だから僕らは途方に暮れる。
人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の、如くなり。
(人間の世界の五十年など下天の一日に過ぎない。比べてしまえば夢や幻みたいなものだ)
しかしこれは間違っている。
そりゃ、下天の住人に取っちゃ夢幻なんだろうが、人間に取っちゃこの世界の五十年は正しく五十年であって現実だ。
コロンブスの卵みたいな、そんな発想の転換をされても困るわけで。
滅せぬもののあるべきか、なんて、そんな事困る。
祇園精舎の鐘の声なんて言ったりして、諸行は無情で。何かって言うとすぐに悟ったようなことを言う。
トカトントン、トカトントン。
何処かから釘を打つ声まで聞こえてくる。
確かに滅さないものは無いし、諸行は尽く無情だし、溢れたミルクはコップには帰らない。
それは正しいように思う。
だからみんなメメント・モリなんて言うわけ。
ゆっくりゆっくり僕たちは壊れて行ってる。
ゆっくり腐って行く。ゆっくり死んで行く。
世界はゆっくりと、驚くような速度で冷えて死んで行く。
みんな狂って行く。正気の沙汰なんて無い。百人百色の狂気がある。
逆に言えばみんな正気だ。誰も狂ってなんかいない。何処かの国の爆弾巻いた聖なる戦士も、何処かの国の独り善がりの王様も、何処かの国の通勤電車に飛び込む人達も、それで正常。
狂気と正気は同じもの。汚いは綺麗、綺麗は汚い。
だから僕らは途方に暮れる。