444 奥伝 (3)
「……良くやった。おめでとう」
「と言うことは……?」
「サルスハート流、免許皆伝だ。何年も成果が出ない中、腐らずによく頑張ったな!」
師範は満面の笑みを浮かべると、アルトリアに近づき、その頭にポンと手を置いた。
それにより、少し不安げだったアルトリアの顔が一気に綻び、両手をギュッと握って喜びを爆発させるように声を上げた。
「ありがとうございます!」
「だが、今日は始まりでもある。これからは教える者はいない。自ら研鑽を積み、技を洗練させていく必要がある。リア、できるか?」
「はい! 精進します! それに……私は一人ではありませんから」
「おう、一緒に頑張ろうな!」
アルトリアから向けられた輝くような笑顔を受け止めて、トーヤも嬉しそうに深く頷いたが、すぐに少し眉尻を下げて、師範に顔を向けた。
「――って、言いたいところだが、師範、まずはオレの試験をしてもらっても良いか? リアが合格したのは嬉しいが、自分がまだだと素直に喜べねぇし」
「リアがこれなら、お前も合格だろうが……実力は見ておかねぇとダメだな」
師範はニヤリと笑って頷くと、自分とリアが砕いたブロックを取り除けて、そこに新しいブロックを設置。その位置から一〇歩ほど離れた所に一本の線を引いた。
「よし、トーヤはあそこに立て。瞬動で移動して、コイツを砕いてみろ」
「オレは硬いのかよ。――まぁ、良いけど」
トーヤが言うとおり、師範が置いたのは三つのブロックのうちで一番硬い物。
そのことに微妙に釈然としないものを感じたトーヤだったが、特に不満は口にせず、指定された位置まで移動して木剣を構えた。
そして、何度か深呼吸。離れたところに置かれたブロックを強く睨んだ。
「――っ!!」
トーヤが飛び出す。
その移動はほぼ一瞬。師範にこそ及ばないものの、アルトリアよりは明らかに速く、瞬きする間もなくブロックの前まで到達、木剣を振り下ろした。
カーンッ!!
トーヤの木剣がブロックにぶつかり、硬質な音が響く。
普通であれば確実に折れるような勢いで叩き込まれた木剣であるが、トーヤの持つ木剣は……無事。
対してブロックの方は真っ二つに罅が入り、確かに割れていた。
それらを確認して、トーヤがホッと息を吐いた次の瞬間――。
「『火矢』、『火矢』!」
師範からトーヤに向かって、『火矢』が放たれた。
先ほどよりも気合いの入った声で、しかも二発。
そのことに一瞬目を見開いたトーヤであったが、しかし彼は慌てなかった。
普段の戦闘に於いて、『火矢』が飛んでくることなど日常茶飯事。
もちろんナオたちは、トーヤに当たらないように注意しているが、自ら射線に入ればそれも無意味。常に周囲を警戒しながら戦う必要がある。
そんなトーヤからすれば、ナオたちの使うものよりも圧倒的に低速で、しかも同じ場所から放たれた『火矢』に対処することなど容易い。
「ふっ! はっ!」
トーヤは二度、素早く木剣を振って、『火矢』を斬り払い、炎を両断。
そのことに笑みを浮かべたトーヤだったが、その次に来たものは、彼をしてもちょっと予想外だった。
「よし、これを耐えられれば、合格だ! トーヤッ!!」
それは、木剣を振りかぶって突っ込んでくる師範。
トーヤは咄嗟に木剣を構えるが、これが試験と思い出し、慌てて木剣を引いて全身に力を入れる。
「オラッ!」
「――ッッッッ!」
師範の木剣がトーヤのお腹に叩き込まれる。
ドンッという衝撃。
トーヤはそれに耐えようと脚を踏ん張るが、元々お腹で攻撃を受け止めることなど想定していないのだから、体勢が良くない。
すぐにバランスを崩し、浮き上がった体は数メートルほど吹っ飛ばされて地面へと転がった。
「ト、トーヤ!? 大丈夫か!」
あまりに見事に吹っ飛んだことに、アルトリアが慌てたようにトーヤの元に駆け寄ったが、トーヤは苦笑しながらすぐに身体を起こした。
「大丈夫だ。ダメージはない」
その言葉通り、殴られたお腹に手を当ててこそいるものの、痛みに堪える様子もなく、むしろアルトリアが身体を支えてくれることに、嬉しそうな表情すら浮かべている。
「問題はねぇ――けど、師範! いきなりは酷くねぇ!?」
「そうです! ほとんど不意打ちじゃないですか!」
二人揃っての抗議に、師範は「ふっ」と笑って肩を竦めた。
「リアを見りゃ、トーヤが合格するのは判ってんだから、同じことやってもつまんねぇだろ? それに、一気に終わらせた方が手間もかからねぇし」
「確かに一瞬で終わったが……『火矢』とか、二発もあったんだが?」
「すまん。それはわざと手が滑った」
「そうか、それなら――って、わざとかよ!?」
話の流れ的に納得しかけたトーヤが目を剥く。
「だってよー、合格したらリアを取られるんだぜ? 娘を取られる父親からの餞別だ。本当なら、『儂に勝たねば、娘はやらん!』と言いたいところだが……」
「ち、父上!?」
「娘を行き遅れにするのは、儂も本意ではない。あれで許してやる」
腕を組んで睥睨する師範の姿に、トーヤは中伝試験の時のことを思い出す。
自分の今の実力と、あの時に感じた師範の実力。
正確に測ることはできなかったが、簡単に勝つことなどできないと理解でき、トーヤは「むむっ」と唸って不満を引っ込め、頭を下げる。
「……そう言われると、礼を言うしかない。ありがとう」
「おう。大事にしろよ? 粗末に扱ったら、ぶっ殺してやるからな?」
「言われるまでもない。リアはオレにとって理想の相手だからな!」
笑いながら突き出された師範の拳に、トーヤもニヤリと笑って立ち上がると、自分の拳をぶつけたが、言われたアルトリアは恥ずかしそうに頬を染める。
「ト、トーヤ、そんな風に言われると、照れるのだが……」
「本当のことだからな! こんな最高の女性と結婚できるとか、夢みたいだぜ」
実際、その言葉に嘘はない。
いくらトーヤが獣耳好きであろうとも、こちらの世界に来る前であれば実現しようもない夢。
こちらの世界に来た後であっても、トーヤの好みに合う相手に出会えるかは運次第。
それにも拘わらず、トーヤにとってアルトリアは、獣耳、尻尾、容姿は一目惚れするほど。
そして、実際に付き合ってみて知ったその性格は、さっぱりとしていてトーヤの好みにマッチし、そんな相手と結婚までこぎ着けられたことに心底喜んでいた。
そんなトーヤの気持ちが伝わったのか、アルトリアも満更でもなさそうに微笑む。
「私もトーヤは良い相手だと思っているぞ? 結婚するなら自分より強い人とは言ったものの、粗野な奴は嫌だったしな。お前は甲斐性もあるし、その……や、優しいし、カッコイイと思うぞ?」
照れたように言葉を濁し、小さく言ったアルトリアの言葉を聞き、トーヤの耳が照れくさそうにパタパタと動く。
「お、おぅ、ありがとう……。け、けど、腕っ節に自信のある奴らが道場に来ることはなかったのか? リアぐらい可愛ければ、ありそうな気がするけどなぁ」
「幸いと言うべきか、なかったな。――まぁ、強ければ結婚するとは言ってないんだが」
「そりゃそうだ」
景品ではあるまいし、勝てば貰えるようなものであるはずもないとトーヤは頷くが、実のところ、そんな勘違いをした強いだけの乱暴者は師範がこっそりと潰していたのだが、師範はそのことをおくびにも出さず「さて」と言って、トーヤの肩に手を置いた。
「これでお前も免許皆伝だ。以前言ったとおり、リアとの結婚――いや、取りあえずは婚約か? それは認めてやる」
「ありがとうございます!」
「だから、そうだな……三日後、パーティーメンバーをつれてウチに来い」
「えっと……それは?」
何故と聞き返したトーヤに、師範からの呆れたような視線が突き刺さる。
「お前、家族に挨拶もしないつもりか? 儂は許可したが、母親や兄弟もいるんだぜ?」
「――あ、あぁ!? そ、そうだよな!」
結婚とは二人だけで行うものではなく、家同士の繋がりでもある。
トーヤの方は、親族という点に於いては正真正銘の天涯孤独だが、アルトリアには師範以外にも家族がいるし、トーヤの方も共に行動することになるパーティーメンバーがいる。
互いに顔合わせをするぐらいのことは当然必要で、そのことを考えていなかったトーヤは少し焦ったように師範に尋ねた。
「……もしかして、反対されることもあったり?」
「当主の儂が許可した以上は反対しないだろうが、認められるかどうかは、お前次第だろうな」
「うっ……厳しいなぁ」
ニヤニヤと面白そうに笑う師範に対し、トーヤは渋面になってため息をつく。
トーヤを客観的に見た場合、所詮は根無し草の冒険者でしかない。
あえて言うなら、冒険者ランクが六というステータスはあるが、それが高い評価に繋がるかどうかは、相手によるだろう。
「だ、大丈夫だぞ。今この町にいる上の兄は普通だし、妹はやっと言葉を話し始めたぐらいだからな!」
そう言ったアルトリアが励ますようにトーヤの背中を叩くが、その言葉の意味することに、トーヤはたらりと汗を流す。
「……えーっと、つまり、普通じゃない兄弟もいると?」
「うっ……。下の兄と弟は……結構面倒臭いな」
「おいおい、面倒臭いとか言ってやるなよ。リアのことを大事に思ってんだから」
「それは理解していますが、些か行き過ぎていると思います。オルスク兄様は、私が少し男性と話していただけで相手に殺気を飛ばしますし、ルシアンはもう成人しようかというのに、未だに甘えてきますから……」
渋面のアルトリアを見て、師範は苦笑して肩を竦める。
「まぁ、否定はできねぇな。アルトリアが結婚するとなると……あいつらはトーヤに決闘ぐらいは申し込みそうだしなぁ。トーヤ、二人がいなくて良かったな?」
「単純にも喜べねぇけどなぁ……」
今後会うことがないのであれば、それでも良いだろうが、一応は親戚となる相手。
交通機関の発達していないこの世界では、盆と正月に帰省するような習慣はなく、トーヤが今後もラファンを拠点とするのであれば関わる機会は少ないだろうが、それでも一度も会わない、なんてことはないだろう。
アルトリアをして『面倒臭い』と言われる相手が、自分の知らないうちにアルトリアが結婚していたとなると、どのような反応をするか。
それを考えると、事前に決闘で片をつけておいた方が良いのではないか、とも思えてくる。
「……トーヤ、もしかして、嫌になったか?」
小さくため息をついたトーヤを見て、アルトリアが少し不安げに眉尻を下げる。
そんなアルトリアにトーヤは慌てて、力強く否定した。
「まさか! リアと結婚するためなら、面倒臭い兄弟の一〇人や二〇人、薙ぎ倒してやるさ!」
「いや、一応、私の兄弟だし、薙ぎ倒されても困るのだが……ありがとう」
そう言ってアルトリアは、少し苦笑交じりながらも、嬉しそうに笑った。









