405 旅立ち
俺たちもそれなりに無理をしていたこともあり、ケルグに帰ってきた日とその翌日は、宿でゆっくりと休むことになった。
ハルカとナツキはアルの様子を見に行ったみたいだが、外に出たのはそれぐらい。
旅立ち前にゆっくりと体力の回復に努める。
そして、アルが回復した二日後、俺たちは今度こそと、ヤスエたちに別れを告げていた。
「この度は、本当にありがとうございました」
「本当に助かったわ。私たちの間には、その……色々あったのに、親身になってくれて、凄く嬉しかった」
深々と頭を下げるチェスターと少し照れくさそうにお礼を言うヤスエに、ハルカは笑いながら応える。
「色々と言っても実害はなかったからね。ちょっとだけ、ムッとしただけで」
「それはゴメンって」
「嘘、嘘。もう気にしてないわよ。ま、これからは仲良くしましょ。子育ての先輩として。将来的にはママ友として?」
「まぁ……そうね。冒険者としては全然及ばないけど、子育てに関しては先輩だからね、私は。ふふん」
少し得意げに胸を張るヤスエを見て、ハルカたちは苦笑を浮かべる。
「先輩って……まだ一週間程度でしょうに。子育てを始めて。ま、頑張って経験を積んでちょうだい。私たちのためにも」
「アルのためよ! まぁ、成果を還元するのも吝かじゃないけど?」
「そう、ありがと」
「か、感謝しなさい。あんたたちのためじゃないけど! アルのためだけど!」
ツンデレか。
でも、その経験が助けとなることは間違いないので、ヤスエには是非良いお母さんになってもらいたい。
そして、そんなハルカたちの遣り取りを微笑ましそうに見ていたチェスターが、話が一段落したのを見て、遠慮がちに声を掛ける。
「それで今回のお礼なんですが、今お支払いできるのはこれぐらいで……残りは分割でお願いできますか?」
申し訳なさそうにチェスターが差し出したのは、革袋に入ったお金。
実はチェスター、俺たちがオッブニアを探しに行っている間に、ヤスエに言われて冒険者ギルドで今回の内容だとどれぐらいの報酬が必要か、訊きに行っていたらしい。
結果、最低でも金貨一〇〇枚はくだらないと言われたんだとか。
少し高いようにも思えるが、今回の仕事を纏めるなら『ランク六の冒険者を緊急で数日間拘束し、簡単には見つからない薬草を採ってきてもらう』というもの。
それを考えれば、金貨一〇〇枚でも相場以下となるのだが――。
「私としては、報酬についてはあまり考えてなかったけど……」
「う~ん、あたしは必要ないかな、って思うんだけど、どうかな?」
「赤ちゃん、無事に助かって良かったの」
「私も別に構いません」
「私たちのときの予行演習をさせてもらったと考えれば良いのでは?」
「オレたちもまぁ……」
「ま、持ち出しなんて、桶のコストぐらいだしな。あれはまた使えるし、ナツキが薬に使ったオッブニア以外の材料は、ヤスエが金を出したんだろう?」
トーヤがちょっと寒い思いをしたぐらいで、危険性は特になかったし、赤ん坊を無事に助けられたという精神的充足感もある。
それに加え、ナツキが言ったように、俺たちが今後経験するであろうことを身を以て教えてくれたという考え方もあるわけで。
大して裕福とも思えないヤスエたちからお金を取る必要ないと、俺たちの中では一致したのだが、ヤスエは強く首を振った。
「周囲への手前もあるし、そういうわけにはいかないわ。私に治癒魔法をかけてもらったのは、『たまたま遊びに来ていた友人が、魔法を使ってくれた』で済むかもしれないけど、オッブニアの方は情報収集をして、しっかりと働いてもらったんだから」
「はい。周囲への手前、私たちが皆さんをタダで使った、などと思われても困りますし」
高ランクの冒険者に対してそんな伝があると思われてしまうと、無理難題を持ち込まれることも考えられる。
正規料金を払っていれば、『正当な報酬を用意しろ』と突っぱねられる。
そんなことを言うチェスターに、俺たちは顔を見合わせた。
確かにそんな恐れもあるわけだが、繁盛しているとは言え、ヤスエたちがそんなに裕福でないことは、俺たちも知っている。
「でも、子育てにお金が必要なんじゃないの?」
「だよな? 公的補助なんてないだろうし」
「うっ……そうだけど……」
考えてみれば、今回はなんとかなったが、今後もアルが病気に罹る危険性は決して低くない。
というより、赤ん坊が成長する過程で、病気にならないはずがない。
少なくともこの町に小児医療無料なんてサービスは存在せず、貯蓄がいくらあっても十分なんてことはないだろう。
そんなことはヤスエも重々承知なのだろう。
改めて指摘すれば、困ったような、迷うような、複雑な表情で視線を彷徨わせる。
それを見たナツキが、一つの提案を口にする。
「……では、こうしてはどうでしょう。特に期限は定めず、私たちがこのお店に立ち寄ったときに、少しずつ可能な範囲で支払ってもらう。それでいかがですか?」
周りから見たとき、『高ランクの冒険者にタダで助けてもらった』というよりも、『高ランクの冒険者に依頼して借金を抱えてしまった』という状況の方が解りやすく、変なトラブルも起きにくいだろう。
そう言うナツキに、ヤスエは躊躇いを見せつつも、経済的問題という現実の前に俺たち全員の顔色を窺う。
「それは……助かるけど、良いの?」
「構わないだろ」
「ぶっちゃけ、オレたちからしたら、その程度の金、なくても困らねぇしな」
あまりにも身も蓋もない言葉に、革袋を差し出していたチェスターの肩がガクリと落ちる。
「うっ。ですよね、皆さんからすれば、この程度のお金……頑張って集めたんですが……」
「ちょっと、トーヤ!」
「あ、すまん。別にバカにしてるわけじゃねぇぞ? 気にしなくて良いってだけで」
「ごめんなさい、ヤスエ。デリカシーのない奴で」
「構わないわよ。悪気がないことは解ってるし。でも、さすが冒険者、儲かるのねぇ」
「命懸けてる仕事だからな。死にかけたことも一再じゃないし。あまりお勧めできない仕事ではあるよな」
「もうなるつもりはないわよ。今は、その……幸せだし?」
チラリとチェスターを見て言うヤスエに、ハルカはヤレヤレと首を振る。
「はいはい、ごちそうさま」
「ふふっ、よかったですね。そんなわけですから、チェスターさん。そのお金は収めてください」
「本当によろしいのですか?」
「はい。アル君を元気に育てるために使ってください」
「……それでは、お言葉に甘えて。少しずつ貯めておきますので」
チェスターが革袋を引っ込め、ヤスエと共に頭を下げた。
「改めてありがと。でも、この辺りに戻ってきたときには必ず寄ってよね。借金を返すのはもちろんだけど、あんたたちに助けてもらったアルの成長も見せたいから」
「えぇ、もちろん寄らせてもらうわ。色々話も聞かないといけないし」
「たっぷり話してあげるわよ。子育ての苦労話をね。そして戦くが良いわ!」
「ふふっ、それは楽しみね」
「――ハルカ、そろそろ行こうか。できれば今日中に次の町まで行きたいし」
さすがは女子同士と言うべきか、放っておくとしばらく話が続きそうなので、俺が話に割り込むように声を掛ければ、ハルカは少し考えて頷く。
「そうね。野営を避けるに越したことはないし。またね、ヤスエ、チェスターさん」
「初めて行く場所だからな」
これから通る道は、俺たちが拠点としているラファン周辺とは異なる。
事前にギルドで情報収集などをして、ある程度のリスクマネジメントはしているが、避けられるのならば、リスクの高い野営は避けて町の宿で寝るべきだろう。
「それじゃ、ヤスエ、チェスター、元気でな」
「ヤスエさん、初めての育児は大変でしょうが、頑張ってください」
「チェスターも、店を頑張れよ! 父親として」
「身体に気を付けてね」
「赤ちゃん、また見に来るの!」
「失礼します」
俺たちは口々に別れを告げ、歩き出す。
「ホント、ホント、ありがとうね!」
「皆さんもお気を付けて! 再会できるのを楽しみにしています!」
感極まったのか、少し瞳を潤ませたヤスエとチェスター。
俺たちはそんな二人に手を振り、早朝の少し肌寒い空気の中、ケルグの町を旅立ったのだった。









