて、僕は郵便局に戻るべく、踵を返した。

 余計なお世話かとも思ったけれど、放っておけなかったのだ。

 以前、彼女は片親だと聞いたことがあった。その母親に、万が一のことがあったとしたら。

 そう思ったら、いてもたってもいられなかったのだ。




 いつもの元気な様子はなりをひそめて、ミアは終始不安そうな顔をしていた。

 そんなミアを励ましながら、乗合馬車に乗って隣街へ向かう。昼下がりの街道はそれなりに人出があって、進みは速いとは言えなかった。

 仕事を始めたばかりの頃、僕にも似たようなことがあった。

 僕は祖父に育てられた。彼はもう、この世にいない。彼が急な発作で倒れたとき、たまたま行き会った近所の人が、郵便局まで僕を呼びに来てくれた。けれど、局長に連れられて家に帰った時には、もう遅かったのだ。

 職場の人々や、近所の人々、みんなが助けてくれたから、僕はこうして元気に今を生きている。

 ブライス家の邸宅は、乗合馬車の停留所からほど近い場所にあった。

 正面ではなく、裏手にまわる。ミアが急くようにノッカーを鳴らした。






「え、食あたり?」


 僕とミア、二人の声が重なった。


「そうなのよ、ごめんねミア、驚いたでしょう」


 ミアの母、アンナが休んでいる部屋に通される前に、応対してくれた料理長がすまなそうに告げた。その内容に、僕ら二人は呆然としてしまった。


「昨晩、急に倒れたものだから、坊ちゃんが慌ててね。昨日のうちに手紙を出したのよ。それが今朝お医者様に見てもらったら、ただの食あたりだって。慌ててもう一通出したんだけど、入れ違いになっちゃったのね」


「なんだ、よかった……」


 安心したのか、ミアは大きく息をついた。強張っていた肩から、力が抜けていく。

 僕は拍子抜けしていて、母に会ってくるというミアをぼんやり見送った。料理長が、そんな僕を使用人の居間に通し、お茶を出してくれる。


「あんたもわざわざ悪かったね。……ところで、あんたはミアとどういう関係なんだい?」


「え、あ、いや、僕はただ、彼女が手紙を読んだところに居合わせただけですよ」


「おや、そうなの」


 料理長はつまらなそうに眉を下げた。

 しかし、なおも何か言おうとした彼女が口を開いたとき、ミアが戻ってくる。


「母さん、少し起きてたんですけど、また寝ちゃいました」


 慣れた様子で椅子に腰かけたミアに、料理長がお茶のカップを渡す。


「ごめんなさい、せっかく心配して一緒に来てくれたのに」


「いや、むしろ良かったよ、何事もなく……はなかったか」


「全然、たいしたことないですよ」


 朝から張りつめていたのが、やっと一息つけたという心地だった。お茶を飲み終えると、同時に席を立つ。


「それじゃあ、もうお暇します」


「あら、泊っていかないの?」


「母さんも大丈夫そうだし、今日だってお休みもらってきたんですよ。その分、明日からまた頑張らないと」


「そうねえ……じゃあ」


 残念そうにしていた料理長だったが、戸棚から焼き菓子を取り出すと、油紙で手早く包んだ。


「これでも持っていきなさい。気をつけて帰るのよ」





 僕らは、再び乗合馬車に乗り込んだ。

 行きとは違い、景色を楽しむ余裕もある。


「本当に、今日はありがとうございました。私、すっかり取り乱しちゃって」


「気にすることないよ」


「……それにしても、なんだかだんだん腹が立ってきました。人騒がせな! あんなに心配させといて、ただの食あたりだなんて!」


 言葉通り、ミアは憤慨した様子で、膝の上に置かれた両手は拳を作っている。


「大体、エリー……あ、エリオット様のことです。そそっかしいですよね! 今度会ったら文句言ってやるんだから」


 その様子をみていたら込み上げてきた笑いを、僕はためらわずに表に出した。


「なんですか?」


「いや、……そうやって怒っている方が、なんだか君らしいよ」


 その言葉に、ミアは青い大きな目をすがめて、じっとりとこちらを睨んできた。

 ごほん、と咳ばらいをして、話題をそらす。


「そういえば、エリオット様には会ってこなくてよかったの?」


 それを聞くと、ミアはきょとんと首を傾げる。


「いえ、別に……。元気でやっていることは知っていますし」


 そこで言葉が途切れたので、続きを待ってじっと見ていると、ミアは少し眉根を寄せてこちらを見返してきた。


「もしかしてロイさん、私とエリーが恋仲だと思ってます? 確かに手紙のやり取りはしてますけど、本当にそんなんじゃないですからね」


「え、ああ、うん。そんな感じではないなと僕は思ってたけどさ、けっこうそう思ってる人がいるんだよね」


 勘ぐっていると思われてしまったらしい。言い訳のようになってしまったが、彼女は気に留めなかったようだった。


「どうして、違うとわかったんですか?」


「うーん、手紙の受け取り方かな。恋人と文通している人って、渡そうと思ったら奪うように取っていく、って感じだから……。ミアはそうじゃないよね」


「はあ、配達員ならではですね」


「そうだね」


 彼女が微笑んだので、僕も苦笑を返す。配達の仕事は、結構人間観察になるのだ。


「エリーとは乳兄弟なので、昔からライバルなんですよ」


「ライバル?」


「はい。母さんをめぐって、顔を合わせばケンカばかり、なんて時期もありました。今、手紙を送りあってるのは、母さんと離れ離れになった私に、エリーが気を遣った結果、というか」


 話しているミアの横顔は、優しく微笑んでいた。



 

 僕たちの街に帰ってきたときには、すっかり日が落ちていた。

 キールソンの店まで、ミアを送っていく。


「そうだ、今度、一緒にお食事でもどうですか?」


 別れ際にミアから発せられた一言に、僕の思考は一瞬停止した。

 これは、もしかして、デートのお誘いだったりするんだろうか。いやそんなまさか。さすがに都合がよすぎる。


「え、うん、もちろん、き、君さえよければ僕は全然」


 動揺が言葉に出すぎだ。かっこ悪い。


「よかった! 今日のお礼に、奢りますよ!」


「あ、お礼ね、うん……」


 うん、まあそうだよね。

 期待をするからこういうことになるんだ。がっかりしたのが顔に出てないといいんだけど。

 願いもむなしく、ミアは僕の顔をじっと見つめて、それからふう、とため息をついた。


「お礼っていうのは、半分はほんとですけど、もう半分は口実ですからね!」




 あのあと、どうやって自分の家に帰ったのか、あまり覚えていない。

 目が冴えて全然眠りにつけなかった僕は、翌朝盛大に寝坊をした。

 数年ぶりに局長に怒鳴られたことは、彼女には秘密だ。


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