閑話・その頃のネーナス子爵家
やや長めですが、説明回的な感じなので、ひとまとめに。
次回から新章。果たしてトーヤくんはどうなるのか!?
ヨヒアム・ネーナスは忙しい。
レーニアム王国の辺境という元々不利な立地に加え、先々代の不祥事の結果から、先代の父が子爵領を継いだ時には、領地がかなり酷い状態となっていた。
そこから親子二代かけて少しずつ建て直してきたものの、大きな輸出産業であったラファンの町の高級家具は、銘木が伐採できなくなったことで長期低迷。
なかなか思う様にいっていなかったところに、サトミー聖女教団の騒動が発生し、ケルグの復興にも多大な予算を割く必要が出てきた。
やるべきことは大量にあるのに予算はなく、必然的に有能な人を集めることは疎か、人手を増やすことすら儘ならない。
結果として、兵士の練度は足りず、官僚の数も少ない。
ヨヒアムはそれらの人的資源と資金を遣り繰りして、自分が頑張るしかない。
そんな中でも領民へ重い税を課したりはせず、普段の生活も節制しているヨヒアムは善良な領主と言えるだろうが、その皺寄せは彼の仕事量に反映されており、日々忙しい。
だが、そんな彼にも休みは必要である。
その日、ヨヒアムは家族と共にお茶を楽しみながら憩いの一時を過ごしていた。
彼の隣に座るのは、妻であるサフィア。
ディオラの叔母でもある彼女だが、年は十も離れておらず、更に外見的には実年齢よりも若く見えるため、苦労の多いヨヒアムと並ぶと、実際よりも大きな差があるように見える。
正面に座るのは、長女のイリアス。
まだ未成年ながら、ヨヒアムの名代として外遊を経験したことで、最近は以前よりもしっかりしてきていて、父親のヨヒアムとしては嬉しいような、少し寂しいような複雑な気分である。
そして、そんな彼女に抱かれているのが、最後の家族である長男のマーク。
そろそろ乳離れが近い頃合いであるが、今はイリアスに抱きついて幸せそうに眠っている。
そんな家族を眺めてヨヒアムが日々の疲れを癒やしていると、そこへネーナス家の執事であるビーゼルがやってきて、サフィアに一通の手紙を手渡した。
それを受け取ったサフィアは、その差出人を見て嬉しそうに少し微笑む。
「サフィア、誰からの手紙だ?」
「ディオラからですね。えっと……」
ヨヒアムの問いにそう答え、封筒を開いたサフィアは手紙を最後まで読み進めると、小さく頷いて彼に差し出した。
「これは、あなた宛の内容でもありますね。どうぞ」
「私に? また仕事か……?」
ヨヒアムは少しだけ嫌そうな表情を浮かべつつも、必要なことならばと受け取った手紙に目を通し始める。
それを見たイリアスは、マークを起こさないように抱え直すと、小さく身を乗り出した。
「お母様、ディオラお姉さまはなんと?」
「以前、あなたの護衛を頼んだ冒険者たちがいたでしょう? 彼らの近況や成果を知らせてくれたのです」
「メアリたちの! ……えっと、何か知らせて来るようなことが?」
嬉しそうな声を上げたイリアスだったが、すぐに少し不安げな表情になってヨヒアムを見た。
「色々と書かれているが、要点を言うなら、あの時の依頼の報酬として譲渡したダンジョン、その奥で海が見つかったそうだ」
「……え? 海? ダンジョンの中に、ですか? 本当に?」
そんなことがあり得るのかと首を捻るイリアスに、ヨヒアムは頷く。
「私も同感だ。少なくとも私は、そんな事例を知らない。――が、実際に海に見えるほど広く、塩水を湛えた場所があることは冒険者ギルドも確認したそうだ。我々の知る海とは繋がっていないだろうから、正確には巨大な塩湖と言うべきなのかもしれないが……」
「要点は、塩を得られるということですね」
補足するように言ったサフィアの言葉に、イリアスは首を捻る。
「塩……それが重要なのですか?」
「塩は人が生きていく上で必要不可欠な物だろう? どんなに高くても買うしかなく、それ故、国家にとって非常に重要な戦略物資であり、それを国内で生産できることは重要な意味を持つ。我が国でも岩塩は産出するが、その量は決して多くない」
「……ということは、メアリたちは塩を作って儲けられる?」
競争相手が少ないなら売れるかも、とイリアスはそう口にしたが、ヨヒアムは首を振る。
「イリアス、戦略的に価値があることと、商業的に利益が出ることは違うぞ? 我が国の塩の輸入元はどこか、知っているか?」
「オースティアニム公国ですよね?」
「まぁ、イリアス。よく勉強していますね。偉いですよ」
即答したイリアスをサフィアが嬉しそうに褒めるが、彼女は逆に頬を膨らませた。
「馬鹿にしないでください。国境を接している三国のうち、ユピクリスア帝国とは戦争中ですし、フェグレイ王国がまともに貿易ができる国じゃないことぐらいは常識です」
その二国とも細々とした取引はあるのだが、それらは個人の行う小さな商売であり、大きな貿易相手国は塩以外も含めてオースティアニム公国しかない。
貴族の息女として教育を受けたイリアスからすれば、そのぐらいは知っていて当然のこと。
殊更褒められるのは……と、不満を顕わにしたが、ヨヒアムたちは笑顔で否定する。
「勉強したことを、あなたがきちんと覚えていることが嬉しいのですよ」
「そうだな。貴族の中には大人になってもどうしようもないのも――まぁ、それは良いか。幸い、我が国とオースティアニム公国は長年の友好国。滅多なことでは塩の価格を吊り上げたりしないだろうが、あの国自身も沿岸国ではないからな」
レーニアム王国とオースティアニム公国は地形的に似てるところがあり、岩塩の採掘量も大差はない。当然、オースティアニム公国でも岩塩だけでは塩の需要を賄えず、その多くを輸入に頼っており、その一部がレーニアム王国へと再輸出されている。
つまり、オースティアニム公国の意思とは関係なく、塩の価格が上がることはあり得るのだ。
「つまり、戦略的価値とは――」
「塩の価格の抑制だな。ダンジョン内で塩を生産するコストは高いだろうが、輸入価格がそれを上回ることがあれば、自国生産に切り替えられる。その事実が外交上の手札となる」
「逆に言えば、通常は儲けることができないと、そういうことですか」
「余程の事態でも起きない限りはな」
そして、『余程の事態』になった場合は、所有者の意向とは関係なく国が動き、商売をして儲ける、という状況にはならないだろう。
「ただ、手札として欲しがる貴族はいるかもしれないな」
岩塩鉱山を所有する貴族には、一定の発言力がある。
それと同様に塩を産出可能なダンジョンを持てば、その貴族の発言力は高まるだろう。
通常、貴族が他領の鉱山を得ようとすれば紛争待ったなしだが、あのダンジョンは個人所有。多少強引な手を使ってでも権利を得ようとする貴族がいてもおかしくない。
「まともな貴族であれば、そのような手段は取らないだろうが……危ないのは、領地を持たない木っ端貴族だな。失う物も持たない奴らが、貴族の地位を利用して何かする可能性はある――が、ディオラによると、彼らは既にこの領にいないそうだ。手を出すこと自体が難しいだろう」
「え? メアリたち、出て行ってしまったんですか?」
悲しそうに顔を歪めたイリアスに、ヨヒアムは慌てたように言葉を付け加える。
「あぁ、心配しなくても一時的にだぞ? 彼らはラファンに家を持っているし、ダンジョンのこともある。落ち着いた頃には戻ってくるだろうさ」
「むぅ……、でも、それなら挨拶ぐらい……」
それなりに親しくなったつもりでいたメアリたちが、いつの間にか別の領地に移動していたことにイリアスが不満を口にするが、ヨヒアムとサフィアは揃って苦笑を浮かべる。
「それは難しいだろう。彼らは私が抱えている冒険者というわけではないからなぁ」
以前依頼をしたという関係性はあれど、所詮は領主と一介の冒険者。
旅に出るからと挨拶に来ること自体が、そもそもあり得ない話であるし、普通に訪ねたところで会うことなどできるはずもない。
ダンジョンに関連しての行動ではあるにしても、既に所有権がナオたちに渡っている以上、形式的にはネーナス子爵家には関係のない話なのだ。
「イリアス、彼女たちを友達だと思っているのであれば、あなたから動かないといけません。貴族と平民という立場の違いがあるのですから。もし頻繁に手紙などを交わしていれば、今回も挨拶に来てくれたかもしれませんよ?」
忠告するように言ったサフィアの言葉に、イリアスはハッとして、ギュッと拳を握る。
「メアリとミーティアは間違いなく私の友達ですが、ちょっと疎遠だったかもしれません。気軽に訪ねてこられるよう、もっと仲良くならないと!」
「えぇ、頑張りなさい」
距離的制約もある上に、立場の違いもある。
一応は貴族の地位を持つ上に、イリアスと従姉妹関係にあるディオラですら気軽には来られないのだから、メアリたちが来ることは更に難しい。
サフィアはそのことを理解していたが、平民と交流を持とうとするイリアスの行動は決して悪いことではないと、微笑みながら頷いた。
「だが、彼らがダンジョンを手放すつもりがなさそうなのは良い情報だな。所有権を持つ以上、どのように扱うかは彼らの自由だが、他の貴族の手に渡るのは嬉しくないからなぁ。そう考えると、彼らが挨拶に来なかったのは、領主としては、むしろありがたいぐらいだ」
「そうなのですか?」
「他の貴族からの問い合わせに、知らないと答えられるだろう?」
本来、問い合わせに答える義務はないのだが、子爵という立場上、無視できない相手もいる。
そんな相手に嘘をつくことは後々面倒なことになりかねないし、たとえ本当のことでも、ナオたちに面会しておきながら、行き先は聞いていないというのも信憑性に欠ける。
であるならば、最初から面会していない方が面倒がないし、事実なのだから探られても痛くない。
「貴族としては、時には駆け引きも必要だが、今回に関しては益がないからなぁ」
「既に譲ったものですからね。でも、お父様としては残念だったのではありませんか? あの時、別の報酬を渡していれば、ダンジョンは当家の利益になったかもしれませんし」
ナオたちに譲らずに、ネーナス子爵家で持っていれば手札になったかもしれないと尋ねたイリアスだったが、ヨヒアムはあっさり首を振った。
「いいや、まったく。あのダンジョンは、ネーナス子爵家にとってはマイナスしかない不良債権。政治的手札と言うよりも弱みだな。お前は実感が湧かないかもしれないが、もしもウチが主導で開発を始めれば、色々な疑惑を呼びかねない」
「そういうものなのですか?」
「それだけのことをしたのだ、先々代は」
もしも先々代が普通にミスリル鉱山として開発して多少の利益を出し、その後、ダンジョンとなったのであれば、それを資源として活用する道もあったかもしれない。
だがその場合には、ヨヒアムが領主となることはなかっただろうし、辺境という立地を考えれば、ダンジョン都市として開発するのは難しく、失敗するリスクもかなり高いだろう。
もしかすると、持っていれば遠い将来には何らかの利益が出たかもしれないが――。
「領主としては、不確定な利益を夢見て後生大事に抱え込むより、確実に利益を出せる時に手放す決断力も必要だ。自画自賛するようだが、今回の決断は英断だったと思うぞ?」
「私もそう思います。イリアスの命を救ってくれただけでも十分ですが、彼らはそれ以上の利益を齎してくれていますからね」
イリアスがグノス男爵領を訪問した際に襲ってきた敵は、確実にネーナス子爵家の兵士よりも強く、ナオたちがいなければイリアスが殺されていた確率はかなり高い。
それを考えれば、ヨヒアムやサフィアからすれば、ダンジョンの権利ぐらい安いものであるし、ナオたちの功績はそれだけではない。
先々代が荒らした領地を、親子二代に亘って復興させてきたヨヒアムであるが、それはマイナスをゼロ近辺に戻した程度に過ぎず、決して裕福になったわけではない。
更に近年では、ケルグ付近で残っていた盗賊団、サトミー聖女教団による騒乱、ピニングでの吸血鬼騒ぎなどの問題も発生しており、大きな税収になっていたラファンの家具産業が、銘木が手に入らなくなって衰退しかけていたという懸案もあった。
「これらの問題の解決にも、彼らは関わっていますし、ダンジョン探索でも成果を上げています」
直近ではエルダートレント。
オークションの結果はまだ出ていないが、その売り上げの一部は、税としてネーナス子爵家に納められる。
投資ゼロで収益が上がるのだから、ネーナス子爵家としては言うことない。
「もしかすると、ダンジョンの権利を譲らなくても、探索を進めてくれたかもしれないが……その場合は、別のダンジョンに行く可能性もあったからな。持っていても活用できないダンジョンを渡すだけで、彼らのような有能な冒険者を領内に引き留められるなら、安いものだ」
「メアリたちのパーティーって、凄かったんですね。強いことは知っていましたが……」
これまで知らなかったことを聞かされ、イリアスは感心したように息を漏らし、ヨヒアムは深く頷く。
「そうだな。色々な意味で得難い冒険者と言えるだろう。戦えるだけの冒険者はいるが、彼らは様々な方面で優秀なようだ。幸い、ラファンに家を持ってくれているが……」
腕を組み、ヨヒアムは考える。
土地を買って自宅を建てているし、ディオラからの手紙でも戻ってくると書いてある。
多種族のパーティーであることを考えれば、国外に出ることは考えにくいし、国内でもこの領地よりも住みにくい領地の方が多いだろう。
であれば、これからもこの領地に定住してくれる可能性は高い。
だが、より高ランクになれば多少の理不尽は簡単に撥ね除けられるし、大量に稼ぐようになれば、ラファンの土地や建物の価値は相対的に低くなる。
「今後のことを考えると、なにかしらの手は打つ必要があるかもしれないな……」
ヨヒアムはまだ幼い二人の子供を愛おしげに見て、小さく呟いたのだった。
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