414 トーヤ、入門す (2)
周囲の人垣が割れ、トーヤたちに近付いてきたのは、片手に木剣を持ったトーヤと同年代の少女だった。
艶やかな黒髪と、同色の毛で覆われた耳と尻尾。
その形状からして、トーヤと同じ狼系の獣人か。
整った顔立ちは、可愛いというよりも凜々しいといった風貌で、細い眉と切れ長の目、薄い唇はやや不機嫌そうに結ばれている。
彼女がその鋭い眼差しでガッドを睨むと、彼は気圧されたように一歩下がった。
「し、師範代……」
「試合に負けたことを責めはせぬ。だが、言い訳を重ねることは許されん。下がれ」
「は、はい……くっ!」
悔しそうにトーヤを睨むガッドではあったが、少女に逆らうつもりはないようで、剣をぶら下げて後ろへと下がった。
その様子に少女は眉を顰めて息をついたが、すぐにトーヤに向き直り、軽く頭を下げた。
「不当な言いがかり、申し訳ない」
「いや、別に大したことはねぇけど……」
軽く首を振りつつ、トーヤは少女を観察する。
「(やっぱ、美人だなっ! 耳と尻尾も良い!!)」
ハルカたちを見慣れているトーヤから見ても、十分以上に美しい容姿。
胸は少し大きめで、それに加えて綺麗な毛並みの耳と尻尾が加われば、それはもう確実にトーヤのドストライク。全力で振りにいくしかないわけで。
トーヤがこの道場に突進した最大の理由は、言うまでもなく彼女の存在が目に入ったからである。
そんな彼女が自分の前に立っていれば、ガン見するのも必然。
内心の狂喜乱舞を押し殺しつつ、それでもかなり無遠慮に少女を観察していたトーヤであったが、それは彼だけではなかった。
「(この町に、こんな男がいたのか)」
あれでもガッドは、将来を期待されるだけの才能を持つ若手だ。
そんな彼を相手に、あっさりと木剣を叩き落としたトーヤの腕前は疑いようもなく、鍛え上げられたその肉体は一朝一夕の訓練で出来上がるものではない。
「(これだけの武人、おそらくは旅人――いや、引っ越してきた、か?)」
ヴァルム・グレで生まれ育った彼女の耳はかなり早く、特に武芸者に関しては多くの情報を有していた。
だが、今彼女の目の前に立つ狼系の獣人の男は、噂にすら聞いたことがなかった。
たまたま町に立ち寄った強者の可能性もあるが、入門を希望していることを考えれば、長期滞在なのは疑いようもなく、短期講習ではないことも考え合わせれば、単なる冒険者が少し技術を身に付けに来たとも思えなかった。
――実際には単なる冒険者で、かつ短期滞在でしかないのであるが。
道場に来ているのだから修行が目的としか考えていない少女と、修行は二の次、可愛い獣耳娘とお近づきになりたいトーヤとのすれ違いである。
「さて。彼が入門に足るレベルにあることは皆も異論ないだろう。だが、あまりにもあっけなく模擬戦が終わったのでな、どれほどの腕前なのか理解できない者もまた多いだろう」
少女が『あっけなく』と口にした時に、ガッドが悔しそうに下を向いたが、彼女はそれに気付くこともなく言葉を続ける。
「だから貴殿には、私とも一試合所望したいのだが、どうだろうか?」
「願ってもない。オレがここに来たのは、修行が目的だからな」
笑みを浮かべて快諾したトーヤだったが、その心の声が漏れ聞こえたのか、少女は『ん?』と少し不思議そうな表情になる。
だがそんな表情も、トーヤと対峙するとすぐに消え失せ、真剣な表情でゆっくりと深呼吸、彼を見つめてゆっくりと木剣を構えた。
「サルスハート流師範代アルトリア、参る」
「……我流トーヤ、お相手する」
相手に応じて、自分も名乗るトーヤ。
だが、名乗りの格好良さに関しては既に負けている。
そんなことを思いながら、トーヤは静かにアルトリアを見つめた。
「(……手強いな)」
自分を見つめるトーヤの雰囲気に、アルトリアは警戒レベルを一つ上げた。
通常、武器を突きつけられれば、相手の視線はそこへと集中しがちである。
攻撃の予兆を見逃さないためにそうなるのはある意味必然なのだが、だからこそ武器の動きによってフェイントを掛けたり、攻撃を誘ったりすることが可能になる。
理想を言えば、対戦相手全体を見て次の行動を予測するのが最善だが、武器という判りやすい脅威を無視することは難しい。
しかし、今アルトリアと対峙しているトーヤは、その理想を体現していた。
「(これは、想像以上だな)」
アルトリアが剣先を動かして揺さぶりを掛けても、トーヤの視線はまったく揺るがない。
どこか茫洋とすらしているその視線は、ただ静かでどっしりとしていて、喩えるならば大樹のよう。
彼女の身体全体に視線を向け、まるで武器など気にしていないようにも見えるが、もちろんそんなはずはないだろう。
視線を読ませない高度な技術。
更には少し微笑んでいるようにも見えるその表情には、緊張の色は微塵も窺えず、余裕すら感じられる。
どこから攻めても簡単に弾き返される未来が見え、そんな対戦相手を前に、アルトリアは動けずにいた。
「(良いな、あの耳)」
トーヤは剣を構え、ただひたすらに目の前の美少女――正確に言うなら、そこに付属している耳と尻尾を愛でていた。
入門すれば対戦できるかも、と考えていたトーヤではあったが、いきなりその機会が巡ってきたことに内心、欣喜雀躍、この時を思いっきり楽しんでいた。
もちろん、いきなり飛び上がって喜んだりしては不審極まりないので、必死に感情を押し殺しているのだが、僅かに漏れ出たその心情が表情にも表れていた。
もしこの場にナオがいれば、『ちょい鼻の下が伸びてる』と評したかもしれないが、幸運にもトーヤは、既にガッドをあっさりと下し、その腕を証明していた。
それがなければ、観戦者の半数ぐらいはナオと同じ感想を持ったのかもしれないが、『どうやら腕が立つらしい』というフィルターを通すことで、その笑みは『強者の浮かべる不敵な笑み』と変換されていた。
そう、まごうことなき節穴である。フィルター付きなのに。
「(艶々の尻尾も綺麗だ……)」
ゆらゆらと揺れる剣先に惑わされることもなく、トーヤの視線はアルトリアの獣耳と尻尾にロックオンされていた。
しかし、がっちりと注目してしまえば、当然にバレる。
バレてしまえば、この時間が終わる。
トーヤにとってそれは、許容できることではない。
だからこそ彼は、アルトリアの身体全体を視界に入れつつ、その実、一部分にのみ注目するという無駄に高度な技術を駆使していた。
謂わば、画像脳内ズーム&トリミング。
変態的スキルである。
そして、そんなスキルを持つトーヤは、当然に変態である。
腕が立つのは事実なのに、非常に残念である。
しかし、トーヤが動かないからといって、相手が動かないわけではない。
「――っ!」
ガツンッ!
耳と尻尾に見蕩れていてもきっちりと反応するのは、冒険者として危険な場所に身を置いていた成果か。
飛び込んで振るったアルトリアの木剣を最小限の動きで受け止め、鍔迫り合いに移行。
ニヤリと獰猛に見える笑みを浮かべるトーヤ。
「(綺麗な獣耳が目の前に! くんか、くんか。ぐふふっ。どうせなら、無手でやり合いたい!)」
実態は獰猛ではなく、嫌らしい笑みであった。
ヤバい変態である。
まぁ、猫や犬のお腹に顔を埋めて、スハスハするような人もいるので、マニアなんてそんなものなのかもしれないが。
一応トーヤを擁護するならば、彼が獣人を選んだ要因は是非もなく、『獣耳のお嫁さん』である。
にも拘わらず、これまでに出会えた獣人は極僅か。
恋愛対象となる相手は皆無である。
ここに来て、超好みの美少女に獣耳尻尾が付いていて、ちょっと暴走気味なだけである。
しばらくすればきっと落ち着く――かもしれない。
耳や尻尾に直接手を伸ばしていないのは、なけなしの良心がストッパーとなっているが故か。
これがもし、何でもありの決闘とかであれば、剣など放り出して寝技に持ち込み、尻尾を堪能していたことだろう。
ちなみに普段の訓練では『勝てば良かろう』なので、剣を持っていても殴る、蹴るは日常茶飯事。
ハルカたち女性陣相手にも、寝技ぐらい遠慮なくかけている。
もちろん、押さえ込んだ時点で終わりなので、遠慮なく身体をまさぐったりはしていないのは当然であるが。
獣耳以外にはきちんと自重ができるトーヤ君であるからして。









