045 秘伝(?)のソース
前回のあらすじ ------------------------------------------------------
ナツキが客が入っても現状の値段では利益率が低くて上手く行かないと指摘。
少し高級路線でゆったりできる喫茶店を目指す。
また、宣伝も兼ねて早朝に店の前で持ち帰れる物を売ることに。
お皿の中には、少しとろりとした液体。
色はかなり黒に近いが、とろみは俺の好きなお好みソースと似ている。
それを指にちょっと付けて、全員で舐める。
「……美味い」
「えぇ、凄く深みがあって、濃厚な……」
「いやいや、これ滅茶苦茶美味しいよ?」
「そうですか? 私としては少し不満なんですけど。手に入らない物も多いので、実家の方が美味しいですし。尤も、それでもうちの母には敵わないと思いますが」
ちょっと首をかしげてそんなことを言うアエラさんだが、正直このソース、日本企業が研究の末に作ったソースよりも完成度が高い気がする。
万人受けするかどうかは別問題なので、日本で爆発的に売れるとは思わないが、好きな人は凄く好き、そんな味だ。
やや甘みが強く、それでいてまろやかな酸味があり、フルーツの良い香りが鼻に抜ける。いろんな種類の香辛料が味に深みを持たせているが、それが少しクセにもなっているので、このあたりが好みが分かれる要因だろうか。
それでも、この世界に来てこれまで食べてきた調味料の中では、ダントツに美味い。
「これ、たくさんあるんですか?」
「いいえ、自分用の物なので、そんなには。たくさん作っても使い切れないですし」
店で出す料理に使えば良さそうな物だが、エルフ特有の調味料だし、一種の自家製漬物みたいな物なので、売るような物じゃないと思っていたようだ。
「これは十分売れると思うよ?」
「ユキさんとナツキさんにも受け入れられるなら、そうでしょうか?」
「これの作り方、教えてもらえませんか? 正直、私自身がこれ、欲しいです。秘伝とかなら無理は言いませんが」
「いえいえ、そんな大層な物じゃないですよ。エルフの家ならどこでも――多くの家庭で作られている物ですから」
あぁ、うん。俺が知らなかったから気を使ってくれたのね。
でも俺、似非エルフだから気にすることないんだよ?
「まずは、インスピール・ソースを用意します」
「……いきなり頓挫したね」
絶望した!
『卵が先か、鶏が先か』と言われたような気分である。
「あ、いえ、もちろん皆さんには私のをお分けしますから」
「ありがと~~~! これだけでも、今日ここに来た意味があったよ!」
「いえいえ! 私の方こそ、皆さんのお時間を頂いているわけですから、このくらい。それに、私のインスピール・ソースを気に入って頂けるのは嬉しいですし」
嬉しそうに微笑むアエラさん。一種の自家製味噌みたいな感じなんだろうか。
ウチでは作っていないが、祖母が造った自家製味噌は親戚にはかなり評判で、毎年大量に仕込んでは配っていたことを思い出す。
「で、用意したインスピール・ソースの中に、お好みの果物やお野菜を漬け込みます。そのままでも構いませんが、小さく刻んだ方が早くできるので、急ぐときはそうした方が良いですね」
「適当、で良いんですか?」
「はい。植物性の食べ物なら。多少、各家庭で傾向はありますけど、ウチだと野菜の切れ端とかが余るとそれも放り込むので、かなり適当です。中には木の実を入れる家庭もありますが、これはあまりお勧めできません。成功すれば美味しいんですが、かなり難しいみたいなので」
う~む、思った以上にアバウトなソースだった。
それでこの味が出るのか?
「お勧めは果物の皮ですね。通常は捨てる部分ですし、入れると香りが良くなりますから。後はお好みの香辛料を追加します」
「えっと……この甘みは果物の甘み?」
「いえ、甘さはイモを入れると強くなります。ウチのソースは甘さ多めですね。甘さが殆ど無いソースを作る家もありますから、インスピール・ソースでも食べた印象はかなり違うでしょうね」
「イモで……デンプンを糖化させるのでしょうか?」
ナツキが驚いたように、呟く。
俺の知る甘めのソースはナツメヤシを入れて甘くしていたが、このソースはイモらしい。
昔、酵素のアミラーゼがデンプンを糖に変えるということを習った覚えがあるが、それと似たような物だろうか?
「もし簡単に増やせるようなら、先ほどナオくんが言った『カツサンド』を売ったら、と思いますがどうですか?」
「1週間ほどかかりますけど、増やすことは簡単です。ただ、お店で出すとなると、このソース、味が安定しないという問題があるんです」
基本的にその時手に入る果物や野菜を放り込んでいくスタイルなので、結構味のバラツキが生じるらしい。
更に、果物を入れなくなると香りが少なくなるので、秋頃にはやや多めに増やしておいて、冬の消費に備える。
つまり、店で出すことを考えるなら、今の時期にかなり大量に仕込んでおかないとマズいことになる。
「多く仕込むとなると、果物を買い込むために、かなりお金がかかりますし、売れなかったときのことを考えると……。地元なら森で採って来られたんですけど」
「果物かぁ、高いよね、果物。市場で買うと」
一般的にこの世界の果物の価格は、世界的に見ても高い日本と比較してもなお高いので、果物を使って仕込むとなると結構金がかかる。
自分用なら皮や切れ端で済むのだろうが、店で出すほどの量となると、それ用に買ってくる必要があるのだから。
「ナオくん、ディンドルはどうですか? 季節的にもう終わりと言っていましたが」
「いや、多分まだ採れないことは無いと思うが……アエラさん、どうですか?」
「ディンドルですか~~、地元にいるときは時々採りに行っていました。美味しいんですよねぇ」
以前食べた味を思い出しているのか、ちょっとうっとりという表情を浮かべるアエラさん。
でも、俺が言いたいのはそうじゃ無い。
「いや、インスピール・ソースに入れるとしたら」
「あ、そうですよね。はい、美味しくなりますよ、とても。でも、この街で売っているディンドルは凄く高いですよね?」
えぇ、高いですね。
おかげでガッポリ儲けさせて頂きました。
「採りに行くか? 実は数日前まで採りに行っていたから、まだ多少は取れると思うが」
「えっと、大丈夫ですか? 私はあまり戦力にならないと思いますが……」
若干不安そうなアエラさんに、ユキも首を捻って言う。
「ナオ、それって行くなら、あたしとナツキを入れた4人だよね? トーヤとハルカがいないのに本当に大丈夫なの?」
精々出てきてもゴブリンまでだろうし、ナツキの槍の腕があれば危険は無いだろう。
ヴァイプ・ベアーに遭遇すると、トーヤ無しでは厳しい気もするが、出会わない……よな?
フラグになったりしないよな?
「多分大丈夫、なはず」
「私はハルカに確認した方が良いと思いますが……」
ナツキにも言われてしまった。
あれ? 実は俺、そんなに信用無い?
ちょっぴりヘコむ。
「そうか……なら、ハルカに確認して問題なければ、明日は店を休みにして採りに行く、と言うことでどうだ?」
「私は構いませんが……お客さん、来ませんし。でも、ナオさんたちは良いんですか?」
「私たちは大丈夫ですよ。あと1日、2日は半ば休養期間みたいな物ですから」
ひとまずそんな感じで相談はまとまった。
その後は少しの間、アエラさんが出してくれたお菓子など食べつつ雑談をし、昼になる前に解散。
俺とナツキはそのまま宿へ帰り、ユキはアエラさんに同行して大工のところへと向かった。
看板の詳しい説明を直接するためと、もう1つ、大工と顔つなぎをしておいて、俺たちが家を借りた際に補修などを頼みやすくするためらしい。
ユキ曰く、「大金を払ったアエラさんの知り合いとして認識されれば、融通が利きやすいよね」とのこと。なんとも強かである。
◇ ◇ ◇
「インスピール・ソース、ね。美味しいの?」
「ああ。エルフの家庭の味らしい。アエラさんのソースは、俺が知っている物で近い味は、オ○フクお好みソースだな。もうちょっと甘みと香辛料の香りが強いが」
「それは凄いな!? トンカツが近づいてきたな! さすがに塩味のトンカツとかは味気ないからなぁ」
その日の夕方、昨日と同じようなそれぞれの報告会、もどき。
インスピール・ソースの存在に一番喜んだのはトーヤであった。
トンカツ、作りたいって言ってたもんなぁ。
「でも、入れる物によってかなり味が変化するなら、食事のバリエーションも広がるわね。イモで甘みが増すのは少し不思議だけど」
ここで言うイモはサツマイモのような甘いイモではなく、ジャガイモのような甘みのないイモである。
イモ類は何種類か売っているが、入れるのはどれでも問題ないらしい。
「デンプンの糖化なんでしょうが、常温でとなると酵素ではないですよね? 酵母菌の働きでしょうか」
「でも、適当に香辛料を放り込んでいても活動して、野菜や果物を1週間ほどで分解してしまうんでしょ? 複数の菌が共生しているのかしら?」
「香辛料……そうか、普通香辛料を入れたら、菌の活動が抑えられるか」
長期保存できるのはその御蔭だよな。
「もちろん、そんな環境でも活動する菌はあるけどね。ただ、そのソースの菌がかなり強力なのは間違いないと思うけど」
「そうですね……麹菌の場合、蒸した米を米麹にするまでに2、3日。それに水を加えて温度を調節、糖に変えるのに半日程度。環境を整えてこれですから、1週間放置するだけで大半の植物を分解してしまうのは凄いですよね」
「常温環境が好適環境という可能性もあるけど、そんな菌が自然界にいたら、農作物とか凄い被害を受けそうな気もするわよねぇ」
「多分、何らかの活動条件があるんでしょ。例えば嫌気性とか、一定以上集まらないと活動しないとか」
「漉す必要が無いほど滑らかなソースになるなら、セルロース分解菌がいる可能性もあるわね。普通なら野菜の筋とかが残ると思うし」
「やはり、何種類もの菌がバランス良く含まれているんでしょうね」
「これは確かに、作り方が『まずインスピール・ソースを用意する』になるのは当然かも」
インテリ3人が難しいことを言い出した。
俺の場合、『アミラーゼでデンプンが糖になる』ぐらいしか知らないぞ?
「いいじゃん、『The ファンタジー』で。美味いソースが簡単にできるんだから」
「コイツ! ぶった切りやがった!」
さすがトーヤ。
議論、台無しである。
3人も微妙に呆れた視線を向ける。
「トーヤ……原理を考えるのは結構重要よ? 魔法とかでも」
「オレ、魔法使えないし。脳筋キャラで行くことにしたから」
「トーヤが思ったより残念な子になってる!?」
すっごい割り切りである。
ユキも驚いているが、ある意味、ありと言えばありである。
変に頭を使うよりも、身体を鍛えて盾になってもらう方が、パーティー的にはバランスが良いのだから。
「まあ良いわ。それで、ディンドルを採りに行きたいと。私は明日は無理だし……トーヤは?」
「オレも、もうちょっとだなぁ。明日中には目処が付きそうだが……」
ハルカに視線を向けられたトーヤも、う~ん、と唸りながら首を振る。
「ナオはともかく、2人とアエラさん? その人があの辺りか……これならこの街に着いたときに、2人の鎖帷子、注文しておくべきだったわね」
しばらく休養みたいな物だからと、2人の装備の更新は後回しになっていたので、今も普通の服と安物の槍が1本、それだけである。
「私のをユキに貸すとして、トーヤのをナツキが着るのは少し難しいかしら?」
俺たちの身長は、俺とトーヤが180センチ前後、ナツキが160台の後半で、ハルカがそれよりも少し低い。一番小柄なのはユキで多分、155ぐらいじゃないだろうか。
ただ、身体の厚み的には俺とトーヤにはかなり差があり、女性陣もまた同様。
そのため、単純に身長だけで装備を共有するのは難しい。
特に鎖帷子はかなり身体に合わせて調整しているので、入らないのだ。具体的には、胸部装甲のあたりが。
「俺のをナツキに渡して、俺がトーヤのを借りるか? それなら何とか着られると思うが」
「う~ん、全員装備が合ってない状態はどうかとも思うけど……取りあえず着てみましょうか」
着てみました。
何というか、肩幅とか、胸板とか、結構トーヤと差が大きかったことを再認識。
ずり落ちるまでは行かないが、ぶかぶかで激しく動くとちょっと厳しいか?
ヒモか何かで縛った方が良いかもしれない。
「私は案外、ピッタリですね」
そう言ったのは、俺の鎖帷子を着たナツキ。
身長は俺の方が高いのだが、エルフ故の身体の細さとナツキの胸の分が良い感じにマッチしたという所だろうか。
「私はちょっとキツいかも、胸が」
「我慢できないぐらい?」
「そこまでじゃないかな? 1日ぐらいなら」
ハルカのを着たユキは、ハルカがスレンダーな分、少し合わないようだ。
見た感じは……少し胸が押さえつけられてる?
口に出すとやぶ蛇になりそうなので、あそこはハルカに任せておこう。うん。
「武器は……ユキは【棒術】取れたのよね?」
「うん。今朝の訓練で」
「トーヤの剣の方が高品質だけど、さすがに無理かしら」
「スキルだけは取れても、さすがにオレの剣を振り回すのは無理だろ。身長的にも」
「無理無理! 重すぎるよ!」
トーヤとユキの身長差が25センチ。
使っている剣も獣人の筋力を前提とした様な、かなり重い剣である。
振り回せれば、ファンタジー的絵面として面白いんだが。
「なら、棒で頑張ってもらうしかないか。十分気をつけてね? ナツキ、よろしくね」
「おう……って、あれ? 俺じゃないの?」
経験的には。
ナツキ、スペックは高いけど、まだ戦闘回数1回だよな?
「冷静さ担当よ。あと、どうせタスク・ボアーも狩るんでしょ? 無理はしないように」
「……了解。十分気をつけます。アエラさんもいるわけだしな」
ハルカに「命大事に、よ」と強く念を押され、俺は神妙に頷いた。









