新婚四日目
はい、新婚四日目です。私は現在ラングハイム家で暮らしています。生活は驚くほど平和で退屈です。
結婚式は滞りなく終わった。特筆すべきことがないくらい、驚くほどスムーズだった。しいて言えば、ウェディングドレスが重かったぐらい。
一応貴族に必要な作法や知識は簡単に学んだが、しょせん付け焼刃。突けばいくらでもボロが出てしまう。しかし、いくら私が挙動不審になろうと、棒読みでつっかえたりしても、誰も不審に思わない。むしろいつものことと受け流している。
なんで?
いくらなんでもおかしくない?
まさか私の演技が上手いと錯覚するように洗脳でもされているのか、とありえない妄想までしてしまった。
けれど、皆が不審に思わないわけは、すぐにわかった。答えをくれたのは、このたびエミリアの夫となったヨハン・ラングハイムだ。
ドレスに身を包んだ私を見に来たヨハンは、下手くそな演技をする私に向かって、また緊張しているのか、と言ったのだ。たしかに、初めての、厳密には私のじゃない結婚式に緊張していた。失敗すれば人生の終わり。ガチガチに緊張して、いつもより演技力が低下しているのが自分でもわかった。
そんな私を見てヨハンは、さも当たり前のように言ったのだ。
「まあ、君の緊張症は今に始まったことじゃない。式では誓いの言葉以外、口を開かないようにしていろ。あとは俺の方で上手くやっておく」
その言葉通り式では、誓います、の言葉以外しゃべらなかった。ほかのことは全てヨハンがフォローしてくれた。王子様かと思った。いや、見た目が金髪碧眼で、見るからに白馬に乗った王子様なのだけど。彼の本性を知らなければ、私は確実に彼に惚れていた。
話が逸れてしまった。
結論からいくと、私の演技は対人緊張症のエミリアのデフォルトだったのだ。それは夫のヨハン相手でも変わらない。さすがに、ある程度慣れてくると素で話せるようになってくるらしいが。
それを知って、私はなるほどと納得してしまった。
そりゃあ、あれだけ感動されるわけだ。まさか、娘そっくりな人が娘そっくりな演技を一発で出来るなんて思わないだろう。それもこれも、私の演技が下手だから。
悲しいかな、素直に喜べない。
と、自分の部屋でツラツラと回想に耽っていた私の元に、メイドのライラがやってきた。
「お嬢様、旦那様がお帰りになられました」
「今、行きます」
やれやれ、やっと旦那のご帰宅だ。今日はどんな子と遊んできたのか。こんな夜更けまで起きて待ってやっているのだから、もう少し控えてほしいものだ。
ライラと共に玄関に向かうと、執事にコートを預けたヨハンが立っていた。
「おか、えりなさいませ」
「ああ、変わりないか」
「はい」
「そうか、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
事務的な会話を終え、ヨハンが私の横を通る。その時に、見知らぬ香水の匂いがした。臭い。
これは最近人気だという香水の匂いだ。なんでも男を誘う匂いなんだとか。先日お茶会とかいうので嗅がせてもらったが、どこが良い匂いなのかさっぱり分からなかった。
(ずいぶんお楽しみだったご様子で)
元気なことだ。
これがエミリアだったら、怒り狂うのだろうか。それとも悲しみに暮れるのだろうか。だが生憎ここにいるのは、身代わりとなった私だ。彼がいくら女の匂いを漂わせようと、何の感慨も浮かばない。
これで今日の仕事は終わり。私はライラに告げる。
「私も寝ます。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
一体私の生活費何か月分かもわからないドレスを踏まないよう、慎重に歩く。ライラは斜め四十五度の綺麗なお辞儀をして私を見送った。
その手が震えていたことは、見ない振りをする。
彼女は、クルーニー家から来たメイドだ。だから、ヨハンの私への扱いが許せないのだ。今、この場にいるのがエミリアだったら、我慢できずに殴っていただろう。
さて、突然だが、この世界は前世の私が所属していた劇団が上演した『私達が見つけた真実の愛』という作品の世界だ。ようするに私は、作品の世界に生まれ変わってしまったのだ。
ヨハンは、この世界に出てくる主人公・セリーヌの恋人役である。
劇の内容を簡単に説明すると、妾の子として家族と上手くいっていなかったセリーヌが、城の侍女として召し抱えられ、そこで出会ったヨハンという男と恋に落ちるというなんとも陳腐なものだ。
物語の中のヨハンは、今と同じく女にだらしがなく、最初はお互い良い印象は抱かなかった。しかし、次第に惹かれていき、最後は国中に祝福される。
よくあるハッピーエンドだ。
けれど、この話には最後まで可哀想なキャラクターがいる。
それがエミリアだ。
物語の彼女は、お淑やかで、一歩引いたところから男の人を立てるのが上手い人だった。彼女は、最初から最後までヨハンに愛されず、夫に離婚を突き付けられるだけの存在だ。
「すまないエミリア、俺はセリーヌを愛している。俺と別れてくれ」
「それで、ヨハン様が幸せになるなら」
美佳の世界では、悪役令嬢というのが流行っていたが、この作品の悪役令嬢は別にいる。エミリアは、ただただ愛していた夫の不倫を我慢し、好きな女が出来たから別れてくれと言われるだけの女なのだ。しかも、出番もちょっとしかなく、悪役令嬢の方が存在が際立っている。
台本を読んだ時、私はヨハンに強い怒りを覚えた。
愛を貫くのは良いが、妻に今までのことへの謝罪もなしか。
貴族の義務みたいなのはどうした。
愛に生きすぎじゃないか。
というか、既婚者の要素自体いらないだろ。
タイトルにある“真実の愛”という文言が、嫌に目についてしまう。どこが真実の愛か。ハッピーエンドにするなら、全員をハッピーにしろ。
とにかく私は、この『私達が見つけた真実の愛』に嫌悪を抱いていた。にも関わらず、皮肉にもその世界に生まれ落ち、かつエミリアの身代わりとなってしまった。
自分の部屋に戻った私は、ふわふわし過ぎて落ちつかないベッドに寝転ぶ。あの作品の流れ通りなら、エミリアはたった半年で離婚を告げられることになる。スピード離婚まっしぐらだ。
あと半年、今のところ会話は必要最低限。日中はでかけているので、朝と夜にしか顔を合わせることもない。このままこの関係を続けていけば、バレることもないだろう。
彼がセリーヌとの真実の愛とやらを見つけるまで、それまでは、この贅沢な暮らしを楽しむとしよう。
そう結論付けて、私は睡魔に誘われるまま瞼を閉じた。
ここで説明回は終わりです。次から二人の関係に変化が訪れていきます。